ドイツサッカー連盟

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ドイツサッカー連盟
Football pictogram.svg
名称
ドイツ語表記 Deutscher Fußball Bund
略称 DFB
FIFAコード GER
歴史
設立 1900年
FIFA加盟 1904年
UEFA加盟 1954年
組織
国または地域 ドイツの旗 ドイツ
本部 フランクフルト・アム・マイン
会長 ラインハルト・グリンデル
公式サイト
ラインハルト・グリンデル会長。

ドイツサッカー連盟(ドイツサッカーれんめい、ドイツ語: Deutscher Fußball Bund)は、ドイツ連邦共和国におけるサッカー活動の振興を行う運営団体。ドイツスポーツ連盟 (Deutscher Sport Bund) 加盟。本部所在地はフランクフルト・アム・マイン

トレードマークは国章に倣い「(アードラー)」にDEUTSCHER FUSSBALL BUNDとあしらった白地のものか、緑地に白抜きの正三角形を3つ組み合わせたもので一部直線を切ることで「DFB」のロゴを形作ったもの(ともに円形で黒に近い灰色で丸く囲み、下の部分を線を反時計回りに国旗の色である黒、赤、黄色に区切っている)を使用する。

名称[編集]

原語(ドイツ語)での名称はDeutscher Fußball Bund(ドイチャー・フースバール・ブント 冠詞付きではDer Deutsche Fußball-Bund)であり略してDFB。この名称を直訳すると「ドイツサッカー連盟」となる。しかし英語ではGerman Football Associationと表され、これを日本語にすると「ドイツサッカー協会」となる[1]。このため日本では両方の表記が混在することになっている。

概要[編集]

1900年1月にライプツィヒで創設。現在は26000以上のクラブが加盟し、ドイツスポーツ連盟傘下の競技団体では最大の規模であり、630万人を超える会員数の世界最大のスポーツ協会である。1904年国際サッカー連盟 (FIFA) 、ヨーロッパサッカー連盟 (UEFA) には1954年に加盟した。

5つの地域連盟と21の地区協会を持ち、ドイツ代表女子代表などのチームの総括やブンデスリーガ女子ブンデスリーガレギオナルリーガ(地域リーグ)を傘下にもつ。

沿革[編集]

1900年1月28日ライプツィヒにて創立。当時のドイツ国内にある86クラブが加盟した。1904年には国際サッカー連盟 (FIFA) に加盟。その後もイングランドサッカー協会(FA)に対抗する欧州サッカーやFIFAの中核組織として機能し、イボ・シュリッカー英語版第二次世界大戦を挟んで1932年から1950年までFIFAの事務局長を務めた。1938年にはナチス・ドイツによるアンシュルス(オーストリア合併)に伴いオーストリアサッカー連盟がDFBの一部となった。

1945年、第二次世界大戦でドイツが敗北し、中央政府が消滅するとDFBは消滅し、FIFAからも開戦の責任を問う形でドイツと日本[2]が除名された。その後、アメリカ合衆国イギリスフランスの3ヶ国による占領地域において統合国家の復興が進み、1949年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立した。これに合わせ、同年7月10日にDFBが旧名のままで復活し、1950年にFIFAへ復帰した。1954年には西ドイツ代表としてFIFAワールドカップスイス大会に初参加したチームが「マジック・マジャール」として呼ばれたハンガリー代表を決勝で下し、ドイツの代表チームとして初めて優勝した。

DFBは1956年には欧州サッカー連盟 (UEFA) の結成に参加した。同年には、第二次世界大戦後にフランスの保護領となっていたザールザールラントサッカー連盟ドイツ語版サッカーザールラント代表)が合流した[3]

ただし、ソ連占領地域に成立したドイツ民主共和国(東ドイツ)では、1950年東ドイツサッカー協会ドイツ語版 (DFV) が成立し、DFBの反対を押し切って1952年にFIFAに加盟した。DFVはUEFAの創設メンバーにもなったが、DFBとDFVの関係は疎遠で、サッカー東ドイツ代表との「東西対決」は1974年にDFBがホストとなって開催した1974 FIFAワールドカップ(W杯西ドイツ大会)の1回のみだった。この時には西ドイツ代表は敗れたが、西ドイツ代表は決勝でオランダ代表を下して2度目のW杯優勝を果たした。

1963年にはかつての統一ドイツ時代を含めて初の全国リーグ戦となるブンデスリーガを開始した。また、1961年からは「ゴールデンプラン」と呼ばれる西ドイツ連邦政府・各州政府・地方自治体などの大規模なスポーツ施設整備計画が始められ、DFBはスポーツシューレと呼ばれる各地の総合スポーツ施設で選手育成や代表チームの強化、それに一般の地域住民を対象とした普及活動などを進めた[4]。これはデットマール・クラマーをはじめとした各指導者の派遣と共に、世界各国のサッカー協会やスポーツ団体に影響を与えた。

その後もDFBは世界のサッカー界で大きな影響力を持ち続け、1990年には1990 FIFAワールドカップ(W杯イタリア大会)で3度目の優勝を遂げた。この優勝時には既に東ドイツが西ドイツに吸収合併されるドイツ再統一が決まっていて、これがDFBとして最後の西ドイツ地域単独でのタイトルになった。10月3日にドイツ再統一が行われると、11月20日にDFVが解散を決議した。DFBは旧東ドイツ地域に成立した5州の協会を加え、サッカー界の再統一も完成させた[5]

