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|GDP値元 = 2兆4,920億<ref name="economy">[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2009/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=58&pr.y=12&sy=2008&ey=2008&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=134&s=NGDP%2CNGDPD%2CPPPGDP%2CPPPPC&grp=0&a= IMF Data and Statistics]([[2009年]][[4月27日]]閲覧)</ref>
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== 地理 ==
== 地理 ==
{{Main|ドイツの地理}}
ドイツは西欧および中欧に属し<ref>"[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%A5%BF%E6%AC%A7/ 西欧]"、{{cite web| url = http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%B8%AD%E6%AC%A7/| title = 中欧 | accessdate = 2011年7月15日|publisher=日本大百科全書([[小学館]])}}</ref>、北にデンマーク、東にポーランドとチェコ、南にオーストリアとスイス、南西にフランスとルクセンブルク、そして北西にベルギーとオランダと各々国境を接しており、国土はおおよそ北緯47°から55°([[ジルト島]]{{enlink|Sylt|en}}の北端が丁度55°)、東経5°から16°の範囲に位置している。総面積は{{convert|357021|km2|sqmi|0|abbr=on}}に及び、領土{{convert|349223|km2|sqmi|0|abbr=on}} 、領海{{convert|7798|km2|sqmi|0|abbr=on}} から成る。この面積はヨーロッパ第7位、世界第62位である<ref name="CIA"/>。

標高は南部の[[アルプス山脈]]最高峰[[ツークシュピッツェ]]の{{convert|2962|m|ft|0|disp=s}}から、北西部の[[北海]](Nordsee)および北東部の[[バルト海]](Ostsee)海岸に及ぶ。中位山地、北ドイツ低地(最低地点は[[ヴィルシュターマールシュ]]{{enlink|Wilstermarsch|en}}の海抜{{convert|3.54|m|ft|1|disp=s}})には[[ライン川]]、[[ドナウ川]]そして[[エルベ川]]が流れている。

主な天然資源は、鉄鉱石、石炭、[[炭酸カリウム]]、木材、[[褐炭]]、[[ウラン]]、銅、天然ガス、塩、ニッケル、[[農地|可耕地]]と水である<ref name="CIA">{{cite web| url = https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/gm.html| title = World Factbook | accessdate = 26 March 2011|publisher=CIA}}</ref>。
[[File:Deutschland topo.jpg|thumb|200px|地形図]]
ドイツの地形は北から南へ、大きく5つの地域に分けられる。北ドイツ低地、中部山岳地帯、南西ドイツ中部山岳階段状地域、南ドイツアルプス前縁地帯、バイエルン・アルプスである。

北ドイツ低地は全体的に標高100m以下の平坦な地域で、[[エルベ川]]などの川沿いにはリューネブルクハイデと呼ばれる大きな丘陵地がある。バルト海沿岸は平坦な砂浜や、断崖をなす岩石海岸となっている。中部山岳地帯は、おおよそ北は[[ハノーファー]]の辺りから南は[[マイン川]]におよぶ地域で、ドイツの西部と中部に広がり、ドイツを南北に分けている。地形的に峡谷や低い山々、盆地など変化にとんでおり、山地としては西部のアイフェル丘陵とフンスリュック山地、中央部の[[ハルツ山地]]、東部のエルツ山脈がある。南西ドイツ中部山岳階段状地域には[[オーデンヴァルト]]や、ドイツ語で「黒い森」を意味する[[シュヴァルツヴァルト]]の標高1000mを超える広大な森林がある。アルプスはドイツ国内ではもっとも標高が高い地域で、南部の丘陵や大きな湖の多いシュヴァーベン=バイルン高原に加えて、広大な堆石平野とウンターバイエルン丘陵地、そしてドナウ低地を包括している。ここにはアルプスの山々に囲まれた絵のように美しい数々の湖や観光地があり、[[オーストリア]]との国境地帯にはドイツの最高峰[[ツークシュピッツェ]](標高2962m)がそびえ立つ。

ドイツにおける火山活動は[[先カンブリア代]]に収束している。先カンブリア代末から始まった[[カレドニア造山運動|カレドニア変動]]や、後期[[古生代]]におこった[[バリスカン造山運動|バリスカン(ヘルシニアン)変動]]はいずれも主要活動帯がドイツを横切っているものの、地表には痕跡が残っていない。バリスカン変動は2000kmにおよぶ規模の大陸間の変動であった。現在のドイツの地形を決定したのは[[新生代]]における[[褶曲運動]]である。[[アルプス山脈|アルプス]]変動帯の活動により、最南部は標高1200mにいたるまで隆起した。ドイツにおけるアルプス変動帯は東アルプスと呼ばれている。同時に西部フランス国境に近いライン川に相当する位置に、[[ライン地溝]]を形成する。ライン地溝は、約500kmに渡って南北に伸びる。

ドイツ北部([[北ヨーロッパ平野]])の地表は[[氷河地形]]の典型例である。[[最終氷期]]においては北緯51度線に至るまで[[氷河]]が発達し、ヨーロッパを横切る数千km規模の末端堆石堤を残した。その100から200kmの海岸線方面には[[モレーン]]が残る。末端堆石堤とモレーンの北側にそっていずれも氷食性の[[レス]]が堆積し、農業に適した肥沃な土壌が広がる。いっぽう、モレーンの南側は土地が痩せている。ドイツに残る長大な河川はいずれも最終氷期の河川に由来するが、ポーランドの[[ヴィスワ川]]、ポーランド国境に伸びる[[オーデル川]]、[[エルベ川]]、ドイツ西部の[[ヴェーザー川]]が互いに連結し、網目状の流路を形成するなど、現在とは異なる水系が広がっていた。

===気候===
ドイツの大部分は温暖な偏西風と[[メキシコ湾流]]の北延である[[北大西洋海流]]の暖流によって[[温帯|比較的温和]]である<ref name=Germany>{{cite web|title=ドイツ|url=http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84/|publisher=日本大百科全書(小学館)|accessdate=2011年7月15日}}</ref>。温かい海流が北海に隣接する地域に影響を与え、北西部および北部の気候は[[海洋性気候]]となっている。[[降雨]]は年間を通してあり、特に夏季に多い。冬季は温暖で夏季は(30℃を越えることもあるが)冷涼になる傾向がある<ref name="climate">{{cite web|title=Climate in Germany|url=http://www.germanculture.com.ua/library/facts/bl_climate.htm|publisher=GermanCulture|accessdate=26 March 2011}}</ref><ref name=ikeuchi47>[[#池内(1992)|池内(1992)]],p.47.</ref>。

東部はより[[大陸性気候]]的で、冬季はやや寒冷になる<ref name=Germany/><ref name=ikeuchi47/>。そして長い乾期がしばしば発生する。中部および南ドイツは過渡的な地域で、海洋性から大陸性まで様々である。国土の大部分を占める海洋性および大陸性気候に加えて、南端にあるアルプス地方と中央ドイツ高地の幾つかの地域は低温と多い降水量に特徴づけられる<ref name="climate"/>。

===自然===
[[File:Aquila chrysaetos Flickr.jpg|thumb|[[イヌワシ]]は保護猛禽類であり、[[国章]]に用いられている]]
ドイツは「ヨーロッパの地中海沿岸部山地混交林」と「大西洋北東部大陸棚海域」の二つの[[エコリージョン|生態系ブロック]]に分けられる<ref>{{cite web|title=Terrestrial Ecoregions|url=http://wwf.panda.org/about_our_earth/ecoregions/ecoregion_list/|publisher=WWF|accessdate=19 March 2011}}</ref>。2008年時点ではドイツの過半が耕地(34%)と森林・[[疎林]](30.1%)に占められており、13.4% が放牧地で11.8%が定住地・道路となっている<ref>{{cite web|last=Strohm|first=Kathrin|url=http://www.agribenchmark.org/fileadmin/freefiles/ccc_2010/Poster_Germany.pdf|title=Arable farming in Germany|publisher=Agri benchmark|date=May 2010|accessdate=14 April 2011}}</ref>。

動植物は中央ヨーロッパにおいて一般的なものである。ブナ、カシ、およびその他の落葉樹が森林の3分の1を構成しており、また針葉樹が植林の結果、増加傾向にある。トウヒとモミの木が高地山脈を占めている一方で松やカラマツを砂質土で見い出せる。シダ、花、菌類、そしてコケの多くの種がある。野生動物にはシカ、イノシシ、ムフロン、狐、アナグマ、ノウサギ、そして少数のビーバーが含まれている<ref>{{cite book| last=Bekker |first=Henk |title=Adventure Guide Germany |year=2005 |publisher=Hunter |isbn =9781588435033 |page=14}}</ref>。

ドイツには[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン干潟国立公園]]([[:de:Nationalpark Schleswig-Holsteinisches Wattenmeer|Nationalpark Schleswig-Holsteinisches Wattenmeer]])、[[ヤスムント国立公園]]([[:de:Nationalpark Jasmund|Nationalpark Jasmund]])、[[フォルボンマーシェボッデンラントシャフト国立公園]]([[:de:Nationalpark Vorpommersche Boddenlandschaft|Nationalpark Vorpommersche Boddenlandschaft]])、[[ミューリッツ国立公園]]([[:de:Müritz-Nationalpark|Müritz-Nationalpark]])、[[下オーデル谷国立公園]] ([[:de:Nationalpark Unteres Odertal|Nationalpark Unteres Odertal]])、[[ホッホハルツ国立公園]]([[:de:Nationalpark Harz|Nationalpark Harz]])、[[ゼヒジッシェ・シュヴァイツ国立公園]]([[:de:Nationalpark Sächsische Schweiz|Nationalpark Sächsische Schweiz]])、[[バイエリッシェ・ヴァルト国立公園]]([[:de:Nationalpark Bayerischer Wald|Nationalpark Bayerischer Wald]])などの国立公園がある。ドイツ国内では400以上の動物園が運営されており、世界最多とされる<ref>{{cite web |title=Zoo Facts |url=http://www.americanzoos.info/Zoofacts.html |publisher=Zoos and Aquariums of America |accessdate=16 April 2011}}</ref>。[[ベルリン動物園]]はドイツ最古の動物園であり、ここには世界で最も多くの動植物種が収集されている<ref>{{cite web|url=http://www.zoo-berlin.de/zoo/unternehmen/historie.html|title=Der Zoologische Garten Berlin|publisher=Zoo Berlin|accessdate=19 March 2011|language=German}}</ref>。
=== 地方行政区分 ===
=== 地方行政区分 ===
{{Main|ドイツの地方行政区分}}
{{Main|ドイツの地方行政区分}}
ドイツには16の[[連邦州]]がある。[[ベルリン]]と[[ハンブルク]]は都市州と呼ばれ、各々単独で連邦州を形成する。[[ブレーメン]]と[[ブレーマーハーフェン]]も合わせて都市州となる。
ドイツには16の[[連邦州]]がある。[[ベルリン]]と[[ハンブルク]]は都市州と呼ばれ、各々単独で連邦州を形成する。[[ブレーメン]]と[[ブレーマーハーフェン]]も合わせて都市州となる。
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[[ファイル:BRD.png|thumb|240px|ドイツの連邦州]]
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== 政治 ==
== 政治 ==
{{Main|ドイツの政治}}
{{Main|ドイツの政治|ドイツの警察}}
[[ファイル:Reichstag building Berlin view from west before sunset.jpg|thumb|280px|[[国会議事堂 (ドイツ)|国会議事堂]]]]
[[ファイル:Reichstag building Berlin view from west before sunset.jpg|thumb|300px|[[国会議事堂 (ドイツ)|国会議事堂]](''Reichstag'')]]
{{multiple image|align= right|image1=Wulff Christian 6059 Ausschnitt.jpg|image2=Angela-merkel-ebw-01.jpg|width1=134|width2=140|footer=[[クリスティアン・ヴルフ]]連邦大統領(任期2007年-:左)と[[アンゲラ・メルケル]]首相(任期:2005-:右)}}
国家[[元首]]は、[[連邦大統領 (ドイツ)|連邦大統領]]で、その権能は儀礼的なものに限られる。任期5年で、[[ドイツ連邦議会]](下院)の全議員と各州議会代表の選挙人とで構成される[[連邦会議 (ドイツ)|連邦会議]]において選出される。ドイツ連邦議会の解散権は[[連邦大統領 (ドイツ)|連邦大統領]]にある。
ドイツは[[連邦|連邦制]]、[[議院内閣制]]、[[間接民主制|代表民主制]]の共和国である。ドイツの政治システムは1949年に発効された[[ドイツ連邦共和国基本法]](Grundgesetz)の枠組みに基づいて運営されている。基本法改正には両院の2/3の賛成を必要としており、 このうち「人間の尊厳の保証」「権力の分割」「連邦制」そして「法による支配」といった基本法諸原則は「永久化」され侵害は許されない<ref>{{cite web|url=https://www.btg-bestellservice.de/pdf/80201000.pdf|title=Basic Law for the Federal Republic of Germany|date=October 2010|work=Deutscher Bundestag|publisher=Btg-bestellservice|accessdate=14 April 2011}}</ref><ref>{{cite web|title=基本法|url=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/political-system/main-content-04/the-basic-law.html|publisher=ドイツの実情|accessdate=2011年7月15日}}</ref>。


[[連邦大統領 (ドイツ)|連邦大統領]](''Bundespräsident'')は[[元首|国家元首]]であり、主に儀礼的な権能のみが与えられている<ref name=daihyakkaGermany>{{cite web|title=ドイツ|url=http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%83%BB%E5%A4%96%E4%BA%A4%E3%83%BB%E8%BB%8D%E4%BA%8B/|publisher=日本大百科全書(小学館)|accessdate=2011年7月15日}}</ref>。大統領は任期5年で、連邦議会議員と各州議会代表とで構成される[[連邦会議 (ドイツ)|連邦会議]]によって選出される。大統領は連邦議会の解散権を有する<ref>"[http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/political-system/main-content-04/the-federal-president.html 連邦大統領]"、{{cite web|title=連邦首相と政府|url=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/political-system/main-content-04/the-federal-chancellor-and-the-government.html|publisher=ドイツの実情|accessdate=2011年7月15日}}</ref>。
行政府の長である[[連邦首相 (ドイツ)|連邦首相]]は、任期4年で、大統領の提案を受け連邦議会で選出され、下院の信任を必要とする[[議院内閣制]]を採用する。内閣の閣僚は、首相の指名に基づき、大統領が任命する。


大統領に次ぐ序列は[[連邦議会議長 (ドイツ)|連邦議会議長]](''Bundestagspräsident'')であり、連邦議会によって選出され、議会運営の監督責任を持つ。
[[議会]]は[[両院制]]。国民の[[直接選挙]]で選出される[[ドイツ連邦議会|連邦議会]]と、[[上院]]に相当する州政府の代表の[[連邦参議院]]とで構成される。下院は、603議席(ただし[[小選挙区比例代表併用制]]の関係で[[超過議席]]([[:en:Overhang seat|en]])が出るため、選挙のたびに実際の議席数は変わる)で任期4年。上院は、69議席で各州政府が任命する。

序列第三位であり[[政府首脳]]となる地位が[[ドイツの首相|首相]](''Bundeskanzler'')であり、連邦議会で選出された後に、議長によって任命される<ref name="state">{{cite web|url=http://www.state.gov/r/pa/ei/bgn/3997.htm|title=Germany|publisher=U.S. Department of State|date=10 November 2010|accessdate=26 March 2011}}</ref>。首相は任期4年で、行政府の長として[[行政|行政権]]を執行する。内閣の閣僚は首相の指名に基づき、大統領が任命する。

連邦の[[立法|立法権]]は[[ドイツ連邦議会|連邦議会]](''Bundestag'')と[[連邦参議院]](''Bundesrat'')が有し、この両院で[[立法府]]を構成する。連邦議会議員は[[小選挙区比例代表併用制]]による[[直接選挙]]によって選ばれ<ref name="CIA"/>、598議席<ref>{{cite web|title=連邦議会|url=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/political-system/main-content-04/the-bundestag.html|publisher=ドイツの実情|accessdate=2011年7月15日}}</ref>(ただし選挙制度の関係で[[超過議席]]([[:en:Overhang seat|en]])が出るため、選挙のたびに実際の議席数は変わり、2011年現在は622議席<ref>{{cite web|title=ドイツ連邦共和国|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/germany/data.html|publisher=外務省|accessdate=2011年7月15日}}</ref>)で任期4年。連邦参議院議員は69議席で16州政府の代表であり、また州政府内閣の閣僚でもある<ref name="state"/>。

1949年以降、政党政治は[[ドイツキリスト教民主同盟]]と[[ドイツ社会民主党]]によって占められており、歴代首相はいずれかの政党の所属議員である。しかしながら、選挙制度の関係で単独政権は稀であり、通常は連立政権が組まれる<ref>{{cite web|title=選挙制度|url=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/political-system/main-content-04/the-electoral-system.html|publisher=ドイツの実情|accessdate=2011年7月15日}}</ref>。近年では中道自由主義の[[自由民主党 (ドイツ)|自由民主党]](1949年以来、連邦議会に議席を有している)や環境政党[[同盟90/緑の党]](1983年以降に議席を有する)も重要な役割を果たすようになっている<ref>{{cite web|url=http://countrystudies.us/germany/159.htm|title=Christian Democratic Union/Christian Social Union|publisher=U.S. Library of Congress|accessdate=26 March 2011}}</ref>。

ドイツは[[ゲルマン法]]の要素を加えた[[ローマ法]]を基礎とする[[大陸法]]を採用している。[[連邦憲法裁判所]](''Bundesverfassungsgericht'')は[[違憲審査制|違憲審査権]]を有する憲法に関する事項の最高裁判所である<ref name="state"/><ref>{{cite web|url=http://www.bundesverfassungsgericht.de/en/index.html|title=Federal Constitutional Court|publisher=Bundesverfassungsgericht|accessdate=26 March 2011}}</ref><ref>{{cite web|title=連邦憲法裁判所|url=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/political-system/main-content-04/the-federal-constitutional-court.html|publisher=ドイツの実情|accessdate=2011年7月15日}}</ref>。''Oberste Gerichtshöfe des Bundes''と呼ばれるドイツの最高裁判所制度は専門化がなされており、民事および刑事に関する裁判所は[[連邦裁判所 (ドイツ)|連邦通常裁判所]]、それ以外の事項に関しては[[連邦労働裁判所]]、[[連邦社会裁判所]]、[[連邦財政裁判所]]、[[連邦行政裁判所]]がある<ref name=daihyakkaGermany/>。[[国際刑法典]](''[[:en:Völkerstrafgesetzbuch|Völkerstrafgesetzbuch]]'')は[[人道に対する罪]]、[[ジェノサイド]]そして[[戦争犯罪]]について規定しており、幾つかの状況においてドイツの裁判所に対して[[普遍的管轄権]]{{enlink|Universal jurisdiction|en}}を与えている<ref>{{cite web|url=http://bundesrecht.juris.de/vstgb/BJNR225410002.html#BJNR225410002BJNG000200000|title=Völkerstrafgesetz Teil 1 Allgemeine Regelungen|publisher=Bundesministerium der Justiz|accessdate=19 April 2011|language=German}}</ref>。刑法と民法は[[刑法典 (ドイツ)|刑法典]](''Strafgesetzbuch'')と[[ドイツ民法]](''Bürgerliches Gesetzbuch'')に成文化されている。ドイツの刑法制度は犯罪者の更生と一般大衆の保護を主眼としている<ref>{{cite web|url=http://www.gesetze-im-internet.de/stvollzg/__2.html|title=§ 2 Strafvollzugsgesetz|publisher=Bundesministerium der Justiz|accessdate=26 March 2011|language=German}}</ref>。


== 軍事 ==
== 軍事 ==
{{Main|ドイツ連邦軍}}
{{Main|ドイツ連邦軍}}
[[ファイル:Bundeswehr Kreuz.svg|thumb|200px|ドイツ連邦軍の国籍マーク]]
[[ファイル:Fregatte Karlsruhe.jpg|thumb|left|[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|「不朽の自由」作戦]]に参加したドイツ軍の[[ブレーメン級フリゲート|ブレーメン級フリゲート艦]]「カールスルーエ」がソマリア沖で難民の乗った船を保護している]]
ドイツ連邦軍(''Bundeswehr'')は[[ドイツ陸軍|陸軍]](Heer)、[[ドイツ海軍|海軍]](''Marine'')、[[ドイツ空軍|空軍]]( ''Luftwaffe'' )、[[救護業務軍]](''Zentraler Sanitätsdienst'') そして[[戦力基盤軍]] (''Streitkräftebasis'') に分けられる。2005年時点においてドイツの軍事支出はGDP比1.5%で対GDP比としては世界99位だが<ref name="CIA"/>、軍事費自体は世界第8位である<ref>{{cite web |url=http://www.sipri.org/research/armaments/milex/factsheet2010|title=Background paper on SIPRI military expenditure data, 2010 |accessdate= 7 May 2011 |date=11 April 2011 | publisher=Stockholm International Peace Research Institute}}</ref>。平時において連邦軍は国防大臣の指揮下に置かれる。ドイツが戦時に入れば(基本法は自衛のみを容認している)、首相が連邦軍の総司令官となる<ref>{{cite web |url=http://www.gesetze-im-internet.de/bundesrecht/gg/gesamt.pdf |title=Grundgesetz für die Bundesrepublik Deutschland, Artikel 65a,87,115b |publisher=Bundesministerium der Justiz |accessdate=19 March 2011 |language=German}}</ref>。

