小関竜也
読売ジャイアンツ 二軍外野守備走塁コーチ #74 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県佐野市 |
生年月日 | 1976年7月24日(47歳) |
身長 体重 |
178 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1994年 ドラフト2位 |
初出場 | 1996年10月4日 |
最終出場 | 2008年8月19日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
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この表について
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小関 竜也(おぜき たつや、1976年7月24日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ、野球解説者。
2003年シーズン途中から2004年までの登録名は小関 竜弥(読み同じ)。
来歴
プロ入り前
國學院栃木高校では、エースで主将で4番打者として活躍。なお、同学年の控え投手は千葉ロッテマリーンズの渡辺俊介。
西武時代
慶應義塾大学への推薦入試に不合格となり[1]、1994年のドラフト2位で西武ライオンズに投手として指名され入団。入団後に打者へ転向。
1年目の1995年は一軍での出場はなかった。
1996年10月4日の近鉄バファローズ25回戦の8回裏に笘篠誠治の代打として一軍初出場を果たす。
1997年も1試合の出場に留まる。
1998年には104試合に出場し、同年の新人王を受賞(パ・リーグで入団4年目での受賞は小関が初)。
1999年は前年より成績が下がったが、プロ入り初の規定打席到達を果たした。
2000年は前年とそれほど変わらない打率だったが、100安打到達はならなかった。
2001年は打率.280と好成績を残した。
2002年には自身最高の打率.314を記録、松井稼頭央との不動の1・2番コンビでリーグ優勝に貢献。巨人との日本シリーズでは第2戦で初回にセカンドへの内野安打で出塁し、2死となった後、アレックス・カブレラ、スコット・マクレーンが四死球で出塁し2死満塁となるが、相手先発の桑田真澄が二塁へ牽制球を投げた際、三塁ランナーだった小関はその隙をついて本塁を狙ったが、返球が早くタッチアウトとなった。この大きなチャンスを逃した西武は巨人打線に打ち込まれ、西武打線は桑田に抑え込まれた。チームはストレートの4連敗で日本一を逃した。
2003年は3割は逃したが、三塁打5本と最多犠打を記録した。
2004年は赤田将吾や佐藤友亮が台頭したこともあり、レギュラーとして出場できず、90試合の出場に終わった。
選手会長に就任した2005年は前年台頭した佐藤友亮の故障による長期離脱があったが、自身はそのチャンスを生かせず47試合の出場に終わり、打率.198と低迷した。シーズン終了後に大幅減俸を提示された事もあり、メジャーリーグへの挑戦を申し出る。ライオンズは小関を功労者であるとして自由契約とする。トレード要員であったという説はあったものの、その時点で29歳とまだ若く、また野手層の少ないチーム状況であったため、伊東勤監督が「若手と競わせるつもりだった」とコメントし、編成部への不信感をあらわにするなど、フロントと現場の意思疎通がうまく行っていないことを示唆する出来事であった。
西武時代は走攻守揃った選手として3度の優勝に大きく貢献。西武で不動の右翼手として活躍していた時代は右翼手でありながら中堅手よりも多くの打球を処理していた。2013年5月25日に聖澤諒に抜かれるまでパシフィック・リーグの外野手の連続無失策記録(658連続)を保持していた[2][3]。盗塁数は二桁を越える年が多かったが、盗塁失敗回数も多かった。特に2002年はリーグ最多である。
メジャー挑戦
2006年2月8日、守備および送球の良さを買われ、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約。メジャー昇格を目指していたが、4月13日に球団のマイナー選手の外国人枠が埋まっていることが判明。その後の交渉も不調で残留は困難と判明。
2日後の4月15日、読売ジャイアンツの入団テストを受け合格し入団。
巨人時代
2006年6月11日に行われた千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で、3回表、ロッテ先発渡辺俊介から李承燁がライトスタンドへ本塁打を打ったものの、サード今江敏晃が走者であった小関の三塁ベース踏み忘れを指摘し、塁審の西本欣司により得点を取り消されてスリーアウトチェンジとなり、打った李承燁は、単打扱いとなった。
本塁打を打った打者以外の走者がベース空過で本塁打取り消しになったのはセ・パ両リーグを通じて史上初。なお、小関は西武時代にも1999年6月25日の対ダイエー戦でも三塁ベースを踏み忘れてアウトになっている。
巨人時代のベース空過の件に関して、2009年5月26日の斉藤一美 うるわしの夜(文化放送)に出演した際に、「踏んでないわけない。踏まないなら変な感触がある」「フジテレビにはベースを踏んだ映像が残っている」「(その時の審判を)今でも許せない。死ぬまで許せない」「今はインターネットがあるのでいつまでも残ってしまう」「清武代表が『小関は踏んだ』ということをアピールしてくれてうれしかった」と語っている。
この年の巨人は故障者が続出し、小関も入団後は出場機会があったが、打率.258で本塁打0に終わり、救世主とはならなかった。
