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くいしん坊!万才

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
食いしん坊!万歳から転送)
くいしん坊!万才
ジャンル 料理番組 / ミニ番組
出演者 松岡修造
製作
プロデューサー 前夷久志(共同テレビ[1]
制作 フジテレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1974年10月2日 - 2025年1月19日(一時的に中断)
2025年10月26日 - 11月22日
放送時間日曜 17:25 - 17:30
放送分5分
回数6599
公式サイト
くいしん坊!万才SP
出演者松岡修造
高島彩
歴代リポーター
放送期間2015年8月22日
放送時間土曜 9:55 - 10:55
放送枠チャンネルΣ
放送分60分
回数1
50年間ありがとう!
くいしん坊!万才 一生忘れられない味SP
出演者松岡修造
高島彩
村野武範
辰巳琢郎
山下真司
宍戸開
放送期間2025年11月22日
放送時間土曜 13:30 - 14:30
放送枠土曜スペシャル
放送分60分
回数1

特記事項:
1.放送回数は、現在フジテレビ公式サイトで開始時期とする1975年6月から、レギュラー最終放送回となる2025年11月16日放送分まで。[注 1]
2.放送時間はレギュラー最終放送時点(2025年11月現在)のもの。
3.後述の不祥事により、2025年1月26日から10月19日まで放送を一旦休止していた。
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くいしん坊!万才』(くいしんぼうばんざい)は、かつてフジテレビなどで放送されていたミニ番組料理番組である。フジテレビと共同テレビ(初期はピー・プロダクション[2])の共同制作であった。通称『くいしん坊』。リポーターが固定されるようになってからタイトルの前には必ず『○○○○(リポーターの名前)のくいしん坊!万才』と付く。

概要

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1974年10月2日に放送を開始した(フジテレビ公式サイトでは、リポーターが固定化された1975年6月としている[3])。キッコーマン一社提供番組で、毎回日本各地の名物料理を食べ歩く[4]。国内のみならず、海外でのロケを行う場合もあった。2025年に(リポーター固定後の)放送開始50周年を迎えた長寿番組

当初は火曜と金曜を除く週5日間の帯(21:54 - 22:00枠)で放送されていたが、1983年10月以降は週4日間の帯に減少し、1999年4月から2018年9月まで月曜のみの放送となっていたが、2018年10月からは日曜昼前(11:45 - 11:50枠)のみの放送に移行、放送開始45年目にして初のノンプライム放送となり、2022年10月改編で日曜夕方枠(17:25 - 17:30)に移動。

スタート当初はフィルムによるロケーション撮影だったが、技術の変遷で竜崎勝時代にはVTR撮影に変わった。

「○○○○のくいしん坊!万才」のタイトルコールは、宍戸錠時代から本人がコールするようになった。

テーマ曲(愛場俊彦作曲)は、村野武憲時代以降はくいしん坊交代ごとにアレンジされている。ただし、辰巳琢郎時代のオープニングは、テーマ曲が変更となりアニメーションも辰巳の顔部分だけ実写だった(山下真司時代より再びテーマ曲・アニメとも元のスタイルとなった)。また、松岡修造就任後はアニメと曲のアレンジが前期(月曜時代)と後期(日曜時代)で異なっている。なお、リポーター固定化前は全く異なる音楽が使われていた。

新聞テレビ欄テレビ誌番組表における表記は「○○○○のくいしん坊」もしくは「くいしん坊!万才」と記載することが多かったが、字数の都合上「くいしん坊」などと短縮して記載することもあった。特にGコードが掲載されていた時代は「くいしん坊」の5文字だけとなっていた[注 2]。ミニ番組という性質上、地方紙などでは番組表がフルサイズ以下(ハーフサイズ、小サイズなど)の場合は記載されないこともあった。また、レイアウトの関係上、字数の都合で「くいしん」と短縮記載されることもあった[5]

番組の放送中断と再開・終焉

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2025年1月に報じられた不適切接待事件を受けて、単独スポンサーであるキッコーマンからの要請により、同月19日をもって放送が中止となった[6][7][8][9]。該当時間帯は本番組の直後に放送している『Live News イット!』を前倒し(拡大)する形で対応するとした[7][10]が、時によっては別の番組を放送することもあった[注 3]

また、本番組と同じくキッコーマン一社提供の『おいしい記憶きかせてください』(BSフジ制作)も同様の理由により、同年2月15日以降放送が休止された[6]。『おいしい記憶きかせてください』は2月15日放送予定だった分からキッコーマン公式YouTubeチャンネルでの配信に切り替わっている[11]