2011年5月現在、ドイツ連邦軍は職業軍人188,000と兵役最低6ヶ月の18-25歳からなる徴集兵31,000を擁している<ref>{{cite web |url=http://www.bundeswehr.de/portal/a/bwde/!ut/p/c4/DcmxDYAwDATAWVgg7unYAugc8kSWI4OMIesTXXm002D8SeWQy7jRStshc-4p94L0hENCnXEGUvXXSuMKG8FwBd26TD9uIZiT/ |title=Die Stärke der Streitkräfte |accessdate=5 June 2011 |publisher=[[:en:Bundeswehr]]|language=German}}</ref>。ドイツ政府は職業軍人170,000、短期志願兵15,000へ縮小することを計画している<ref name="bwzukunft">{{cite web |url=http://www.bundeswehr.de/portal/a/bwde/!ut/p/c4/04_SB8K8xLLM9MSSzPy8xBz9CP3I5EyrpHK9pPKUVL3ikqLUzJLsosTUtJJUvbzU0vTU4pLEnJLSvHRUuYKcxDygoH5BtqMiAMTJdF8!/ |title=Ausblick: Die Bundeswehr der Zukunft |accessdate=5 June 2011 |publisher=[[:en:Bundeswehr]]|language=German}}</ref>。各軍には予備役兵がおり、軍事訓練や海外派兵に参加している。予備役の将来の兵力や機能に関する新たなコンセプトが2011年に発表された<ref name="bwzukunft"/>。


[[ドイツ連邦軍]]と国境警備隊が国防を担っている他、相互防衛条約に基づき6万強の米軍が駐留している。ドイツは[[欧州連合]]及び[[NATO]]の主要構成国であり、ロシアなど東方諸国を主たる仮想敵国としてきた。時代の移り変わりとともに、政府は連邦軍の主任務を、従来の国土防衛から「国際紛争への対処」に移行させる方針を発表。内容としては、[[2010年]]までに紛争地において[[NATO即応部隊]]などに参加する「介入軍」、平和維持活動にあたる「安定化軍」、両軍の後方支援を担当する「支援軍」の3つに再編成するものである。
[[ドイツ連邦軍]]と国境警備隊が国防を担っている他、相互防衛条約に基づき6万強の米軍が駐留している。ドイツは[[欧州連合]]及び[[NATO]]の主要構成国であり、ロシアなど東方諸国を主たる仮想敵国としてきた。時代の移り変わりとともに、政府は連邦軍の主任務を、従来の国土防衛から「国際紛争への対処」に移行させる方針を発表。内容としては、[[2010年]]までに紛争地において[[NATO即応部隊]]などに参加する「介入軍」、平和維持活動にあたる「安定化軍」、両軍の後方支援を担当する「支援軍」の3つに再編成するものである。


2011年現在、ドイツ兵約6,900人が国際平和維持活動に参加して国外に駐留しており、この中にはNATO主導の[[国際治安支援部隊]](ISAF)に参加して[[アフガニスタン]]や[[ウズベキスタン]]に駐留する4,900人、コソボ駐留の1,150人、[[国際連合レバノン暫定駐留軍]]の300人が含まれる<ref>{{cite web |url=http://www.bundeswehr.de/portal/a/bwde/einsaetze/einsatzzahlen?yw_contentURL=/C1256EF4002AED30/W264VFT2439INFODE/content.jsp |title=Einsatzzahlen – Die Stärke der deutschen Einsatzkontingente |accessdate=14 April 2011 |publisher=[[:en:Bundeswehr]]|language=German}}</ref>。
また、ドイツでは現在も[[徴兵制度]]が有り、健康な満18歳以上の男子には9カ月の兵役義務が課せられている(長男、次男は強制的義務だが、三男からは兵役か奉仕活動か選択することができる)。しかし、基本法によって所定の手続きを経れば[[良心的兵役拒否]]が認められ、兵役義務を回避できる。その場合は10-12か月間代替役務として老人介護や障害者支援などの社会奉仕活動に従事することが義務づけられる。兵役拒否者は年々増加しており、近年その数は全体の4割近くにのぼっている。


2011年まで、ドイツには18歳以上の男性に対する[[徴兵制|徴兵制度]]が存在しており、6ヶ月の兵役期間が課せられていた。良心的兵役拒否者は同期間の[[民間役務]]''{{enlink|Zivildienst}}''と呼ばれる老人介護や障害者支援などの社会奉仕活動、または[[消防団]]や[[赤十字]]に対する6年間のボランティア活動を選択することができた。兵役拒否者は年々増加し、近年では兵役を選択する者は2割に過ぎなくなっていた<ref name=mainichi20110704/>。このドイツの徴兵制度は2011年7月1日をもって中止となった<ref>{{cite news |title= Germany to abolish compulsory military service |author= Connolly, Kate |url= http://www.guardian.co.uk/world/2010/nov/22/germany-abolish-compulsory-military-service |newspaper =The Guardian |location =UK |date= 22 November 2010 |accessdate =7 April 2011}}</ref><ref>{{cite news |title = Marching orders for conscription in Germany, but what will take its place? |author =Pidd, Helen |url= http://www.guardian.co.uk/world/2011/mar/16/conscription-germany-army |newspaper =The Guardian |location =UK |date =16 March 2011 |accessdate =7 April 2011}}</ref><ref name=mainichi20110704>{{cite web |url=http://mainichi.jp/select/world/news/20110704ddm007030204000c.html|title=ドイツ:徴兵制を中止 志願制に移行、国防費削減へ(2011年7月4日 東京朝刊) |publisher=毎日新聞 |accessdate=2011年7月7日 |language=}}</ref>。しかし、徴兵制の廃止により、それまでボランティアとして慈善活動に従事させられた兵役拒否者がいなくなってしまい、老人介護などの福祉に多大な経済的負担が発生する懸念が持たれており<ref>{{cite web |url=http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/10/post-1685.php|title=ドイツ徴兵制廃止の思わぬ副作用(2010年10月07日) |publisher=ニューズウィーク日本版 |accessdate=2011年7月7日 |language=}}</ref>、ドイツ政府は補充対策を検討している<ref>{{cite web |url=http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE2E3E2E7858DE2E3E2E5E0E2E3E39494E3E2E2E2;at=DGXZZO0195570008122009000000|title=ドイツ、伝統の徴兵制廃止(2011年7月1日) |publisher=日本経済新聞 |accessdate=2011年7月7日 |language=}}</ref>。
軍当局は徴兵制を廃止したいと考えており、何度か徴兵制の廃止を政府に提案している。しかし、徴兵制を廃止すると、それまでボランティアとして慈善活動に従事させられた兵役拒否者がいなくなってしまう。それは、つまりは安い費用で賄えた福祉関係者がいなくなってしまうのと同義であり、老人介護などの福祉に多大な経済的負担が発生する懸念から、未だに徴兵制の廃止が実現できていない。

2001年以降、女性軍人に対する制限が廃止されて全ての軍務に従事できるようになったが、女性は徴兵制の対象ではなかった。2011年現在で約17,500人の女性の現役兵と予備役兵がいる<ref>{{cite web |url=http://www.bundeswehr.de/portal/a/bwde/!ut/p/c4/FcwxEoUgDAXAE0l6O0_x1YZ5QMSMEp2In-urs_3STC_FXzKqHIqdRpqi9KG50BK7qxpL3Qy8VHbZbk07MqtbDDerF_WJzYdGv286DbmAJj26iLgynaUMD6qutPs!/
|title=Frauen in der Bundeswehr |accessdate=14 April 2011 |publisher=[[:en:Bundeswehr]] |language=German}}</ref>。

<gallery caption= widths="200px" heights="200px">
画像:Leo2A5.JPG|ドイツ陸軍の[[レオパルト2]]主力戦車
画像:GLD-106756m.jpg|ドイツ空軍の[[ユーロファイター タイフーン|ユーロファイター]]戦闘機
画像:Fregatte Karlsruhe.jpg|[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|「不朽の自由」作戦]]に参加したドイツ海軍の[[ブレーメン級フリゲート|ブレーメン級フリゲート艦]]「カールスルーエ」がソマリア沖で難民の乗った船を保護している
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== 国際関係 ==
== 国際関係 ==
[[ファイル:Tratado de Lisboa 13 12 2007 (04).jpg|thumb|right|200px|ドイツはEUに加盟している。]]
{{Main|ドイツの国際関係}}
{{Main|ドイツの国際関係}}
[[File:33rdG8Leaders.jpg|thumb|アンゲラ・メルケル首相は2007年[[ハイリゲンダム]]G8サミットの議長を務めた。]]
ドイツは190カ国以上との外交関係を結び、229ヵ所の[[在外公館]]を有している<ref>{{cite web|url=http://www.auswaertiges-amt.de/EN/AAmt/Auslandsvertretungen/Uebersicht_node.html|title=German Missions Abroad|publisher=German Federal Foreign Office|accessdate=26 March 2011}}</ref>。2011年現在、ドイツは[[欧州連合]]への最大の分担金拠出国であり(拠出額20%)<ref>{{cite web | url=http://ec.europa.eu/budget/figures/2011/2011_en.cfm | title=The EU budget 2011 in figures|publisher=[[:en:European Commission]]|accessdate=6 May 2011}}</ref>、[[国際連合|国連]]に対しては第三位の分担金拠出国である(拠出額8%)<ref>{{cite web | url=http://www.un.org/ga/search/view_doc.asp?symbol=ST/ADM/SER.B/824 | title=United Nations regular budget for the year 2011|publisher=UN Committee on Contributions|accessdate=6 May 2011}}</ref>。ドイツは[[北大西洋条約機構|NATO]]、[[経済協力開発機構]](OECD)、[[主要国首脳会議]](G8)、[[G20]]、世界銀行そして[[国際通貨基金]](IMF)に加盟している。ドイツは欧州連合発足当初から主要な役割を果たしており<ref name=commitment>{{cite web|title=欧州統合への取り組み|url=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/foreign-policy/main-content-05/commitment-to-european-integration.html|publisher=ドイツの実情|accessdate=2011年7月15日}}</ref>、また第二次世界大戦以降はフランスとの緊密な同盟関係を保っている。ドイツは欧州の政治および安全保障面での統合を推進する努力を続けて来た<ref>{{cite web|url=http://www.ambafrance-uk.org/Declaration-by-the-Franco-German,4519.html|title=Declaration by the Franco-German Defence and Security Council|publisher=French Embassy UK|date=13 May 2004|accessdate=19 March 2011}}</ref><ref>{{cite news | url=http://www.nytimes.com/2008/04/04/world/europe/04iht-poll.4.11666423.html | title = The leader of Europe? Answers an ocean apart | author = Freed, John C. | newspaper = The New York Times | date = 4 April 2008 | accessdate = 28 March 2011 }}</ref><ref>"[http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/foreign-policy/main-content-05/commitment-to-european-integration.html 欧州統合への取り組み]"、[http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/foreign-policy/main-content-05/deutschlandineuropa0.html EUの中のドイツ]、{{cite web|title=深化と拡大のための行動|url=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/foreign-policy/main-content-05/consolidation-and-expansion-initiatives.html|publisher=ドイツの実情|accessdate=2011年7月15日}}</ref>。

ドイツの開発援助政策は外交政策における独立した分野となっている。政策は[[連邦経済協力開発省]](BMZ)が策定し、関係各機関が遂行する<ref>{{cite web|title=開発政策|url=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/foreign-policy/content/background/development-policy.html?type=1|publisher=ドイツの実情|accessdate=2011年7月15日}}</ref>。ドイツ政府は開発援助政策を国際社会における共同責任と位置つけている<ref>{{cite web|url=http://www.bmz.de/en/index.html|title=Aims of German development policy|publisher=Federal Ministry for Economic Cooperation and Development|date=10 April 2008|accessdate=26 March 2011}}</ref>。ドイツの開発援助支出額は米国、フランスに次ぐ世界第三位である<ref>{{cite web |url=http://www.oecd.org/dataoecd/17/9/44981892.pdf |title=Net Official Development Assistance 2009 |publisher=OECD |accessdate=26 March 2011}}</ref><ref>{{cite news |url = http://www.bundesregierung.de/nn_6566/Content/EN/Reden/2010/2010-09-21-merkel-mdg-gipfel.html |title =Speech by Chancellor Angela Merkel to the United Nations General Assembly |work =Die Bundesregierung |date =21 September 2010 |accessdate =18 March 2011}}</ref>。


[[冷戦]]の時代、[[鉄のカーテン]]により分断されたドイツは東西緊張の象徴となり、欧州における政治的戦場となっていた。しかしながら、[[東方外交]]を行った[[ヴィリー・ブラント]]首相は1970年代における[[デタント]]成功の鍵となった<ref>{{cite journal |last=Harrison |first=Hope |url=http://www.ghi-dc.org/files/publications/bu_supp/supp1/supp-01_005.pdf |publisher=German Historical Institute |journal=Bulletin Supplement |volume=1 |year=2004 |title=American détente and German ostpolitik, 1969–1972 |accessdate=26 March 2011}}</ref>。1999年に[[ゲアハルト・シュレーダー]]首相がNATOの[[コソボ紛争|コソボ派兵]]への参加を決めたことにより、ドイツ外交の新たな基礎が定められ、第二次世界大戦以後、初めてドイツ兵が戦場へ送られた<ref>{{cite news |url=http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,1741310,00.html |title=Germany's New Face Abroad |work=[[:en:Deutsche Welle]] |date=14 October 2005 |accessdate=26 March 2011}}</ref>。ドイツと米国は緊密な政治的同盟関係にある<ref name="state">{{cite web|url=http://www.state.gov/r/pa/ei/bgn/3997.htm|title=Germany|publisher=U.S. Department of State|date=10 November 2010|accessdate=26 March 2011}}</ref>。1948年の[[マーシャル・プラン]]と強い文化的な結びつきが両国の絆を強めたが、シュレーダー首相の[[イラク戦争]]に対する強い反対意見は[[大西洋主義]]の終焉を示唆し、独米関係を冷却化させた<ref>{{cite news |url = http://www.economist.com/node/7141311?story_id=7141311 |title = Ready for a Bush hug? |newspaper = [[:en:The Economist]] |date =6 July 2006 |accessdate = 19 March 2011}}</ref><ref>{{cite web|title=ドイツ - 政治・外交・軍事|url=http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%83%BB%E5%A4%96%E4%BA%A4%E3%83%BB%E8%BB%8D%E4%BA%8B/|publisher=日本大百科全書(小学館)|accessdate=2011年7月15日}}</ref>。両国は経済的に相互依存関係にあり、ドイツの対米輸出は8.8%であり、輸入は6.6%である<ref>{{cite web |url=http://germany.usembassy.gov/germany/img/assets/9336/econ_factsheet_may2006.pdf |title=U.S.-German Economic Relations Factsheet |publisher=U.S. Embassy in Berlin |date=May 2006 |accessdate=26 March 2011}}</ref>。
=== 日本との関係 ===
=== 日本との関係 ===
{{Main|日独関係}}
{{Main|日独関係}}
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かつてはすべての州で、「閉店法」により、(空港や駅構内の売店、ガソリンスタンド併設のコンビニを除く)小売店は平日(月曜日から土曜日まで)は20時から翌朝6時まで、日曜・祝日は終日営業できないといった規則が定められていたが、[[2006年]]の[[2006 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ]]開催をきっかけとして営業時間が延長された。同時に各州に閉店法に関する詳細を定める権限も移り、一部州では閉店法自体が撤廃されるところも出てきている。大型のショッピングセンターやトルコ・イタリア・ギリシャ・中国など外国人が経営する店は深夜や土日も開店している場合も多い。
かつてはすべての州で、「閉店法」により、(空港や駅構内の売店、ガソリンスタンド併設のコンビニを除く)小売店は平日(月曜日から土曜日まで)は20時から翌朝6時まで、日曜・祝日は終日営業できないといった規則が定められていたが、[[2006年]]の[[2006 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ]]開催をきっかけとして営業時間が延長された。同時に各州に閉店法に関する詳細を定める権限も移り、一部州では閉店法自体が撤廃されるところも出てきている。大型のショッピングセンターやトルコ・イタリア・ギリシャ・中国など外国人が経営する店は深夜や土日も開店している場合も多い。
{{-}}

==インフラストラクチャー==
== 交通 ==
; [[航空]]
: 欧州でも屈指の大手航空会社[[ルフトハンザドイツ航空]]が世界各国に航空路線を持っている。また、[[フランクフルト国際空港]]は欧州でも有数の[[ハブ空港]]である、また、[[エア・ベルリン]]などの[[格安航空会社]]もある。
[[ファイル:Transrapid-emsland.jpg|thumb|200px|[[トランスラピッド]]]]
[[ファイル:Transrapid-emsland.jpg|thumb|200px|[[トランスラピッド]]]]
ヨーロッパの中央部に位置するドイツは輸送機関の中枢となっている。このことは密集化され、かつ近代化された輸送ネットワークに反映されている。自動車大国であるだけに道路網も発達しており、[[アウトバーン]]と呼ばれる[[高速道路]]が主要都市を結んでおり、総延長は世界第三位である<ref>{{cite press release |url= http://www.presse.adac.de/standpunkte/Verkehr/Autobahn_Temporegelung.asp?active1=tcm:11-18784-4 |title = Autobahn-Temporegelung |publisher =[[:en:ADAC]] |date =June 2010 |accessdate =19 March 2011 |language= German}}</ref>。
; [[鉄道]]

: [[ドイツ鉄道]](DB, Deutsche Bahn)が全国に路線を張り巡らせ、超高速列車[[ICE]]や都市間を結ぶ[[インターシティ]]、ヨーロッパ各国との間の国際列車が多数運行されている。また、都市部では近郊電車の[[Sバーン]]や地下鉄([[Uバーン]])、[[路面電車]]の路線網が発達している。なお[[ヴッパータール]]には、現在運行している世界最古の[[モノレール]]がある。<!--ヴッパータールのモノレール=懸垂式「鉄道」-->
[[ドイツ鉄道]](''DB'', ''Deutsche Bahn'')が全国に路線を張り巡らせ、超高速列車[[ICE]]や都市間を結ぶ[[インターシティ]]、ヨーロッパ各国との間の国際列車が多数運行されている<ref>{{cite web |url=http://www.db.de/site/bahn/de/unternehmen/investor__relations/finanzberichte/geschaeftsbericht/geschaeftsbericht__2006.html |archiveurl=http://web.archive.org/web/20070809140315/http://www.db.de/site/bahn/de/unternehmen/investor__relations/finanzberichte/geschaeftsbericht/geschaeftsbericht__2006.html |archivedate=2007-08-09 |title=Geschäftsbericht 2006 |publisher=[[:en:Deutsche Bahn]] |accessdate=27 March 2011 |language=German}}</ref>。また、都市部では近郊電車の[[Sバーン]]や地下鉄([[Uバーン]])、[[路面電車]]の路線網が発達している。なお[[ヴッパータール]]には、現在運行している世界最古の[[モノレール]]がある。<!--ヴッパータールのモノレール=懸垂式「鉄道」-->
; [[道路]]

: 自動車大国であるだけに道路網も発達しており、[[アウトバーン]]と呼ばれる[[高速道路]]が主要都市を結んでいる。
欧州でも屈指の大手航空会社[[ルフトハンザドイツ航空]]が世界各国に航空路線を持っている。また、[[エア・ベルリン]]などの[[格安航空会社]]もある。ドイツ最大の[[フランクフルト国際空港]]と[[ミュンヘン国際空港]]はルフトハンザの国際[[ハブ空港]]となっている。その他の主要空港には[[ベルリン・テーゲル国際空港|ベルリン・テーゲル]]、[[ベルリン・シェーネフェルト国際空港|ベルリン・シェーネフェルト]]、[[デュッセルドルフ国際空港|デュッセルドルフ]]、[[ハンブルク国際空港|ハンブルク]]、[[ケルン・ボン空港|ケルン・ボン]]、[[ライプツィヒ・ハレ空港|ライプツィヒ・ハレ]]がある<ref>{{cite web|url=http://www.aircraft-charter-world.com/airports/europe/germany.htm|title=Airports in Germany|publisher=Air Broker Center International|accessdate=16 April 2011}}</ref>。

