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フランクフルト学派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホルクハイマー(左)とアドルノ(右)。背後にハーバーマス。
フランクフルトの社会研究所

フランクフルト学派(フランクフルトがくは、ドイツ語: Frankfurter Schule)は1920年代のドイツに登場したマルクス主義者の学者のグループである。ルカーチの理論をベースにヘーゲル弁証法フロイト精神分析理論をマルクス主義と融合させてマルクス主義の問題点の克服と進化を試みたグループの他称。

概要

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20世紀前半に主流であったソ連型社会主義スターリニズムとは一定の距離を置いて新しい形のマルクス主義を模索、一部は後に新マルクス主義と呼ばれる潮流の源流となり、1960年代には新左翼運動にも影響を与えた。

1930年代ワイマールドイツナチスが政権を獲得するとメンバーの多くが亡命、やがて活動の中心がアメリカに移り、第二次世界大戦時には米国政府機関で活動、ドイツと日本の戦時情報分析、戦後処理と占領政策の策定、憲法策定に関わった。

戦後は研究所関係者の多くが西ドイツに帰国、ホルクハイマーアドルノフランクフルト大学で社会研究所を再興し、再びドイツが活動の中心となったが、一部はアメリカに残り著作・研究活動を続けた。

社会研究所発足から90年以上経った現在もこの学派は活動し、ドイツを中心に第3世代〜第4世代の学者たちが活動している。

沿革

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発端

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1922年夏、ドイツテューリンゲン州イルメナウで第1回マルクス主義研究集会が開催された。

主催者はフランクフルト大学フェリクス・ヴァイルドイツ語版で、この会議の主なる目的はマルクス主義の新潮流を模索することであり、一週間に渡る会議においてはマルクス主義に関する話題が議論された。多くの時間がフリードリヒ・ポロックの『マルクス主義と哲学』の講義であったと言われている。 この研究会に参加したメンバーはルカーチ・ジェルジカール・コルシュ、当時留学中で両氏からマルクス主義を学んでいた福本和夫、後に日本でゾルゲスパイ団のリーダーとしてスパイ容疑により逮捕・死刑となるリヒャルト・ゾルゲ、かつてはローザ・ルクセンブルクと活動を共にしたフェミニスト・女性解放運動家でドイツ共産党中央委員・コミンテルン代表委員を歴任したこともあるクララ・ツェトキンフリードリヒ・ポロック、後にフランクフルト学派のメンバーになるカール・ウィットフォーゲルなどであった。この他に多くのマルクス研究家、その家族などが参加した。

フェリクス・ヴァイルは第2回マルクス主義研究集会を計画したが、やがて独立した研究機関の設置の必要性を強く感じ、彼の父の出資を受けてフランクフルト社会研究所を設置する。

年表

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第二次大戦前

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第二次大戦中

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この頃社会研究所は財政難に陥いった。アメリカに亡命した多くの研究所メンバーは生活に困窮し、様々な副業(大学の臨時講師、法律関係のアドバイザーなど)でしのいだが、やがて戦時において優秀な頭脳を求める多数の政府機関が彼らの持つ学問的スキルや知識、情報を求めてリクルートした。

一部はO,S,Sの中枢で活動、ドイツと日本の情報分析と戦後政策の策定に深く関与した。とくにドイツの戦後政策策定に関してはフランツ・ノイマンヘルベルト・マルクーゼゼらが関わっており、ニュルンベルク裁判ではフランツ・ノイマンが法学の知識を活かして深く関与した。
フランツ・ノイマンについては1995年にアメリカ国家安全保障局が公開したヴェノナファイルによってソヴィエトのスパイ(暗号電文上のコードネームは“ラフ”)として活動していたでことが判明している)

終戦後

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戦後

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1960年代、世界各地で大学紛争の渦が巻き起こった時代に、新左翼の運動の支柱となる理論を求めて、このグループに注目が集まったが、フランクフルト大学における大学紛争ではアドルノが批判の対象となり、社会研究所は学生たちによって占拠された。アドルノは機動隊を導入して学生を排除し、裏切り者と罵倒された[1]

一方ドイツに帰国せずアメリカに残ったヘルベルト・マルクーゼは当時のアメリカ各地の大学で起きた反戦平和運動など学生運動の活動家に向けて積極的に発信し、「新左翼の教組」というポジションで広く受け入れられた。日本でも同時期に全国で起きた学生運動においてマルクーゼの著作は広く読まれ、当時の学生達を中心に強い文化的な影響をもたらした。

思想的特徴

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二代目代表のホルクハイマー道具的理性という概念を提唱し、社会の近代化によって人間が自然(人間を含む)を支配し、搾取することを批判した。

ナチスドイツやソビエトへの反動から全体主義批判が多いのもこのグループの特徴の一つである。

フランクフルト社会研究所設立に関わった思想家、研究者

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フランクフルト学派の主な思想家、研究者

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第1世代

第2世代

第3世代

第4世代

脚注

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  1. ^ 横井邦彦「フランクフルト学派」(「プロメテウス」34号)

参考文献

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  • マーティン・ジェイ弁証法的想像力 フランクフルト学派と社会研究所の歴史 1923-1950
    荒川幾男訳、みすず書房、1975年、復刊2004年。当事者たちの生の証言を基に書かれた定本。
  • 『現代思想入門 グローバル時代の「思想地図」はこうなっている!』PHP、2007年。ISBN 978-4-569-65561-1
  • 清水多吉 『1930年代の光と影―フランクフルト学派研究』河出書房新社、増補版1986年
  • 細見和之 『フランクフルト学派 ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』中公新書、2014年
  • ルイス・A.コーザー『亡命知識人とアメリカ その影響とその経験』 荒川幾男訳、岩波書店、1988年
  • 前川玲子亡命知識人たちのアメリカ世界思想社、2014年
  • フランクフルト学派のナチ・ドイツ秘密レポート』ラファエレ・ラウダーニ編、野口雅弘訳、みすず書房、2019年
  • 山口節郎 (1984-11-01), “「批判理論と社会システム理論:ハーバーマス/ルーマン論争」”, 社会・経済システム (社会・経済システム学会) (2): pp. 7-12, ISSN 09135472, https://cir.nii.ac.jp/crid/1390001206053645184 

関連項目

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外部リンク

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  • 公式サイト[1]