欧州連合
- 欧州連合
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(欧州連合の旗) - 欧州連合の標語: In varietate concordia[2]
(ラテン語: 多様性における統一) - 欧州連合の歌: 交響曲第9番第4楽章『歓喜の歌』
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公用語 拠点都市 ブリュッセル
ストラスブール
ルクセンブルク加盟国 欧州理事会議長 ヘルマン・ファン・ロンパウ 欧州議会議長 イェジ・ブゼク 欧州委員会委員長 ジョゼ・マヌエル・バローゾ 設立
- ローマ条約発効
- マーストリヒト条約発効
1958年1月1日
1993年11月1日面積
- 総計
- 水面積率世界第7位[4]
- 4,324,782km²
- 3.08%人口
- 総計(2009年)
- 人口密度世界第3位[4]
- 499,794,855人
- 114人/km²GDP(PPP)
- 総計
- 1人あたり2008年(IMF)
- 15兆2472億USドル
- 30,153USドルGDP(名目)
- 総計
- 1人あたり2008年(IMF)
- 18兆3878億USドル
- 36,812USドル通貨 時間帯 UTC ±0 から +2
(DST: +1 から +3)ccTLD .eu
欧州連合(おうしゅうれんごう)は、欧州連合条約により設立されたヨーロッパの地域統合体。
欧州連合条約第2条では欧州連合の存在価値について、以下のようにうたっている。
仮訳: 連合は人間の尊厳に対する敬意、自由、民主主義、平等、法の支配、マイノリティに属する権利を含む人権の尊重という価値観に基づいて設置されている。これらの価値観は多元的共存、無差別、寛容、正義、結束、女性と男性との間での平等が普及する社会において、加盟国に共通するものである。
さらに欧州連合条約第3条第1項では欧州連合の目的について、第2条で挙げられた価値観や平和、域内の市民の福祉を促進することとしており、同条第2項以下では政治や経済、国際関係に関する連合の活動について列挙している。
欧州連合では欧州連合条約の発効前に調印されていた単一欧州議定書によって市場統合が実現し、またシェンゲン協定により域内での国境通過にかかる手続きなどの負担を大幅に削減した。さらに欧州連合条約発効後によって外交・安全保障分野と司法・内務分野での協力枠組みが新たに設けられ、ユーロの導入による通貨統合が進められている。このほかにも欧州議会の直接選挙が実施されたり、欧州連合基本権憲章が採択されたりするなど、欧州連合の市民権の概念が具現化されつつある。加盟国数も欧州経済共同体設立を定めた欧州経済共同体設立発効時の6か国から、2007年1月までに27か国にまで増えている。
名称
欧州連合の基本条約である欧州連合条約の正文は23言語で作成されており、そのため欧州連合の正式名称は23言語で表記される。略称としては、英語などでの表記の頭文字をとった EU があり、日本語圏においてもこの略称を使うことが多い。ただし、フランス語などの形容詞を後置する言語では UE という略称が用いられることがある。またアイルランド語では AE、エストニア語では EL、ラトビア語とリトアニア語では ES、キリル文字を使うブルガリア語では ЕС 、ギリシア文字を使うギリシア語では ΕΕ となる。
日本語では、日本における欧州連合の代表機関である駐日欧州連合代表部や日本国政府が欧州連合という名称を使用している。また一部ではヨーロッパ連合という名称も用いる。
ただし日本国内において、一部の日本人研究者[1]は「欧州連合」という訳語を充てることは不適切であると主張している。また欧州議会の最大会派だった欧州社会党も、同日本人研究者の指摘を受けて、日本語表記を「欧州同盟」に変更することに関する質問書を提出したことがあるが[2]、欧州委員会の側は研究社英和辞典の用例や、「連合王国(United Kingdom)」および「国際連合(United Nations)」などの例を挙げながら、変更する必要はないと返答した。
歴史
鉄のカーテンの向こうにはソビエトを中心とする社会主義陣営、大西洋の向こうには超大国に成長したアメリカという間において西ヨーロッパ諸国では、ウィンストン・チャーチルが「ヨーロッパ合衆国」構想を唱えるなど、ヨーロッパを統合させようとする機運が高まっていった。またロベール・シューマンは、1950年5月9日にシューマン宣言を発し、その中で経済と軍事における重要資源の共同管理構想を掲げ、ヨーロッパの安定と経済の発展を図ったこのシューマンの構想を基礎にして欧州石炭鉄鋼共同体設立条約が策定され、1952年7月23日に欧州石炭鉄鋼共同体が設立された。
