ヨハネス・イッテン

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ヨハネス・イッテン
イッテンの色相環

ヨハネス・イッテンJohannes Itten; 1888年11月11日-1967年5月27日)は、スイスの芸術家、理論家、教育者。

人物[編集]

スイスのベルンに生まれる。当初は初等・中等教育の教職についていたが、青騎士分離派、後にバウハウスに集まる芸術家たち等と接触するうちに、美術に傾倒する。特に、画家アドルフ・ヘルツェル(Adolf Hölzel; 1853年-1934年)に師事する。1917年にはウィーンで絵画学校を開設。

1919年には、ヴァルター・グロピウスの招聘を受け、バウハウスマイスターとなり予備課程を担当する。しかし、その精神主義的ともいえるような教育理念がグロピウスの考え方と相容れず、1923年には解雇されてしまう。

一旦スイスに戻るが、1926年にはベルリンにて学校を設立する。これが後に「イッテン・シューレ(Itten Schule)」となる。この学校には日本からの留学生もおり、日本との接点もあった。イッテンは日本美術に関しても造詣が深かったという。

イッテン・シューレは1934年には閉鎖されるも、イッテン自身は戦時中はスイスにとどまった。戦後も作品制作を継続した。

イッテンは作品制作もさることながら、バウハウスや自身の学校において独自の造形論および色彩論を主張し、展開した点において大きな特徴がある。絵具を混色による12色の色相環を独自に開発し、中心軸に白・黒を置いた球体の色立体を用いて色彩調和論を説いた[1][2]。この独自の色体系はイッテン表色系と呼ばれることもある。

なお、バウハウス時代の剃髪したイッテンの姿は、芸術家・教育者というよりも、宗教家といった趣を漂わせている。

日本における展覧会[編集]

同展は、日本で初めて、イッテンの業績を網羅的に紹介するものであり、その展覧会カタログは、イッテンに関する重要な文献となっている。

脚注[編集]

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  1. ^ 色彩理論~色彩調和:配色技法(色相分割)~”. nanisama. 2021年7月14日閲覧。
  2. ^ 槙究著『カラーデザインのための色彩学』(2006年、オーム社