山口素弘
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名前 | ||||||
愛称 | ヤマ、モトさん | |||||
カタカナ | ヤマグチ モトヒロ | |||||
ラテン文字 | YAMAGUCHI Motohiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1969年1月29日(55歳) | |||||
出身地 | 群馬県高崎市 | |||||
身長 | 177cm[1] | |||||
体重 | 72kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1991-1992 1992-1998 1999-2002 2003-2005 2005-2007 |
全日空サッカークラブ 横浜フリューゲルス 名古屋グランパスエイト アルビレックス新潟 横浜FC |
22 (1) 191 (29) 110 (6) 83 (6) 84 (0) | ||||
代表歴2 | ||||||
1995-1998[2] | 日本 | 58(4) | ||||
監督歴 | ||||||
2012-2014 | 横浜FC | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月14日現在。 2. 2007年12月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
山口 素弘(やまぐち もとひろ、1969年1月29日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF、主にボランチを多く務めた。
選手時代の特徴
この選手時代の特徴に関する文献や情報源が必要です。(2012年3月) |
運動量は多い訳ではないが、非常に知的で、巧みに相手のパスの出し所を消していき、攻撃の芽を摘む。また、攻撃の起点となってパスをフィールド全体に散らすと共に、ミドルシュートなどで自身も積極的にゴールを狙う。1997年2ndステージ第5節のホームの鹿島アントラーズ戦ではボランチとしては珍しいハットトリックを達成した。
ポジション柄、ゲームメーカータイプの選手(日本代表では名波浩、中田英寿、横浜フリューゲルスではエドゥー、ジーニョ)らを下支えする役割を得意とした。
来歴
クラブにて
1984年、前橋育英高等学校入学。1985年、鳥取国体に群馬県代表として出場。1987年1月、全国高校サッカー選手権大会に出場。
1987年4月、東海大学に入学。1988年、全日本大学サッカー選手権大会で優勝(東海大学はこの年が同大会へ初出場であり、この年を含めて6年連続で決勝に進出した)。関東選抜(対関西選抜戦)に選出され、同試合にてMVPに選出される[3]。また、1学年下で礒貝洋光、澤登正朗が加入し、ポジションを守備的ミッドフィルダーに移す。1989年、全日本大学サッカー選手権大会で準優勝。1990年、全日本大学サッカー選手権大会で2度目の優勝。同年、ユニバーシアード(サッカー競技)日本代表に選出される。
1991年4月、全日空に入社、全日空サッカークラブ(後に横浜フリューゲルス)の選手となる。当時の監督は加茂周。1992年、Jリーグの前哨戦であったナビスコカップに出場。Jリーグの開幕した1993年、8月19日の対浦和戦にてJリーグ初ゴール。1994年1月1日、天皇杯で優勝。1995年8月、第1回アジアスーパーカップで優勝。1996年、1997年と2年連続でJリーグベストイレブンに選出される。
1998年10月29日、横浜フリューゲルスと横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)の合併が発表されたが新チームへは移行せず12月に名古屋グランパスエイトへの移籍を発表。1999年1月1日、横浜フリューゲルスの最後の試合となった天皇杯にて優勝。
2000年1月1日、移籍後の名古屋においても天皇杯優勝。
2002年12月、名古屋から戦力外通告を受けて、アルビレックス新潟に移籍。2003年11月23日、新潟がJ2で優勝し、J1昇格を果たす。2004年12月4日、新潟県中越地震チャリティーマッチにジーコジャパンドリームチームの一員として出場。
2005年8月16日、新潟からJ2の横浜FCにレンタル移籍(その後、完全移籍)。2006年、横浜FCのJ2優勝とJ1昇格に大きく貢献した。2007年、キャプテンとしてチームを牽引。シーズン終了を待たずして戦力外通告を受け、現役引退。
代表にて
1995年1月、キング・ファハド・カップでのナイジェリア戦で日本代表にデビューする[2]。
1997年、フランスW杯アジア最終予選に向けて、日本代表に選出される。
1998年6月、日本代表としてフランスW杯に出場(日本は3戦全敗でグループリーグ敗退)。
現役引退後
引退後は主にサッカー解説者として活躍。2008年4月よりJFAアンバサダーとして若年層に対する技術指導や普及活動にも従事した。
2009年にJリーグの監督に必要なS級コーチ資格を取得し、2012年3月21日、古巣である横浜FCに前監督のシーズン途中解任を受け監督として就任、第5節より指揮を執った。相馬直樹、秋田豊に次ぐ、3人目のW杯出場経験者の監督となる。監督初年度のシーズンは前監督解任時に最下位だったチームを立て直し、第9節にて監督初勝利を皮切りに最終的にはJ1昇格プレーオフへ進出するなどの好成績を残した。が2年目の2013年以降は優勝争いに絡めず中位止まりの成績に終始。「クラブとの意見の相違」を理由に足かけ3年で任を退いた。
2015年6月、日本サッカー協会技術委員(強化部会員)に就任し[4]、Jリーグ・アンダー22選抜のコーチに登録された[5]。
エピソード
- 自身初となる日本代表入り後、辛口批評で有名なセルジオ越後に「彼はただのディフェンシブハーフじゃないね。チームの舵取りが出来る、日本に初めて誕生した本物のボランチだよ」との評価を受ける。セルジオ曰く、山口の登場まで日本の中盤の底には森保一のような守備を専門とする選手しかおらず、この位置からゲームを作れるのは山口が初めてだったという(現在ではレジスタと呼ばれる役割だが、元々はゲームの作れる守備的MFをボランチと呼んでいた)。