欧州石炭鉄鋼共同体が設立され、西ヨーロッパ諸国では統合の効果とその重要性が認識されるようになり、1957年には経済分野での統合とエネルギー分野での共同管理を進展させるべく2つのローマ条約が調印され、翌年1月1日に欧州経済共同体と欧州原子力共同体が発足した。当初これら3共同体は個別の機関・枠組みで活動していたが、1つの運営機関のもとでそれぞれの目的を達成することでヨーロッパの統合を効率的に進めるべく、1965年にブリュッセル条約が調印され、1967年に欧州諸共同体という1つの枠組みの中に3つの共同体をおくことで統合の深化が図られた。
1973年1月1日、それまでのベネルクスと西ドイツ、フランス、イタリアの6か国に加えて、デンマーク、アイルランド、イギリスが欧州諸共同体に加盟する。また1981年1月1日にはギリシャが、1986年1月1日にはスペインとポルトガルがそれぞれ欧州諸共同体に加盟する。この間に議題にあがったのが、いかに経済統合を進めていくか、というものである。加盟国間における政策や法制度の違いは貿易の自由化を妨げており、世界における市場競争の障害となっているという意見が出るようになったことを受けて、欧州経済共同体では域内の単一市場設立構想が持ち上がってきた。これに対応するべくドロール委員会のもとで1986年に単一欧州議定書が調印され、ローマ条約を大幅に修正し、経済分野に関する政策を原則として欧州経済共同体が統括することで共同市場設立が掲げられた。また域内における人、商品、サービスの移動の自由を図るべく、1985年にシェンゲン協定が調印され、加盟国間の国境という障壁を除去していくことが盛り込まれた。
1989年以降東ヨーロッパ諸国における政変が相次ぐなか、鉄のカーテンが徐々に取り払われていき、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊、翌年10月3日にドイツが再統一された。このさい東ドイツで復活した5州が西ドイツに編入され、これに伴って欧州諸共同体は旧東ドイツにもその領域を拡大させた。東ヨーロッパ諸国の社会主義体制の崩壊は欧州諸共同体にとっても重大な影響を及ぼし、これら諸国が自由主義陣営につくことが想定され、ヨーロッパの統合は政治の分野においても協力関係を強化することが求められるようになった。そこで1992年2月7日に欧州連合条約が調印され、翌年11月1日に欧州連合が発足した。欧州連合では、経済分野に関して超国家的性格を持つ欧州共同体の枠組みのほかに共通外交・安全保障政策、司法・内務協力という加盟国政府間の協力枠組みを新設、いわゆる「3つの柱」構造のもとでヨーロッパのさらなる統合が図られ、またその後、欧州経済共同体設立条約から改称された欧州共同体設立条約と欧州連合条約は1999年発効のアムステルダム条約や2003年発効のニース条約で修正や一体化がなされ、統合の深化が進められた。
1995年1月1日にはオーストリア、フィンランド、スウェーデンが、2004年5月1日には旧社会主義陣営の東ヨーロッパ諸国を含む10か国が、2007年1月1日にはブルガリアとルーマニアがそれぞれ欧州連合に加盟する。将来における拡大についても、クロアチアやマケドニア共和国などの、2005年に加盟したスロベニア以外の旧ユーゴスラビア連邦構成国やアルバニア、グルジアやウクライナなどのロシアと距離を置く東欧諸国、国土の一部がヨーロッパに属するトルコなどで加盟の是非に関する協議や、実際の加盟に向けた実務的な交渉が進められている。また、経済の分野においては次の段階として通貨統合が進められ、1998年5月1日に欧州中央銀行が発足、翌年1月1日には単一通貨ユーロが導入される。また外交分野においては共通外交・安全保障政策のもとで、北大西洋条約機構と協調する形でユーゴスラビア紛争の対応などにあたってきた。さらに2000年には欧州連合域内における市民の人権がうたわれている欧州連合基本権憲章が公布されている。そのような情勢の中で欧州連合は新たな加盟国の受け入れ態勢の構築が求められ、その一方で機構の肥大化に伴う組織の効率性低下が問題となり、これらを受けて従来の基本諸条約を廃し、一本化した形の基本条約として「欧州憲法条約」が策定され、2004年10月28日に同条約は調印された。ところが欧州憲法条約の超国家主義的な性格に対して、個別の加盟国の主権が脅かされるのではないかという不安から欧州懐疑主義が起こり、条約批准の是非を問う国民投票の結果、2005年5月にフランスで、翌月にはオランダで批准に反対するという意思が示された。