2007年は若手選手が台頭したこともあり、二軍でも出場機会が得られないまま戦力外通告を受ける。同年の12球団合同トライアウトで2本塁打を放ち、横浜ベイスターズへの入団が決定。
横浜時代
2008年は開幕スタメンで起用され、開幕から4試合連続でマルチヒット(その内1試合は猛打賞)を記録するなど絶好調であったが、5月に入り失速。その後は主に左の代打として起用された。8月半ばに登録を抹消されるとその後の一軍出場は無かった。10月1日に戦力外通告を受ける。守備では無失策を記録し、持ち味は発揮していた。
現在
2009年は2度目のメジャーリーグ挑戦を目指し、3月にコロラド・ロッキーズのトライアウトを受けるが、不合格。4月14日、現役引退を発表。野球評論家としてJ SPORTSで解説を務めた(ただし、解説者としての初仕事は「NACK5 SUNDAY LIONS」のゲスト解説)。2011年からは読売ジャイアンツの二軍外野守備走塁コーチを務める[4]。
この他に、埼玉西武ライオンズの社会貢献活動あるいは講演活動に協力し、埼玉県内の小・中学校で自身の経験を基にした講演等を行っている。
登場曲について
西武時代、西武ライオンズ球場がドーム化され西武ドームとなるのに合わせ、各選手が打席に入る際やイニング間の投球練習の間に流すテーマ曲を決めることになった。小関はレッツゴー!ライオンズ内でファンからテーマ曲のアイディアを公募し、その結果テレビドラマ「太陽にほえろ!」で劇中のBGMとして使われた『ジーパン刑事のテーマ』(青春のテーマ)を使用することを決めた。
ところがある時期から一部の西武ファンが、小関が打席に入る際、場内で流れる『ジーパン』のリズムに合わせて「お・ぜ・きー!!」などと小関コールを入れるようになり、これがのちにホームのみならず、ロードゲームでも応援団がトランペットで演奏するようにまでなった。
小関は巨人移籍後も『ジーパン』をテーマ曲に選曲。ファン・応援団による小関コールも西武時代同様に行われた。しかし巨人に在籍した2年間は出場機会に恵まれず、特に2007年シーズンは出場が僅か5試合。東京ドームで『ジーパン』が流れたのは僅か2回だけであった。
12球団合同トライアウトを経て横浜に移籍。ここでも小関は「自分のテーマ曲として定着しているし、あの曲で横浜を盛り上げたい」と、『ジーパン』をテーマ曲に選んだ。
2009年にはライオンズの星秀和が、小関本人に直接許可をもらって使用していた。
エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 長女は、アイドルグループ・カントリー・ガールズの小関舞[5]。
- 実家は栃木県佐野市にあるラーメン屋で、佐野ラーメンの有名店で知られている。
- 西武時代、背番号・ポジションが同じだったイチローと比較されるのを嫌ったため、51から31へ変更した。他にも小関自身が、かつて背番号31を着けていた掛布雅之と前田智徳を好きな選手として挙げている事もその理由の一つである。また、巨人移籍当時の2006年は49だったが、2007年から愛着ある31に変更した。
- 同郷である石井琢朗とは自主トレを一緒に行うなど親交がある。小関が横浜へ入団する際には「よろしくお願いします」という旨の電話が正式な球団発表の前にあったことを石井が自身のブログで明かしている。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1996 | 西武 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1997 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1998 | 104 | 387 | 322 | 44 | 91 | 11 | 4 | 3 | 119 | 24 | 15 | 10 | 27 | 0 | 33 | 1 | 5 | 37 | 2 | .283 | .358 | .370 | .728 | |
1999 | 123 | 464 | 373 | 46 | 100 | 9 | 4 | 1 | 120 | 34 | 16 | 8 | 32 | 2 | 46 | 0 | 11 | 53 | 6 | .268 | .368 | .322 | .690 | |
2000 | 125 | 417 | 340 | 50 | 89 | 11 | 4 | 1 | 111 | 32 | 7 | 5 | 23 | 4 | 43 | 1 | 7 | 54 | 1 | .262 | .353 | .326 | .679 | |
2001 | 133 | 495 | 407 | 40 | 114 | 17 | 4 | 3 | 148 | 38 | 17 | 6 | 32 | 2 | 46 | 1 | 8 | 37 | 2 | .280 | .363 | .364 | .726 | |
2002 | 135 | 569 | 487 | 59 | 153 | 35 | 1 | 4 | 202 | 50 | 15 | 12 | 43 | 4 | 25 | 0 | 10 | 59 | 1 | .314 | .357 | .415 | .772 | |
2003 | 113 | 457 | 397 | 48 | 111 | 12 | 5 | 1 | 136 | 33 | 9 | 3 | 32 | 3 | 21 | 0 | 4 | 38 | 7 | .280 | .320 | .343 | .663 | |
2004 | 90 | 328 | 286 | 43 | 77 | 13 | 2 | 3 | 103 | 32 | 1 | 3 | 11 | 2 | 24 | 0 | 5 | 29 | 5 | .269 | .334 | .360 | .695 | |