- 1997年のフランスW杯アジア最終予選第3戦、国立霞ヶ丘陸上競技場で行われた韓国戦でのループシュートは、1985年の木村和司のメキシコW杯アジア最終予選対韓国戦のフリーキックと並び、伝説と称されている。
これはまた、フジテレビの『教訓のススメ』(ダウンタウン他)(2014年10月31日の回)でも紹介された。その中で遠藤保仁は、『これまで人生で見たシュートでダントツで感動したシュートだった。あの場面は、パスもあり、抜いて普通にシュートなど、色々選択肢もあるが、一瞬でループシュートを選んだその判断力のすごさ、カッコよさ、足が離れてからゴールまで時が止まったような感覚、その後の大歓声。本当に感動した』と語っている。
- W杯で史上初めてシュートを放った日本人であり、また、横浜FCのJ1での初戦でも初めてのシュートを放っている。
- Jリーグが発足した1993年から引退する2007年まで「15年連続Jリーグ開幕スタメン出場」を続けた唯一の選手である。
- 大学卒業後、全日空/フリューゲルスから横浜FCまでの17シーズン中14シーズン、所属した4チームの全てでキャプテンを務めた。そして4チーム全てに於いて、リーグ戦、カップ戦等の優勝タイトルをもたらしている。
- 横浜フリューゲルスに対する思いが強い選手の一人である。
- 2007年のインタビュー[6] のインタビューによると、山口は名古屋や新潟に在籍した時も自宅を横浜に残していたが、フリューゲルスからF・マリノスに移管されたかつての練習場、東戸塚トレーニングセンターには全く近付かなかったとしている。そして、横浜FCがこの練習場を2006年に引き継いだ際、山口はフリューゲルス時代と同じ場所に自分のロッカーを置いた。
- 引退後に自身の引退試合を企画していたが、引退試合において「フリューゲルス」の名称を使う許可が名称を所有する団体より下りなかったため、開催そのものを断念したほどである。
- また、横浜フリューゲルスと横浜FCのホームであるニッパツ三ツ沢球技場への思いも強い。
- 現役時代はクールなイメージが強い選手だったが、すぽると!ではユニークなトークが多かった。
所属クラブ
- 1984年 - 1987年 前橋育英高等学校
- 1987年 - 1991年 東海大学
- 1991年 - 1998年 全日空サッカークラブ / 横浜フリューゲルス
- 1999年 - 2002年 名古屋グランパスエイト
- 2003年 - 2005年8月 アルビレックス新潟
- 2005年8月 - 2007年 横浜FC
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | 全日空 | 32 | JSL1部 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
1991-92 | 23 | 22 | 1 | 1 | 1 | ||||||
1992 | 横浜F | - | J | - | 6 | 0 | |||||
1993 | 35 | 3 | 6 | 1 | 4 | 0 | 45 | 4 | |||
1994 | 34 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 37 | 2 | |||
1995 | 41 | 3 | - | 1 | 0 | 42 | 3 | ||||
1996 | 28 | 8 | 14 | 5 | 1 | 0 | 43 | 13 | |||
1997 | 5 | 19 | 6 | 1 | 0 | 5 | 1 | 25 | 7 | ||
1998 | 34 | 7 | 0 | 0 | 5 | 0 | 39 | 7 | |||
1999 | 名古屋 | 6 | J1 | 29 | 2 | 6 | 0 | 5 | 0 | 40 | 2 |
2000 | 28 | 1 | 6 | 1 | 2 | 0 | 36 | 2 | |||
2001 | 28 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 34 | 1 | |||
2002 | 25 | 2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 31 | 2 | |||
2003 | 新潟 | 8 | J2 | 42 | 4 | - | 3 | 0 | 45 | 4 | |
2004 | J1 | 29 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 34 | 2 | ||
2005 | 12 | 0 | 3 | 0 | - | 15 | 0 | ||||
横浜FC | 30 | J2 | 18 | 0 | - | 2 | 0 | 20 | 0 | ||
2006 | 6 | 46 | 0 | - | 0 | 0 | 46 | 0 | |||
2007 | J1 | 20 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 25 | 0 | ||
通算 | 日本 | J1 | 362 | 37 | 63 | 7 | 27 | 1 | 452 | 45 | |
日本 | J2 | 106 | 4 | - | 5 | 0 | 111 | 4 | |||
日本 | JSL1部 | 22 | 1 | 1 | 1 | ||||||
総通算 | 490 | 42 | 64 | 8 |
- その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 4試合0得点
- 1994年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2000年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 国際試合
- 2000/01 アジアカップウィナーズカップ 4試合0得点
- 出場歴
- Jリーグ初出場:1993年5月16日 対清水エスパルス戦 (三ツ沢公園球技場)[1]
- Jリーグ初得点:1993年8月14日 対鹿島アントラーズ戦 (茨城県立カシマサッカースタジアム)[1]
- JSL(1部)初出場:1991年9月15日 対松下電器戦 (三ツ沢球技場)
