西村陸奥夫

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西村陸奥夫

西村 陸奥夫(にしむら むつお、明治元年9月21日1868年11月5日) - 明治45年(1912年1月8日[1])は、日本の内務官僚佐賀県知事

経歴[編集]

陸奥国津軽郡妙堂崎村(後青森県西津軽郡水元村、現在の北津軽郡鶴田町)出身[1]。西村孫兵衛の長男として生まれる[2]東奥義塾を卒業し、1887年(明治20年)から1889年(明治22年)まで北津軽郡立高等小学校で雇教員として働いた[1]1890年(明治23年)、東京専門学校政学部(現早稲田大学政経学部)を卒業[3]1891年(明治24年)、青森県内務部雇となり、1893年(明治26年)には青森県会に異動となった。翌年、職を辞して上京し、法律学の勉強に励んだ[1]1895年(明治28年)11月、文官高等試験行政科試験に合格し、翌年に内務省属・県治局勤務となった[1][3]

その後、栃木県参事官徳島県参事官、鹿児島県事務官第四部長島根県事務官・第一部長、福島県事務官・第一部長兼第三部長、宮城県事務官・第一部長兼第三部長などの職を歴任した[1]

1908年(明治41年)12月、佐賀県知事に任命されたが[4]1911年(明治44年)の夏秋の境ごろから病にかかり、10月6日付で休職となった[5]。翌年の1月8日に死去。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『大正四年特別大演習記念 青森県名鑑』43頁。
  2. ^ 『人事興信録』第3版、に39頁。
  3. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』175頁。
  4. ^ 『新編日本の歴代知事』991頁。
  5. ^ 『官報』第8491号、明治44年10月7日。

参考文献[編集]

  • 高谷繁太郎・江馬英三郎編『大正四年特別大演習記念 青森県名鑑』青森県行幸記念協会、1917年。 
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第3版、1911年。