2005 | 47 | 104 | 86 | 10 | 17 | 3 | 1 | 0 | 22 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 8 | 0 | 4 | 16 | 1 | .198 | .296 | .256 | .552 | |
2006 | 巨人 | 56 | 137 | 128 | 8 | 33 | 4 | 2 | 0 | 41 | 10 | 3 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 1 | 15 | 1 | .258 | .286 | .320 | .606 |
2007 | 5 | 4 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | .250 | 1.000 | 1.250 | |
2008 | 横浜 | 49 | 103 | 93 | 9 | 20 | 1 | 0 | 1 | 24 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 8 | 2 | 1 | 11 | 1 | .215 | .284 | .258 | .542 |
通算:13年 | 982 | 3466 | 2924 | 359 | 806 | 116 | 27 | 18 | 1030 | 259 | 83 | 48 | 211 | 17 | 258 | 5 | 56 | 351 | 27 | .276 | .344 | .352 | .696 |
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
年度 | 外野 | |||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
1997 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
1998 | 103 | 213 | 7 | 0 | 3 | 1.000 |
1999 | 122 | 250 | 4 | 0 | 0 | 1.000 |
2000 | 116 | 224 | 3 | 1 | 0 | .994 |
2001 | 130 | 204 | 3 | 1 | 1 | .995 |
2002 | 135 | 270 | 2 | 1 | 0 | .996 |
2003 | 109 | 215 | 4 | 3 | 0 | .986 |
2004 | 79 | 115 | 2 | 1 | 0 | .992 |
2005 | 32 | 36 | 0 | 1 | 0 | .973 |
2006 | 40 | 44 | 0 | 1 | 0 | .978 |
2007 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
2008 | 29 | 37 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 899 | 1608 | 25 | 9 | 4 | .995 |
表彰
記録
- 初出場:1996年10月4日、対近鉄バファローズ25回戦(西武ライオンズ球場)、8回裏に笘篠誠治の代打として出場
- 初打席:同上、8回裏に佐野重樹の前に三振
- 初安打:1998年4月8日、対福岡ダイエーホークス2回戦(福岡ドーム)、2回表に山崎慎太郎から左前安打
- 初打点:1998年4月19日、対福岡ダイエーホークス4回戦(西武ドーム)、6回裏に吉武真太郎から左翼へ適時二塁打
- 初盗塁:1998年4月21日、対オリックス・ブルーウェーブ1回戦(鹿児島県立鴨池野球場)、5回表に二盗(投手:伊藤隆偉、捕手:日高剛)
- 初犠打:1998年4月22日、対オリックス・ブルーウェーブ2回戦(鹿児島県立鴨池野球場)、2回表に星野伸之から一塁前犠打
- 初本塁打:同上、8回表に戎信行から右越2ラン
- 200犠打:2004年8月28日、対福岡ダイエーホークス23回戦(西武ドーム)、1回裏に新垣渚から捕手前犠打 ※史上26人目
背番号
- 51 (1995年 - 1999年)
- 31 (2000年 - 2005年、2007年)
- 49 (2006年)
- 0 (2008年)
- 74 (2011年 - )
登録名
- 小関 竜也 (おぜき たつや、1995年 - 2003年8月13日、2005年 - )
- 小関 竜弥 (おぜき たつや、2003年8月14日 - 2004年)
関連情報
評論家時代の出演番組
- 野球好きニュース(J SPORTS)
- J SPORTS STADIUM(J SPORTS)
- メジャーリーグ中継 (J SPORTS)
- 鎌スタラジオ(インターネットラジオ)
ドラマ出演
- ドリーム☆アゲイン - 主人公・小木駿介に代打される。
出典
- ^ [1]小関 MANIAX. 2015年4月5日閲覧
- ^ 【楽天】聖沢が連続無失策パ・タイ記録 - プロ野球ニュース nikkansports.com 2015年3月30日閲覧。
- ^ “【楽天】聖沢が659回無失策のパ新記録 - プロ野球ニュース”. nikkansports.com. (2013年5月25日) 2015年3月30日閲覧。
- ^ 森脇浩司、清水崇行、小関竜也の3氏が二軍コーチに就任
- ^ “カントリー・ガールズに西武・小関コーチの長女「巨人戦の始球式で投げたい」”. SANSPO.COM(サンスポ). (2015年3月26日) 2015年3月30日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 小関竜也 - NPB.jp 日本野球機構
- 小関竜也ブログ NEVER BE DEFEATED