大西一郎

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大西 一郎
おおにし いちろう
Onishi Ichiro.jpg
近景
生年月日 1887年6月11日
出生地 日本の旗 日本香川県高松市(旧香川郡川東村
没年月日 (1950-01-21) 1950年1月21日(62歳没)
出身校 東京帝国大学
前職 横浜市助役

Flag of Yokohama, Kanagawa.svg 第11代 横浜市長
当選回数 1回
在任期間 1931年3月3日 - 1935年7月18日
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大西 一郎(おおにし いちろう、1887年明治20年)6月11日[1]1950年昭和25年)1月21日[2])は、第11代の横浜市長

経歴[編集]

香川県香川郡川東村(現在の高松市)出身。1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業[3]。同年、高等文官試験に合格し、北海道庁属となった[3]。北海道庁警視、同理事官拓殖課長、同勧業課長、岩手県学務課長、兵庫県視学官・知事官房主事・学務課長、香川県警察部長朝鮮総督府事務官参事官慶尚北道内務部長、復興局土木部庶務課長、東京第一出張所長を歴任した[3]

1926年大正15年)に退官して、東京市助役となり、翌年まで在任した[3]1929年(昭和4年)、横浜市助役に就任し、1931年(昭和6年)には市長に選出された。

その他活動[編集]

1933年(昭和8年)には、横浜市港北区樽町に当時の綱島温泉繁栄を記念して建立されることになったラヂウム霊泉湧出記念碑の碑文を揮毫した[4]

脚注[編集]

  1. ^ 『人事興信録』
  2. ^ 『昭和物故人名録』
  3. ^ a b c d 『神奈川県名鑑』
  4. ^ 館報「開港のひろば」第140号 横浜開港資料館”. www.kaikou.city.yokohama.jp. 2019年5月25日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『神奈川県名鑑』横浜貿易新報社、1935年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版(上)』人事興信所、1934年。
  • 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。