2008年現在、ドイツは世界第6位のエネルギー消費国あり<ref>{{cite web| url = http://www.eia.gov/countries/country-data.cfm?fips=GM| title = Overview/Data: Germany| date = 30 June 2010| publisher = U.S. Energy Information Administration| accessdate = 19 April 2011}}</ref>、主要エネルギーの60%を輸入に依存している<ref>{{cite web|title=Energy imports, net (% of energy use)|url=http://data.worldbank.org/indicator/EG.IMP.CONS.ZS|publisher=The World Bank Group|accessdate=18 April 2011}}</ref>。政府はエネルギー効率改善と[[再生可能エネルギー]]活用を推進している<ref>[http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/environment-climate-energy/startseite-klima/paths-to-a-modern-and-sustainable-climate-and-energy-policy.html ドイツの実情: 先進的かつ持続的な気候・エネルギー政策に向けて]、2011年7月8日閲覧</ref>。[[エネルギー効率]]は1970年前半以降改善しており、政府は2050年までに国内電力需要を再生可能エネルギーのみで賄うことを目標に掲げている<ref>{{cite news|title=* Environment * Renewable energy Germany targets switch to 100% renewables for its electricity by 2050|url=http://www.guardian.co.uk/environment/2010/jul/07/germany-renewable-energy-electricity|accessdate=18 April 2011|newspaper=The Guardian|date=7 July 2010|author=Reuters Berlin|location=UK}}</ref>。2010年時点でのエネルギー源は石油(33.7%)、褐炭を含む石炭(22.9%)、天然ガス(21.8%)、原子力(10.8%)、水力発電や風力発電(1.5%)、そしてその他の再生可能エネルギー(7.9%)となっている<ref>{{cite web|url=http://www.bmwi.de/BMWi/Redaktion/Binaer/Energiedaten/energiegewinnung-und-energieverbrauch2-primaerenergieverbrauch.xls|title=Primärenergieverbrauch nach Energieträgern|language=German|publisher=Bundesministerium für Wirtschaft und Technologie|date=December 2010|accessdate=18 April 2011}}</ref>。2000年、政府と[[ドイツの原子力発電所|原子力産業]]は2021年までに全ての[[原子力発電所]]を閉鎖することに合意した<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4295389.stm |title=Germany split over green energy |work=BBC News |date= 25 February 2005 |accessdate=27 March 2011}}</ref>。

ドイツは[[京都議定書]]や生物多様性、排出量規制、リサイクリングそして再生可能エネルギーの利用などを推進するその他の諸条約に係わっており、世界レベルでの持続可能な開発を支持してる<ref>{{cite press release
|url = http://www.kst.portalu.de/dokumente/Aktuelles/Inventar-Bericht_Treibhausgas_2008.pdf |title = Deutschland erfüllte 2008 seine Klimaschutzverpflichtung nach dem Kyoto-Protokoll |publisher = Umweltbundesamt |date =1 February 2010 |accessdate =19 March 2011|language=German}}</ref>。ドイツ政府は大幅な排出量削減運動に着手しており、国内の排出量は低下している<ref>{{cite news |url= http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2008-06-21/pollution/27752791_1_energy-security-global-energy-germany |title =Germany greenest country in the world |newspaper =The Times of India |location = New Delhi |date =21 June 2008 |accessdate = 26 March 2011}}</ref>。しかしながら、2007年時点でのドイツの温室効果ガス排出量は依然としてEU最大である<ref>{{cite web|url=http://www.umweltbundesamt-daten-zur-umwelt.de/umweltdaten/public/document/downloadImage.do?ident=18198|title=Treibhausgas-Emissionen der Europäischen Union ...|language=German|publisher=Umweltbundesamt|format=PDF|year=2009|accessdate=10 May 2011}}</ref>。

=== 環境への取り組み ===
ドイツは世界的に[[環境保護]]先進国と呼ばれている。1994年、基本法第20条a項として「国は未来の世代に対する責任といる面においても生活基盤としての自然を保護するものとする」という条文が採用された。エコノミーとエコロジーは対立するものではない、大気、土壌、水質の保護は経済発展の前提条件とされた。背景には、国土が狭い上に、海岸線が短いため埋立地も十分に確保できず、その上、廃棄物の他国への越境移動が禁止されたため、自国内で処理せざるを得なくなったことである。環境保護に対する国民の意識が高まり、
[[ファイル:Windgermany.JPG|thumb|ドイツでの風力発電]]
1998年に[[同盟90/緑の党]]が連立政権に参加した。

1986年 廃棄物発生防止・処理規正法
: 産業廃棄物等の発生源によって規制する規則

1991年6月 包装材廃棄物政令

1994年10月 「リサイクル経済促進・廃棄物無公害処分確保法」(廃棄物リサイクル促進法)

1996年10月 同法施行
: 製造業者の関与を深める法体系を作った

2002年1月 [[デポジット制]]の制定
: 環境にやさしくない素材のすべての容器包装廃棄物にデポジットが課される

2011年7月 脱[[原子力発電所|原発]]法の成立
:2011年3月の[[福島第一原子力発電所事故]]の発生を機に反原発の声が高まり、2022年までに国内17基の原発を全て停止することになった。

現在では[[量り売り]]、デポジット制などの努力により、ごみの大幅な減量に成功している。ドイツのごみ排出量は日本の4分の1、特に包装物は10分の1である。こうした環境への姿勢が近隣諸国に影響を及ぼし、1994年12月に[[EUの包装材指令]](2001年までに加盟各国で廃棄物リサイクル促進法を法制化することを求めるEU指令)がくだった。

ドイツは[[循環経済法|循環社会]]への転換を果たしているといわれている。ごみの排出回避、素材・エネルギーの再利用、環境に配慮した処理法、また「排出者責任」は企業責任と明確にしているなど、廃棄物が巡る経済を実現している。

Duales System Deutschlandの略で、1991年にドイツの企業が協力して設立した、プラスチック、缶、ビン、紙などを回収・リサイクルする組織。国内に195の分別工場を有し、現在17500企業が払う20億ユーロのライセンス料で共同処理を行っている。ここからリサイクルされたものを使用した商品は、[[グリューネプンクト]]が表示され、販売価格にリサイクル価格が上乗せされる。この制度をデュアルシステムという。デュアルシステムはドイツを手本にEU圏内で広がっている。

[[フリーライダー]]の存在、コストの問題、普通ごみの混入など課題もある。

==科学技術==
科学におけるドイツの業績は非常に大きく、[[研究開発]]活動は[[ドイツの経済|ドイツ経済]]にとって不可欠な分野となっている<ref>{{cite web|publisher=Federal Ministry of Education and Research|year=2005|url=http://technologische-leistungsfaehigkeit.de/en/4246.php|title=Germany's Technological Performance|accessdate= 21 March 2011}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/economy/main-content-06/innovations-for-the-markets-of-the-future.html|title=未来の市場のための革新|publisher=ドイツの実情|accessdate=2011年7月9日}}</ref>。これまでに[[国別のノーベル賞受賞者#ドイツ|103人のノーベル賞受賞者]]を輩出しており<ref>{{cite web|url=http://nobelprize.org/|title=Nobel Prize|publisher=Nobelprize.org|accessdate=27 March 2011}}</ref>、20世紀においては、[[ノーベル物理学賞|物理学賞]]、[[ノーベル化学賞|化学賞]]、[[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]]といった科学の分野で他のどの国よりも多くの受賞をしている<ref>{{cite news|url=http://www.sciencenews.org/view/generic/id/63944/title/Swedish_academy_awards|title=Swedish academy awards|newspaper=ScienceNews|accessdate=1 October 2010}}</ref><ref>National Science Nobel Prize shares 1901–2009 [http://www.idsia.ch/~juergen/sci.html by citizenship at the time of the award] and [http://www.idsia.ch/~juergen/scinat.html by country of birth]. From {{cite web|author=[[:en:Jürgen Schmidhuber|Schmidhuber, J.]]|year=2010|url=http://www.idsia.ch/~juergen/nobelshare.html|title=Evolution of National Nobel Prize Shares in the 20th century|accessdate=27 March 2011}}</ref>。

[[アルベルト・アインシュタイン]]や[[マックス・プランク]]の業績が現代[[物理学]]確立への重要な役割を果たし、[[ヴェルナー・ハイゼンベルク]]と[[マックス・ボルン]]がこれをより一層発展させた<ref>{{cite book |last=Roberts |first=J. M. |title =The New Penguin History of the World |publisher =Allen Lane |year =2002 |page =1014 |isbn= 9780713996111}}</ref>。彼らの仕事は[[ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ]]や[[ヨゼフ・フォン・フラウンホーファー]]といった物理学者たちに引き継がれている。[[ヴィルヘルム・レントゲン]]は[[X線]]を発見し、1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞した<ref>{{cite news|url=http://www.dw-world.de/dw/article/0,,5984670,00.html|title=The First Nobel Prize|newspaper=Deutsche Welle|date=8 September 2010|accessdate=27 March 2011}}</ref>。また、[[カール・フリードリヒ・ガウス]]、[[ダフィット・ヒルベルト]]、[[ベルンハルト・リーマン]]、[[ゴットフリート・ライプニッツ]]、[[カール・ワイエルシュトラス]]、[[ヘルマン・ワイル]]そして[[フェリックス・クライン]]といった数多くの[[数学者]]たちがドイツから生まれている。ドイツにおける研究機関には[[マックス・プランク研究所]]や[[ドイツ研究センターヘルムホルツ協会]]、[[フラウンホーファー協会]]がある<ref>{{cite web|url=http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/education-and-research/main-content-07/top-research-outside-the-universities.html|title=大学外の先端研究|publisher=ドイツの実情|accessdate=2011年7月9日}}</ref>。毎年、10人の研究者に[[ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞]]が授与されており、最大250万ユーロの賞金は最も高額な学術賞の一つである<ref>{{cite web|url=http://www.dfg.de/en/research_funding/scientific_prizes/gw_leibniz_prize.html|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080621091621/http://www.dfg.de/en/research_funding/scientific_prizes/gw_leibniz_prize.html|archivedate=2008-06-21|title=Gottfried Wilhelm Leibniz Prize|publisher=DFG|accessdate=27 March 2011}}</ref>。

ドイツは多数の著名な発明家や[[技術者]]の出身国であり、その中にはヨーロッパで初めて[[活字|活版印刷]]を発明したとされる[[ヨハネス・グーテンベルク]]<ref>グーテンベルクの業績については議論がある。{{cite web|url=http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%EF%BC%88Johannes%20Gutenberg%EF%BC%89/|title=グーテンベルク|publisher=日本大百科全書(小学館)|accessdate=2011年7月9日}}</ref>、[[ガイガー=ミュラー計数管]]を開発した[[ハンス・ガイガー]]そして初めて全自動デジタルコンピュータを製作した[[コンラート・ツーゼ]]がいる<ref>{{cite web|last=Bianchi|first=Luigi|title=The Great Electromechanical Computers|url=http://www.yorku.ca/lbianchi/sts3700b/lecture17a.html|publisher=[[:en:York University]]|accessdate=17 April 2011}}</ref>。[[フェルディナント・フォン・ツェッペリン]]、[[オットー・リリエンタール]]、[[ゴットリープ・ダイムラー]]、[[ルドルフ・ディーゼル]]、[[フーゴー・ユンカース]]そして[[カール・ベンツ]]といったドイツの発明家、技術者、企業家たちが現代の自動車や航空輸送技術を形づくった<ref>{{cite web|url=http://www.centennialofflight.gov/essay/Lighter_than_air/zeppelin/LTA8.htm|title=The Zeppelin|publisher=U.S. Centennial of Flight Commission|accessdate=27 March 2011}}</ref>。史上初の宇宙ロケット([[V2ロケット]])を開発した[[航空宇宙工学|航空宇宙工学技術者]]の[[ヴェルナー・フォン・ブラウン]]は、後に[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の主要メンバーとなり、[[サターンV|サターンV型]]ロケットを開発して[[アポロ計画]]の成功に貢献している。[[ハインリヒ・ヘルツ]]の[[電磁波]]分野での業績は現代の遠距離通信の発展にとって極めて重要である<ref>{{cite web|url=http://www.itu.int/aboutitu/HistoricalFigures.html|title=Historical figures in telecommunications|publisher=International Telecommunication Union|date=14 January 2004|accessdate=27 March 2011}}</ref>。

また、ドイツは[[環境技術]]{{enlink|green technology|en}}の開発と利用に関する主要国の一つである。環境技術を専門とする企業の総売上高は2005年時点で再生エネルギー分野で164億ユーロ、廃棄物処理分野は500億ユーロにのぼる<ref>{{cite web|url=http://www.tokyo.diplo.de/Vertretung/tokyo/ja/06__Umwelt/Kolumne/Umweltpolitik.html|title=世界や各国の課題としての気候・環境政策|publisher=ドイツ大使館 東京|date=|accessdate=2011年7月9日}}</ref>。ドイツ環境技術業界の重要市場は、発電、[[サステイナブル・モビリティ]]<ref>"sustainable mobility"の訳語は{{cite web|url=http://www.toyota.co.jp/jp/environmental_rep/05/download/pdf/so_05.pdf|title=サステイナブル・モビリティに向けて|publisher=トヨタ自動車|date=2005年3月|accessdate=2011年7月9日}}より</ref>、材料能率差、エネルギー効率、廃棄物管理とリサイクル、持続可能な[[水管理]]{{enlink|water management|en}}である<ref>[[:en:Roland Berger Strategy Consultants]]: ''Green Growth, Green Profit – How Green Transformation Boosts Business'' [[:en:Palgrave Macmillan]], New York 2010, ISBN 978-0-230-28543-9</ref>。
<gallery heights="200px">
画像:Johannes Gutenberg.jpg|ヨハネス・グーテンベルク
画像:WilhelmRöntgen.JPG|ヴィルヘルム・レントゲン
画像:Einstein 1921 by F Schmutzer.jpg|アルベルト・アインシュタイン
画像:Dr. Wernher von Braun and Saturn IB.jpg|ヴェルナー・フォン・ブラウン
画像:Hermann Weyl ETH-Bib Portr 00890.jpg|ヘルマン・ワイル
</gallery>


== 国民 ==
== 国民 ==
=== 民族 ===
=== 民族 ===
<!-- {{Main|ドイツの国民}} -->
[[ファイル:Kindergartenfrankfurt.jpg|thumb|200px|ドイツの幼稚園]]
[[ファイル:Kindergartenfrankfurt.jpg|thumb|200px|ドイツの幼稚園]]
2010年1月現在のドイツの人口は8180万人であり<ref name=population>{{Cite book|title = Key Figures on Europe| publisher = European Union| date = 2011| location = Belgium| page = 37| language = English| url = http://epp.eurostat.ec.europa.eu/cache/ITY_OFFPUB/KS-EI-11-001/EN/KS-EI-11-001-EN.PDF| doi = 10.2785/623| isbn = 978-92-79-18441-3}}</ref>、EU域内では最大、[[国の人口順リスト|世界第8位]]である<ref>{{cite web|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/rankorder/2119rank.html?countryName=Lebanon&countryCode=le&regionCode=me&rank=126 |title=Country Comparison :: Population |publisher=CIA |accessdate=26 June 2011}}</ref>。[[国の人口密度順リスト|平均人口密度]]は229.4人/km²である。[[国の平均寿命順リスト|平均寿命]]は79.9歳。2009年の[[合計特殊出生率]]は女性一人当たり1.4人または1000人当たりでは7.9人となり、世界で最も低率の国のひとつである<ref>{{cite web |url=http://www.destatis.de/jetspeed/portal/cms/Sites/destatis/Internet/DE/Presse/pm/2010/01/PD10__034__12641,templateId=renderPrint.psml|title=Durchschnittliche Kinderzahl 2008 in den neuen Ländern angestiegen|author=[[:en:Federal Statistical Office of Germany|Destatis]] |language=German|accessdate=28 March 2011}}</ref>。1990年代以降、[[死亡率]]が[[出生率]]を上回る状態が続いている<ref>{{cite web | title = Demographic Transition Model | publisher=Barcelona Field Studies Centre | date = 27 September 2009 | url = http://geographyfieldwork.com/DemographicTransition.htm | accessdate = 28 March 2011}}</ref>。[[連邦統計局]]{{enlink|Federal Statistical Office of Germany|en}}は2060年までに人口は6,500万人から7,000万人に減少すると予測している(移民の程度による)<ref>{{cite press release | publisher=[[:en:Federal Statistical Office of Germany|Destatis]] | date = 18 November 2009 | language = German |title=Im Jahr 2060 wird jeder Siebente 80 Jahre oder älter sein| url=http://www.destatis.de/jetspeed/portal/cms/Sites/destatis/Internet/DE/Presse/pm/2009/11/PD09__435__12411,templateId=renderPrint.psml | accessdate = 12 February 2011 }}<br/>
Details on the methodology, detailed tables, etc. are provided at {{cite web| url = http://www.destatis.de/jetspeed/portal/cms/Sites/destatis/Internet/DE/Presse/abisz/Bevoelkerungsvorausberechnung,templateId=renderPrint.psml| title = Bevölkerungsentwicklung in Deutschland bis 2060| date = 18 November 2009 | publisher = [[:en:Statistisches Bundesamt]] | language = German| accessdate = 15 February 2011}}</ref>。


ゲルマン系の[[ドイツ語]]を母語とする[[ドイツ人]]が多数を占め、他に[[バウツェン]]にはスラヴ系の[[ソルブ人]]が、[[シュレースヴィヒ]]にはゲルマン系の[[デンマーク人]]などがおり、帰化[[ポーランド人]]も多数居住している。ドイツ人は欧州諸民族の例にもれず厳密には混成民族であるが、主流であるゲルマン系と言語が一致しているため、おおむね自他ともにゲルマン民族として認識されている。
国民の91%はゲルマン系の[[ドイツ語]]を母語とする[[ドイツ人|ドイツ民族]]である。他に[[バウツェン]]にはスラヴ系の[[ソルブ人]]が、[[シュレースヴィヒ]]にはゲルマン系の[[デンマーク人]]などがおり、帰化[[ポーランド人]]も多数居住している。ドイツ人は欧州諸民族の例にもれず厳密には混成民族であるが、主流であるゲルマン系と言語が一致しているため、おおむね自他ともにゲルマン民族として認識されている。
[[File:Pyramide Allemagne.PNG|thumb|left|2005年現在のドイツの[[人口ピラミッド]]。]]
2009時点で約700万人の外国人が登録されており、国内居住者の19%が外国人または両親の一方が外国人(送還された[[民族ドイツ人]]を含む)であり、これらの96%が西ドイツまたベルリンに居住している<ref>{{cite book| title=Bevölkerung und Erwerbstätigkeit:Bevölkerung mit Migrationshintergrund – Ergebnisse des Mikrozensus 2009| trans_title = Population and employment: Population with migrant background – Results of the 2009 microcensus| url = http://www.destatis.de/jetspeed/portal/cms/Sites/destatis/Internet/DE/Content/Publikationen/Fachveroeffentlichungen/Bevoelkerung/MigrationIntegration/Migrationshintergrund2010220097004,property=file.pdf| format = PDF| accessdate = 7 May 2011 | series = Fachserie 1 Reihe 2.2|date=14 July 2010
| publisher = Statistisches Bundesamt| language = German| id = Artikelnummer: 2010220097004| pages = 6–8}}<br/>[[連邦統計局]]{{enlink|Federal Statistical Office|en}}は、移民背景を持つ者の定義を1949年以降にドイツ連邦共和国の領域に移民した者、これに加えてドイツで出生した外国国籍者、少なくとも一方の親がドイツに移民したまたはドイツで生まれた外国国籍者でドイツ国籍者としてドイツで生まれた全ての者と定義している。</ref>。[[国際連合人口基金]]の統計によれば、ドイツは全世界の1億9100万人の移民人口のうち、約5%に相当する1,000万人を受け入れており、移民受け入れ数では世界第3位である<ref>{{cite web |url=http://www.un.org/esa/population/publications/2006Migration_Chart/Migration2006.pdf |title=International Migration 2006 |publisher =UN Department of Economic and Social Affairs |accessdate=18 March 2011}}</ref>。[[亡命]]と移民に対して無制限だった以前の法律が改正された結果、2000年以降、亡命地を求める移民や民族ドイツ人を主張する者たち(主に旧ソ連)が着実に減少している<ref>{{cite web|url=http://www.focus-migration.de/Germany.1509.0.html?&L=1|title=Germany|publisher=Focus-Migration|accessdate=28 March 2011}}</ref>。2009年時点で人口の20%が移民系統であり、1945年以降最も高くなっている<ref>{{Cite news | title=20% of Germans have immigrant roots | newspaper=Burlington Free Press | page= 4A | date=15 July 2010 }}</ref>。2008年現在、最大の民族集団はトルコ人(250万人)であり、イタリア人(776,000人)、ポーランド人(687,000人)がこれに続く<ref>{{cite web |url=http://www.destatis.de/jetspeed/portal/cms/Sites/destatis/Internet/DE/Content/Statistiken/Bevoelkerung/MigrationIntegration/Migrationshintergrund/Tabellen/Content100/MigrationshintergrundStaatsangehoerigkeit,templateId=renderPrint.psml |title=Bevölkerung nach Migrationshintergrund| accessdate = 28 March 2011|publisher=German Federal Statistical Office|language=German}}</ref>。1987年以降、約300万人の主に東ヨーロッパや旧ソ連から移民した民族ドイツ人(''Aussiedler'')がドイツに再定住した<ref>{{cite web|url=http://www.migrationinformation.org/Feature/display.cfm?ID=201|title=Fewer Ethnic Germans Immigrating to Ancestral Homeland|publisher=Migration Information Source|date=February 2004|accessdate=28 March 2011}}</ref>。


