国鉄EF66形電気機関車

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国鉄EF66形電気機関車
EF66 7(山陽本線 中庄・庭瀬間 2007年10月)
EF66 7(山陽本線 中庄・庭瀬間 2007年10月)
最高速度 110 km/h
定格速度  72.2 km/h(全界磁)
108.0 km/h(40%界磁)
最大寸法
(長・幅・高)
18,200×2,800×3,872(mm)
車両質量 100.08t
軸配置 Bo - Bo - Bo
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
主電動機 MT56形直流直巻電動機×6基
定格出力 3,900 kW
歯車比 20:71 (3.55)
定格引張力 19,590 kgf(約192.08kN)
制御装置 自動進段電動カム軸制御
直並列3段組合せ抵抗制御・弱め界磁
バーニア制御
駆動装置 1段歯車減速中空軸可撓吊り掛け式
台車 DT133形(両端) DT134形(中間)
ブレーキ方式 EL14AS形自動空気ブレーキ
保安装置 ATS-S(新製時)
備考
第12回(1969年
ブルーリボン賞受賞車両

EF66形電気機関車(EF66がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1968年昭和43年)から、日本貨物鉄道(JR貨物)が1989年平成元年)から製作した直流電気機関車である。

本形式の量産に先立ち、1966年(昭和41年)に試作されたEF90形電気機関車についても本項で記述する。

目次

[編集] 概要

東海道山陽本線系統の高速貨物列車専用機として開発された形式である。

名神東名高速道路の整備により輸送シェアを拡大しつつあったトラック輸送に対抗するため、国鉄では特に所要時間の短縮が急務とされた生鮮品輸送を中心に貨物列車の高速化を計画した。最高速度 100 km/h での走行可能なコキ10000系コンテナ車レサ10000系冷蔵車と並行して、専用の新型機関車の開発が開始された。

当初は動軸数8軸の「H級」とする構想もあったが、大出力電動機の実用化に見込みがついたことから動軸数6軸の「F級」として開発が進められ、1966年(昭和41年)9月に試作機が川崎車輛(現・川崎重工業)で完成した。これがEF90形である。定格出力 3,900kW は狭軌鉄道では当時世界最大のものであった。

同年11月より、先に運用を開始していたレサ10000系の特急貨物列車「とびうお」などの牽引で運用を開始し、運用結果を基に1968年(昭和43年)から量産機の製作が開始された。これがEF66形である。

本形式の量産開始に伴い、これまで暫定的にEF65形(500番台F形)重連牽引としてきた「とびうお」などの高速貨物列車は本形式1両での牽引に切り替えられ、以後、東海道・山陽本線系統の高速貨物列車を主として使用されてきた。1985年(昭和60年)3月からは寝台特急ブルートレイン)「はやぶさ」「富士」など旅客列車の牽引にも使用されるようになった。

1987年の国鉄分割民営化では西日本旅客鉄道(JR西日本)とJR貨物に承継された。1989年(平成元年)には、JR貨物によって一部設計変更の上で新規製作が行われた。これはコンテナ貨物輸送の好調を受け、列車増発に対応するもので、当時並行して開発に着手した新型機関車の投入までに輸送状況の逼迫を賄う時間的猶予がなかったための過渡的な措置である。以降、コンテナ車を主とする貨物列車に重用されている。

JR西日本所属車は引き続き東海道・山陽本線区間の寝台特急に運用され、2009年3月に同区間の客車寝台特急全廃を以って定期運用を終了している。

第12回(1969年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。

[編集] 構造

※ここでは設計当初の仕様について記述し、後年の変更箇所については当該節にて記述する。

車体は高運転台式非貫通で、運転台を特急形電車と同様の一段高い位置に設け、中央部を突出させた前面形状は従来の国鉄電気機関車にない独特のものである。灯火類は正面下部に前照灯標識灯を垂直に配列、左右の灯火間にはステンレスの飾り帯を配し、正面のナンバープレートは特急形電車に類似する逆三角形の標章と一体化した意匠である。これら形状の特徴から、本形式は容易に識別できる。外部塗色は車体が青15号(濃青色)、正面下部と側面の帯はクリーム1号である。

1,000 t の貨物列車を 100 km/h で運転することを開発目標として、主電動機は本形式用に開発された出力 650 kW のMT56形を6基搭載した。定格出力は 3,900 kW でEF65形の1.5倍に相当するが、定格引張力はEF65形の199.43kN(キロニュートン)(≒ 20,350 kgf)に対し、本形式は 192.08 kN (≒ 19,600 kgf)と減少している。これは歯車比を低く設定し、高速度運転に適した走行特性としたためである。

