ポール・ヴァン・ダイク
| ポール・ヴァン・ダイク Paul van Dyk | |
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ポール・ヴァン・ダイク(2021年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Matthias Paul |
| 生誕 | 1971年12月16日(53歳) |
| 出身地 |
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| ジャンル | トランス、ハウス、プログレッシブ・ハウス、エレクトロ・ハウス、サイケデリックトランス、テクノ |
| 職業 | DJ、プロデューサー |
| 担当楽器 | キーボード、DJミキサー |
| 活動期間 | 1991年 - |
| レーベル | Vandit |
| 公式サイト |
www |
ポール・ヴァン・ダイク(Paul van Dyk、1971年12月16日 - )は、ドイツのトランス、エレクトロニカ、テクノ・DJ、プロデューサー。通称、PvD。旧東ドイツアイゼンヒュッテンシュタット出身。1990年初頭にトランスのプロデューサーとなり、彼の作る音楽はトランスとされているが、近年のインタビューでは手がける音楽をトランスと定義していない[1]。
略歴
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ポール・ヴァン・ダイクは、旧東ドイツ時代に西ベルリンの米国セクターから届くラジオの電波で西側の音楽を楽しみ、それをミックステープにして学校の友人に配ったりする子供だった。ベルリンの壁が崩壊する少し前に、東ドイツを飛び出し、母の出身である旧西ドイツのハンブルクに叔父と滞在することができた。その後、1990年にベルリンに戻ると、1991年3月にベルリンの有名なクラブであるトレゾアでDJとしてデビューを果たし、その数日後にはベルリンのトップDJ達と共に有名なクラブでプレイすることとなった。また、1992年にはベルリンのレーベル、MFSから「Perfect Day」(The Visions Of Shiva名義)を発表した。
初めて商業的に成功したのは、1998年のイギリスでの「For An Angel」のヒットである。以降は、自身のレーベルであるVanditを率いて活動を行っている。
日本には1999年からほぼ毎年来日しており、2007年にageHa、2008年の夏にフジロックフェスティバル、冬には代官山UNIT、2009年の来日時はageHaとフジロックフェスティバルに出演している。2012年5月12日にはアルバム『Evolution』リリース・パーティーとなる公演がageHaで行われた。
2016年2月にユトレヒトで行われた『A State of Trance』の放送記念イベントにて、ステージ側面にある隙間に転落。外傷性脳損傷、背骨骨折、打撲と後頭部に切り傷を負った[2]。
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 45 RPM (1994年)
- Seven Ways (1996年)
- 『自己回帰』 - Out There and Back (2000年)
- 『響 - リフレクションズ』 - Reflections (2003年)
- 『イン・ビトウィーン』 - In Between (2007年)
- Evolution (2012年)
- From Then On (2017年)
- Music Rescues Me (2018年)
- Guiding Light (2020年)
- This World is Ours (2025年)