ドイツ国籍を持たない外国人労働者とその子孫は全人口の9%を占める。最も多いのが[[トルコ人]]で171万人に上るが、国籍法改正以降ドイツ国籍を取得する人が急増し、ドイツ国内のトルコ系人口は281万人にもなる。このような安価な労働力の流入がドイツ人の雇用悪化を招き、失業者の中には暴動に走る者も現れた。また文化的衝突から[[ネオナチ]]などの外国人排斥運動に賛同して外国人を襲撃するなど、深刻な問題となっている。
このような安価な労働力の流入がドイツ人の雇用悪化を招き、失業者の中には暴動に走る者も現れた。また文化的衝突から[[ネオナチ]]などの外国人排斥運動に賛同して外国人を襲撃するなど、深刻な問題となっている。
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=== 言語 ===
=== 言語 ===
[[ファイル:DeutschsprachigesEuropa.png|thumb|200px|ヨーロッパでのドイツ語圏]]
{{Main|ドイツの言語}}
[[ドイツ語]]は、ドイツの公用語であり支配的な言語である<ref name="Eurobarometer Languages"/>。ドイツ語は欧州連合の23の公用語の一つであり、[[欧州委員会]]の三つの[[作業言語]]{{enlink|working language|en}}の一つである。ドイツで公認されている少数言語は、[[デンマーク語]]、[[低地ドイツ語]]{{enlink|Low German|en}}、[[ソルブ語]]、[[ロマ語]]、そして[[フリジア語]]であり、正式に[[ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章]](ECRML)により保護されている。移民の間で最も使用される言語は[[トルコ語]]、[[クルド語]]、[[ポーランド語]]、バルカン系諸言語、および[[ロシア語]]である。ドイツ国民の67%が[[バイリンガル]]であり、27%は[[トリリンガル]]である<ref name="Eurobarometer Languages">{{cite web|title=Special Eurobarometer 243: Europeans and their Languages (Survey)|publisher=[[:en:Europa (web portal)]] |author=[[:en:European Commission]]|year=2006|url=http://ec.europa.eu/public_opinion/archives/ebs/ebs_243_en.pdf| accessdate= 28 March 2011}}<br />{{cite web|title=Special Eurobarometer 243: Europeans and their Languages (Executive Summary)|publisher=[[:en:Europa (web portal)]] |author=[[:en:European Commission]]|year=2006|url=http://ec.europa.eu/public_opinion/archives/ebs/ebs_243_sum_en.pdf |accessdate=28 March 2011}}</ref>。
[[ファイル:DeutschsprachigesEuropa.png|thumb|200px|ヨーロッパでドイツ語]]

[[公用語]]は[[ドイツ語]]。地域によっては[[デンマーク語]]、[[ソルブ語]]なども使用されている。
標準ドイツ語は[[西ゲルマン語群]]であり、[[英語]]、低地ドイツ語、[[オランダ語]]、そしてフリジア語と密接に関連し、分類されている。低い割合ではあるが、[[東ゲルマン語群]](死語)と[[北ゲルマン語群]]とも関係する。ほとんどのドイツ語の語彙は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン分岐から派生している<ref>{{cite web|title=Many tongues, one family. Languages in the European Union|publisher=[[:en:Europa (web portal)]] |author=[[:en:European Commission]]|year=2004|url=http://ec.europa.eu/publications/booklets/move/45/en.pdf |accessdate=28 March 2011}}</ref>。

単語の相当数が[[ラテン語]]や[[ギリシャ語]]からの派生であり、また[[フランス語]]そして最近の英語([[デングリッシュ]]として知られる)からも含まれる。ドイツ語はラテン・アルファベットを使用して書かれる。ドイツ語[[方言]](ゲルマン諸民族の伝統的な地方亜種にまで遡る)はその[[語彙]]、[[音韻論|音韻]]や[[統語論|文法規則]]で標準ドイツ語からの[[言語変種]]に分類される<ref>{{cite news|title=Sprechen Sie Deutsch? |url=http://www.economist.com/node/15731354 |accessdate=16 April 2011 |newspaper=The Economist |date=18 March 2010}}</ref>。


現在、[[エスノローグ]]はドイツ連邦共和国内に以下言語の存在を認めている。
また、2011年現在、少数言語の研究団体[[エスノローグ]]はドイツ連邦共和国内に以下を含む28言語の存在を認めている<ref>{{cite web|title=Ethnologue report for Germany|publisher=Ethnologue|year=|url=http://www.ethnologue.com/show_country.asp?name=DE |accessdate=2011年7月11日}}</ref>
* [[ドイツ語]](国家公用語)
* [[ドイツ語]](国家公用語)
* [[低ザクセン語]]([[北ドイツ]])
* [[低ザクセン語]]([[北ドイツ]])
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=== 宗教 ===
=== 宗教 ===
[[ファイル:Koelner Dom.jpg|thumb|left|130px|[[ケルン大聖堂]]]]
[[File:Colognecathedralatnight.JPG|thumb|upright|[[ライン川]]沿いにある[[ケルン大聖堂]]は[[世界遺産|ユネスコ世界遺産]]である。]]
ドイツにおける最大の宗教はキリスト教で2008年現在で信者数5,150万人(62.8%)である <ref name="ekd">{{cite web|url=http://www.ekd.de/statistik/mitglieder.html |title=EKD-Statistik: Christen in Deutschland 2007 |publisher=Evangelische Kirche in Deutschland |accessdate=28 March 2011|language=German}}</ref>。この内30%が[[カトリック]]、29.9%が[[ドイツ福音主義教会]](EKD)に属する[[プロテスタント]]であり、ドイツ福音主義教会には22の州教会が加盟しており、常議員会議長が[[ドイツ福音主義教会]] (EKD) を代表する。その他は小宗派(各々0.5%以下)である<ref name="fowid">{{cite web|url=http://fowid.de/fileadmin/datenarchiv/Religionszugehoerigkeit_Bevoelkerung__1950-2008.pdf|title=Konfessionen in Deutschland|language=German|publisher=Fowid|date=9 September 2009|accessdate=28 March 2011}}</ref>。プロテスタントは北部と東部、ローマ・カトリックは南部と西部に集中している。また、1.6%は[[正教会]]である<ref name="ekd"/>。


2番目に大きな宗教が[[イスラム教]]で、凡そ380-430万人(4.6-5.2%)<ref name="MLD"/>、次いで仏教徒が25万人、ユダヤ教が約20万人(0.3%)、[[ヒンズー教|ヒンズー教徒]]が9万人(0.1%)である。これ以外の宗教の信者は5万人以下である<ref>{{cite web|language=German|url=http://www.remid.de/remid_info_zahlen.htm|title=Religionen in Deutschland: Mitgliederzahlen|publisher=Religionswissenschaftlicher Medien- und Informationsdienst|date=31 October 2009|accessdate=28 March 2011}}</ref>。400万人のイスラム教徒のほとんどはトルコからの[[スンニ派]]または[[アレヴィー派]]であるが、少数の[[シーア派]]や小分派も存在する<ref name="MLD">{{Cite book | title = Muslimisches Leben in Deutschland | url = http://www.bmi.bund.de/cae/servlet/contentblob/566008/publicationFile/31710/vollversion_studie_muslim_leben_deutschland_.pdf;jsessionid=6B8CD26E2AC179111AF4F75650B84B1A | format = PDF | accessdate = 28 March 2011 |date = June 2009| publisher=Bundesamt für Migration und Flüchtlinge| language = German | isbn =978-3-9812115-1-1| pages = 80, 97 | chapter = Chapter 2: Wie viele Muslime leben in Deutschland?}}</ref>。ドイツのユダヤ人人口はフランス、イギリスに次いでヨーロッパで3番目である<ref>{{cite news | author = Blake, Mariah | url = http://www.csmonitor.com/2006/1110/p25s02-woeu.html | title = In Nazi cradle, Germany marks Jewish renaissance | newspaper = [[:en:Christian Science Monitor]] | date = 10 November 2006 | accessdate = 28 March 2011}}</ref>。仏教徒の50%はアジアからの移民である<ref>{{cite news |author=Schnabel, U. |date=15 March 2007 |url=http://www.zeit.de/2007/12/Buddhismus |title= Buddhismus Eine Religion ohne Gott |newspaper=[[:en:Die Zeit]] |location =Hamburg |accessdate=19 March 2011 |language=German}}</ref>。34.1%が[[無神論]]であり、旧[[東ドイツ]]地域と大都市圏に多い<ref name="fowid"/>。
[http://www.remid.de/remid_info_zahlen.htm REMID(ドイツ語)]の2006年の統計によると、[[キリスト教徒]] (68%) のうち、[[プロテスタント]] (32.7%) 、[[カトリック教会|カトリック]] (31.4%) で、[[イスラム教]] (4.0%) 、[[ユダヤ教]] (0.25%) 、[[無宗教]]もしくは[[無神論]] (29.6%) 等となっている。


宗教的多様性と国家干渉主義の両方の伝統を持つ中央ヨーロッパ、とりわけ旧東ドイツの各州においてゼクト(カルト)団体が増加しているドイツでは、予防啓発とゼクト脱退者保護の政策が、地方レベルで実施されている。ゼクト担当委員のポストが各州に創設された。中央レベルでは、教会法人格の取得に関する認証基準が定められた。情報交換を目的とした作業会議が、州職員と州代表者の間で何度も開かれた。とはいえ市民社会には秩序があり、国家宗教は揺らいでいないため、この問題への関心は限定的である。現在のところ、禁止されたゼクトはない。その上、国家権力の行動の幅は狭くなっている<ref>{{cite wikisource|MIVILUDES2004年度報告書|2004年度Miviludes報告書日本語訳|ja}}より抜粋、一部変更。</ref>。
2007年現在、ドイツの全人口の30,2%、24,832千人が[[ドイツ福音主義教会]](EKD)の教会員である<ref>[http://ekd.de/download/kirchenmitglieder_2007.pdf Statistik der EKD]</ref>。ドイツ福音主義教会には22の州教会が加盟しており、常議員会議長が[[ドイツ福音主義教会]] (EKD) を代表する。

宗教的多様性と国家干渉主義の両方の伝統を持つ中央ヨーロッパ、とりわけ旧東ドイツの各州においてゼクト(カルト)団体が増加しているドイツでは、予防啓発とゼクト脱退者保護の政策が、地方レベルで実施されている。ゼクト担当委員のポストが各州に創設された。中央レベルでは、教会法人格の取得に関する認証基準が定められた。情報交換を目的とした作業会議が、州職員と州代表者の間で何度も開かれた。とはいえ市民社会には秩序があり、国家宗教は揺らいでいないため、この問題への関心は限定的である。現在のところ、禁止されたゼクトはない。その上、国家権力の行動の幅は狭くなっている(WikiSource2004年度Miviludes報告書日本語訳より抜粋、一部変更。)。
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=== 教育 ===
=== 教育 ===
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[[大学]]においても近年変革の時期を迎えている。ドイツの大学はほぼ全てが[[州立大学]]で、基本的に学費は納める必要がない(ただし、州により学費徴収を行うケースもある)。しかし、近年の不況の影響を受け、大学は授業料を徴収するかどうか、検討を始めている。また、かつてのドイツは大学卒業した者はエリートコースを歩み、大学卒業資格は社会で相当に高い評価を得ていたと言える。しかし、近年における財政界からは、もっと柔軟な思考ができる学生が欲しいとの声が強まり、大学のカリキュラムも変革の時期を迎えている。
[[大学]]においても近年変革の時期を迎えている。ドイツの大学はほぼ全てが[[州立大学]]で、基本的に学費は納める必要がない(ただし、州により学費徴収を行うケースもある)。しかし、近年の不況の影響を受け、大学は授業料を徴収するかどうか、検討を始めている。また、かつてのドイツは大学卒業した者はエリートコースを歩み、大学卒業資格は社会で相当に高い評価を得ていたと言える。しかし、近年における財政界からは、もっと柔軟な思考ができる学生が欲しいとの声が強まり、大学のカリキュラムも変革の時期を迎えている。


===健康===
== 環境への取り組み ==
ドイツは1883年に[[オットー・フォン・ビスマルク]]が成立させた[[疾病保険法]]に遡る世界最古の[[国民皆保険]]制度を有している<ref>{{cite book| title= Health Care Systems in Transition: Germany | url = http://www.euro.who.int/__data/assets/pdf_file/0010/80776/E68952.pdf |accessdate =15 April 2011 |year =2000 |publisher =European Observatory on Health Care Systems |id = AMS 5012667 (DEU) | page = 8 }}</ref>。現在、全住民には国家によって提供される基礎健康保険が適用される。[[世界保健機関]]によれば、2005年現在のドイツ[[健康管理システム]]は77%が政府資金、23%が個人資金である<ref name=health>{{cite web|url=http://apps.who.int/whosis/database/core/core_select.cfm|title=Core Health Indicators|publisher=World Health Organization|accessdate=6 June 2011}}</ref>。2005年にドイツは健康管理にGDPの11%を支出した。[[平均寿命]]は男性が77歳、女性が82歳で世界第20位であり、[[乳児死亡率]]は出生児1,000人当たり4人と非常に低い数値である<ref name=health/>。
ドイツは世界的に環境保護先進国と呼ばれている。1994年、基本法第20条a項として「国は未来の世代に対する責任といる面においても生活基盤としての自然を保護するものとする」という条文が採用された。エコノミーとエコロジーは対立するものではない、大気、土壌、水質の保護は経済発展の前提条件とされた。背景には、国土が狭い上に、海岸線が短いため埋立地も十分に確保できず、その上、廃棄物の他国への越境移動が禁止されたため、自国内で処理せざるを得なくなったことである。環境保護に対する国民の意識が高まり、
[[ファイル:Windgermany.JPG|thumb|ドイツでの風力発電]]
1998年に[[同盟90/緑の党]]が連立政権に参加した。


2009年現在の主な死亡原因は心血管疾患の42%、続いて悪性腫瘍の25%だった<ref>{{cite web|url=http://www.destatis.de/jetspeed/portal/cms/Sites/destatis/Internet/DE/Presse/pm/2010/10/PD10__371__232,templateId=renderPrint.psml|language=German |title=Statistisches Bundesamt Deutschland – Herz-/Kreislauferkrankungen nach wie vor häufigste Todesursache |publisher=Destatis.de |accessdate=2011-06-07}}</ref>。2008年現在、82,000人がHIV/AIDSに感染しており、1982年以降、合計26,000人がこの病気で死亡している<ref name=cp>{{cite web| url = http://lcweb2.loc.gov/frd/cs/profiles/Germany.pdf| title = Country Profile Germany| month = April| year = 2008| publisher = [[:en:Library of Congress]] [[:en:Federal Research Division]]| format = PDF| accessdate = 2011-05-07}}<br/>
1986年 廃棄物発生防止・処理規正法
この記事はパブリックドメンインである上記の資料のテキストを組み込んでいる。</ref>。2005年の統計では成人の27%が喫煙者である<ref name=cp/>。2007年の調査によれば、ドイツは肥満した人の数がヨーロッパで最大である<ref>{{Cite news|title=Topping the EU Fat Stats, Germany Plans Anti-Obesity Drive|url=http://www.dw-world.de/dw/article/0,,2449356,00.html|publisher=Deutsche Welle|date=20 April 2007|accessdate=28 March 2011}}</ref><ref>{{Cite news|title=Germany launches obesity campaign|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/6639227.stm|publisher=BBC|date=9 May 2007|accessdate =28 March 2011}}</ref>。
: 産業廃棄物等の発生源によって規制する規則

1991年6月 包装材廃棄物政令

1994年10月 「リサイクル経済促進・廃棄物無公害処分確保法」(廃棄物リサイクル促進法)

1996年10月 同法施行
: 製造業者の関与を深める法体系を作った

2002年1月 [[デポジット制]]の制定
: 環境にやさしくない素材のすべての容器包装廃棄物にデポジットが課される

現在では[[量り売り]]、デポジット制などの努力により、ごみの大幅な減量に成功している。ドイツのごみ排出量は日本の4分の1、特に包装物は10分の1である。こうした環境への姿勢が近隣諸国に影響を及ぼし、1994年12月に[[EUの包装材指令]](2001年までに加盟各国で廃棄物リサイクル促進法を法制化することを求めるEU指令)がくだった。

ドイツは[[循環経済法|循環社会]]への転換を果たしているといわれている。ごみの排出回避、素材・エネルギーの再利用、環境に配慮した処理法、また「排出者責任」は企業責任と明確にしているなど、廃棄物が巡る経済を実現している。

Duales System Deutschlandの略で、1991年にドイツの企業が協力して設立した、プラスチック、缶、ビン、紙などを回収・リサイクルする組織。国内に195の分別工場を有し、現在17500企業が払う20億ユーロのライセンス料で共同処理を行っている。ここからリサイクルされたものを使用した商品は、[[グリューネプンクト]]が表示され、販売価格にリサイクル価格が上乗せされる。この制度をデュアルシステムという。デュアルシステムはドイツを手本にEU圏内で広がっている。

[[フリーライダー]]の存在、コストの問題、普通ごみの混入など課題もある。


== 文化 ==
== 文化 ==
[[ファイル:Berlin Skyline voll.jpg|thumb|upright=1.2|[[ベルリン]]、芸術の中心]]
[[ファイル:Berlin Skyline voll.jpg|thumb|upright=1.2|[[ベルリン]]、芸術の中心]]
{{Main|ドイツの文化|:en:Culture of Germany}}
{{Main|ドイツの文化|:en:Culture of Germany}}
歴史的にドイツは「詩人と思想家の国」(''Das Land der Dichter und Denker'')と呼ばれてきた<ref>{{cite news|author=Wasser, Jeremy|url=http://www.spiegel.de/international/0,1518,410135,00.html|title=Spätzle Westerns|newspaper=Spiegel Online International|date=6 April 2006|accessdate=28 March 2011}}</ref>。連邦各州が文化施設を担当しており、ドイツには助成を受けた240の劇場、数百の交響曲オーケストラ、数千の博物館そして25,000以上の図書館がある。これらの文化施設は多くの人々に利用されており、毎年延べ9100万人のドイツ人が博物館を訪れ、20万人が劇場やオペラ、3600万人が交響曲オーケストラを観賞している<ref>{{cite news|url=http://www.dw-world.de/dw/0,,8009,00.html |title=Unbelievable Multitude|newspaper=Deutsche Welle|accessdate=28 March 2011}}</ref>。[[国際連合教育科学文化機関]]はドイツでは33件を[[世界遺産リスト]]に登録している<ref>{{cite web|url=http://www.worldheritagesite.org/countries/germany.html|title=World Heritage Sites in Germany|publisher=UNESCO|accessdate=3 October 2010}}</ref>。
[[民族衣装]]などの伝統文化保全に強い関心が集まっている。

ドイツは高いレベルの[[男女平等]]<ref>{{cite web | url = http://hdr.undp.org/en/media/HDR_2010_EN_Tables_reprint.pdf | title = Human Development Report 2010 Table 4 Gender Inequality Index | pages = 156–160 | publisher= United Nations Development Programme | accessdate = 20 April 2011}}</ref>、障害者の権利促進そして同性愛者に対する法的社会的寛容を確立している。ゲイとレズビアンはパートナーの遺伝的子供を養子とすることができ、2001年以降には[[シビル・ユニオン]]{{enlink|civil unions|en}}(結婚に準じる権利)<ref>訳語は{{cite web | url = http://www.weblio.jp/content/%E3%82%B7%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%B3%95 | title = シビル・ユニオン法とは - 人権啓発用語 | publisher= Weblio辞書| accessdate = 2011年7月14日}}より。</ref>が認められた<ref>{{cite news|url=http://www.news24.com/World/News/Germany-extends-gay-rights-20041029|title=Germany extends gay rights|publisher=News24|date=29 October 2004|accessdate=19 March 2011}}</ref>。1990年代半ば以降ドイツは移民に対する態度を変えており、ドイツ政府とドイツ人の過半数が移民の管理は資格基準に基づいて許可されねばならないと認識するようになった<ref>{{Cite book | first = Friedrich | last = Heckmann | title = The Integration of Immigrants in European Societies: national differences and trends of convergence| publisher=Lucius & Lucius | pages = 51 ff | year = 2003 | isbn = 978-3-8282-0181-1}}</ref>。ドイツは2010年に世界で最も賞賛される国の統計で50カ国中第2位にあげられた<ref>{{Cite press release | title = 2010 Anholt-GfK Roper Nation Brands Index | publisher=[[:en:GfK]] | date = 12 October 2010 | url = http://www.gfk.com/group/press_information/press_releases/006688/index.en.html | accessdate = 28 March 2011}}</ref>。2011年の[[英国放送協会|BBC]]の世論調査によれば、ドイツは世界で最も肯定的な影響を与えている国と認められている<ref>{{Cite news | url = http://www.worldpublicopinion.org/pipa/articles/views_on_countriesregions_bt/680.php?nid=&id=&pnt=680&lb=#ger | title = Views of US Continue to Improve in 2011 BBC Country Rating Poll |work=Worldpublicopinion.org | date = 7 March 2011 |accessdate = 28 March 2011}}</ref>。


=== 美術 ===
=== 美術 ===
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1960年代以降、[[フルクサス]]や[[ヨーゼフ・ボイス]]、[[アンゼルム・キーファー]]、[[ゲルハルト・リヒター]]など、世界に影響を与える芸術家が多数登場し、ドイツの美術・建築・デザインは再び世界的存在感を高めている。
1960年代以降、[[フルクサス]]や[[ヨーゼフ・ボイス]]、[[アンゼルム・キーファー]]、[[ゲルハルト・リヒター]]など、世界に影響を与える芸術家が多数登場し、ドイツの美術・建築・デザインは再び世界的存在感を高めている。


