ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ | |
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生誕 | マリア・ルートヴィヒ・ミヒャエル・ミース 1886年3月27日 ![]() ![]() |
死没 | 1969年8月17日(83歳没)![]() |
国籍 | ![]() ![]() |
職業 | 建築家 |
受賞 | プール・ル・メリット勲章(1959年) RIBAゴールドメダル(1959年) AIAゴールドメダル(1960年) 大統領自由勲章(1963年) |
建築物 |
バルセロナ・パヴィリオン トゥーゲントハット邸 ファンズワース邸 シーグラム・ビルディング ベルリン国立美術館 |
デザイン | バルセロナチェア |
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年3月27日 – 1969年8月17日)は、20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家。
ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠、あるいは、ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされる。
「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)や「God is in the detail(英語版リンク)」(神は細部に宿る)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。
略歴[編集]
ミースは、ドイツのアーヘンに、墓石や暖炉を主に扱う石工のネーデルラント系の父ミヒャエル・ミースと母アマーリエ・ミース(旧姓ローエ)の息子として生まれた。大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、リスクドルフの建築調査部で漆喰装飾のデザイナーとして勤務。
1906年にブルーノ・パウルの事務所に勤務。パウルの事務所の同僚の紹介により、1907年に最初の作品であるリール邸を手がけている。この仕事が認められたことにより、1908年から1912年まで建築家ペーター・ベーレンスの事務所にドラフトマンとして在籍し、建築を学ぶことになる。1912年、独立して事務所を開設。
1913年、アダ・ブルーンと結婚。アダの紹介によりベルリン近郊の富裕層の住宅の設計を手がける。1927年、ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加し、ベーレンス、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらと共に、実験的な集合住宅を建設した。
1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館、バルセロナ・パヴィリオン(Barcelona Pavilion)は、鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配したもの。モダニズムの空間を実現したものとして、建築史上有名。なお、同館のために、ミースがデザインしたバルセロナ・チェアも、モダンデザインの傑作として知られる。パヴィリオンは、博覧会終了後に取り壊されたが、1986年に同じ場所に復元され、「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」となっている。
グロピウスの推薦で、1930年からバウハウスの第3代校長を務めた。ナチスによってバウハウスが閉鎖(1933年)されたため、アメリカに亡命した。1938年から58年、シカゴのアーマー大学(後のイリノイ工科大学)建築学科の主任教授を務め、クラウン・ホールをはじめとする同大学のキャンパス計画を手がけた。1944年には、アメリカ市民権を獲得。
四方をガラスの壁で囲んだファンズワース邸(1950年 アメリカイリノイ州)も代表作の1つ[1]。週末別荘として建てられたもので、建設費が当初予算を大幅に超えたため、施主のエディス・ファンズワースと訴訟沙汰になったがミースが勝訴した。2003年にオークションに出され、地元のナショナルトラストが取得した。
超高層ビルの実作品として、ニューヨークのシーグラム・ビルディング(1958年竣工)があるが、モダニズムの超高層ビルの中では、SOMのリーバ・ハウス(1952年竣工)と並んで、最も優れたデザインの超高層ビルともいわれている。
他の代表作に、ブルノのトゥーゲントハット邸(1930年 チェコスロヴァキア)、レイクショアドライブ・アパートメント(1951年 シカゴ)、ベルリン国立美術館・新ギャラリー(1968年 西ベルリン)などがある。
没後の評価[編集]
ポストモダンの建築家、ロバート・ヴェンチューリは、ミースの標語「Less is more.」をもじり、「Less is bore.」(より少ないことは退屈だ)と皮肉った。
2001年、トゥーゲントハット邸はユネスコの世界遺産に登録された。
作品[編集]
建築[編集]
家具[編集]
記念碑[編集]