2006年にはDFBとして2度目、再統一後は初のW杯自国開催になる2006 FIFAワールドカップ(W杯ドイツ大会)でドイツ代表が3位に入った。続く2010 FIFAワールドカップ(W杯南アフリカ大会)ではドイツ代表は3位。2014 FIFAワールドカップ(W杯ブラジル大会)では「アメリカ大陸での大会ではヨーロッパのチームは優勝できない」のジンクスを破りドイツ代表は4度目の優勝をした。1990年のドイツ再統一後にドイツ代表がFIFAワールドカップに優勝したのはこれが最初である(1990年大会の優勝は再統一前)。

国際大会[編集]

初の国際試合は男子1908年4月5日スイス戦(スイスバーゼル)、女子1982年9月10日スイス戦(ドイツコブレンツ)である。

男子[編集]

FIFAワールドカップの成績は以下のとおり。

開催国 順位 得点数
1934年 イタリア王国の旗 イタリア王国 3位 3 0 1 11:8
1938年 フランスの旗 フランス 決勝トーナメント1回戦敗退 0 1 1 3:5
1954年 スイスの旗 スイス 優勝 6 0 1 25:14
1958年  スウェーデン 4位 2 2 2 12:14
1962年  チリ 準々決勝敗退 2 1 1 4:2
1966年 イングランドの旗 イングランド 準優勝 4 1 1 15:6
1970年 メキシコの旗 メキシコ 3位 4 1 1 17:10
1974年 西ドイツの旗 西ドイツ 優勝 6 0 1 13:4
1978年 アルゼンチンの旗 アルゼンチン グループリーグ敗退 1 4 1 10:5
1982年 スペインの旗 スペイン 準優勝 4 1 2 12:10
1986年 メキシコの旗 メキシコ 準優勝 4 1 2 8:7
1990年 イタリアの旗 イタリア 優勝 6 1 0 15:5
1994年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 準々決勝敗退 3 1 1 9:7
1998年 フランスの旗 フランス 準々決勝敗退 3 1 1 8:6
2002年 日本の旗 日本/大韓民国の旗 韓国 準優勝 5 1 1 14:3
2006年 ドイツの旗 ドイツ 3位 6 0 1 14:6
2010年  南アフリカ共和国 3位 5 0 2 16:5
2014年 ブラジルの旗 ブラジル 優勝 6 1 0 18:5

女子[編集]

FIFA女子ワールドカップの成績は以下のとおり。

開催国 順位 得点数
1991年 中華人民共和国の旗 中国 4位 4 0 2 13:10
1995年  スウェーデン 準優勝 4 0 2 13:6
1999年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 準々決勝敗退 1 2 1 12:5
2003年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 優勝 5 0 0 23:3
2007年 中華人民共和国の旗 中国 優勝 5 1 0 21:0
2011年 ドイツの旗 ドイツ 準々決勝敗退 3 0 1 7:4

国内大会[編集]

ドイツ国内における最大のサッカー大会は、連盟傘下のドイツサッカーリーグ機構(Deutsche Fußball Liga、DFL) が運営するブンデスリーガ(連邦リーグ)である。なお、ブンデスリーガは、多くの場合は1部リーグの「1.ブンデスリーガ (1.Bundesliga) 」を指すことが多いが、ドイツのサッカーリーグの総称でもある。

他の欧州諸国のリーグとほぼ同じく秋春期に開催され、毎年、トロフィーであるマイスターシャーレ(覇者の盆)をめぐって各チームがしのぎを削る。1963年のブンデスリーガ開始後は長らく2部制であったが、2008-09シーズンの制度改革に際して、DFBが直接運営する3部リーグが新たに発足し、現在の3部制となった。そして、その下部にはレギオナルリーガ(地域リーグ)がある。

サッカーはドイツで最も人気のあるプロスポーツであり、テレビ中継などで多くの人々が観戦する。スタジアムへの観客動員数は120万人ほどとされる[6]

国内カップ戦ではDFBポカールを主催している。

また、女子の大会では女子ブンデスリーガ女子DFBポカールなどを主催している。

歴代会長[編集]

*2004年から2006年9月の間は2人で職務を分担

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ドイツ語で「協会」を意味するのは"Verband"。ドイツ語圏であるスイスサッカー協会のドイツ語名は"Schweizerischer Fussballverband"であり、消滅したドイツ民主共和国(DDR、東ドイツ)のサッカー協会は"Deutscher Fußball-Verband der DDR"であった(なお、オーストリアサッカー連盟はドイツと同様"Bund")。
  2. ^ 日本では大日本蹴球協会が存続した
  3. ^ 同連盟はDFB再建より早く1948年成立。ザールは1957年ザールラント州として西ドイツに参加。
  4. ^ 『我が国の文教施策』「第I部 心と体の健康とスポーツ」”. 文部科学省. 2014年9月23日閲覧。
  5. ^ 旧東ドイツのトップリーグ、DDRオーバーリーガの加盟クラブは再統一直後の1990/91年シーズンのみブンデスリーガから独立した「NOFVオーバーリーガ」を戦い、その成績に応じてDFBからブンデスリーガ1部・2部への参加や新たなオーバーリーガ(地方リーグ、北東部地域で一つのリーグを形成)への編入などの措置が行われた。
  6. ^ 『ドイツの実情』(ドイツ連邦共和国新聞局、2000年)

外部リンク[編集]