同年10月26日から番組は再開されたが、11月22日放送の特別番組をもって、本番組の放送が終了となった[12]。なお、番組終了について、フジテレビとキッコーマンは1975年の放送開始から50年の節目を迎えるにあたり、そのタイミングで放送を終了させるかの可否について、2024年秋から両者の間で協議しており、一連の不祥事とは無関係と述べている[13][14]

11月22日の最終回SPを以て、中断期間を挟み50年5ヶ月、約6600回に及ぶ放送に幕を下ろした。

放送曜日

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期間日曜月曜火曜水曜木曜金曜土曜備考
1974年(昭和49年)10月
- 1981年(昭和56年)3月
週5回[注 4]
1981年(昭和56年)4月
- 1983年(昭和58年)9月
週5回[注 5]
1983年(昭和58年)10月
- 1984年(昭和59年)9月
週4回[注 6]
1984年(昭和59年)10月
- 1999年(平成11年)3月
週4回[注 7]
1999年(平成11年)4月
- 2018年(平成30年)9月
週1回
2018年(平成30年)10月 -
2025年(令和7年)1月・10月 - 11月
週1回[注 8]

受賞歴

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歴代のリポーター

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  • 1974年10月2日から1975年1月5日放送分までは、各界の著名人(俳優・落語家・漫画家・力士など)が日替わりでリポーターを務めていた[注 10]
    • 当時の新聞の記載によると、初回のリポーターは『正蔵』(林家正蔵(8代)と考えられる)であった。
  • 1975年1月6日から6月22日放送分までは、各界の著名人が週替わりでリポーターを務めていた。
  • 1975年6月23日放送分以降、リポーターが固定化される。フジテレビの公式サイトではこの段階を放送開始としている。
  • リポーターは固定化以降、主に2~3年おきに次代に交代し、早いと川津のようにほぼ1年で降板ということもあったが、当代(11代目)の松岡への交代を最後に交代されなくなった。松岡によるその出演期間は25年にもおよび、松岡だけで全期間の半分を担当していることになり、歴代出演者とは出演期間が大きく離れている。ただし、松岡の出演開始時点ではすでに週1回放送になっていたこともあり、3代目の友竹が3年間の出演で保持していた歴代最多出演回数を塗り替えるまでに、その約5倍にあたる16年強の歳月を費やしている。
歴代リポーター一覧
リポーター出演期間回数
1 渡辺文雄 1975年6月23日 - 1977年7月3日 515
2 竜崎勝 1977年7月4日 - 1978年12月31日 390
3 友竹正則 1979年1月1日 - 1981年12月31日 794
4 宍戸錠 1982年1月1日 - 1983年12月30日 509
5 川津祐介 1984年1月4日 - 12月30日 0228
6 梅宮辰夫 1985年1月6日 - 1987年12月30日 623
7 村野武範 1988年1月3日 - 1990年12月30日 617
8 辰巳琢郎 1991年1月6日 - 1993年12月29日 606
9 山下真司 1994年1月4日 - 1997年12月30日 782
10 宍戸開 1998年1月4日 - 1999年12月27日 284
11 松岡修造 2000年1月10日 - 2025年11月16日 1251

ネット局・放送時間

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(放送終了時点)

放送対象地域 放送局 系列 放送日時 備考
関東広域圏 フジテレビ(CX) フジテレビ系列 日曜 17:25 - 17:30
(特別番組等により放送時間変更の場合あり)
制作局
アメリカ合衆国 FCI(フジテレビ現地法人) ホームページを参照)[注 11]
  • 開始当初は夜のスポットタイムが「5分」であったため、21:55からの放送であったが、1年後の1975年10月より夜のスポットタイムが「6分」に拡大したため、21:54からの放送に変更された。しかし日曜朝に移動後、43年振りに5分に戻った。
  • 水曜放送は1985年4月より2時間歌謡番組『夜のヒットスタジオDELUXE』が設置されたため、22:54に繰り下げ、そして1986年4月からは『ヒットスタジオ』を22:52までの放送に短縮し、当番組の開始時刻を22:52からに拡大したが、22:52 - 22:54は実質的には「ガイド枠」であるため、内容は拡大しなかった[注 12]。その後1989年10月より『ヒットスタジオ』を22:00 - 22:54に短縮し、『夜のヒットスタジオSUPER』に改題したため、水曜放送は元の21:54に戻った。

