ドン・マッティングリー
マイアミ・マーリンズ 監督 #8 | |
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2011年 | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | インディアナ州エバンズビル |
生年月日 | 1961年4月20日(63歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 175 lb =約79.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1979年 ドラフト19巡目でニューヨーク・ヤンキースから指名 |
初出場 | 1982年9月8日 |
最終出場 | 1995年10月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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ドナルド・アーサー・マッティングリー(Donald Arthur Mattingly, 1961年4月20日 - )は、MLBの監督、元選手。ポジションは一塁手。アメリカ合衆国・インディアナ州エバンズビル出身。ニックネームは「Donnie Baseball」。
1982年から1995年までニューヨーク・ヤンキース一筋でプレーし、シーズンMVP、首位打者、打点王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞などを獲得。背番号『23』は球団の永久欠番に指定されている。2011年から2015年まではロサンゼルス・ドジャースの監督を務めた。2016年からはマイアミ・マーリンズの監督を務める。
現役時代
1979年のMLBドラフトでニューヨーク・ヤンキースから19巡目に指名を受け入団。
1982年にAAA級コロンバスで打率.315を記録してメジャー昇格を果たし、9月8日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。
1983年6月24日のボストン・レッドソックス戦でジョン・テューダーからメジャー初本塁打を放つ。1984年は開幕からメジャーに定着し、前半戦で打率.330をマークしてオールスターゲームに初出場し、以後5年連続で選出された。後半戦で打率.357と更に数字を伸ばし、打率.343・23本塁打・110打点、共にリーグ最多の207安打・44二塁打の成績で首位打者のタイトルを獲得した。同年はチームメイトのデイブ・ウィンフィールドと激しい首位打者争いを演じ、シーズン最終戦で逆転した。MVPの投票では5位に入った。
1985年は打率.324、共にキャリアハイの35本塁打・145打点、ウェイド・ボッグスに次ぐリーグ2位の211安打、リーグ最多の48二塁打を記録して最多打点のタイトルを獲得し、初のMVP・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞を受賞した。
1986年はボッグスに次ぐリーグ2位の打率.352、31本塁打・113打点、共にリーグ最多で現在も球団記録の238安打・53二塁打を記録。長打率.573もリーグトップだった。MVPの投票ではロジャー・クレメンスに次ぐ2位に入った。
1987年は6月に故障者リスト入りするが、7月8日のミネソタ・ツインズ戦から、オールスターゲームを挟んで7月18日のテキサス・レンジャーズ戦にかけて、史上2人目となる8試合連続本塁打を達成。7月16日には満塁本塁打を含む7打点を記録した。同年はメジャー記録となる1シーズン6本の満塁本塁打を放つなど[1]、打率.327・30本塁打・115打点を記録した。
1989年は23本塁打・113打点を記録したが、1990年は不振に陥り、故障もあって102試合の出場で打率.256・5本塁打に終わり、同年を境に成績は下降。
1991年はチームの10代目キャプテンに就任。8月16日、髪を切らないことを理由に試合への出場停止と罰金250ドルの処分を受けた[2]。1994年は8月11日まで打率.304・出塁率.397を記録し、チームも地区首位に立っていたが、翌日から1994年から1995年のMLBストライキに突入。そのままシーズンが打ち切られ、史上初めてワールドシリーズが中止となり、ポストシーズン出場のチャンスを逃してしまった。
ストライキが収拾された1995年にチームはワイルドカードを獲得する。自身初のポストシーズンとなったシアトル・マリナーズとのディビジョンシリーズでは第2戦で本塁打を放つなど打率.417と活躍。しかしチームは最終第5戦で逆転サヨナラ負けを喫し、2勝3敗で敗退した。オフに背中の故障を理由に34歳で現役を引退。プロ入りから引退までヤンキース一筋でプレーした、近年では数少ないフランチャイズプレーヤーだった。
1997年に自身の背番号『23』がヤンキースの永久欠番に指定された。
コーチ・監督時代
2004年にヤンキースの打撃コーチに就任して現場復帰。2007年シーズンからはヤンキースのヘッドコーチに就任し、ジョー・トーリ監督の後継者の最有力候補と目されたが、同年オフにトーリの監督辞任を受けヘッドコーチを辞任した。2008年にトーリがドジャースの監督に就任し、それに従って打撃コーチに就任する予定であったが、1月になって家庭の理由で打撃コーチを辞し、特別コーチに就任することとなった。
2010年シーズン終了後、トーリの退団に伴い監督に昇格した。
2014年1月7日にドジャースとの契約を2016年まで延長したことが報道された[3]。
2015年9月29日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦に勝利し3年連続の地区優勝を果たしたことにより、ドジャースでは初めて3年連続でポストシーズン進出を果たした監督となったが、ディビジョンシリーズではニューヨーク・メッツに2勝3敗で敗れ、3年ともリーグ優勝は果たせなかった。同年10月22日、監督解任が発表された[4]。
同年10月29日、マイアミ・マーリンズの新監督に就任することが発表された[5][6]。
その他の逸話
- 息子のテイラーが2003年のMLBドラフトでヤンキースから42巡目に、もう一人の息子プレストンも2006年のMLBドラフトでドジャースから1巡目に指名を受けた。
- 左投げでありながら、二塁手を1試合(パインタール事件の発生により、行われた1983年8月18日の再開試合)、三塁手を3試合務めたことがある。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1982 | NYY | 7 | 13 | 12 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | .167 | .154 | .167 | .321 |
1983 | 91 | 305 | 279 | 34 | 79 | 15 | 4 | 4 | 114 | 32 | 0 | 0 | 2 | 2 | 21 | 5 | 1 | 31 | 8 | .283 | .333 | .409 | .742 | |