欧州憲法条約が拒否されるという事態を受けて「熟慮期間」が置かれ、ヨーロッパ統合の過程は一時的に停止した。その間、欧州憲法条約に盛り込まれている欧州連合の超国家的な性格や、欧州連合の意思決定が大国有利となっている制度に対する批判が寄せられた。これらを受けてローマ条約調印50周年となる2007年3月、議長国を務めていたドイツは「熟慮期間」の終了を宣言した。将来の拡大に備えた受け入れ態勢の整備と欧州連合の機構改革を進めるべく、欧州憲法条約から超国家的な性格を排除した、「改革条約」と位置づける新たな基本条約の作成が合意され、2007年12月にリスボン条約として調印された。リスボン条約は2009年1月の発効を目指して加盟国内での批准手続きが進められているが、2008年6月にアイルランドで実施された、リスボン条約を受け入れるのに必要な憲法改正の是非を問う国民投票で反対票が賛成票を上回るという結果が出された。発効のためには全加盟国の批准を要するリスボン条約も窮地に立たされた事態について、直後に開かれた欧州理事会において、ほかの加盟国での批准手続きは進めていくことが確認された一方で、2008年後半の議長国を務めたフランスはアイルランドに国民投票の再度の実施を求めた。その後2008年12月に行われた欧州理事会の会合でアイルランドは2009年秋ごろまでに再度の国民投票を実施すると表明し、これを受けて欧州理事会はリスボン条約は2009年末までの発効を目指して残る手続きを進めていくことで合意された。後アイルランドは2009年10月に再び実施された国民投票で賛成が反対票を大きく上回り、憲法改正・条約批准が決定した。批准手続きを完了させていなかった加盟国も同年11月までに必要な手続きを完了させ、リスボン条約は同年12月1日に発効した。
署名 発効 条約 |
1948年 1948年 ブリュッセル |
1951年 1952年 パリ |
1954年 1955年 パリ協定 |
1957年 1958年 ローマ |
1965年 1967年 統合 |
1986年 1987年 単一議定書 |
1992年 1993年 マーストリヒト |
1997年 1999年 アムステルダム |
2001年 2003年 ニース |
2007年 2009年 リスボン |
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欧州諸共同体 (EC) | 欧州連合 (EU) 3つの柱構造 | |||||||||||||||||||
欧州原子力共同体 | → I |
← I |
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欧州石炭鉄鋼共同体 (ECSC) | 2002年に失効・共同体消滅 | 欧州連合 (EU) |
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欧州経済共同体 (EEC) | 欧州共同体 (EC) | |||||||||||||||||||
→ III |
司法・内務 協力 | |||||||||||||||||||
警察・刑事司法協力 | ← | |||||||||||||||||||
欧州政治協力 | → | 共通外交・安全保障政策 | ← II | |||||||||||||||||
(組織未設立) | 西欧同盟 | |||||||||||||||||||
(2010年に条約の効力停止) | ||||||||||||||||||||
加盟国
欧州連合の前身である欧州石炭鉄鋼共同体は当初、6か国が加盟して発足したが、2007年1月にブルガリアとルーマニアが加盟したことにより以下の27か国が欧州連合に加わっている。
1 北キプロス・トルコ共和国は含まれない。またグリーンラインについては扱いが定まっていない。 |
マーストリヒト条約第49条では、欧州連合に加盟を希望する国はヨーロッパの国であることと、自由、民主主義、人権の尊重、法の支配といった理念を尊重していることが挙げられている。また実務面では1993年に示されたコペンハーゲン基準を満たす必要がある。これ以外にもアキ・コミュノテールを受け入れられるような法整備がなされていることなどが求められる。欧州委員会は加盟を希望する国に対してこれらの基準を満たしえるかどうか調査を実施し、その報告を欧州理事会に提出している。欧州理事会はその報告書をもとに加盟候補国として具体的な協議を行うか判断している。その後加盟するとなった場合には、加盟予定国は欧州連合との間ではなく、既存加盟国との間で加盟条約を調印し、条約の発効をもって正式に加盟する。
政治
欧州連合 |
欧州連合の政治 |
政策と課題