{{-}}
=== 文学 ===
=== 文学 ===
{{Main|ドイツ文学}}
{{Main|ドイツ文学}}
[[ドイツ文学]]は中世の[[ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ]]や[[ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ]]の作品にまで遡ることができる。著名なドイツ人作家には[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ]]や[[フリードリヒ・フォン・シラー]]がいる。[[グリム兄弟]]によって編纂出版された民話集はドイツ民話を国際レベルにまで知らしめた。20世紀の有力作家には[[トーマス・マン]]、[[ベルトルト・ブレヒト]]、[[ヘルマン・ヘッセ]]、[[ハインリヒ・ベル]]そして[[ギュンター・グラス]]がいる<ref>{{cite web|url=http://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/articles/espmark/index.html |title=The Nobel Prize in Literature |publisher=Nobelprize.org |date=3 December 1999 |author=[[:en:Kjell Espmark|Espmark, Kjell]] |accessdate= 28 March 2011}}</ref>。[[ノーベル文学賞]]には[[テオドール・モムゼン]](1902年)、[[ルドルフ・クリストフ・オイケン]] (1908年)、[[パウル・フォン・ハイゼ]] (1910年)、[[ゲアハルト・ハウプトマン]](1912年)、[[トーマス・マン]] (1929年)、[[ヘルマン・ヘッセ]](1946年)、[[ハインリヒ・ベル]](1972年)、 [[ギュンター・グラス]](1999年)そして、[[ヘルタ・ミュラー]] (2009年)が選ばれている。

ドイツ語圏の出版社は年間7億部を発行しており、出版タイトルは約8万で、その内6万が新刊である。ドイツ語書籍は英語圏市場や中華人民共和国に次ぐ第3位の市場規模を誇っている<ref>{{cite web|url=http://land-der-ideen.matrix.de/CDA/facts_printing,4563,0,,en.html|title=Land of ideas|publisher=Land-der-ideen.matrix.de|accessdate=19 March 2011}}</ref>。500年に及ぶ伝統を持つ[[フランクフルト・ブックフェア]]は国際取引市場で最も重要な書籍見本市である<ref>{{cite web | url = http://www.buyusa.gov/germany/en/bookfair2011.html | title = Frankfurt Book Fair 2011 | publisher= U.S. Commercial Service Germany | accessdate = 13 April 2011}}</ref>。2005年にはドイツ語長編小説を対象とする[[ドイツ書籍賞]]が創設された。
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[[ファイル:Deutscher_Idealismus.jpg|thumb|150px|ドイツ観念論の哲学者たち。カント(左上)、フィヒテ(右上)、シェリング(左下)、ヘーゲル(右下)]]
[[ファイル:Deutscher_Idealismus.jpg|thumb|150px|ドイツ観念論の哲学者たち。カント(左上)、フィヒテ(右上)、シェリング(左下)、ヘーゲル(右下)]]
{{Main|ドイツの哲学|:en:German philosophy}}
{{Main|ドイツの哲学|:en:German philosophy}}
ドイツ哲学は歴史的に重要である。とりわけ影響力があったものには[[合理主義哲学]]に対する[[ゴットフリート・ライプニッツ]]の貢献、[[イマヌエル・カント]]、[[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ]]、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]、[[フリードリヒ・シェリング]]による古典的[[ドイツ観念論]]の確立、[[アルトゥル・ショーペンハウアー]]の形而上学的厭世論の著作、[[カール・マルクス]]と[[フリードリヒ・エンゲルス]]による[[共産主義思想]]の理論化、[[フリードリヒ・ニーチェ]]による[[遠近法主義]]{{enlink|Perspectivism|en}}の展開、[[分析哲学]]黎明期における[[ゴットロープ・フレーゲ]]の功績、存在(Being)に関する[[マルティン・ハイデッガー]]の著作そして[[マックス・ホルクハイマー]]、[[テオドール・アドルノ]]、[[ヘルベルト・マルクーゼ]]、[[ユルゲン・ハーバーマス]]による[[フランクフルト学派]]の発展がある。21世紀においてドイツはフランス、オーストリア、スイスそしてスカンジナビア諸国とともにヨーロッパ大陸における現代分析哲学の発達に貢献してきた<ref>{{cite book|author=Searle, John|year=1987|title=The Blackwell Companion to Philosophy|chapter=Introduction|publisher=Wiley-Blackwell}}</ref>。

* [[超越論的哲学]]:[[カント]]
* [[ドイツ観念論]]:[[ヘーゲル]]、[[フィヒテ]]、[[シェリング]]
* [[生の哲学]]:[[ショーペンハウアー]]、[[ニーチェ]]
* [[現象学]]:[[フッサール]]、[[ハイデガー]]
* [[解釈学]]:[[ディルタイ]]、[[ガダマー]]
* [[フランクフルト学派]]:[[マックス・ホルクハイマー|ホルクハイマー]]、[[テオドール・アドルノ|アドルノ]]、[[ユルゲン・ハーバーマス|ハーバーマス]]
* その他[[マルティン・ルター|ルター]]、[[カール・マルクス|マルクス]]、[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]など[[哲学者]]名を参照。


=== 音楽 ===
=== 音楽 ===
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[[電子音楽]]、[[エレクトロニカ]]、[[サウンドアート]]なども盛んであり、[[坂本龍一]]とのコラボレーションでも知られる[[:de:Alva Noto|Alva Noto]]が主催するレーベル[[:de:Raster-Noton|Raster-Noton]]など注目度が高い。
[[電子音楽]]、[[エレクトロニカ]]、[[サウンドアート]]なども盛んであり、[[坂本龍一]]とのコラボレーションでも知られる[[:de:Alva Noto|Alva Noto]]が主催するレーベル[[:de:Raster-Noton|Raster-Noton]]など注目度が高い。


=== 映画 ===
=== 映画とテレビ ===
{{Main|ドイツの映画}}
{{Main|ドイツの映画}}
[[File:Berlinale2007.jpg|thumb|250px|ベルリン国際映画祭。2007年。]]
1920年代、ヨーロッパで制作された映画の半分はドイツ映画であったが、敗戦後の米国の占領政策の影響もあり、隣国フランスや米国ほど盛んとは言い難い。しかしながら2003年に公開された『[[グッバイ、レーニン!]]』は、ドイツ統一をテーマにすえた作品として[[ベルリン国際映画祭]]で最優秀ヨーロッパ映画賞を受賞し、注目を集めた。
[[ドイツの映画|ドイツ映画]]は草創期の[[マックス・スクラダノフスキー]]{{enlink|Max Skladanowsky|en}}に遡り<ref>{{cite web|url=http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E6%98%A0%E7%94%BB/|title=ドイツ映画|publisher=日本大百科全書(小学館)|accessdate=2011年7月14日}}</ref>、[[ロベルト・ウィーネ]]{{enlink|Robert Wiene|en}}や[[フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ]]{{enlink|Friedrich Wilhelm Murnau|en}}といった[[ドイツ表現主義|ドイツ表現主義映画]]が影響力を持っていた<ref>{{cite web|url=http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E6%98%A0%E7%94%BB/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3//|title=ドイツ映画 - ワイマール共和国時代|publisher=日本大百科全書(小学館)|accessdate=2011年7月14日}}</ref>。1927年には[[フリッツ・ラング]]監督によるSF映画の先駆たる大作『[[メトロポリス (1927年の映画)|メトロポリス]]』が公開された<ref>[[#池内(1992)|池内(1992)]],pp.263-264.</ref>。1930年に公開されたオーストリア系アメリカ人の[[ジョセフ・フォン・スタンバーグ]]監督『[[嘆きの天使]]』がドイツ初の大作[[トーキー|トーキー映画]]である<ref>{{Cite book |last= Bordwell |first= David |authorlink= David Bordwell |coauthors= Thompson, Kristin |title= Film History: An Introduction |origyear= 1994 |edition= 2nd |year= 2003 |publisher=McGraw-Hill |isbn= 978-0-07-115141-2 |page= 204 |chapter= The Introduction of Sound}}</ref>。1970年代から80年代にかけて、[[フォルカー・シュレンドルフ]]、[[ヴェルナー・ヘルツォーク]]、[[ヴィム・ヴェンダース]]、[[ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー]]といった[[ニュー・ジャーマン・シネマ]]監督たちが西ドイツ映画を国際的な舞台へと押し上げた<ref>{{cite web|url=http://www.fassbinderfoundation.de/node.php/en/home|title=Rainer Werner Fassbinder|publisher=Fassbinder Foundation|accessdate=28 March 2011}}</ref>。毎年の[[ヨーロッパ映画賞]]は隔年で[[ヨーロピアン・フィルム・アカデミー]](EFA)の本部のあるドイツで開催される。1951年以来、毎年開催される[[ベルリン国際映画祭]]は世界で最も重要な映画祭の一つである<ref>{{cite web|url=http://www.fiapf.org/pdf/2006accreditedFestivalsDirectory.pdf |title=2006 FIAPF accredited Festivals Directory|publisher=International Federation of Film Producers Associations|accessdate=28 March 2011}}</ref>。

近年では『[[グッバイ、レーニン!]]』(''Good Bye, Lenin!'';2003年)、『[[愛より強く]]』(''Gegen die Wand'';2004年)、『[[ヒトラー 〜最期の12日間〜]]』(''Der Untergang'';2004年)、『[[バーダー・マインホフ 理想の果てに]]』(''Der Baader Meinhof Komplex'';2008年)が国際的な成功を収めている。また、1979年に『[[ブリキの太鼓]]』(''Die Blechtrommel'')、2002年に『[[名もなきアフリカの地で]]』(''Nirgendwo in Afrika'')、2007年に『[[善き人のためのソナタ]]』(''Das Leben der Anderen'')が[[アカデミー外国語映画賞]]を受賞している<ref>{{cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0405094/awards|title=Awards:Das Leben der Anderen|publisher=IMDb|accessdate=28 March 2011}}</ref> 。

3400万世帯のドイツのテレビ市場はヨーロッパ最大であり、ドイツ世帯の90%が[[ケーブルテレビ]]または[[衛星放送]]を視聴している<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/country_profiles/1047864.stm |title=Country profile: Germany |work=BBC News |accessdate=28 March 2011}}</ref>。


=== 食文化 ===
=== 食文化 ===
{{Main|ドイツ料理}}
{{Main|ドイツ料理}}
[[ファイル:Choucroute.jpg|thumb|200px|[[ザワークラウト]]とヴルストを中心としたドイツ料理]]
[[ファイル:Choucroute.jpg|thumb|200px|[[ザワークラウト]]とヴルストを中心としたドイツ料理]]
[[ソーセージ]] (Wurst) 、[[ハム]] (Schinken) 、[[チーズ]] (Käse) などの冷製食品・カルトエッセン(Kalt essen; 火を通さない食事)など地域ごと特色がある。
よく知られている[[ソーセージ]] (''Wurst'') 、[[ハム]] (''Schinken'') 、[[チーズ]] (''Käse'') などの冷製食品・カルトエッセン(''Kalt essen''; 火を通さない食事)の他塩漬け肉[[アイスバイン]](''Eisbein'')、キャベツ漬物[[ザワークラウト]](''Sauerkraut'')、肉や魚の団子[[クネーデル]](''Knödel'')などがある。


[[ビール]]は16歳以上(保護者同伴ならば14歳から)の国民が飲める[[アルコール飲料]]である(ただし、フランクフルトなど地方によってはリンゴのワインの方が人気)。
[[ビール]]は16歳以上(保護者同伴ならば14歳から)の国民が飲める[[アルコール飲料]]である(ただし、フランクフルトなど地方によってはリンゴのワインの方が人気)。[[ミュンヘン]]の[[オクトーバー・フェスト]]は世界最大のビール祭りだといわれる。[[ドイツのワイン]]は[[白ワイン]]が主体。かつてはリースリング種をつかった甘口のワインが多かったが、食生活の変化に伴い辛口の白ワインや赤ワインが生産・消費ともに増加している。[[蒸留酒]]は18歳以上の国民が飲む事が出来る
[[ミュンヘン]]の[[オクトーバー・フェスト]]は世界最大のビール祭りだといわれる。


ドイツ料理は地域ごとに特色があり、バイエルンやシュバーヴェンといった南部はスイスやオーストリアと食文化が共通している。全ての地域で肉はしばしばソーセージのかたちで食べられる<ref>{{cite web | url = http://www.foodfromgermany.org/consumer/facts/guidetosausages.cfm | title = Guide to German Sausages & Meat Products | publisher = German Foods North America | accessdate = 11 May 2011}}</ref>。[[有機農産物]]が市場の約2%を占めており、今後も増加する見込みである<ref>{{cite web | url = http://www.fao.org/organicag/display/work/display_2.asp?country=DEU&lang=en&disp=summaries | title =Germany Country Profiles for Organic Agriculture | publisher= Food and Agriculture Organization | accessdate = 6 May 2011}}</ref>。ドイツの多くの部分でワインが親しまれているが、国民的酒類はビールである。ドイツ人のビール消費量は減少傾向にあるが、依然として年間一人当たり116リットルが消費されており、世界最大である<ref>{{cite web|url=http://www.royalunibrew.com/Default.aspx?ID=266|title=Europe's largest beer market 2006|publisher=Royal Unibrew|accessdate=28 March 2011}}</ref>。[[ミシュランガイド]]は9件のレストランに三つ星を、15件に二つ星をつけている<ref>{{cite news | url = http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2914502,00.html | title = Schnitzel Outcooks Spaghetti in Michelin Guide | work = Deutsche Welle | location = Bonn | accessdate = 28 March 2011 | date = 15 November 2007}}</ref>。ドイツのレストランはフランスに次いで世界で二番目に賞を受けている<ref>{{cite news | url = http://in.reuters.com/article/2007/11/14/us-germany-food-idINL1447732320071114 | title = German cuisine beats Italy, Spain in gourmet stars | work = Reuters | accessdate = 19 March 2011 | date = 28 March 2011}}</ref>。
・[[ドイツのワイン]]は[[白ワイン]]が主体。かつてはリースリング種をつかった甘口のワインが多かったが、食生活の変化に伴い辛口の白ワインや赤ワインが生産・消費ともに増加している。

・[[蒸留酒]]は18歳以上の国民が飲む事が出来る。


=== 世界遺産 ===
=== 世界遺産 ===
{{main|ドイツの世界遺産}}
ドイツ国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が29件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が1件存在する。さらにポーランド、イギリスにまたがって2件の文化遺産、オランダにまたがって1件の自然遺産が登録されている。イタリア、スペイン、中国、フランスに次ぐ5番目の登録件数である。詳細は[[ドイツの世界遺産]]を参照。
ドイツ国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が29件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が1件存在する。さらにポーランド、イギリスにまたがって2件の文化遺産、オランダにまたがって1件の自然遺産が登録されている。イタリア、スペイン、中国、フランスに次ぐ5番目の登録件数である。

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=== 著名な出身者 ===
ファイル:Aachen Cathedral North View at Evening.jpg|[[アーヘン大聖堂]]<br>1978年文化遺産登録
{{Main|ドイツ人の一覧}}
ファイル:2004-06-27-Germany-Wuerzburg-Lutz Marten-Residenz side view 1.jpg|[[ヴュルツブルクのレジデンツ|ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場]]<br>1981年文化遺産登録
ファイル:0 Dom Speyer Suedwest.jpg|[[シュパイアー大聖堂]]<br>1981年文化遺産登録
ファイル:Berlin GS Siemensstadt Panzerkreuzer.jpg|[[ベルリンのモダニズム集合住宅群]]<br>2008年文化遺産登録
ファイル:Grube Messel fg04.jpg|[[メッセル採掘場|メッセル採掘場の化石発掘現場]]<br>1995年自然遺産登録
</gallery>


== スポーツ ==
== スポーツ ==
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古くから[[自動車]]産業が盛んなことから[[モータースポーツ]]の伝統国の1つとして知られ、1950年代までグランプリレースなどを席巻した[[メルセデス・ベンツ]]、1980年代を中心にスポーツカーの分野で数度のチャンピオンを獲得し、[[ル・マン24時間レース]]においては最多勝を誇る[[ポルシェ]](近年では[[アウディ]])、1960年代から2000年代にかけ[[ヨーロッパツーリングカー選手権]](ETCC)で最多勝(18勝)を挙げるなど[[ツーリングカー]]の分野において圧倒的な強さを持つ[[BMW]]の4社を筆頭に、自動車会社各社が目覚しい記録を残している。
古くから[[自動車]]産業が盛んなことから[[モータースポーツ]]の伝統国の1つとして知られ、1950年代までグランプリレースなどを席巻した[[メルセデス・ベンツ]]、1980年代を中心にスポーツカーの分野で数度のチャンピオンを獲得し、[[ル・マン24時間レース]]においては最多勝を誇る[[ポルシェ]](近年では[[アウディ]])、1960年代から2000年代にかけ[[ヨーロッパツーリングカー選手権]](ETCC)で最多勝(18勝)を挙げるなど[[ツーリングカー]]の分野において圧倒的な強さを持つ[[BMW]]の4社を筆頭に、自動車会社各社が目覚しい記録を残している。


[[フォーミュラ1|F1]]ドライバーの[[ミハエル・シューマッハ]]、[[セバスチャン・ベッテル]]や[[ドイツツーリングカー選手権|DTM]]の[[ベルント・シュナイダー (レーサー)|ベルント・シュナイダー]]を筆頭に優秀な[[レーシングドライバー]]を数多く輩出している国でもある。特に近年では多数のF1ドライバーを輩出している。また世界的に有名な難関コースを持つ[[サーキット]]・[[ニュルブルクリンク]]があるのドイツである。
[[フォーミュラ1|F1]]ドライバーの[[ミハエル・シューマッハ]]、[[セバスチャン・ベッテル]]や[[ドイツツーリングカー選手権|DTM]]の[[ベルント・シュナイダー (レーサー)|ベルント・シュナイダー]]を筆頭に優秀な[[レーシングドライバー]]を数多く輩出している国でもある。特に近年では多数のF1ドライバーを輩出している。また世界的に有名な難関コースを持つ[[サーキット]]・[[ニュルブルクリンク]]があるのドイツである。

=== オリンピック ===
[[近代オリンピック]]において歴代ドイツ選手団は優秀な成績を収めており、[[近代オリンピックでの国・地域別メダル総獲得数一覧|獲得メダル数]]は旧東西ドイツ時代を含めると世界第3位となる。[[北京オリンピック|2008年夏季オリンピック]]においてドイツはメダル獲得数第5位であったが<ref>{{cite web | url = http://www.olympic.org/medallists-results?athletename=&category=343488&games=1333952&sport=&event=&mengender=false&womengender=false&mixedgender=false&teamclassification=false&individualclassification=false&continent=&country=&goldmedal=true&silvermedal=true&bronzemedal=true&worldrecord=false&olympicrecord=false&targetresults=true | title = Beijing 2008 Medal Table | publisher=International Olympic Committee | accessdate = 19 March 2011}}</ref>、[[北京オリンピック|2006年冬季オリンピック]]では第1位である<ref>{{cite web | url = http://www.olympic.org/medallists-results?athletename=&category=343486&games=1334152&sport=&event=&mengender=false&womengender=false&mixedgender=false&teamclassification=false&individualclassification=false&continent=&country=&goldmedal=true&silvermedal=true&bronzemedal=true&worldrecord=false&olympicrecord=false&targetresults=true&sortorder=medal&sortorder=country | title = Turin 2006 Medal Table | publisher=International Olympic Committee | accessdate = 19 March 2011}}</ref>。ドイツは夏季オリンピックを1936年の[[ベルリンオリンピック]]と1972年の[[ミュンヘンオリンピック]]の2回主催しており、冬季オリンピックは1936年に[[ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック]]を主催している。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*『[http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/jp/head-navi/home.html ドイツの実情 2010/2011]』-ドイツ政府刊行物のオンライン版、編集:Frankfurter Societäts-Medien GmbH, Frankfurt am Main
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*{{Cite book|和書|author=|translator=|editor=[[池内紀]](監修)|year=1992|title=ドイツ|series=読んで旅する世界の歴史と文化|publisher=[[新潮社]]|isbn=978-4106018336|ref=池内(1992)}}


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* [[ナチス・ドイツ]]
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* [[ドイツ観光街道]]
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* [[ドイツ植民地帝国]]
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* [[ナチス・ドイツ]]
* [[ドイツ再統一]]
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== 外部リンク ==
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2011年7月15日 (金) 14:14時点における版

ドイツ連邦共和国
Bundesrepublik Deutschland
ドイツの国旗 ドイツの国章
国旗 国章
国の標語:Einigkeit und Recht und Freiheit
(ドイツ語: 統一と正義と自由)
国歌ドイツの歌
ドイツの位置
公用語 ドイツ語[1]
首都 ベルリン
最大の都市 ベルリン
政府
大統領 クリスティアン・ヴルフ
首相 アンゲラ・メルケル
面積
総計 357,021km261位
水面積率 2.2%
人口
総計(2010年 81,750,000人(16位
人口密度 231人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 2兆4,920億[2]ユーロ (€)
GDP(MER
合計(2008年3兆6,675億[2]ドル(4位
1人あたり xxxドル
GDP(PPP
合計(2008年2兆9,104億[2]ドル(5位
1人あたり 35,441[2]ドル
形成
統一(ドイツ帝国)
連邦共和国成立
東西再統一
843年
1871年
1949年5月23日
1990年10月3日
通貨 ユーロ (€)(EUR[3][4]
時間帯 UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1 DE / DEU
ccTLD .de
国際電話番号 49
  1. ^ デンマーク語ソルブ語は公認され、少数言語として保護されている。低ザクセン語欧州連合により保護されている。
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics2009年4月27日閲覧)
  3. ^ 1999年以前はドイツマルクを使用。
  4. ^ ドイツのユーロ硬貨も参照。

ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、ドイツ語: Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツは、ヨーロッパ中部に位置する連邦共和制国家である。首都はベルリン。北はデンマーク、東はポーランドチェコ、南はオーストリアスイス、西はフランスルクセンブルクベルギーオランダと国境を接する。また、北部は、北西側が北海、北東側はバルト海に面する。

領域は1990年ドイツ再統一によって、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)を構成していた15県および東ベルリンが6州としてドイツ連邦共和国(西ドイツ)に編入されて、現在の16州となった。2008年まで6年連続で世界最大を誇った輸出額は中華人民共和国に抜かれたものの、なお工業製品輸出額、貿易黒字額、海外旅行客数(送り出し側)などで世界一であり、アメリカ合衆国中華人民共和国日本に次いで世界第4位(為替レート換算値による)のGDPを誇る経済大国である。世界の先進7ヶ国 (G7) の一つ。フランスと並ぶ欧州連合 (EU) の中核国である。

また、世界で初めて公的年金、保険制度を導入した国であり、日本など多くの諸外国が規範としている。医学をはじめとして化学、数学、物理学などの自然科学分野、哲学、文学、演劇などでも高い実績を築いてきたが、中でも18世紀後半以降の音楽史では同系国家であったオーストリア(1866年まではドイツ連邦議長国)とともに独占的ともいえる地位を築き、今日もヨーロッパの歌劇場の過半数[1]、全世界のオーケストラの1/4以上[2]がドイツにあるといわれる。また、非英語圏では群を抜いて多くのノーベル賞受賞者を輩出している。

国名

ドイツ語での正式名称は、Bundesrepublik Deutschlandブンデスレプブリーク・ドイチュラント)。通称は Deutschlandドイチュラント)、略称は BRDBund は「連邦」の、Republik は「共和国」の意である。Deutsch の原義は「民衆、大衆」で、フランク王国時代にラテン系言語ではなく、ゲルマン系の語を用いるゲルマン人系一般大衆をこう呼んだことに由来する。

英語表記は Federal Republic of Germanyフェデラル・リパブリク・オヴ・ジャーマニ)。通称は Germanyジャーマニ)。略称は FRG 。Germany はゲルマンから来ている。

日本語表記はドイツ連邦共和国。通称はドイツ独逸獨乙などと表記され、(獨)と略される。中国語では徳意志徳国となる。ドイツは原語、若しくはオランダ語の Duits が起源だといわれている。

フランスやスペイン、ポルトガルではそれぞれ Allemagne(アルマーニュ)、Alemania(アレマニア)、Alemanha(アレマーニャ)と呼ばれるが、これはゲルマン人の一派であるアレマン人に由来する。

歴史

ドイツの歴史
ドイツの国章
東フランク王国
神聖ローマ帝国
プロイセン王国 ライン同盟諸国
ドイツ連邦
北ドイツ連邦 南部諸国
ドイツ帝国
ヴァイマル共和政
ナチス・ドイツ
連合軍軍政期
ドイツ民主共和国
(東ドイツ)
ドイツ連邦共和国
(西ドイツ)
ドイツ連邦共和国

現在のドイツを含む西ヨーロッパ地域に人類が居住を始めたのは石器などが発見された地層から約70万年前と考えられている。60万年から55万年前の地層ではハイデルベルク原人の化石が、4万年前の地層ではネアンデルタール人の化石が確認されている。新人は約35000年前から現れ、紀元前4000年頃の巨石文明を経て紀元前1800年頃までに青銅器文明に移行している。紀元前1000年頃にはケルト系民族によってドナウ川流域にハルシュタット文明と呼ばれる鉄器文明が栄えた。

紀元前58年から51年までのガイウス・ユリウス・カエサルガリア遠征などを経てゲルマン人は傭兵や農民としてローマ帝国に溶け込んで行き、紀元後375年には西ゴート族の移動を初めとする大移動によって現在のヨーロッパに定着する。西ローマ帝国の滅亡後、ケルト系民族を北方に追いやったゲルマン人は各地に王国を建てたが、フランク王国が統一した。843年ヴェルダン条約によって三分割されたうちの1つである東フランク王国が現在のドイツの原型となった。

東フランク王国の国王オットー1世ザクセン朝)は962年アウグストゥス(古代ローマ帝国皇帝の称号)を得て、いわゆる神聖ローマ帝国と呼ばれるゆるやかな連合体を形成した。しかし中世におけるドイツには国家としての統一や民族意識はほとんどなく、各地に領邦国家が分立した歴史は現在に続く連邦主義の基盤となっている。各領邦は近隣諸国に比べて弱体で、また宗教改革では新旧両教に分かれて互いに争ったため三十年戦争ではドイツのほとんど全土が徹底的に破壊された。1600万人いたドイツの人口が戦火によって600万人に減少したと言われる。それまで国名にドイツが冠されていなかったが、15世紀からは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation」と称し、対ドイツ搾取的な教皇サイドからの自立の姿勢を示した。1667年ザミュエル・フォン・プーフェンドルフ (de:Samuel von Pufendorf) が著した書ドイツ帝国憲法について (Über die Verfassung des deutschen Reiches) において初めて、ドイツ帝国という呼称が確定できる。

西南部のシュヴァーベン地方のホーエンツォレルン城一帯出身の東北部のプロイセン領邦君主ホーエンツォレルン家17世紀半ばから勢力を拡大し、1701年にはプロイセン王国を形成した。ドイツ人はナポレオンによる侵略を経て民族意識と統一国家への志向を強め、19世紀前半にはプロイセンに主導的な役割を期待する機運が高まった。分裂国家ドイツの中でも比較的強い中央集権国家であったプロイセンをリーダーとしてドイツの統合が進められてゆく。1806年まで神聖ローマ皇帝位を世襲していたオーストリア(その後はドイツ連邦議長国)は、ハンガリーやチェコなど非ドイツ人地域を多く領有するため、「大ドイツ主義」派(オーストリアから非ドイツ人地域を分離させたうえで統一ドイツの中心とする)にも与することができなかった。オーストリアの主張は、旧神聖ローマ帝国版図を軸とした多民族国家の支配権をドイツ人が握る中欧帝国構想と呼ばれるもので、これは国民国家の潮流に反するため多くの支持を得ることはできなかった。「小ドイツ主義」派のホーエンツォレルン家とオーストリアのハプスブルク家はドイツ統一の役割を争ったが、1871年、プロイセン国王ヴィルヘルム1世の戴冠によってドイツは、ドイツ系オーストリアを除く、小ドイツとしてのドイツ国ドイツ帝国)として統一され、ベルリンを首都とした。

1918年第一次世界大戦の敗北によってドイツは共和制に移行したが、ヴァイマル共和政は小党乱立により政局は不安定で、驚異的なインフレなど経て1931年には、アドルフ・ヒトラーの指導下で極右的民族主義ユダヤ人の排斥、再軍備を唱える国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)が選挙で国民からの支持を受け1933年に政権を握ると、ナチス・ドイツとなり、軍事力の増強や周辺諸国の併合などを行った。1939年9月に緊張関係にあった隣国ポーランドと開戦し、第二次世界大戦が始まった。

1945年、第二次世界大戦に敗北したドイツはオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンシュレジェン地域を領土として完全に喪失。これにより、戦前の領土の25%を失うこととなった。さらにはアメリカイギリスフランスソビエト連邦の四カ国に分割占領され、1949年ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国西ドイツ)とベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国東ドイツ)に分裂した。冷戦の時代を通じて東西ドイツは資本主義共産主義が対立する最前線となったが、1989年ソビエト連邦のペレストロイカに端を発した東ドイツの民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊し、翌1990年再統一を達成し、再びベルリンを首都と定めた。以降、旧東ベルリンを中心とするベルリンの再開発・インフラ整備と、ボンからベルリンへの連邦政府機関移転による実質的な首都機能移転が順次進められ、2001年5月2日にベルリンへの首都機能移転が完了した。

ドイツは現在ではヨーロッパで最大の国家のひとつとなっているが、長期間の分裂を原因とする東西の経済格差がそれまでの順調な成長を妨げている。一方で、歴史的に統一されたドイツが周辺諸国に対して脅威となってきた問題を懸念する見方もあったが、反対に米ソによってドイツが冷戦後の強国の一つになることを容認されたとの分析もある。実際、統一ドイツはフランスと共に欧州連合の中核国として発言力を増し続けている。近年のユーロ危機では、競争力の高いドイツが域内から黒字を吸い上げる一人勝ち構造が批判されるとともに、これまで合理化に耐えてきた国民からは援助支出への不満の声が高まるなど政府は難しい舵取りを迫られている。

地理

ドイツは西欧および中欧に属し[3]、北にデンマーク、東にポーランドとチェコ、南にオーストリアとスイス、南西にフランスとルクセンブルク、そして北西にベルギーとオランダと各々国境を接しており、国土はおおよそ北緯47°から55°(ジルト島 (enの北端が丁度55°)、東経5°から16°の範囲に位置している。総面積は357,021 km2 (137,847 sq mi)に及び、領土349,223 km2 (134,836 sq mi) 、領海7,798 km2 (3,011 sq mi) から成る。この面積はヨーロッパ第7位、世界第62位である[4]

標高は南部のアルプス山脈最高峰ツークシュピッツェの2,962メートル (9,718 ft)*から、北西部の北海(Nordsee)および北東部のバルト海(Ostsee)海岸に及ぶ。中位山地、北ドイツ低地(最低地点はヴィルシュターマールシュ (enの海抜3.54メートル (11.6 ft)*)にはライン川ドナウ川そしてエルベ川が流れている。

主な天然資源は、鉄鉱石、石炭、炭酸カリウム、木材、褐炭ウラン、銅、天然ガス、塩、ニッケル、可耕地と水である[4]

地形図

ドイツの地形は北から南へ、大きく5つの地域に分けられる。北ドイツ低地、中部山岳地帯、南西ドイツ中部山岳階段状地域、南ドイツアルプス前縁地帯、バイエルン・アルプスである。

北ドイツ低地は全体的に標高100m以下の平坦な地域で、エルベ川などの川沿いにはリューネブルクハイデと呼ばれる大きな丘陵地がある。バルト海沿岸は平坦な砂浜や、断崖をなす岩石海岸となっている。中部山岳地帯は、おおよそ北はハノーファーの辺りから南はマイン川におよぶ地域で、ドイツの西部と中部に広がり、ドイツを南北に分けている。地形的に峡谷や低い山々、盆地など変化にとんでおり、山地としては西部のアイフェル丘陵とフンスリュック山地、中央部のハルツ山地、東部のエルツ山脈がある。南西ドイツ中部山岳階段状地域にはオーデンヴァルトや、ドイツ語で「黒い森」を意味するシュヴァルツヴァルトの標高1000mを超える広大な森林がある。アルプスはドイツ国内ではもっとも標高が高い地域で、南部の丘陵や大きな湖の多いシュヴァーベン=バイルン高原に加えて、広大な堆石平野とウンターバイエルン丘陵地、そしてドナウ低地を包括している。ここにはアルプスの山々に囲まれた絵のように美しい数々の湖や観光地があり、オーストリアとの国境地帯にはドイツの最高峰ツークシュピッツェ(標高2962m)がそびえ立つ。

ドイツにおける火山活動は先カンブリア代に収束している。先カンブリア代末から始まったカレドニア変動や、後期古生代におこったバリスカン(ヘルシニアン)変動はいずれも主要活動帯がドイツを横切っているものの、地表には痕跡が残っていない。バリスカン変動は2000kmにおよぶ規模の大陸間の変動であった。現在のドイツの地形を決定したのは新生代における褶曲運動である。アルプス変動帯の活動により、最南部は標高1200mにいたるまで隆起した。ドイツにおけるアルプス変動帯は東アルプスと呼ばれている。同時に西部フランス国境に近いライン川に相当する位置に、ライン地溝を形成する。ライン地溝は、約500kmに渡って南北に伸びる。

ドイツ北部(北ヨーロッパ平野)の地表は氷河地形の典型例である。最終氷期においては北緯51度線に至るまで氷河が発達し、ヨーロッパを横切る数千km規模の末端堆石堤を残した。その100から200kmの海岸線方面にはモレーンが残る。末端堆石堤とモレーンの北側にそっていずれも氷食性のレスが堆積し、農業に適した肥沃な土壌が広がる。いっぽう、モレーンの南側は土地が痩せている。ドイツに残る長大な河川はいずれも最終氷期の河川に由来するが、ポーランドのヴィスワ川、ポーランド国境に伸びるオーデル川エルベ川、ドイツ西部のヴェーザー川が互いに連結し、網目状の流路を形成するなど、現在とは異なる水系が広がっていた。

気候

ドイツの大部分は温暖な偏西風とメキシコ湾流の北延である北大西洋海流の暖流によって比較的温和である[5]。温かい海流が北海に隣接する地域に影響を与え、北西部および北部の気候は海洋性気候となっている。降雨は年間を通してあり、特に夏季に多い。冬季は温暖で夏季は(30℃を越えることもあるが)冷涼になる傾向がある[6][7]

東部はより大陸性気候的で、冬季はやや寒冷になる[5][7]。そして長い乾期がしばしば発生する。中部および南ドイツは過渡的な地域で、海洋性から大陸性まで様々である。国土の大部分を占める海洋性および大陸性気候に加えて、南端にあるアルプス地方と中央ドイツ高地の幾つかの地域は低温と多い降水量に特徴づけられる[6]

自然

イヌワシは保護猛禽類であり、国章に用いられている

ドイツは「ヨーロッパの地中海沿岸部山地混交林」と「大西洋北東部大陸棚海域」の二つの生態系ブロックに分けられる[8]。2008年時点ではドイツの過半が耕地(34%)と森林・疎林(30.1%)に占められており、13.4% が放牧地で11.8%が定住地・道路となっている[9]

動植物は中央ヨーロッパにおいて一般的なものである。ブナ、カシ、およびその他の落葉樹が森林の3分の1を構成しており、また針葉樹が植林の結果、増加傾向にある。トウヒとモミの木が高地山脈を占めている一方で松やカラマツを砂質土で見い出せる。シダ、花、菌類、そしてコケの多くの種がある。野生動物にはシカ、イノシシ、ムフロン、狐、アナグマ、ノウサギ、そして少数のビーバーが含まれている[10]

ドイツにはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン干潟国立公園Nationalpark Schleswig-Holsteinisches Wattenmeer)、ヤスムント国立公園Nationalpark Jasmund)、フォルボンマーシェボッデンラントシャフト国立公園Nationalpark Vorpommersche Boddenlandschaft)、ミューリッツ国立公園Müritz-Nationalpark)、下オーデル谷国立公園 (Nationalpark Unteres Odertal)、ホッホハルツ国立公園Nationalpark Harz)、ゼヒジッシェ・シュヴァイツ国立公園Nationalpark Sächsische Schweiz)、バイエリッシェ・ヴァルト国立公園Nationalpark Bayerischer Wald)などの国立公園がある。ドイツ国内では400以上の動物園が運営されており、世界最多とされる[11]ベルリン動物園はドイツ最古の動物園であり、ここには世界で最も多くの動植物種が収集されている[12]

地方行政区分

ドイツには16の連邦州がある。ベルリンハンブルクは都市州と呼ばれ、各々単独で連邦州を形成する。ブレーメンブレーマーハーフェンも合わせて都市州となる。

名称 人口(人) 州都/主府/本部 備考
バーデン=ヴュルテンベルク州
Baden-Württemberg
10,717,419 シュトゥットガルト
Stuttgart
バイエルン自由州
Freistaat Bayern
12,443,893 ミュンヘン
München
ベルリン
Berlin
3,387,828
ブランデンブルク州
Brandenburg
2,567,704 ポツダム
Potsdam
自由ハンザ都市ブレーメン
Freie Hansestadt Bremen
663,213 ブレーメン
Bremen
自由ハンザ都市ハンブルク
Freie und Hansestadt Hamburg
1,734,830
ヘッセン州
Hessen
6,097,765 ヴィースバーデン
Wiesbaden
メクレンブルク=フォアポンメルン州
Mecklenburg-Vorpommern
1,719,653 シュヴェリーン
Schwerin
ニーダーザクセン州
Niedersachsen
8,000,909 ハノーファー
Hannover
ノルトライン=ヴェストファーレン州
Nordrhein-Westfalen
18,075,352 デュッセルドルフ
Düsseldorf
ラインラント=プファルツ州
Rheinland-Pfalz
4,061,105 マインツ
Mainz
ザールラント州
Saarland
1,056,417 ザールブリュッケン
Saarbrücken
ザクセン自由州
Freistaat Sachsen
4,296,284 ドレスデン
Dresden
ザクセン=アンハルト州
Sachsen-Anhalt
2,494,437 マクデブルク
Magdeburg
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州
Schleswig-Holstein
2,828,760 キール
Kiel
テューリンゲン自由州
Freistaat Thüringen
2,355,280 エアフルト
Erfurt

主要都市

ドイツは地方分権の歴史が長いため、ロンドンパリ東京の様な首都への一極集中はしていない。人口は2008年のデータを使用。

ベルリン
都市 人口
1 ベルリン 3,431,675
2 ハンブルク 1,772,100
3 ミュンヘン バイエルン州 1,326,807
4 ケルン ノルトライン=ヴェストファーレン州 995,420
5 フランクフルト・アム・マイン ヘッセン州 664,838
6 シュトゥットガルト バーデン=ヴュルテンベルク州 600,068
7 ドルトムント ノルトライン=ヴェストファーレン州 584,412
8 デュッセルドルフ 584,217
9 エッセン 579,759
10 ブレーメン ブレーメン州 547,360

政治

国会議事堂Reichstag
クリスティアン・ヴルフ連邦大統領(任期2007年-:左)とアンゲラ・メルケル首相(任期:2005-:右)

ドイツは連邦制議院内閣制代表民主制の共和国である。ドイツの政治システムは1949年に発効されたドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz)の枠組みに基づいて運営されている。基本法改正には両院の2/3の賛成を必要としており、 このうち「人間の尊厳の保証」「権力の分割」「連邦制」そして「法による支配」といった基本法諸原則は「永久化」され侵害は許されない[13][14]

連邦大統領Bundespräsident)は国家元首であり、主に儀礼的な権能のみが与えられている[15]。大統領は任期5年で、連邦議会議員と各州議会代表とで構成される連邦会議によって選出される。大統領は連邦議会の解散権を有する[16]

大統領に次ぐ序列は連邦議会議長Bundestagspräsident)であり、連邦議会によって選出され、議会運営の監督責任を持つ。

序列第三位であり政府首脳となる地位が首相Bundeskanzler)であり、連邦議会で選出された後に、議長によって任命される[17]。首相は任期4年で、行政府の長として行政権を執行する。内閣の閣僚は首相の指名に基づき、大統領が任命する。

連邦の立法権連邦議会Bundestag)と連邦参議院Bundesrat)が有し、この両院で立法府を構成する。連邦議会議員は小選挙区比例代表併用制による直接選挙によって選ばれ[4]、598議席[18](ただし選挙制度の関係で超過議席(en)が出るため、選挙のたびに実際の議席数は変わり、2011年現在は622議席[19])で任期4年。連邦参議院議員は69議席で16州政府の代表であり、また州政府内閣の閣僚でもある[17]

1949年以降、政党政治はドイツキリスト教民主同盟ドイツ社会民主党によって占められており、歴代首相はいずれかの政党の所属議員である。しかしながら、選挙制度の関係で単独政権は稀であり、通常は連立政権が組まれる[20]。近年では中道自由主義の自由民主党(1949年以来、連邦議会に議席を有している)や環境政党同盟90/緑の党(1983年以降に議席を有する)も重要な役割を果たすようになっている[21]

ドイツはゲルマン法の要素を加えたローマ法を基礎とする大陸法を採用している。連邦憲法裁判所Bundesverfassungsgericht)は違憲審査権を有する憲法に関する事項の最高裁判所である[17][22][23]Oberste Gerichtshöfe des Bundesと呼ばれるドイツの最高裁判所制度は専門化がなされており、民事および刑事に関する裁判所は連邦通常裁判所、それ以外の事項に関しては連邦労働裁判所連邦社会裁判所連邦財政裁判所連邦行政裁判所がある[15]国際刑法典Völkerstrafgesetzbuch)は人道に対する罪ジェノサイドそして戦争犯罪について規定しており、幾つかの状況においてドイツの裁判所に対して普遍的管轄権 (enを与えている[24]。刑法と民法は刑法典Strafgesetzbuch)とドイツ民法Bürgerliches Gesetzbuch)に成文化されている。ドイツの刑法制度は犯罪者の更生と一般大衆の保護を主眼としている[25]