- スパルタクス団のローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトのための記念碑(革命記念碑)を設計。しかし、1930年代にナチスにより破壊され、現存しない。
起用されなかった作品[編集]
ヒューストン美術館キャロライン・ワイス・ロウ棟
日本語文献[編集]
評伝文献(1980年代以降刊)[編集]
- 『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』 フランツ・シュルツ
澤村明訳、鹿島出版会、1987年/新装版2006年-美術史家による大著 - 『テクトニック・カルチャー 19–20世紀建築の構法の詩学』 ケネス・フランプトン
松畑強+山本想太郎訳 TOTO出版、2002年 - 『ミース再考 その今日的意味』 ケネス・フランプトン、デイヴィット・スペースほか
澤村明ほか訳、鹿島出版会「SDライブラリー」、1992年/同 <SD選書>、2006年 - 『ミース・ファン・デル・ローエ』 デイヴィッド・スペース
平野哲行訳、鹿島出版会<SD選書>、1988年 - 『ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて』 高山正實、鹿島出版会、2006年
図版解説多数、著者はミースに師事、SOM事務所で設計に従事。 - 『ミース・ファン・デル・ローエの建築言語』 渡辺明次、工学図書、2003年-著者はミース事務所勤務
- 『ミースという神話 ユニヴァーサル・スペースの起源』 八束はじめ、彰国社、2001年
- 『ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって』 田中純、彰国社、2000年
- 『ミース・ファン・デル・ローエ』 上田義彦撮影、鹿島出版会、2012年、大著の写真集
- 『ミース、オーダー、黄金比 ミース・ファン・デル・ローエの建築理念を辿る』佐野潤一、丸善プラネット、2015年、新たなミース像
入門書ほか[編集]
- 『ミース・ファン・デル・ローエ 建築家の講義』 小林克弘訳、丸善、2009年
1955年と1964年に、自らの建築理念を語った対話録、小著。 - 『20世紀建築の3大巨匠+バウハウス』-入門書、写真図版多数
マガジンハウスムック、2002年/改訂版2006年 - 『ミース・ファン・デル・ローエ 1886-1969 空間の構造』-入門書、写真多数
クレア・ジマーマン文/Chizuru Ono(大野千鶴)訳、タッシェン・ジャパン(Taschen Japan)、2007年 - 『トゥーゲントハット邸 ― 建築家 ミース・ファン・デル・ローエ』
栗田仁文/宮本和義撮影 シリーズ World Architecture、バナナブックス、2008年 - 『ファーンズワース邸 ミース・ファン・デル・ローエ』 後藤武、東京書籍、2015年
刊行が古い文献[編集]
- 『巨匠ミースの遺産』 山本学治・稲葉武司共著 (彰国社、1970年、新装版2014年)- 下記と共に多数重版
- 『現代建築の巨匠 20世紀の空間を創造した人びと』 ピーター(ペーター)・ブレイク
田中正雄・奥平耕造共訳 (彰国社、1963年、新版1995年ほか)
※ ミースのほかに、ル・コルビュジェと、フランク・ロイド・ライトの三大巨匠を扱う。 - 『ミース・ファン・デル・ローエ 現代建築家シリーズ』 二川幸夫写真、浜口隆一文、渡辺明次解説
(美術出版社、1968年) -※以下は主に写真集 - 『ミース・ファン・デル・ローエ』 ワーナー・ブレイザー編・解説、渡辺明次訳(A.D.A.EDITA Tokyo、1976年)
- 『ミースの家具 現代の家具シリーズ 5』 ワーナー・ブレイザー編・解説、長尾重武訳(A.D.A.EDITA Tokyo、1981年)
- 『GA.75 ミース・ファン・デル・ローエ バルセロナ・パヴィリオン/トゥーゲントハート邸』二川幸夫企画・撮影、フリッツ・ノイマイヤー文 (A.D.A.EDITA Tokyo、1995年)
- 『GA.27 ミース・ファン・デル・ローエ ファンズワース邸』 二川幸夫企画・撮影、ルゥドウィッグ・グレイサー文 (A.D.A.EDITA Tokyo、1974年)
- 改訂版『世界現代住宅全集30 ファンズワース邸』二川由夫編・解説(2020年)
- 『GA.14 ミース・ファン・デル・ローエ クラウン・ホール/ベルリン国立近代美術館』二川幸夫企画・撮影、ルゥドウィッグ・グレイサー文 (A.D.A.EDITA Tokyo、1972年)
設計図・設計論集[編集]
- 『ミース・ファン・デル・ローエ ファンズワース邸』 ダーク・ローハン文、北村修一製図
GA.DETAIL.1(ディテール1号)、A.D.A.EDITA Tokyo、改訂新版2015年(初版1976年、新版2000年) - 『ミース・ファン・デル・ローエ イリノイ工科大学クラウンホール』「世界建築設計図集34」同朋舎、1984年
- 『バルセロナ・パヴィリオンの空間構成の方法』 高砂正弘、パレードブックス、2009年
脚注[編集]
- ^ 新建築社『NHK 夢の美術館 世界の名建築100選』新建築社、2008年、218頁。ISBN 978-4-7869-0219-2。
外部リンク[編集]
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