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欧州連合の最高意思決定機関は、全加盟国の政府の長と欧州委員会委員長、及び大統領にも相当するとされる常任議長による欧州理事会である。欧州理事会は、1年に最低4回の公式会合と、不定期の非公式会合を開き、そこで欧州連合の方針や政策の大局を決定する。また、常任議長は、欧州委員会委員長とともに、対外的に欧州連合を代表する。一方で個別・具体的な政策の詳細を定めるのは、加盟国の閣僚からなる欧州連合理事会(閣僚理事会、あるいは単に理事会とも呼ばれる)である。欧州連合理事会は各分野の政策ごとに分かれており、それぞれの担当閣僚が出席している。
欧州連合理事会でまとめられた政策案は欧州議会に諮られる。欧州議会は5年に1度の欧州連合市民による直接選挙(普通選挙)で選出される750名[3]の議員で構成され、欧州連合の政策に民主的統制を加えている。従来欧州議会の権限は弱く政策決定手続きにおける存在感は小さかったが、欧州連合における統合が深化するなかで欧州連合の政策に市民が関与する機会を増やす必要性が高まり、その後ほとんどの分野における政策の決定には欧州議会の賛成が求められるようになった。さらに2009年発効のリスボン条約により、欧州議会の法的権限は大幅に強化されている。従来より共同決定手続きが適用される範囲が広がり、一部の例外を除くほぼすべての政策分野で適用されることになる。これにより欧州議会は欧州連合理事会と同等の権限を持つようになる。ただし、一部分野では諮問手続きが適用される。また、欧州議会は非義務的支出だけでなく欧州連合の予算全般にわたっての権限も新たに得ることになる。
また一部の分野の政策決定手続きにおいては、地方政府の代表らからなる地域委員会やさまざまな企業団体や労働組織の代表らからなる経済社会評議会の関与が求められている。
欧州連合の政策執行を担当するのは欧州委員会である。欧州委員会は加盟国からそれぞれ1人ずつ出される委員で構成され、政策分野ごとの担当が与えられている。また委員長は欧州理事会に出席するほか、対外的に欧州連合を代表するという場面があり、たとえば主要国首脳会議においてもオブザーバとして出席する。欧州委員会は政策分野ごとに総局と呼ばれる、国内政府の省庁に相当する組織を持つ。
欧州司法裁判所は基本条約や EU 法の解釈・適用を判断する機関である。欧州司法裁判所は加盟国政府による基本条約や EU 法による義務不履行に対する制裁措置を決定したり、また第一審裁判所での控訴審を担ったりしている。第一審裁判所はおもに企業や個人などが欧州連合の諸機関の行為に対する不服の訴えを扱っている。このほかにも欧州連合の諸機関とその職員とのあいだでの紛争を扱う欧州連合公務員裁判所がある。欧州会計監査院は欧州連合の諸機関の業務や予算の執行が適切であるかを監査する役割を担っている。
リスボン条約により、欧州連合の3つの柱構造は廃止された。これにより、共通外交・安全保障政策も廃止されている。リスボン条約下では、通外交・安全保障政策上政策級代表職と欧州委員会の対外関係・欧州近隣政策担当委員職が統合された、欧州連合外務・安全保障政策上級代表が新設され、欧州対外行動局を率いることになっている。
これまで述べてきた以外にも専門機関が設置されており、欧州連合の基本条約の目的達成のために機能している。
経済
IMFによると、2010年の欧州連合のGDPは16兆1068億ドル(約1300兆円)である。アメリカのGDPをやや上回っており、世界全体の約26%を占めている[4]。
欧州連合ではローマ条約や単一欧州議定書、シェンゲン協定により、国境管理や加盟国間の制度の違いといった障壁が除去されていき、域内における労働者、商品、サービス、資本の移動の自由が確保されている。またローマ条約を根拠とする独自の競争法体系が整備され、欧州委員会は域内における消費者の利益の保護にも力を入れている。また食糧の安定供給確保と農家の保護を目的とした共通農業政策により欧州連合は農業部門に対して毎年の予算の大部分を支出している。このような経済施策は欧州委員会が主導しており、加盟国政府は欧州委員会の決定に従うことが求められている。さらに通貨統合も進められており、1999年には単一通貨ユーロが導入され、2011年1月までにユーロ圏は17か国にまで広がっている。欧州連合の金融政策を担うのは欧州中央銀行と加盟国の中央銀行で構成される欧州中央銀行制度である。またユーロ未導入の国の通貨については欧州為替相場メカニズムにより、対ユーロ相場の変動幅が一定以内に制限されている。このほかにも地球温暖化対策の措置を進めており、2005年には域内排出量取引制度を導入した。