軍事

ドイツ連邦軍の国籍マーク

ドイツ連邦軍(Bundeswehr)は陸軍(Heer)、海軍Marine)、空軍Luftwaffe )、救護業務軍Zentraler Sanitätsdienst) そして戦力基盤軍 (Streitkräftebasis) に分けられる。2005年時点においてドイツの軍事支出はGDP比1.5%で対GDP比としては世界99位だが[4]、軍事費自体は世界第8位である[26]。平時において連邦軍は国防大臣の指揮下に置かれる。ドイツが戦時に入れば(基本法は自衛のみを容認している)、首相が連邦軍の総司令官となる[27]

2011年5月現在、ドイツ連邦軍は職業軍人188,000と兵役最低6ヶ月の18-25歳からなる徴集兵31,000を擁している[28]。ドイツ政府は職業軍人170,000、短期志願兵15,000へ縮小することを計画している[29]。各軍には予備役兵がおり、軍事訓練や海外派兵に参加している。予備役の将来の兵力や機能に関する新たなコンセプトが2011年に発表された[29]

ドイツ連邦軍と国境警備隊が国防を担っている他、相互防衛条約に基づき6万強の米軍が駐留している。ドイツは欧州連合及びNATOの主要構成国であり、ロシアなど東方諸国を主たる仮想敵国としてきた。時代の移り変わりとともに、政府は連邦軍の主任務を、従来の国土防衛から「国際紛争への対処」に移行させる方針を発表。内容としては、2010年までに紛争地においてNATO即応部隊などに参加する「介入軍」、平和維持活動にあたる「安定化軍」、両軍の後方支援を担当する「支援軍」の3つに再編成するものである。

2011年現在、ドイツ兵約6,900人が国際平和維持活動に参加して国外に駐留しており、この中にはNATO主導の国際治安支援部隊(ISAF)に参加してアフガニスタンウズベキスタンに駐留する4,900人、コソボ駐留の1,150人、国際連合レバノン暫定駐留軍の300人が含まれる[30]

2011年まで、ドイツには18歳以上の男性に対する徴兵制度が存在しており、6ヶ月の兵役期間が課せられていた。良心的兵役拒否者は同期間の民間役務 (Zivildienstと呼ばれる老人介護や障害者支援などの社会奉仕活動、または消防団赤十字に対する6年間のボランティア活動を選択することができた。兵役拒否者は年々増加し、近年では兵役を選択する者は2割に過ぎなくなっていた[31]。このドイツの徴兵制度は2011年7月1日をもって中止となった[32][33][31]。しかし、徴兵制の廃止により、それまでボランティアとして慈善活動に従事させられた兵役拒否者がいなくなってしまい、老人介護などの福祉に多大な経済的負担が発生する懸念が持たれており[34]、ドイツ政府は補充対策を検討している[35]

2001年以降、女性軍人に対する制限が廃止されて全ての軍務に従事できるようになったが、女性は徴兵制の対象ではなかった。2011年現在で約17,500人の女性の現役兵と予備役兵がいる[36]

国際関係

アンゲラ・メルケル首相は2007年ハイリゲンダムG8サミットの議長を務めた。

ドイツは190カ国以上との外交関係を結び、229ヵ所の在外公館を有している[37]。2011年現在、ドイツは欧州連合への最大の分担金拠出国であり(拠出額20%)[38]国連に対しては第三位の分担金拠出国である(拠出額8%)[39]。ドイツはNATO経済協力開発機構(OECD)、主要国首脳会議(G8)、G20、世界銀行そして国際通貨基金(IMF)に加盟している。ドイツは欧州連合発足当初から主要な役割を果たしており[40]、また第二次世界大戦以降はフランスとの緊密な同盟関係を保っている。ドイツは欧州の政治および安全保障面での統合を推進する努力を続けて来た[41][42][43]

ドイツの開発援助政策は外交政策における独立した分野となっている。政策は連邦経済協力開発省(BMZ)が策定し、関係各機関が遂行する[44]。ドイツ政府は開発援助政策を国際社会における共同責任と位置つけている[45]。ドイツの開発援助支出額は米国、フランスに次ぐ世界第三位である[46][47]

冷戦の時代、鉄のカーテンにより分断されたドイツは東西緊張の象徴となり、欧州における政治的戦場となっていた。しかしながら、東方外交を行ったヴィリー・ブラント首相は1970年代におけるデタント成功の鍵となった[48]。1999年にゲアハルト・シュレーダー首相がNATOのコソボ派兵への参加を決めたことにより、ドイツ外交の新たな基礎が定められ、第二次世界大戦以後、初めてドイツ兵が戦場へ送られた[49]。ドイツと米国は緊密な政治的同盟関係にある[17]。1948年のマーシャル・プランと強い文化的な結びつきが両国の絆を強めたが、シュレーダー首相のイラク戦争に対する強い反対意見は大西洋主義の終焉を示唆し、独米関係を冷却化させた[50][51]。両国は経済的に相互依存関係にあり、ドイツの対米輸出は8.8%であり、輸入は6.6%である[52]

日本との関係

1603年-1870年

江戸時代に来日したドイツ人の一人に、徳川綱吉とも会見した博物学者エンゲルベルト・ケンペルがいる。ケンペルが著した浩瀚(こうかん)な『日本誌』は詳細な紀行文にして博物誌であり、ゲーテも愛読したと伝えられる。日本に西洋医学を伝えたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトもドイツ人であり、徳川幕府が崩壊した後も、日本人は盛んにドイツから医学を学んだ。

直接の外交関係は、1850年代プロイセン王国軍艦品川沖に来航した事に始まり、アメリカ合衆国マシュー・ペリーのように武力で外交を開こうとした。このため、1911年まで(即ち幕末から明治まで)の日独関係は、不平等条約で結ばれていた。しかし、後述のように文化交流では重要な国となった。更に、歴史的経過を見ると、ドイツ帝国成立(1871年)と明治維新1868年)が、ほぼ同じ時期に起こった点も大きい。

1871年-1945年
在ドイツ日本公使館の印(明治時代初期)

明治維新を経た1870年代から1880年代までの日本では、ドイツ帝国の文化や制度が熱心に学ばれ、近代化の過程に大きな影響を与えた。この為、日本の近代化は「ドイツ的近代化」であるとも言われている[要出典]伊藤博文は、大日本帝国憲法の作成にあたってベルリン大学憲法学者ルドルフ・フォン・グナイストウィーン大学シュタインに師事し、歴史法学を研究している。当時の東京帝国大学がヨーロッパから招聘した教員にはドイツ人が多く、明治9年(1876年)にエルヴィン・フォン・ベルツが来日したのを初め、哲学では夏目漱石もその教えを受けて「ケーベル博士」と親しまれたラファエル・フォン・ケーベル、化学ではゴットフリード・ワグネルなどがいる。工学においては、大久保利通の命を受けた井上省三が、ザガン市のカール・ウルブリヒト工場で紡績の生産技術を学び、日本に伝えている。その知識は現代の日本の製造業の礎となった。軍事においても、大日本帝国陸軍は、普仏戦争後、軍制をフランス式からプロイセン式へと変え、その制度と理論による近代化に努め、日露戦争の勝利に繋がった。

日清戦争後には、ドイツは、ロシア帝国や、フランスとともに、日本に対し三国干渉を行った。さらに第一次世界大戦が勃発すると日本が日英同盟により連合国側に与したため、ついにドイツ帝国オーストリア・ハンガリー帝国など中央同盟国側とは山東半島ミクロネシア地中海などで戦火を交えるに至った(→第一次世界大戦下の日本)。

第一次世界大戦敗戦後、ドイツ帝国は崩壊しヴァイマル共和制が成立し、ヴェルサイユ条約によって莫大な賠償金を課され、全植民地の喪失とともに、国内での軍事産業が制限された。そのためドイツは、ソ連や中国との密貿易関係を構築した。特に中国はタングステンを産出したため、中独合作を行い、支那事変では蒋介石政権に最新の兵器と軍事顧問団を送り込み、日本軍を苦しめた。当時日本が高度に軍事成長を果たすのに対して、ドイツは黄禍論も背景にあり、脅威を感じていた。その後国際情勢の変動により、1936年には日独防共協定を締結、その後利害を共有する日独両国は親近感を深め、1940年には日独伊三国軍事同盟へと発展、第二次世界大戦では枢軸国(同盟国)として共に戦うこととなった。

1945年-現在

技術・経済面での交流は活発で、日本にとってヨーロッパ最大の貿易相手国となっている。特にドイツの自動車は日本でも高い人気を誇り、日本の輸入車の販売数上位3つはメルセデス・ベンツBMWフォルクスワーゲンが占めている。文化や制度の面では第二次世界大戦前ほどの影響力を持たなくなったものの、クラシック音楽ではバッハベートーヴェンをはじめとするドイツ(およびオーストリア)の作曲家の楽曲が愛好されている。

ドイツでは、1999年1月から2000年9月までは「ドイツにおける日本年」と定められて日本が総合的に紹介され、また日本では2005年2006年に「日本におけるドイツ年」の諸企画が行われ、新しい形の日独交流が形成されている。

経済

ドイツ経済の中枢であり、世界都市であるフランクフルトは、世界有数の金融センターであり、国際的なハブ空港を持つ。

2010年のドイツのGDPは3兆3058億ドル(約280兆円)であり、アメリカ中国日本に次ぐ世界第4位である[53]EU加盟国では最大の経済力を持つ。

ドイツ経済の主要産業は工業で、自動車化学機械金属電気製品などである。ドイツは戦前から科学技術に優れており、ガソリン自動車やディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人であった。また現在見られる液体燃料ロケットスペースシャトルソユーズアリアンH-IIAなど、固体ロケットM-Vロケット等を除く)は戦時中にナチスが開発した技術が基礎となっている。現在でも技術力があり、自動車はメルセデス・ベンツポルシェBMWアウディフォルクスワーゲンといったブランドが世界的に有名である。その他、化学・薬品大手のバイエル、電機大手のシーメンスルフトハンザドイツ航空ドイツ銀行、経営管理ソフトウェア大手のSAP、光学機器メーカーのカール・ツァイスライカ、世界最大の映画用カメラメーカーであるアーノルド&リヒター、人工透析で世界シェア40%のフレゼニウスなど、世界的に活動している大企業は多い。近年は再生可能エネルギー産業を急成長させており[54][55]太陽電池Qセルズ社が世界一のシェアを保有している

メルセデス・ベンツ Sクラス。世界第4位、欧州第1位のGDPを擁するドイツは、世界有数の輸出国である。

旧西ドイツは日本同様、第二次世界大戦後に急速な経済発展を成し遂げたが、1990年の東西統一以降旧東ドイツへの援助コストの増大、社会保障のためのコスト増大などが重荷となって経済が低迷。また旧東ドイツでは市場経済に適応できなかった旧国営企業の倒産などで失業が増え、旧東側では失業率が17.2%に達し、深刻な問題となっていた。また企業が人件費の安いポーランドチェコなどへ生産拠点を移転させようとしているために、ますます失業が増えるのではないかとの懸念もある[要出典]。しかしこの数年はGDPは増加傾向であり[56]、失業率も減少して2011年の時点では1991年以来の低水準となっている[57]

かつてはすべての州で、「閉店法」により、(空港や駅構内の売店、ガソリンスタンド併設のコンビニを除く)小売店は平日(月曜日から土曜日まで)は20時から翌朝6時まで、日曜・祝日は終日営業できないといった規則が定められていたが、2006年FIFAワールドカップ開催をきっかけとして営業時間が延長された。同時に各州に閉店法に関する詳細を定める権限も移り、一部州では閉店法自体が撤廃されるところも出てきている。大型のショッピングセンターやトルコ・イタリア・ギリシャ・中国など外国人が経営する店は深夜や土日も開店している場合も多い。

インフラストラクチャー

トランスラピッド

ヨーロッパの中央部に位置するドイツは輸送機関の中枢となっている。このことは密集化され、かつ近代化された輸送ネットワークに反映されている。自動車大国であるだけに道路網も発達しており、アウトバーンと呼ばれる高速道路が主要都市を結んでおり、総延長は世界第三位である[58]

ドイツ鉄道DB, Deutsche Bahn)が全国に路線を張り巡らせ、超高速列車ICEや都市間を結ぶインターシティ、ヨーロッパ各国との間の国際列車が多数運行されている[59]。また、都市部では近郊電車のSバーンや地下鉄(Uバーン)、路面電車の路線網が発達している。なおヴッパータールには、現在運行している世界最古のモノレールがある。

欧州でも屈指の大手航空会社ルフトハンザドイツ航空が世界各国に航空路線を持っている。また、エア・ベルリンなどの格安航空会社もある。ドイツ最大のフランクフルト国際空港ミュンヘン国際空港はルフトハンザの国際ハブ空港となっている。その他の主要空港にはベルリン・テーゲルベルリン・シェーネフェルトデュッセルドルフハンブルクケルン・ボンライプツィヒ・ハレがある[60]

2008年現在、ドイツは世界第6位のエネルギー消費国あり[61]、主要エネルギーの60%を輸入に依存している[62]。政府はエネルギー効率改善と再生可能エネルギー活用を推進している[63]エネルギー効率は1970年前半以降改善しており、政府は2050年までに国内電力需要を再生可能エネルギーのみで賄うことを目標に掲げている[64]。2010年時点でのエネルギー源は石油(33.7%)、褐炭を含む石炭(22.9%)、天然ガス(21.8%)、原子力(10.8%)、水力発電や風力発電(1.5%)、そしてその他の再生可能エネルギー(7.9%)となっている[65]。2000年、政府と原子力産業は2021年までに全ての原子力発電所を閉鎖することに合意した[66]

ドイツは京都議定書や生物多様性、排出量規制、リサイクリングそして再生可能エネルギーの利用などを推進するその他の諸条約に係わっており、世界レベルでの持続可能な開発を支持してる[67]。ドイツ政府は大幅な排出量削減運動に着手しており、国内の排出量は低下している[68]。しかしながら、2007年時点でのドイツの温室効果ガス排出量は依然としてEU最大である[69]

環境への取り組み

ドイツは世界的に環境保護先進国と呼ばれている。1994年、基本法第20条a項として「国は未来の世代に対する責任といる面においても生活基盤としての自然を保護するものとする」という条文が採用された。エコノミーとエコロジーは対立するものではない、大気、土壌、水質の保護は経済発展の前提条件とされた。背景には、国土が狭い上に、海岸線が短いため埋立地も十分に確保できず、その上、廃棄物の他国への越境移動が禁止されたため、自国内で処理せざるを得なくなったことである。環境保護に対する国民の意識が高まり、

ドイツでの風力発電

1998年に同盟90/緑の党が連立政権に参加した。

1986年 廃棄物発生防止・処理規正法

産業廃棄物等の発生源によって規制する規則

1991年6月 包装材廃棄物政令

1994年10月 「リサイクル経済促進・廃棄物無公害処分確保法」(廃棄物リサイクル促進法)

1996年10月 同法施行

製造業者の関与を深める法体系を作った

2002年1月 デポジット制の制定

環境にやさしくない素材のすべての容器包装廃棄物にデポジットが課される

2011年7月 脱原発法の成立

2011年3月の福島第一原子力発電所事故の発生を機に反原発の声が高まり、2022年までに国内17基の原発を全て停止することになった。

現在では量り売り、デポジット制などの努力により、ごみの大幅な減量に成功している。ドイツのごみ排出量は日本の4分の1、特に包装物は10分の1である。こうした環境への姿勢が近隣諸国に影響を及ぼし、1994年12月にEUの包装材指令(2001年までに加盟各国で廃棄物リサイクル促進法を法制化することを求めるEU指令)がくだった。

ドイツは循環社会への転換を果たしているといわれている。ごみの排出回避、素材・エネルギーの再利用、環境に配慮した処理法、また「排出者責任」は企業責任と明確にしているなど、廃棄物が巡る経済を実現している。

Duales System Deutschlandの略で、1991年にドイツの企業が協力して設立した、プラスチック、缶、ビン、紙などを回収・リサイクルする組織。国内に195の分別工場を有し、現在17500企業が払う20億ユーロのライセンス料で共同処理を行っている。ここからリサイクルされたものを使用した商品は、グリューネプンクトが表示され、販売価格にリサイクル価格が上乗せされる。この制度をデュアルシステムという。デュアルシステムはドイツを手本にEU圏内で広がっている。

フリーライダーの存在、コストの問題、普通ごみの混入など課題もある。

科学技術

科学におけるドイツの業績は非常に大きく、研究開発活動はドイツ経済にとって不可欠な分野となっている[70][71]。これまでに103人のノーベル賞受賞者を輩出しており[72]、20世紀においては、物理学賞化学賞生理学・医学賞といった科学の分野で他のどの国よりも多くの受賞をしている[73][74]

アルベルト・アインシュタインマックス・プランクの業績が現代物理学確立への重要な役割を果たし、ヴェルナー・ハイゼンベルクマックス・ボルンがこれをより一層発展させた[75]。彼らの仕事はヘルマン・フォン・ヘルムホルツヨゼフ・フォン・フラウンホーファーといった物理学者たちに引き継がれている。ヴィルヘルム・レントゲンX線を発見し、1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞した[76]。また、カール・フリードリヒ・ガウスダフィット・ヒルベルトベルンハルト・リーマンゴットフリート・ライプニッツカール・ワイエルシュトラスヘルマン・ワイルそしてフェリックス・クラインといった数多くの数学者たちがドイツから生まれている。ドイツにおける研究機関にはマックス・プランク研究所ドイツ研究センターヘルムホルツ協会フラウンホーファー協会がある[77]。毎年、10人の研究者にゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞が授与されており、最大250万ユーロの賞金は最も高額な学術賞の一つである[78]

ドイツは多数の著名な発明家や技術者の出身国であり、その中にはヨーロッパで初めて活版印刷を発明したとされるヨハネス・グーテンベルク[79]ガイガー=ミュラー計数管を開発したハンス・ガイガーそして初めて全自動デジタルコンピュータを製作したコンラート・ツーゼがいる[80]フェルディナント・フォン・ツェッペリンオットー・リリエンタールゴットリープ・ダイムラールドルフ・ディーゼルフーゴー・ユンカースそしてカール・ベンツといったドイツの発明家、技術者、企業家たちが現代の自動車や航空輸送技術を形づくった[81]。史上初の宇宙ロケット(V2ロケット)を開発した航空宇宙工学技術者ヴェルナー・フォン・ブラウンは、後にNASAの主要メンバーとなり、サターンV型ロケットを開発してアポロ計画の成功に貢献している。ハインリヒ・ヘルツ電磁波分野での業績は現代の遠距離通信の発展にとって極めて重要である[82]

また、ドイツは環境技術 (enの開発と利用に関する主要国の一つである。環境技術を専門とする企業の総売上高は2005年時点で再生エネルギー分野で164億ユーロ、廃棄物処理分野は500億ユーロにのぼる[83]。ドイツ環境技術業界の重要市場は、発電、サステイナブル・モビリティ[84]、材料能率差、エネルギー効率、廃棄物管理とリサイクル、持続可能な水管理 (enである[85]

国民

民族

ファイル:Kindergartenfrankfurt.jpg
ドイツの幼稚園

2010年1月現在のドイツの人口は8180万人であり[86]、EU域内では最大、世界第8位である[87]平均人口密度は229.4人/km²である。平均寿命は79.9歳。2009年の合計特殊出生率は女性一人当たり1.4人または1000人当たりでは7.9人となり、世界で最も低率の国のひとつである[88]。1990年代以降、死亡率出生率を上回る状態が続いている[89]連邦統計局 (enは2060年までに人口は6,500万人から7,000万人に減少すると予測している(移民の程度による)[90]

国民の91%はゲルマン系のドイツ語を母語とするドイツ民族である。他にバウツェンにはスラヴ系のソルブ人が、シュレースヴィヒにはゲルマン系のデンマーク人などがおり、帰化ポーランド人も多数居住している。ドイツ人は欧州諸民族の例にもれず厳密には混成民族であるが、主流であるゲルマン系と言語が一致しているため、おおむね自他ともにゲルマン民族として認識されている。

2005年現在のドイツの人口ピラミッド

2009時点で約700万人の外国人が登録されており、国内居住者の19%が外国人または両親の一方が外国人(送還された民族ドイツ人を含む)であり、これらの96%が西ドイツまたベルリンに居住している[91]国際連合人口基金の統計によれば、ドイツは全世界の1億9100万人の移民人口のうち、約5%に相当する1,000万人を受け入れており、移民受け入れ数では世界第3位である[92]亡命と移民に対して無制限だった以前の法律が改正された結果、2000年以降、亡命地を求める移民や民族ドイツ人を主張する者たち(主に旧ソ連)が着実に減少している[93]。2009年時点で人口の20%が移民系統であり、1945年以降最も高くなっている[94]。2008年現在、最大の民族集団はトルコ人(250万人)であり、イタリア人(776,000人)、ポーランド人(687,000人)がこれに続く[95]。1987年以降、約300万人の主に東ヨーロッパや旧ソ連から移民した民族ドイツ人(Aussiedler)がドイツに再定住した[96]

このような安価な労働力の流入がドイツ人の雇用悪化を招き、失業者の中には暴動に走る者も現れた。また文化的衝突からネオナチなどの外国人排斥運動に賛同して外国人を襲撃するなど、深刻な問題となっている。

