テオドール・モムゼン
| テオドール・モムゼン Theodor Mommsen | |
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テオドール・モムゼン | |
| 生誕 |
クリスティアン・マティアス・テオドール・モムゼン Christian Matthias Theodor Mommsen 1817年11月30日 |
| 死没 |
1903年11月1日(85歳) |
| 国籍 |
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| 研究分野 | 歴史学、法学 |
| 研究機関 |
ライプツィヒ大学 チューリッヒ大学 ヴロツワフ大学 フンボルト大学ベルリン |
| 出身校 | クリスティアン・アルブレヒト大学キール |
| 主な受賞歴 | ノーベル文学賞(1902年) |
| プロジェクト:人物伝 | |
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テオドール・モムゼン(Theodor Mommsen、1817年11月30日 - 1903年11月1日)は、ドイツの歴史家、法学者、政治家。19世紀を代表する知識人で、古代ローマ史を専門とし、ローマ帝国史の編纂などの仕事がある。
人物[編集]
エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』が、18世紀イギリスの歴史文学の名作として命脈を保っているのに対し、モムゼンの業績(殊にその『ローマ史』(1854-56年))は、文学的価値に加え、現代の研究においてもなお基本的な重要性を持っている。
略歴[編集]
シュレースヴィヒ(当時デンマークと同君連合)生まれ。キールで法律を学んだ。
ライプツィヒ大学、チューリッヒ大学、ブレスラウ大学の教授を経て1861年、ベルリン大学教授に就任(マックス・ヴェーバーもモムゼンの教えを受けている)。
1902年、歴史家として文筆によりノーベル文学賞(第2回)を受賞。
業績と批判[編集]
モムゼンの業績は、主に以下の三つにわけられる。
- 『ローマ史』の執筆
- ラテン碑文集成成編纂事業の開始(1854年-現在まで続く)
- ローマ法制史の確立
モムゼンは、考古資料(碑文、貨幣、パピルス文書)を取り入れ、伝世文献史料だけを重視していた従来の歴史学を飛躍的に革新した。しかし一方で、遺跡などの考古学史料は除外したため、この弊害は20世紀の歴史学に継承された。また、『ローマ史』の叙述では、例えば古代ローマのパトリキをユンカー、平民を浮浪無産者層などと、当時のプロイセンの現代用語で記述したため、当時の一般読者層からは高く評価される一方、歴史学界からは批判された[1]。
20世紀前半の古代ローマ史家J.B.ベリーは、モムゼンの「本当の貢献は、史料批判をへた詳細なローマ碑文の編纂とローマ法に関する専門論文にある。モムゼンが科学的方法を駆使した領域はそこなのである」[2]と記載しているが、古代ローマ法制史についても、彼の学説に合わせるための条文の強引な解釈や、場合によっては史料が存在しないことがしばしば見られ、後世の研究者の批判にさらされることとなった[3]。
著作[編集]
- 『ローマ史』
- 『ローマ公法』(Römisches Staatsrecht)
日本語訳[編集]
- 『モムゼン ローマの歴史』(全4巻、長谷川博隆訳、名古屋大学出版会、2005年-2008年)、日本翻訳文化賞を受賞
- 旧版は『ノーベル賞文学全集』(主婦の友社、1978年)に、断片的な訳文を収録(長谷川博隆訳)。
- 『ローマ史』(全2巻、杉山吉朗訳、文芸社、2012年)、普及版の訳本
- 副題は「上 共和政の成立と地中海諸民族の闘争」、「下 共和政の権力闘争と君主政への動向」
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 弓削達『ローマ帝国論』 吉川弘文館 1966年
- ヴェルナー・エック, 宮坂康寿訳 「19世紀以降のドイツにおける古代史の発展--その文化的・政治的背景から」 西洋古代史研究,2005年10月
- リチャード・J・エヴァンス『歴史学の擁護』晃洋書房、1999年、今関恒夫・林以知郎監訳
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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