貿易面を見ると、域外への輸出額は2005年で1兆3300億USドル、機械、自動車、航空機などを輸出している。主な輸出先としてはアメリカ、スイス、ロシア、中国が挙げられる。一方で域内への輸入額は1兆4660億USドルで、主な輸入先はアメリカ、中国、ロシア、日本となっている[5]。
一方で欧州連合では域内における格差も目立つ。2007年において欧州連合全体で32,300USドルだった加盟国別の1人あたり GDP (PPP) は、ルクセンブルクが80,500USドル、アイルランドが43,100USドルだったのに対して、ブルガリアが11,300USドル、ルーマニアが11,400USドルとなっており、2004年以降に加盟した諸国はすべて欧州連合全体の数値を下回っていた[6]。実質経済成長率の比較では、スロバキアで10.40%を記録した一方でハンガリーでは1.30%に留まり、欧州連合全体では3.00%だった[7]。
対外関係
欧州委員会委員長は主要国首脳会議にオブザーバとして出席するなどの対外的な代表を務めることがあり、また欧州委員会にも対外関係や安全保障の担当委員がいるが、このほかにも外交・防衛分野ではアムステルダム条約によって導入された共通外交・安全保障政策上級代表がいる。共通外交・安全保障政策上級代表は加盟国を代表して業務の調整や外交交渉を行う。
欧州連合の対外関係の基本的な枠組みは3つの柱のうち、第2の柱である共通外交・安全保障政策であるが、第1の柱である欧州共同体の分野の政策が欧州委員会の主導の下で進められるような超国家主義的であるのに対して、共通外交・安全保障政策は加盟国が主導するような政府間主義が採られている。
具体的な関係を見ていくと、欧州連合に加盟していないノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタインとは欧州経済領域を通じて単一市場への参入を受け入れているほか、スイスも欧州自由貿易連合やそのほかの協定を通じて単一市場にかかわっている。またアンドラ、バチカン、モナコ、サンマリノではユーロが使われており、経済における結びつきを強めている。さらにヨーロッパの旧植民地であるアフリカ・カリブ海・太平洋諸国ともコトヌー協定に基づく協力関係を構築している。
欧州連合ではユーゴスラビアを構成していた諸国について、将来的に欧州連合に加盟することを念頭に置いて対応している。すでに欧州連合に加盟したスロベニアのほか、クロアチアとマケドニア・旧ユーゴスラビアを加盟候補国として欧州連合に加わるための具体的な状況整備を進めている。ユーゴスラビア紛争では欧州連合はその対応に失敗しているが、その後の地域の安定に向けて安定化・連合協定を結ぶなど、積極的に取り組んでいる。またソビエト連邦を構成していた国のうち、エストニア、ラトビア、リトアニアが2004年5月に欧州連合に加盟しているほか、バラ革命が起こったグルジアやオレンジ革命が起こったウクライナ、このほかいくつかの国がロシアと距離を置く一方で欧州連合との関係を強めている。
トルコは1970年代から欧州連合への加盟を求め、また欧州理事会でもトルコを加盟候補国にしているが、トルコの人口規模の大きさやイスラム教国であるということに対して加盟国の中からは警戒する風潮がある。イスラエルとは緊密な関係を築いており、欧州連合の一部の政治家からはイスラエルの欧州連合加盟に賛成の意見が出されるほどである。一方でパレスチナ問題にも欧州連合は積極的にかかわっており、中東カルテットの一角を担っている。このほかにも西アジアや北アフリカの地中海沿岸諸国とは欧州・地中海パートナーシップや、欧州近隣政策などの枠組みを通じて関係を深めているほか、2008年に発足が決定された地中海連合では多くの分野での統合や協力関係の構築を進めることを目指している。
また、2009年5月には東欧諸国との関係強化を目指す常設協議「東方パートナーシップ」を創設する。対象国はアルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、グルジア、モルドバ、ウクライナである。
軍事・安全保障面では欧州安全保障防衛政策が策定され、また1948年調印のブリュッセル条約で設立された西欧同盟を事実上吸収し、ペータースベルク・タスクの理念のもと、とくに平和維持や人道支援の分野での加盟国間の協力関係を強化し、実際にこれらの活動を目的としてボスニア・ヘルツェゴビナやコソボなどに部隊を派遣している。
一体性と多様性