- JSL(1部)初得点:1992年2月9日 対松下電器戦 (神戸総合運動公園ユニバー記念競技場)
代表歴
出場大会など
- 1990年 ユニバーシアード
- 1995年 キング・ファハド・カップ、ダイナスティカップ、キリンカップ、アンブロカップ
- 1996年 カールスバーグカップ、キリンカップ、AFCアジアカップ
- 1997年 フランスW杯アジア予選(1次・最終)、キングスカップ、キリンカップ、JOMOカップ
- 1998年 フランスW杯、ダイナスティカップ、キリンカップ
試合数
- 国際Aマッチ 58試合 4得点(1995-1998)[2]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1995 | 14 | 1 |
1996 | 13 | 2 |
1997 | 22 | 1 |
1998 | 9 | 0 |
通算 | 58 | 4 |
指導歴
- 2012年 - 2014年 横浜FC 監督
- 2015年6月 - 11月 Jリーグ・アンダー22選抜 コーチ
監督成績
年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
2012 | 横浜FC | J2 | 4位 | 71 | 38 | 22 | 5 | 11 | - | 3回戦 |
2013 | 11位 | 58 | 42 | 15 | 13 | 14 | - | 2回戦 | ||
2014 | 11位 | 55 | 42 | 14 | 13 | 15 | - | 2回戦 |
- 2012年は第5節から指揮。
受賞歴
大学
- 1988年 MVP(関西選抜vs関東選抜)
Jリーグ
- 1996年 Jリーグベストイレブン
- 1997年 Jリーグベストイレブン
- 1998年 Jリーグオールスターサッカー
- 1999年 Jリーグ優秀選手賞
- 2004年 Jリーグオールスターサッカー
- 2008年 Jリーグ功労選手賞
著書
- 『横浜フリューゲルス消滅の軌跡―キャプテン山口素弘が語るチーム消滅と天皇杯優勝までのドラマ』日本文芸社刊
テレビ出演
- すぽると!(フジテレビ)土曜日のJリーグコーナー担当
- Foot!(J SPORTS)不定期ゲスト
- ヤマザキナビスコカップ(フジテレビワンツーネクスト)解説
- ブンデスリーガ(フジテレビNEXT)解説
- UEFAチャンピオンズリーグ(スカパー!)解説
- プレミアリーグ・バルサTV(J SPORTS)解説
- Jリーグ・名古屋グランパスホーム戦中継(東海テレビ)解説 ※初出演は2009年7月5日深夜に録画放送されたガンバ大阪戦
参考文献
- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998 ISBN 4-09-102335-5
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-104-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8116-7
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8134-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-802-6
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-805-0
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-811-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-839-9
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-101-4
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-103-0
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8117-5
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8135-3
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-801-8
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-806-9
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-812-3
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-840-5
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2008』、コナミデジタルエンタテインメント、2008 ISBN 978-4-86155-846-7
脚注
- ^ a b c d 登録選手一覧表 Jリーグ 2007.12.07
- ^ a b c “山口 素弘”. サッカー日本代表データベース
- ^ “第54回 山口素弘さん【松原良香コラム“サッカー人”】”. FELICE(フェリーチェ). 2013年9月6日閲覧。
- ^ “各種委員及び部会員選任の件 関連資料No.7” (PDF). 2015年6月12日閲覧。
- ^ "登録役員追加・変更・抹消のお知らせ" (Press release). Jリーグ. 12 June 2015. 2015年6月12日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン社『まるごとJリーグ完全版 栄光の記憶15年』
関連項目
- ジョホールバルの歓喜 (1997年 ワールドカップフランス大会アジア地区最終予選)
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表
外部リンク
- 山口素弘のオフィシャルブログ
- プロフィール
- 山口素弘×腕時計本舗コラボウォッチ 「M.PIVOTE」