半井清

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半井清

半井 清(なからい きよし、1888年3月31日 - 1982年9月3日)は、日本内務官僚政治家。官選府県知事北海道庁長官、横浜市長

経歴[編集]

岡山県出身。衆議院議員福井三郎の長男として生まれるが半井家を継いだ。第一高等学校を経て、1913年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、大阪府属となり内務部地方課に配属。その後、大阪府理事官、大阪府視学官石川県理事官などを歴任。

1919年10月、朝鮮総督府に転じ学務局宗教課長に就任。さら兼総督官房文書課長、学務局学務課長などを歴任した。

1923年5月、内務省社会局第二部第二課長に転じた。以後、滋賀県警察部長、福島県書記官・内務部長、栃木県書記官・内務部長、大阪府書記官・内務部長などを歴任。

1931年1月、佐賀県知事に就任。同年12月、宮崎県知事に発令されたが赴任を拒否し辞職。1932年6月、栃木県知事に就任し、宮城県知事を経て、1935年6月、内務省社会局長官となる。1936年3月、神奈川県知事に発令され、北海道庁長官、大阪府知事を歴任し、1941年1月に退官した。

1941年2月、横浜市長に就任し1946年11月まで在任したが公職追放となる。1951年8月に公職追放が解除され、1952年11月から横浜商工会議所会頭を務める。1959年4月、前横浜市長・平沼亮三の死去に伴う市長選で当選し、二度目の横浜市長に一期在任した。

1982年9月3日死去。墓所は東京都港区にある表参道駅至近の青山善光寺

栄典[編集]

勲章等
外国勲章佩用允許

著作[編集]

  • 『時局ト北海道ノ使命』[北海道], 1939
  • 『決戦下町内会長の使命』(町内会隣組運営資料) 横浜市, 1943.5 全国書誌番号:44043566
  • 『浮き草の思い出』半井清, 1972.7
  • 『三つの顔を持つ人間像』半井清, 1973.11
  • 『わが人生』神奈川新聞社, 1979.9

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  2. ^ 谷正之外二十五名」 アジア歴史資料センター Ref.A10113476800 
ビジネス
先代
原良三郎
横浜商工会議所会頭
第13代:1952年 - 1959年
次代
田中省吾