ジャン・モネの構想を基礎に、1950年5月9日に発表されたシューマン宣言では2度の世界大戦で荒廃していたヨーロッパを結束させていくことで復興と平和の実現を目指した。この理念を具現化したもののひとつが欧州連合である。このシューマン宣言が発表された5月9日について、1985年にミラノで開かれた欧州理事会で「ヨーロッパ・デー」とすることが決められた。また欧州評議会は1955年に青地 (Reflex Blue) に金色 (Yellow) に輝く12個の星の円環を描いた旗を「欧州旗」とし、ヨーロッパにおける機関に対してこの旗をシンボルとして使うことを進めていたが、1983年に欧州議会がこれに応じ、また1985年のミラノ欧州理事会において「欧州連合の旗」とすることが採択された。このとき同時にベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章『歓喜の歌』を「欧州連合の歌」とすることも合意された[8]。
欧州連合における一体性を感じる例としてユーロ紙幣が挙げられる。ユーロ紙幣はデザインが統一され、ヨーロッパ風の建築物が描かれていたり、ヨーロッパの地図が描かれていたりしている。ユーロ硬貨の表面もデザインが統一されており、いずれもヨーロッパの地図が描かれている。このほかにも欧州連合加盟国で発行されるパスポートにも、欧州連合を意味する表記が発行国の公用語で印刷されている。欧州連合では欧州文化首都といった活動や欧州連合基本権憲章といったものを通じて、市民に「ヨーロッパの市民」、あるいは「欧州連合の市民」という概念を定着させようとしている。
一方で欧州連合では In varietate concordia (ラテン語で「多様性における統一」の意)を標語として掲げ、この語句は欧州連合における公用語とされる23言語で表現されている。この標語からもわかるとおり、約5億人の人口を有する欧州連合においても文化や言語の多様性は尊重されるべきものとして扱われている。とくに言語においては、欧州連合では市民に対して母語のほかに2つの言語を習得する機会をもうけるなどの積極的な活動を行っており、また欧州連合の関連機関では文書やウェブサイトを複数の言語で作成している。
将来
2007年にブルガリアとルーマニアが加盟したことにより、欧州連合の加盟国数は27に達した。従来の基本条約における制度では、欧州委員会の委員は加盟国から1人ずつ出し、また無任所としないということになっていたため、委員の数も27にまで増え、担当分野も分掌が繰り返された。その結果、組織が肥大化した欧州委員会の部局間でセクショナリズムが激化し、業務効率が低下した。また立法手続きにおいても欧州連合理事会における政策決定過程が大国有利であるという批判や、全会一致を要する案件となる対象分野が多く、意思決定に時間がかかるといった難点を克服するため、またそのような政策決定に対する欧州議会の関与を強化するための改革が求められていた。そのような改革を盛り込んだのが2004年11月にローマで調印された欧州憲法条約であったが、その超国家主義的な性格が敬遠され、フランスとオランダの国民投票で批准が拒否されるという事態となり、結局のところ同条約は発効が断念された。その後2007年12月に、欧州憲法条約で盛り込まれていた機構改革を取り出し、超国家主義的性格を排除したリスボン条約が調印され、リスボン条約は2009年12月1日に発効した。
従来の基本条約では加盟国数の上限を27とすることが想定されていたため、リスボン条約では将来の新規加盟の受け入れ態勢を整備するという目的も含まれている。2005年、欧州理事会はクロアチアとトルコを加盟候補国とすることを決定し、その後加盟に向けた協議が開始されている。クロアチアとEUとの加盟交渉は2011年6月に終了し、2013年にはクロアチアが28番目の加盟国になることが確定している[9]。
2006年にはマケドニアも加盟候補国となっている。しかしトルコに対しては欧州連合の価値観を共有することができるかといった疑問や北キプロス問題、アルメニア人虐殺問題があり、マケドニアとは既存の加盟国であるギリシャが求めている国名改称問題がそれぞれ課題となっている(このため欧州連合では「マケドニア・旧ユーゴスラビア」という呼称を使用している)。北欧のアイスランドは2009年7月23日に正式な加盟申請を行い、加盟候補国として承認された。加盟交渉は進んでおり、2013年には加盟の是非をめぐる国民投票が実施される[10]。モンテネグロに関しては2010年12月に加盟候補国として承認されている。2011年10月から本格的な加盟交渉が開始された[11]。また、セルビアもボスニア・ヘルツェゴビナ内戦の大物戦犯であるラトコ・ムラディッチとゴラン・ハジッチの拘束が評価されてはいるものの、2008年にセルビアから一方的に独立を宣言したコソボ政府との関係改善および政治対話の進展が加盟交渉開始の条件とされており[11]、正式な加盟申請を行った2009年12月22日から2012年2月の段階まで加盟候補国に認定されていなかった[12]が、2012年3月1日のEU首脳会議において、正式な加盟候補国に承認された[13]。