過去のネット局

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スタッフ

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  • プロデューサー:前夷久志
  • ディレクター:松澤祐介、岡田実
  • AD:白井奈津美
  • 撮影:徳重正司
  • VE:坂本安章
  • TK:山本悦子
  • 制作:フジテレビ、共同テレビ

特別番組など

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  • 毎年正月の時期には歴代くいしん坊が集まり、全国ネットスペシャル版が放送されていた。(各局ローカル別の複数社スポンサーとなるが、キッコーマンも提供スポンサーに含まれている)1989年1月27日には放送開始15周年を記念して「くいしん坊!万才スペシャル」が放送された。しかし、2010年度以降は放送されなくなった。
  • 2015年8月22日、放送40周年を記念した番組初の1時間の拡大版の特別番組『くいしん坊!万才 放送40周年スペシャル』(関東ローカル)が放送された[注 15]。同特別番組の司会は現在のリポーターの松岡と第2代リポーター・竜崎の長女でもある高島彩(元・フジテレビアナウンサー)が務め[30]、歴代リポーターを代表して6代目リポーター・梅宮と9代目リポーター・山下が出演[31]。東京・会席料理店「とうふ屋うかい」で収録が行われた[32]
  • 2018年9月8日9日の『FNS27時間テレビ にほん人は何を食べてきたのか?』にて初の本番組の特別編が放送された[33]。こちらにもキッコーマンがスポンサーの一社として名を連ねた。

追悼特集

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  • 2019年12月15日放送は、6代目リポーターを務めた梅宮が12日に死去(81歳没)したことを受け、当初の放送予定を変更し、梅宮の追悼として、梅宮時代の回の中から1987年2月1日放送回(山形県[注 16]東置賜郡高畠町から「ひきずりうどん」を紹介)をアンコール放送した[34]。なお、当時はアナログ放送であったことから標準画質(画角4:3)だったが、オープニング映像やテロップ、提供アナウンスはほぼそのまま放送したものの、オープニング・エンディングの提供クレジットの社名ロゴ表示が当時と現在で異なるため[注 17]、ホワイトバックに現在のロゴ[注 18]を被せて表示した。エンディングはホワイトバックによる提供クレジットとともに「梅宮辰夫のくいしん坊!万才 終」が黒の縁取りに白文字で表示された。なお、画面両端は白色で、本編の冒頭に内容変更の旨、最後に梅宮を追悼するテロップがそれぞれ表示されたほか、制作会社(フジテレビ・共同テレビ)のテロップも新たに表示し直された[注 19]。なお「ひきずりうどん」は、後述の最終回でも梅宮の「一生忘れられない味」として紹介された[35]
  • 2020年1月26日放送は、4代目リポーターを務めた宍戸錠が21日に死去(86歳没)したことを受け、当初の放送予定を変更し、錠の追悼として、錠時代の回の中から1982年1月28日放送回(北海道松前郡松前町から「ユデダコ」を紹介)をアンコール放送した[36]。なお、これも標準画質であり、オープニング・エンディング映像や提供アナウンスは当時のまま放送されたものの、提供クレジットの社名ロゴ表示が現在と異なるため[注 20]、白色の四角枠で被せた上で現在のロゴ[注 18]に置き換えた。なお、画面両端は黒色で、テロップも新たに加えたものが付けられた(本編の画面左上に「宍戸錠のくいしん坊!万才」ロゴ、右に放送日と内容を表示した)ほか、制作会社(フジテレビ・共同テレビ)のテロップも新たに表示し直された[注 21]
  • 2022年3月6日放送は、5代目リポーターを務めた川津が2月26日に死去(86歳没)[37][38]したことを受け、当初の放送予定を変更し、川津の追悼として、川津時代の1年間である1984年放送分の中から7月4日放送回(秋田県仙北郡田沢湖町〈現在の仙北市〉から「山の芋」を紹介)をアンコール放送した。なお、これも標準画質で、オープニング・エンディング映像や提供アナウンスは当時のまま放送されたものの、提供クレジットの社名ロゴ表示[注 20]は白色の四角枠で被せた上で現在のロゴ[注 18]に置き換えた。この回も画面両端は黒、テロップも新たに付加された(本編の画面左上に「川津祐介のくいしん坊!万才」ロゴ、右に放送日と内容を表示した)ほか、制作会社(フジテレビ・共同テレビ)のテロップも新たに表示し直された[注 21]。また、オープニング冒頭に放送内容を変更して放送する旨、VTR本編冒頭に川津追悼の旨がそれぞれ表示されたほか、番組の最後に「5代目くいしん坊 川津祐介さんのご冥福をお祈りします」のテロップを表示して終了した。なお、川津の死去をもって、昭和期に務めた歴代リポーターでは、7代目の村野が最後の存命者となっている[注 22]