言語

ヨーロッパでのドイツ語圏

ドイツ語は、ドイツの公用語であり支配的な言語である[97]。ドイツ語は欧州連合の23の公用語の一つであり、欧州委員会の三つの作業言語 (enの一つである。ドイツで公認されている少数言語は、デンマーク語低地ドイツ語 (enソルブ語ロマ語、そしてフリジア語であり、正式にヨーロッパ地方言語・少数言語憲章(ECRML)により保護されている。移民の間で最も使用される言語はトルコ語クルド語ポーランド語、バルカン系諸言語、およびロシア語である。ドイツ国民の67%がバイリンガルであり、27%はトリリンガルである[97]

標準ドイツ語は西ゲルマン語群であり、英語、低地ドイツ語、オランダ語、そしてフリジア語と密接に関連し、分類されている。低い割合ではあるが、東ゲルマン語群(死語)と北ゲルマン語群とも関係する。ほとんどのドイツ語の語彙は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン分岐から派生している[98]

単語の相当数がラテン語ギリシャ語からの派生であり、またフランス語そして最近の英語(デングリッシュとして知られる)からも含まれる。ドイツ語はラテン・アルファベットを使用して書かれる。ドイツ語方言(ゲルマン諸民族の伝統的な地方亜種にまで遡る)はその語彙音韻文法規則で標準ドイツ語からの言語変種に分類される[99]

また、2011年現在、少数言語の研究団体エスノローグはドイツ連邦共和国内に以下を含む28言語の存在を認めている[100]

宗教

ライン川沿いにあるケルン大聖堂ユネスコ世界遺産である。

ドイツにおける最大の宗教はキリスト教で2008年現在で信者数5,150万人(62.8%)である [101]。この内30%がカトリック、29.9%がドイツ福音主義教会(EKD)に属するプロテスタントであり、ドイツ福音主義教会には22の州教会が加盟しており、常議員会議長がドイツ福音主義教会 (EKD) を代表する。その他は小宗派(各々0.5%以下)である[102]。プロテスタントは北部と東部、ローマ・カトリックは南部と西部に集中している。また、1.6%は正教会である[101]

2番目に大きな宗教がイスラム教で、凡そ380-430万人(4.6-5.2%)[103]、次いで仏教徒が25万人、ユダヤ教が約20万人(0.3%)、ヒンズー教徒が9万人(0.1%)である。これ以外の宗教の信者は5万人以下である[104]。400万人のイスラム教徒のほとんどはトルコからのスンニ派またはアレヴィー派であるが、少数のシーア派や小分派も存在する[103]。ドイツのユダヤ人人口はフランス、イギリスに次いでヨーロッパで3番目である[105]。仏教徒の50%はアジアからの移民である[106]。34.1%が無神論であり、旧東ドイツ地域と大都市圏に多い[102]

宗教的多様性と国家干渉主義の両方の伝統を持つ中央ヨーロッパ、とりわけ旧東ドイツの各州においてゼクト(カルト)団体が増加しているドイツでは、予防啓発とゼクト脱退者保護の政策が、地方レベルで実施されている。ゼクト担当委員のポストが各州に創設された。中央レベルでは、教会法人格の取得に関する認証基準が定められた。情報交換を目的とした作業会議が、州職員と州代表者の間で何度も開かれた。とはいえ市民社会には秩序があり、国家宗教は揺らいでいないため、この問題への関心は限定的である。現在のところ、禁止されたゼクトはない。その上、国家権力の行動の幅は狭くなっている[107]

教育

ハイデルベルク大学

教育課程は初等教育4年、中等教育以降は職業人向けと高等教育向けの学校とに厳格に分けられている。いわゆる「マイスター制」である。12歳までは基礎学校(義務教育)で、子供の能力の見極めが重要になる。13歳から15歳では、就職のための専門的な職業教育が行われる。大学への進学を希望する場合は、ギムナジウムという進学校に進学し、大学進学に必要なアビトゥア資格の取得を目指す。日本においては、俗に「ドイツでは工業職人がマイスターと呼ばれ、尊敬を受けている」という話がまことしやかに語られているが、正確ではない。第二次世界大戦後の高度成長の過程においては確かに事実であったが、近年では多くの子供たちがギムナジウムに進学する傾向が見られ、これがドイツの財政(教育費)を圧迫する原因にもなっている。また、工業職人のイメージが強いマイスター制度だが、これも近年ではコンピュータ技術者といった従来のイメージとは異なる職種の学校が増えつつある。近年、国際化によりマイスター制度が先進工業の発展に寄与しなくなったことや、12歳で人生が決まってしまう学校制度に疑問が上がり、近年は義務教育からアビトゥア資格取得まで一貫した中等教育を行うシュタイナー学校総合学校が広まっている。

大学においても近年変革の時期を迎えている。ドイツの大学はほぼ全てが州立大学で、基本的に学費は納める必要がない(ただし、州により学費徴収を行うケースもある)。しかし、近年の不況の影響を受け、大学は授業料を徴収するかどうか、検討を始めている。また、かつてのドイツは大学卒業した者はエリートコースを歩み、大学卒業資格は社会で相当に高い評価を得ていたと言える。しかし、近年における財政界からは、もっと柔軟な思考ができる学生が欲しいとの声が強まり、大学のカリキュラムも変革の時期を迎えている。

健康

ドイツは1883年にオットー・フォン・ビスマルクが成立させた疾病保険法に遡る世界最古の国民皆保険制度を有している[108]。現在、全住民には国家によって提供される基礎健康保険が適用される。世界保健機関によれば、2005年現在のドイツ健康管理システムは77%が政府資金、23%が個人資金である[109]。2005年にドイツは健康管理にGDPの11%を支出した。平均寿命は男性が77歳、女性が82歳で世界第20位であり、乳児死亡率は出生児1,000人当たり4人と非常に低い数値である[109]

2009年現在の主な死亡原因は心血管疾患の42%、続いて悪性腫瘍の25%だった[110]。2008年現在、82,000人がHIV/AIDSに感染しており、1982年以降、合計26,000人がこの病気で死亡している[111]。2005年の統計では成人の27%が喫煙者である[111]。2007年の調査によれば、ドイツは肥満した人の数がヨーロッパで最大である[112][113]

文化

ベルリン、芸術の中心

歴史的にドイツは「詩人と思想家の国」(Das Land der Dichter und Denker)と呼ばれてきた[114]。連邦各州が文化施設を担当しており、ドイツには助成を受けた240の劇場、数百の交響曲オーケストラ、数千の博物館そして25,000以上の図書館がある。これらの文化施設は多くの人々に利用されており、毎年延べ9100万人のドイツ人が博物館を訪れ、20万人が劇場やオペラ、3600万人が交響曲オーケストラを観賞している[115]国際連合教育科学文化機関はドイツでは33件を世界遺産リストに登録している[116]

ドイツは高いレベルの男女平等[117]、障害者の権利促進そして同性愛者に対する法的社会的寛容を確立している。ゲイとレズビアンはパートナーの遺伝的子供を養子とすることができ、2001年以降にはシビル・ユニオン (en(結婚に準じる権利)[118]が認められた[119]。1990年代半ば以降ドイツは移民に対する態度を変えており、ドイツ政府とドイツ人の過半数が移民の管理は資格基準に基づいて許可されねばならないと認識するようになった[120]。ドイツは2010年に世界で最も賞賛される国の統計で50カ国中第2位にあげられた[121]。2011年のBBCの世論調査によれば、ドイツは世界で最も肯定的な影響を与えている国と認められている[122]

美術

フランツ・マルク

ドイツ・ロマン派カスパー・ダーヴィト・フリードリヒフィリップ・オットー・ルンゲなどの画家名やドイツ表現主義などの項目を参照。

第一次世界大戦中から戦後、ドイツは表現主義新即物主義を生み出し、デザイン建築でもバウハウスを中心に革新的な動きを起こした。バウハウスに集ったヴァルター・グロピウスハンネス・マイヤーミース・ファン・デル・ローエヨハネス・イッテンピエト・モンドリアンヴァシリー・カンディンスキーモホリ・ナギといった美術家・建築家らは、合理主義・表現主義・構成主義といった美術観・建築観に基づくデザインを生み出し、今日のデザイン分野への影響は甚大である。

しかし既存のロマン派的流れを汲む美術団体との軋轢、およびナチスの「退廃芸術」排除の政策から、主だった美術家・建築家はアメリカ合衆国などに移民し、ドイツの芸術は壊滅的打撃を受けた。

1960年代以降、フルクサスヨーゼフ・ボイスアンゼルム・キーファーゲルハルト・リヒターなど、世界に影響を与える芸術家が多数登場し、ドイツの美術・建築・デザインは再び世界的存在感を高めている。

文学

ドイツ文学は中世のヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの作品にまで遡ることができる。著名なドイツ人作家にはヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテフリードリヒ・フォン・シラーがいる。グリム兄弟によって編纂出版された民話集はドイツ民話を国際レベルにまで知らしめた。20世紀の有力作家にはトーマス・マンベルトルト・ブレヒトヘルマン・ヘッセハインリヒ・ベルそしてギュンター・グラスがいる[123]ノーベル文学賞にはテオドール・モムゼン(1902年)、ルドルフ・クリストフ・オイケン (1908年)、パウル・フォン・ハイゼ (1910年)、ゲアハルト・ハウプトマン(1912年)、トーマス・マン (1929年)、ヘルマン・ヘッセ(1946年)、ハインリヒ・ベル(1972年)、 ギュンター・グラス(1999年)そして、ヘルタ・ミュラー (2009年)が選ばれている。

ドイツ語圏の出版社は年間7億部を発行しており、出版タイトルは約8万で、その内6万が新刊である。ドイツ語書籍は英語圏市場や中華人民共和国に次ぐ第3位の市場規模を誇っている[124]。500年に及ぶ伝統を持つフランクフルト・ブックフェアは国際取引市場で最も重要な書籍見本市である[125]。2005年にはドイツ語長編小説を対象とするドイツ書籍賞が創設された。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(1749–1832)
フリードリヒ・フォン・シラー
(1759–1805)
グリム兄弟
(1785–1863)
トーマス・マン
(1875–1955)
ヘルマン・ヘッセ
(1877–1962)
ベルトルト・ブレヒト
(1898–1956)

哲学

ドイツ観念論の哲学者たち。カント(左上)、フィヒテ(右上)、シェリング(左下)、ヘーゲル(右下)

ドイツ哲学は歴史的に重要である。とりわけ影響力があったものには合理主義哲学に対するゴットフリート・ライプニッツの貢献、イマヌエル・カントヨハン・ゴットリープ・フィヒテゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルフリードリヒ・シェリングによる古典的ドイツ観念論の確立、アルトゥル・ショーペンハウアーの形而上学的厭世論の著作、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによる共産主義思想の理論化、フリードリヒ・ニーチェによる遠近法主義 (enの展開、分析哲学黎明期におけるゴットロープ・フレーゲの功績、存在(Being)に関するマルティン・ハイデッガーの著作そしてマックス・ホルクハイマーテオドール・アドルノヘルベルト・マルクーゼユルゲン・ハーバーマスによるフランクフルト学派の発展がある。21世紀においてドイツはフランス、オーストリア、スイスそしてスカンジナビア諸国とともにヨーロッパ大陸における現代分析哲学の発達に貢献してきた[126]

音楽

ベートーヴェン

ドイツは同じドイツ語圏のオーストリアと共にヨハン・ゼバスティアン・バッハルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンヨハネス・ブラームスの「ドイツ三大B」を初めとする、クラシック音楽史上に名を残す作曲家や演奏家を多数輩出している。ベルリン・フィルをはじめとする世界クラスのオーケストラ音楽祭も多い。文学と同じくオーストリアと併せた括りで(相互の移動や各時代における国民意識など分離して考えることが困難なため。ベートーヴェンがドイツ音楽でブルックナーはオーストリア音楽というような分け方は殆どされない)世界最大のクラシック音楽大国とされている。 オペラコンサート演劇への関心も強く、ある程度の規模の街には州立(国立と呼ばれる場合もある)ないし市立の劇場、オーケストラがおかれている。各地の放送局が所有しているオーケストラも総じてレベルが高い。オペラはオーストリアとスイスのドイツ語圏をあわせるとイタリアの4倍近い年間上演数を誇る、世界でも群を抜く中心国であり、諸外国からドイツ語を学んだ歌手が多く集まっている。逆にいえばドイツ人だけでは陣容を維持できない規模になっているともいえ、ポピュラー系のショービジネスや野球におけるアメリカに似た地位にある。その他、オペレッタ、ミュージカル、バレエ、ストレートプレイの上演も盛んである。

ポピュラー音楽については、1979年ジンギスカンの『Dschinghis Khan(ジンギスカン)』『めざせモスクワ(Moskau)』や、1980年代にNENAネーナ)がアメリカ合衆国などでもヒットさせた『99 Luftballons』(ロックバルーンは99)などが知られている。

2005年ミラノでのアポカリプティカとのライブ

また最近では、旧・東ドイツの都市ライプツィヒの聖トーマス教会の少年合唱団出身者などにより結成されたDie Prinzenディー・プリンツェン)が、2002年サッカーFIFAワールドカップ日韓大会」で活躍し、最優秀選手に選出されたドイツ代表のゴールキーパーであるオリバー・カーンをモチーフにした曲『OLLI KAHN』が話題を呼ぶ。

ロック音楽では、主なミュージシャンとしてプログレッシヴ・ロックタンジェリン・ドリームテクノの元祖クラフトヴェルクハード・ロックスコーピオンズマイケル・シェンカー・グループフェア・ウォーニングヘヴィ・メタルアクセプトハロウィンガンマ・レイブラインド・ガーディアンエドガイレイジプライマル・フィアラムシュタインなどの名が挙げられる。

テクノトランスなどのクラブ系は、野外レイヴラブパレード』や屋内レイヴ『メーデー』が開催されるなど、ドイツ国内に広く普及している。テクノではベルリントレゾアケルンコンパクトなど優良なレーベルも多く、世界中から数多くのアーティストが曲をリリースしている。トランスの分野では、東ベルリン出身のDJ・Paul van Dykが「DJ Magazine」誌の人気投票で1位を獲得しているほか、EU(欧州委員会)よりヨーロピアン・ボーダーブレーカーズ賞[127]を受賞した“Cascada”[128]をはじめ、“Baracuda”“Groove Coverage”など国内外で活躍するドイツ人アーティストも多い[129][130]

電子音楽エレクトロニカサウンドアートなども盛んであり、坂本龍一とのコラボレーションでも知られるAlva Notoが主催するレーベルRaster-Notonなど注目度が高い。

映画とテレビ

ベルリン国際映画祭。2007年。

ドイツ映画は草創期のマックス・スクラダノフスキー (enに遡り[131]ロベルト・ウィーネ (enフリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ (enといったドイツ表現主義映画が影響力を持っていた[132]。1927年にはフリッツ・ラング監督によるSF映画の先駆たる大作『メトロポリス』が公開された[133]。1930年に公開されたオーストリア系アメリカ人のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督『嘆きの天使』がドイツ初の大作トーキー映画である[134]。1970年代から80年代にかけて、フォルカー・シュレンドルフヴェルナー・ヘルツォークヴィム・ヴェンダースライナー・ヴェルナー・ファスビンダーといったニュー・ジャーマン・シネマ監督たちが西ドイツ映画を国際的な舞台へと押し上げた[135]。毎年のヨーロッパ映画賞は隔年でヨーロピアン・フィルム・アカデミー(EFA)の本部のあるドイツで開催される。1951年以来、毎年開催されるベルリン国際映画祭は世界で最も重要な映画祭の一つである[136]

近年では『グッバイ、レーニン!』(Good Bye, Lenin!;2003年)、『愛より強く』(Gegen die Wand;2004年)、『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(Der Untergang;2004年)、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』(Der Baader Meinhof Komplex;2008年)が国際的な成功を収めている。また、1979年に『ブリキの太鼓』(Die Blechtrommel)、2002年に『名もなきアフリカの地で』(Nirgendwo in Afrika)、2007年に『善き人のためのソナタ』(Das Leben der Anderen)がアカデミー外国語映画賞を受賞している[137]

3400万世帯のドイツのテレビ市場はヨーロッパ最大であり、ドイツ世帯の90%がケーブルテレビまたは衛星放送を視聴している[138]

食文化

ザワークラウトとヴルストを中心としたドイツ料理

よく知られているソーセージ (Wurst) 、ハム (Schinken) 、チーズ (Käse) などの冷製食品・カルトエッセン(Kalt essen; 火を通さない食事)の他に塩漬け肉アイスバインEisbein)、キャベツの漬物ザワークラウトSauerkraut)、肉や魚の団子クネーデルKnödel)などがある。

ビールは16歳以上(保護者同伴ならば14歳から)の国民が飲めるアルコール飲料である(ただし、フランクフルトなど地方によってはリンゴのワインの方が人気)。ミュンヘンオクトーバー・フェストは世界最大のビール祭りだといわれる。ドイツのワイン白ワインが主体。かつてはリースリング種をつかった甘口のワインが多かったが、食生活の変化に伴い辛口の白ワインや赤ワインが生産・消費ともに増加している。蒸留酒は18歳以上の国民が飲む事が出来る。

ドイツ料理は地域ごとに特色があり、バイエルンやシュバーヴェンといった南部はスイスやオーストリアと食文化が共通している。全ての地域で肉はしばしばソーセージのかたちで食べられる[139]有機農産物が市場の約2%を占めており、今後も増加する見込みである[140]。ドイツの多くの部分でワインが親しまれているが、国民的酒類はビールである。ドイツ人のビール消費量は減少傾向にあるが、依然として年間一人当たり116リットルが消費されており、世界最大である[141]ミシュランガイドは9件のレストランに三つ星を、15件に二つ星をつけている[142]。ドイツのレストランはフランスに次いで世界で二番目に賞を受けている[143]

世界遺産

ドイツ国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が29件、自然遺産が1件存在する。さらにポーランド、イギリスにまたがって2件の文化遺産、オランダにまたがって1件の自然遺産が登録されている。イタリア、スペイン、中国、フランスに次ぐ5番目の登録件数である。

スポーツ

サッカー

ブンデスリーガの名門バイエルン・ミュンヘンの本拠地、アリアンツ・アレーナ

ドイツはサッカーが非常に盛んな国である。通常ドイツのスポーツ競技団体はドイツスポーツ連盟(DSB)に加盟しているが、ドイツサッカー連盟(DFB)は会員数630万人以上を数え、他の団体に比しても規模が大きい事で知られる。

FIFAワールドカップにおいてはドイツ代表が3度の優勝と4度の準優勝(旧西ドイツ時代を含む)を誇るなど、現在も安定した強さを誇るヨーロッパ屈指の強豪国である。またワールドカップ優勝3回は5回のブラジル、4回のイタリアに次いで第3位の記録である。2006年には1974年のワールドカップ・西ドイツ大会以来32年ぶりにワールドカップが地元開催され、3位入賞を果たした。ボド・イルクナーオリバー・カーンイェンス・レーマンなどゴールキーパーに名選手が多いことから、PK戦では驚異的な強さを誇る。女子代表も2003年、2007年のFIFA女子ワールドカップを連覇している強豪である。

国内のクラブチームの活動も盛んで、トップリーグであるフースバル・ブンデスリーガ(連邦リーグ)は欧州屈指のレベルを誇り、バイエルン・ミュンヘン等の名門クラブが鎬を削っている。

ウィンタースポーツ

寒さが厳しい地方ではウィンタースポーツが盛んで、冬季オリンピックにも毎回多数のすぐれた選手を輩出している。なお、1936年にはオーストリアとの国境付近の町ガルミッシュパルテンキルヒェンで冬季オリンピックが開催されている(ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック)。また、西ドイツと東ドイツを含んだ冬季オリンピックでのメダル獲得数が1番であることでも知られている。

ミハエル・シューマッハ

モータースポーツ

古くから自動車産業が盛んなことからモータースポーツの伝統国の1つとして知られ、1950年代までグランプリレースなどを席巻したメルセデス・ベンツ、1980年代を中心にスポーツカーの分野で数度のチャンピオンを獲得し、ル・マン24時間レースにおいては最多勝を誇るポルシェ(近年ではアウディ)、1960年代から2000年代にかけヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)で最多勝(18勝)を挙げるなどツーリングカーの分野において圧倒的な強さを持つBMWの4社を筆頭に、自動車会社各社が目覚しい記録を残している。

F1ドライバーのミハエル・シューマッハセバスチャン・ベッテルDTMベルント・シュナイダーを筆頭に優秀なレーシングドライバーを数多く輩出している国でもある。特に近年では多数のF1ドライバーを輩出している。また世界的に有名な難関コースを持つサーキットニュルブルクリンクがあるのドイツである。

オリンピック

近代オリンピックにおいて歴代ドイツ選手団は優秀な成績を収めており、獲得メダル数は旧東西ドイツ時代を含めると世界第3位となる。2008年夏季オリンピックにおいてドイツはメダル獲得数第5位であったが[144]2006年冬季オリンピックでは第1位である[145]。ドイツは夏季オリンピックを1936年のベルリンオリンピックと1972年のミュンヘンオリンピックの2回主催しており、冬季オリンピックは1936年にガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックを主催している。

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関連項目

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