またこのほかにもアルバニアや、ユーゴスラビア連邦を構成していたボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボといったバルカン西部を潜在的加盟候補と位置づけている。ただしコソボの国家承認については既存加盟国の間で対応が分かれている。
懐疑論
ヨーロッパの統合が進められる中で、加盟国の主権と欧州連合の権限の優劣関係や、欧州連合の制度の下で享受される恩恵が加盟国間で不平等であるといった批判や疑問を唱える論調も存在する。政治分野での統合を目的に欧州政治共同体の設置構想が掲げられ、この手前の段階として1952年には欧州防衛共同体の創設に向けた作業が進められていた。しかしフランスにおいて設置条約の批准が国民議会において諮られていたが、国民議会はこれを拒否した。
ノルウェーは1973年と1995年の拡大のさいにそれぞれ欧州連合(欧州諸共同体)加盟条約に調印していたが、それらの条約の批准をめぐって国民投票で是非が問われ、いずれも反対する票が上回り、実際には欧州連合(欧州諸共同体)加盟に至らなかった。また1992年6月2日、マーストリヒト条約批准にあたってデンマークでは国民投票が実施されたが、僅差で批准反対票が上回り、さらにはイギリスにおいても議会で批准が拒否される事態が起きた。さらに従来の基本条約を修正するニース条約の批准においても、基本条約を修正するさいに国民投票の実施が憲法で義務付けられているアイルランドにおいて批准が拒否された。これらについてはいずれもその後の協議で特例を設けるなどの対応がなされ、改めて批准が諮られ可決されてきた。
2004年10月、将来の拡大における受け入れ態勢の整備と肥大化した機構の効率化、さらには政策決定手続きの簡素化を盛り込んだ欧州憲法条約が調印されたが、同条約では「欧州連合の旗」や「欧州連合の歌」といったものを盛り込み、さながら欧州連合をひとつの国家とするような性格を持っていた。これに対して加盟国の国民からは自国が欧州連合にとって替えられるという不安から欧州憲法条約を危険視する風潮が起こり、2005年5月にフランスで、翌6月にオランダで行われた同条約の批准の是非を問う国民投票で反対票が賛成票を上回るという結果が出された。この事態にヨーロッパ統合を進めていた欧州連合の首脳は動揺し、また一部の首脳からは欧州連合のあり方について疑問や批判が出されるようになった。
2007年3月にベルリン宣言が発表され、欧州連合の統合を進めていくことが再確認された。その後、欧州憲法条約から超国家主義的な要素を排除し、欧州連合の改革を進めるための新たな基本条約の策定が合意された。「改革条約」と位置づけられたこの条約は2007年12月にリスボン条約として調印される。ところがこの条約に対しても、市民にとって機構改革の必要性がわかりにくいなどの批判が起こり、2008年6月に行われたアイルランドでの国民投票で欧州連合に批判的な政党が「わからないものには No を」と呼びかけるなどした結果、反対票が53.4%、賛成票が46.6%(投票率 53.1%)となり、ヨーロッパ統合は再び暗礁に乗り上げ、リスボン条約を推し進めてきた各国の首脳らは欧州連合に対する市民の厳しい見方の存在を改めて痛感することになった。さらにポーランドやチェコでは議会で批准が承認されたリスボン条約に大統領が署名を拒み続けるということもあった。
またイギリスは1990年代後半から2000年代にかけて、欧州連合のもとでヨーロッパ統合に前向きであったにもかかわらず、ユーロの導入に関して、1990年の欧州為替相場メカニズム参加を契機に起こったポンド危機の経験から消極的な姿勢が見られる。くわえて、基本条約においてユーロ導入が義務付けられているスウェーデンも、1994年の欧州連合への加盟を問う国民投票で加盟賛成が53%を占めていたものの、議会がユーロ導入時期の決定について事実上の棚上げを宣言し、その後2003年のユーロ導入を問う国民投票で反対が56%を占めるという結果が出されている。
脚注
- ^ 欧州連合を否定しつつEU(欧州同盟)は連邦主義的権限強化に向かう 上 金融財政部門でのリスボン条約改正の動き - 児玉昌己 研究室
- ^ EU の日本語表記としての「欧州連合」の使用停止と「欧州同盟」への変更を求める「欧州議会からの書面質問書」と「欧州委員会からの答弁書」,及び表記問題に関するR・コルベット欧州社会党事務総長代理からの書簡とその経緯(PDF形式)