最終回SP

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2025年11月22日、本番組の放送開始から50周年を記念し、同時に半世紀に亘る番組の歴史に幕を下ろす最終回特番として『50年間ありがとう! くいしん坊!万才 一生忘れられない味SP』を関東ローカルにて放送した[39][注 23][注 24]

放送通算6600回目の節目となった最終回特番は、司会を松岡と高島彩が務め、歴代リポーターもスタジオに集結した(ただし上述の通り6名が鬼籍に入ったため、平成期に担当した4名(村野[注 22]、辰巳、山下、宍戸開)が出演。また、スタジオセットに故人6名の現役当時の写真を並べて展示した)[39][注 25]

番組では、歴代リポーター11人を唸らせた“一生忘れられない味”を、50年間・6599回・延べ26,000食の中から紹介、アーカイブ映像とともに振り返った他、松岡のリポーターとしての転換点となった味として、長崎県南島原市[注 26]の「ろくべえ」を、松岡自ら現地を訪れたVTRと共に紹介した[35]。そして、番組の最後には松岡と歴代リポーターが感謝のメッセージを述べ[39]、番組50年の長い歴史を締めくくった。

なお、歴代リポーターが最後に述べた感謝のメッセージは以下の通り(太字色紙に書いた番組を表す一言)。

人生最高の調味料です。50年間皆さんにかわいがってもらい、今日までやってくることができました。本当にありがとうございました。
村野武範[39]
お祭り届け隊です。僕たちは皆さんのもとにお祭りを運んでいるような印象なんです。皆さんにとって、このお祭りは一生に一度かもしれないと気づいた時から『くいしん坊!』をもっと大事にしなくちゃと思いだしました。その気持ちは今でも忘れず、これからもお祭りをお届けし続けます。本当にありがとうございました。
辰巳琢郎[39]
人生の宝です。行く先々で出会った皆さんの美しい目を見たときには、とても癒されました。そして、食べ物のおいしさや景色の素晴らしさももちろんですが、人との出会いが僕にとって一番の宝物です。ありがとうございました。
山下真司[39]
出会い・ふれあい・かくし味です。食べ物の番組ではありますが、僕にとっては“ふれあい”の番組だと感じています。日本人に醤油が必要なのと一緒で僕の人生にも『くいしん坊!万才』が必要でした。今でもそれは変わりません。ありがとうございました。
宍戸開[39]
一食一会(いっしょくいちえ)です。一食一食に必ず人の思いが込められていました。それぞれの出会いには感謝の気持ちが詰まっていて、そのおいしい記憶が僕らの中に刻まれています。だからこそ、この“万才”はこれからも続いていきます。『くいしん坊!万才』を愛してくださった全国の皆さん、本当にありがとうございました。僕らはいつまでも“くいしん坊!万才”!
松岡修造[39]

地上波放送の翌11月23日BSフジ(2K・4K)にて12:00 - 13:00の枠で全国放送された。

備考

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パロディ
  • ラヴィット!』(TBS系)の不定期企画として、水田信二(元・和牛)がゲストらとグルメロケを行う「水田信二のおいしんじ!万才」がある。オープニング、エンディングとも本家を模したつくりとなっている(山下時代のものをコピーしており、エンディングの提供読み上げも「ラヴィット!がお送りしました」となっている。テーマ曲も本家のものを使用)。
  • 1992年頃『プロ野球ニュース』のシーズンオフ企画に野茂英雄プロ野球投手、当時:近鉄バファローズ)が出演した際、野茂が旅先で食リポを行う「野茂英雄のくいしん坊!万才」が行われたことがある。タイトルテーマ曲は当時(辰巳時代)のものを使用していた。

