太平洋集団安全保障構想

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太平洋集団安全保障構想(たいへいようしゅうだんあんぜんほしょうこうそう)は、冷戦初期に、相互援助協定(太平洋協定)の創設によって、日本の再軍備に対する反対を抑えようとした構想。

[編集] 内容

この構想は、日本に対する平和条約案が検討されだした1950年春から検討された。当時、ソビエト連邦に対する脅威から、アメリカ合衆国は、日本の独立を実現し、日本を西側の一員にしようと日本に対する占領政策を転換していた。しかし日本の独立は、国際的な制約を解除し、日本の再軍備を可能にするということを意味していた。そのためオーストラリアニュージーランドフィリピンなどが日本の独立について猛烈に反対した。そこでこの構想を実現することによって、日本の脅威を封じ込めようとしたのである。

この構想はアジアNATOともいうべきものである。そのためドイツの脅威を封じ込めることを意図したプレヴァン・プランに似ている。この構想においては、日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、インドネシアが太平洋協定を締結する。それは緩やかな集団的軍事同盟であり、統一された軍や統一された司令部を持たず、定期的な協議機関を持つにすぎないものであった。

しかしこの構想は幾つかの理由により、失敗に終わる。第一に、自国とインドシナなどが除外されたために、イギリスが強い反対を示した。またアジアの各国の軍事的能力という点から、実現することが難しいものであった。最後に何よりも重要なことに、日本が参加する意思がなかった。日本は、再軍備に消極的な態度を示し、憲法改正を不可欠とする地域的な集団安全保障体制に参加することに積極的な用意をしなかった。

そのためアメリカは、オーストラリアやニュージーランドとは、アンザス条約(ANZUS Treaty)を締結し、アメリカが両国の安全保障の役割を担うことになった。またフィリピンとも同じような軍事同盟を結んだ。このように、ヨーロッパにおけるドイツとは異なり、日本の脅威への対処は、アメリカとの個別の軍事同盟によって確保されることとなったのである。

[編集] 参考文献

  • 色川大吉『敗戦から何を学んだか―日本・ドイツ・イタリア―』小学館、1995年。
  • 大嶽秀夫『二つの戦後・ドイツと日本』日本放送出版協会、1992年。
  • 油井大三郎中村政則豊下楢彦編『占領改革の国際比較―日本・アジア・ヨーロッパ―』三省堂、1994年。
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