- ^ リスボン条約の発効による暫定措置として、2009年6月の選挙では736名の議員と18名のオブザーバが選出された。18名のオブザーバは必要な措置を経て正式に議員となる。そのため王祝儀位階は、2014年の任期満了までは基本条約で定められる上限を超えて、754名で構成されることになる。
- ^ IMF: World Economic Outlook Database
- ^ “EUROPEAN UNION”. The World Factbook. CIA. 2011年10月21日閲覧。
- ^ CIA The World Factbook - Rank Order - GDP - per capita (PPP) 2008年9月6日閲覧
- ^ CIA The World Factbook - Rank Order - GDP - real growth rate 2008年9月6日閲覧
- ^ EUROPA - The EU at a glance (英語ほか22言語)
- ^ セルビア、加盟候補国に 欧州委、EU拡大へ提言 産経新聞 2011年10月12日
- ^ アイスランド:EU加盟の是非めぐる国民投票、13年に実施-外相 Bloomberg.co.jp 2011年8月24日
- ^ a b モンテネグロとのEU加盟交渉開始を勧告 欧州委 日本経済新聞 2011年10月13日
- ^ “EU、セルビアの加盟候補国認定を見送り”. 読売新聞. (2011年12月9日) 2011年12月10日閲覧。
- ^ セルビアがEU加盟候補国入り 首脳会議が承認 産経新聞 2012年3月2日
参考文献
- 藤井良広『EUの知識』(第14版)日本経済新聞社〈日経文庫〉。ISBN 978-4532110796。
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- 金丸輝男 編『ヨーロッパ統合の政治史-人物を通して見たあゆみ』有斐閣。ISBN 978-4641049598。
- 島野卓爾、田中俊郎・岡村堯『EU入門―誕生から、政治・法律・経済まで』有斐閣。ISBN 978-4641049758。
- 松橋和夫 編『総合調査 拡大EU -機構・政策・課題-』国立国会図書館 。2008年5月14日閲覧。
- 中村民雄『EU研究の新地平―前例なき政体への接近』ミネルヴァ書房。ISBN 978-4623042975。
- 中村健吾『欧州統合と近代国家の変容―EUの多次元的ネットワーク・ガバナンス』昭和堂。ISBN 978-4812205310。
- 脇阪紀行『大欧州の時代―ブリュッセルからの報告』岩波書店〈岩波新書 新赤版〉。ISBN 978-4004309970。
- 小林浩二、呉羽正昭『EU拡大と新しいヨーロッパ』原書房。ISBN 978-4562091218。
- トム・リード 著、金子宣子 訳『「ヨーロッパ合衆国」の正体』新潮社。ISBN 978-4105458010。
- 坂田豊光『欧州通貨統合のゆくえ―ユーロは生き残れるか』中央公論新社〈中公新書〉。ISBN 978-4121017802。
- 羽場久美子『拡大ヨーロッパの挑戦―アメリカに並ぶ多元的パワーとなるか』中央公論新社〈中公新書〉。ISBN 978-4121017512。
- 森井裕一ほか『国際関係の中の拡大EU』信山社出版。ISBN 978-4797233377。
- Hix, Simon. Whats Wrong with the European Union and How to Fix it. Polity Press. ISBN 978-0745642055
- 児玉昌己「「欧州連合」という日本語表記問題再訪 : EU研究おける言葉と認識の問題」(PDF)『同志社大学ワールドワイドビジネスレビュー』第3巻第2号、2002年3月、27-46頁、ISSN 1880-6198、2008年9月6日閲覧。 また同誌 pp. 116-123. に掲載された資料「EUの日本語表記としての「欧州連合」の使用停止と「欧州同盟」への変更を求める「欧州議会からの書面質問書」と「欧州委員会からの答弁書」,及び表記問題に関するR・コルベット欧州社会党事務総長代理からの書簡とその経緯」 (PDF)も参照。
関連項目
外部リンク
公式
- 欧州連合ポータルサイト "EUROPA" (欧州連合における公用23言語での目次)
- 駐日欧州連合代表部 (日本語)(英語)
その他
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