1984 | 153 | 662 | 603 | 91 | 207 | 44 | 2 | 23 | 324 | 110 | 1 | 1 | 8 | 9 | 41 | 8 | 1 | 33 | 15 | .343 | .381 | .537 | .918 | |
1985 | 159 | 727 | 652 | 107 | 211 | 48 | 3 | 35 | 370 | 145 | 2 | 2 | 2 | 15 | 56 | 13 | 2 | 41 | 15 | .324 | .371 | .567 | .938 | |
1986 | 162 | 742 | 677 | 117 | 238 | 53 | 2 | 31 | 388 | 113 | 0 | 0 | 1 | 10 | 53 | 11 | 1 | 35 | 17 | .352 | .394 | .573 | .967 | |
1987 | 141 | 629 | 569 | 93 | 186 | 38 | 2 | 30 | 318 | 115 | 1 | 4 | 0 | 8 | 51 | 13 | 1 | 38 | 16 | .327 | .378 | .559 | .937 | |
1988 | 144 | 651 | 599 | 94 | 186 | 37 | 0 | 18 | 277 | 88 | 1 | 0 | 0 | 8 | 41 | 14 | 3 | 29 | 13 | .311 | .353 | .462 | .815 | |
1989 | 158 | 693 | 631 | 79 | 191 | 37 | 2 | 23 | 301 | 113 | 3 | 0 | 0 | 10 | 51 | 18 | 1 | 30 | 15 | .303 | .351 | .477 | .828 | |
1990 | 102 | 428 | 394 | 40 | 101 | 16 | 0 | 5 | 132 | 42 | 1 | 0 | 0 | 3 | 28 | 13 | 3 | 20 | 13 | .256 | .308 | .335 | .643 | |
1991 | 152 | 646 | 587 | 64 | 169 | 35 | 0 | 9 | 231 | 68 | 2 | 0 | 0 | 9 | 46 | 11 | 4 | 42 | 21 | .288 | .339 | .394 | .733 | |
1992 | 157 | 686 | 640 | 89 | 184 | 40 | 0 | 14 | 266 | 86 | 3 | 0 | 0 | 6 | 39 | 7 | 1 | 43 | 11 | .288 | .327 | .416 | .743 | |
1993 | 134 | 596 | 530 | 78 | 154 | 27 | 2 | 17 | 236 | 86 | 0 | 0 | 0 | 3 | 61 | 9 | 2 | 42 | 20 | .291 | .364 | .445 | .809 | |
1994 | 97 | 436 | 372 | 62 | 113 | 20 | 1 | 6 | 153 | 51 | 0 | 0 | 0 | 4 | 60 | 7 | 0 | 24 | 8 | .304 | .397 | .411 | .808 | |
1995 | 128 | 507 | 458 | 59 | 132 | 32 | 2 | 7 | 189 | 49 | 0 | 2 | 0 | 8 | 40 | 7 | 1 | 35 | 17 | .288 | .341 | .413 | .754 | |
通算:14年 | 1785 | 7721 | 7003 | 1007 | 2153 | 442 | 20 | 222 | 3301 | 1099 | 14 | 9 | 13 | 96 | 588 | 136 | 21 | 444 | 191 | .307 | .358 | .471 | .829 |
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル・表彰・記録
- MVP 1回:1985年
- 首位打者 1回:1984年
- 最多打点 1回:1985年
- シルバースラッガー賞 3回:1985年 - 1987年
- ゴールドグラブ賞 9回:1985年 - 1989年, 1991年 - 1994年
- ルー・ゲーリッグ賞:1993年
- MLBオールスターゲーム選出 6回:1984年 - 1989年
年度別監督成績
年度 | 球団 | 地区 | 年齢 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位/チーム数 | 備考 | ポストシーズン 勝敗 |
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2011 | LAD | NL 西 | 50歳 | 161 | 82 | 79 | .509 | 3 / 5 | 1試合の出場停止 | |
2012 | 51歳 | 162 | 86 | 76 | .531 | 2 / 5 | ||||
2013 | 52歳 | 162 | 92 | 70 | .568 | 1 / 5 | NLCS敗退 | 5勝5敗 | ||
2014 | 53歳 | 162 | 94 | 68 | .580 | 1 / 5 | NLDS敗退 | 1勝3敗 | ||
2015 | 54歳 | 162 | 92 | 70 | .568 | 1 / 5 | NLDS敗退 | 2勝3敗 | ||
通算 | 5年 | 809 | 446 | 353 | .551 | 8勝11敗 |
太字はプレイオフ進出(ワイルドカードを含む)。
- 2015年度シーズン終了時
脚注
- ^ キャリアで満塁本塁打を記録したのは同年のみ。
- ^ ヤンキースでは選手とコーチの長髪と整えられた口髭以外の髭を蓄えることを禁止している。
- ^ Alden Gonzalez (2014年1月7日). “Mattingly, Dodgers agree on contract extension” (英語). MLB.com 2016年2月5日閲覧。
- ^ Dylan Hernandez; Bill Shaikin (2015年10月22日). “Don Mattingly out as Dodgers manager”. Los Angeles Times. 2015年10月28日閲覧。
- ^ “Don Mattingly hired as manager of the Miami Marlins”. USA Today. (2015年10月29日) 2015年11月2日閲覧。
- ^ Joe Frisaro (2015年10月29日). “Mattingly to be next manager of Marlins”. MLB.com. 2015年11月2日閲覧。
外部リンク
- Don Mattingly Online
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)