脚注

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注釈

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  1. 放送回数は、公式サイトのバックナンバーに記載。
  2. 辰巳時代末期から全国紙を中心にGコードが掲載されるようになったため「くいしん坊」とだけ記載されるようになり、その傾向は松岡時代の途中(アナログ放送終了)まで続いた。なお、当初からGコードを掲載していなかった、もしくは2000年代後期以降、デジタル放送完全移行を見据え掲載を取り止めた新聞などでは「松岡修造のくいしん坊」などと記載していた。
  3. 春以降『イット!』の枠拡大は減少し、番組再開までの間はドラマなどの番宣を放送することが多かった。
  4. 火曜は『ミュージックフェア』、金曜は『ゴールデン洋画劇場』が、それぞれ放送されているため設置せず。
  5. 『ゴールデン洋画劇場』が金曜から土曜に移動したため、土曜放送を廃止し、入れ替わって金曜放送を開始。なお1981年10月から火曜21:00には1時間番組『なるほど!ザ・ワールド』を開始したが、当番組は設置せず、別のミニ番組『ニューフェイス'81』を編成した。
  6. 時代劇スペシャル』が金曜から木曜に移動したため。
  7. 金曜女のドラマスペシャル』編成に伴い、金曜放送を廃止。入れ替わって火曜放送を開始。
  8. 放送開始以来44年続いた月曜のゴールデンタイムでの放送を終了し、日曜11:45 - 11:50枠に移動(日曜の放送としては19年半ぶり)するも、わずか4年で17:25 - 17:30枠に移動となった。
  9. 受賞が発表された時点での放送回数は6595回で、この当時は放送中断中だった。
  10. これは初期の「キッチンパトロール」(TBS)も同様。
  11. アメリカ合衆国での放送分でも、キッコーマンがスポンサーとなっている。
  12. 現在のCX金曜22時台ミニ番組と同じ。
  13. 1976年当時、福島県郡山市丸井郡山店が営業していた(1975年11月開店)。
  14. KTSの1992年10月当時の19時台は、月曜に『志村けんのだいじょうぶだぁ』、木曜に『クイズ!年の差なんて』、土曜に『大相似形テレビ』がネットされていた。
  15. 放送枠は9:55 - 10:55で、『チャンネルΣ』の第1部で放送(第2部は「2015年ワールドカップバレーボール」関連番組)。
  16. 後年はさくらんぼテレビで放送されたが、本放送当時は山形テレビで放送されていた。
  17. 放送当時は1987年(梅宮時代末期)から2008年(松岡時代の途中)まで使用していた1世代前の「KIKKOMAN」ロゴ(赤色)。アニメーション自体はそれ以前の六角形マーク(六角形の中に「萬」)に「キッコーマン」ロゴ時代に制作されたものだが、1世代前のロゴへの変更で最後の部分が差し替えられていた。
  18. 1 2 3 「Kikkoman」ロゴに伝統の六角形マーク(六角形の中に「萬」)(オレンジ色)。
  19. 共同テレビのロゴを現在使用中の「共テレ」に置き換えた。
  20. 1 2 放送当時は開始時から1986年(梅宮時代の途中)まで使用していた六角形マーク(六角形の中に「萬」)に「キッコーマン」のロゴ(赤色)。
  21. 1 2 放送当時のフジテレビ・共同テレビのロゴが現在と異なるため、目玉マーク付きの「フジテレビ」と「共テレ」にそれぞれ置き換えた。
  22. 1 2 なお、村野は昭和最後かつ平成最初のリポーターであり、元号を跨いでの出演である(11代目の松岡も平成~令和を跨ぎ出演)。
  23. 放送枠は13:30 - 14:30で『土曜スペシャル』の第1部として放送(当日『土曜RISE!』は休止。第2部(15:00 - 16:00)はドキュメンタリー『大震災から2年 日本航空石川野球部 ~最後の夏、夢の続きへ~』)。
  24. もちろんキッコーマンの一社提供だが、当日はローカルセールスのため、キッコーマンの60秒(15秒×4)以外は全てスポット枠となった。
  25. 当日の席順は左から宍戸開、辰巳、高島、松岡、村野、山下。写真の並び順は宍戸錠、友竹、竜崎、渡辺、梅宮、川津。つまり、高島と宍戸開は父の写真の位置に、最終代である松岡は初代の渡辺の写真の位置に座ったことになる。
  26. 2006年に当時の深江町(前回ロケ時の町名)など8町が合併し、現在の南島原市が発足。

出典

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  1. 松岡修造のくいしん坊!万才 〜 松岡修造のくいしん坊!万才 〜 番組制作 情報”. 共同テレビジョン. 2015年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月18日閲覧。
  2. 但馬オサム「うしおそうじ&ピープロダクション年表」『別冊映画秘宝 特撮秘宝』vol.3、洋泉社、2016年3月13日、pp.102-109、ISBN 978-4-8003-0865-8
  3. くいしん坊!万才公式サイト・初代食いしん坊
  4. 「(放送界パトロール) / 土岐唯男」『電子』第17巻第3号、日本電子機械工業会、1977年3月1日、42 - 43頁、NDLJP:2370936/23
  5. 「朝日新聞」東京本社版、2025年10月26日付30面・テレビ番組表より。
  6. 1 2 キッコーマン、フジに「くいしん坊!万才」放送中止要請”. 日本経済新聞 (2025年1月21日). 2025年1月22日閲覧。
  7. 1 2 加藤結花、諸隈美紗稀 (2025年1月21日). フジ、「くいしん坊!万才」26日の放送休止 キッコーマンが要請”. 毎日新聞. 2025年1月22日閲覧。
  8. 日本放送協会 (2025年1月21日). 「くいしん坊!万才」見合わせ キッコーマン フジテレビに要請”. NHKニュース. 2025年1月22日閲覧。
  9. フジテレビ「くいしん坊!万才」 2月分の放送休止を決定 提供社のキッコーマン「再開する判断材料がない」”. TBS NEWS DIG Powered by JNN (2025年2月4日). 2025年2月4日閲覧。
  10. フジテレビ「くいしん坊!万才」放送見合わせ 26日放送分 1社提供のキッコーマンから要請受け”. スポーツニッポン (2025年1月21日). 2025年1月22日閲覧。
  11. 番組「おいしい記憶きかせてください」|おいしい記憶|キッコーマン”. www.kikkoman.com. 2025年7月17日閲覧。
  12. フジ長寿番組『くいしん坊!万才』50年の歴史に幕へ 最終回には歴代レポーターたちが大集結”. オリコンニュース(ORICON NEWS) (2025年10月16日). 2025年10月16日閲覧。
  13. 西田理人 (2025年10月16日). “フジ「くいしん坊!万才」が終了へ 50年の長寿番組、歴史に幕”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞東京本社 2025年10月17日閲覧。
  14. TBSテレビ (2025年10月16日). “フジテレビ「くいしん坊!万才」放送終了へ 50年の歴史に幕 一連の不祥事で放送休止続いていた 今月(10月)26日いったん再開も11月22日で終了へ”. TBS NEWS DIG 2025年10月17日閲覧。
  15. 第41回 ATP賞テレビグランプリ 一般社団法人 全日本テレビ番組製作社連盟
  16. 2021年03月28日のテレビ番組表(山形・地上波)”. テレビ番組表の記録 (2021年3月28日). 2025年1月27日閲覧。
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  19. 福島民報』1975年9月29日 - 1977年4月30日付朝刊テレビ欄。
  20. 読売新聞読売新聞社。1976年7月2日夕刊・「丸井クレジット」広告(丸井のCMに会える時間です。)より。8頁。
  21. 朝日新聞朝日新聞社。1976年8月7日夕刊・「丸井クレジット」広告(丸井がお送りしているTV番組です。)より。4頁。
  22. 『朝日新聞』朝日新聞社。1976年10月1日夕刊・「丸井クレジット」広告(丸井がお送りしているTV番組)より。8頁。
  23. 『福島民報』1979年1月8日 - 1983年12月21日付朝刊テレビ欄。
  24. 日刊スポーツ』1976年5月1日 - 6月12日付テレビ欄。
  25. 『北日本新聞』2006年9月10日付、同年11月19日付各朝刊、テレビ欄。
  26. 『北國新聞』1976年10月2日付朝刊、テレビ欄。
  27. 北國新聞 1990年2月4日付朝刊テレビ欄
  28. 北國新聞 1994年5月30日付朝刊テレビ欄
  29. 『中日新聞縮刷版』中日新聞本社、1978年10月。
  30. 高島彩、父・竜崎勝さんの名場面に感激「うれしい」 『くいしん坊!万才 放送40周年SP』放送”. ORICON (2015年7月16日). 2015年7月16日閲覧。
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  34. “「くいしん坊!万才」15日に梅宮辰夫さん追悼特番”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. (2019年12月13日) 2019年12月16日閲覧。
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  38. 川津祐介さん死去 86歳 「ザ・ガードマン」「くいしん坊!万才」出演の元祖マルチタレント - スポーツ報知 2022年3月4日
  39. 1 2 3 4 5 6 7 8 歴代レポーター集結、笑顔でフィナーレ! 松岡修造「僕らはいつまでも“くいしん坊!万才”」』(プレスリリース)フジテレビジョン「とれたてフジテレビ」、2025年11月21日2025年11月21日閲覧

関連項目

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外部リンク

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