制御方式は国鉄直流電気機関車で一般的な抵抗制御であり、主電動機の電気配列をつなぎ変える「組み合わせ制御」は橋絡渡り[1]方式を採用している。「弱め界磁制御」はS, SP, Pの各ノッチにおいて最弱40%までの8段と在来車より多く設定し、細かな速度制御が可能である。制御回路はリレーからダイオードサイリスタ・シンクロ電動機等の新技術が積極的に採用[2]され、空転検知装置は電気機関車で初めて主電動機電機子電圧比較方式を採用した。

台車空気バネを用いたDT133形(両端)DT134形(中間)で、動力伝達機構は従来の吊り掛け式を廃し可撓吊り掛け式を用いてバネ下重量を軽減している。軌道への影響軽減や高速走行時の安定性確保のための機構で、いずれも国鉄電気機関車では初の採用である。

高速貨物列車の牽引が前提であるため、ブレーキ装置には電磁ブレーキ指令装置と応速度単機増圧機能を装備した。電動空気圧縮機 (CP) は10000系貨車の空気バネに多量の空気を供給するため2台搭載した。

連結器は周囲に空気管を装備し、10000系高速貨車との連結時に空気管も同時に連結される構造である。これは10000系貨車の台車空気バネとブレーキ管に空気を供給する元空気ダメ管 (MR) を車両に引き通すためで、同時に繋がる空気管を確実に連結するため、密着式自動連結器を装備して連結時の隙間を最小限にしている。

パンタグラフは、直流電気機関車標準のPS17形を装備した。後年に生産終了となっていたPS17形パンタグラフの部品調達が難しくなったことからPS22形下枠交差形パンタグラフへの換装が逐次施工されている。

運転台操作機器は従来機関車の標準仕様から大きく変更された。ノッチ板を廃し電車同様の操作性をもつ主幹制御器ハンドル、電気機関車で初めて「セルシン」と呼称するシンクロ変換器を採用した弱め界磁ハンドル、人間工学の思想に基づき視認性を配慮して一直線に配置された計器類などを装備する。

[編集] 形態区分

[編集] 試作機(EF90形)

1966年(昭和41年)9月にEF90形として川崎車輛で製作された、本形式の前身となる試作機である。最高速度 100 km/h の高速貨車コキ10000形・レサ10000形などと同時に試作され、各種試験に供された。
外観上、正面窓の形状が若干異なる。中央の桟は幅が太く、隅の桟は量産車より内側に寄っている。1968年(昭和43年)、量産1次車が製作されたのと同時期に量産車と仕様を統一する改造を行い、形式と車両番号をEF66 901に変更した。
1987年(昭和62年)のJR移行時にはJR貨物に承継され、吹田機関区に配置され貨物列車に使用されたが、2001年(平成13年)に廃車された。現車は広島車両所構内で解体され、現存しない。

[編集] 基本番台

1968年(昭和43年)- 1974年(昭和49年)に55両が製作された。細部仕様の差異により以下のとおり区分される。
1次車
EF66 11(国鉄色)
1968年(昭和43年)- 1969年(昭和44年)に20両 (1 - 20) が川崎車輛・汽車製造で製作された。正面窓の桟を試作機より外側に移し、前方視界の改善を図った。製造当初、前面窓直上の(ひさし)は装備しなかったが、後年に庇を追加する改造を行い、2008年現在稼動中の車両はすべて庇を装備する。前面ナンバープレート下の飾り帯には通風孔が設けられる。
補機類のうち、電動発電機 (MG) ・主電動機送風機・空気圧縮機はEF64形・EF65形と同一仕様のものを搭載した。


2次車
EF66 54(基本番台2次車)
1973年(昭和48年)- 1974年(昭和49年)に35両 (21 - 55) が川崎重工業で製作された。前面窓直上に庇が追加され、車体側面の点検蓋が車体中央のナンバープレート位置に移された。車体上部の冷却排風口も形状が変更されている。前面ナンバープレート下の飾り帯にあった通風孔は廃止された。補助電動機はメンテナンスフリーを目的に三相誘導電動機が採用され、これを駆動する電動発電機の容量を従来車の 5 kVA から 90 kVA に増強した。
主電動機には高速回転時の整流改善対策として、コンバインドシャント抵抗器が追加された。このため、営業列車で初の110km/h運転が行われた寝台特急牽引には慎重を期す意味もあり2次車を中心に充当している。
自動ブレーキ装置には単機増圧装置に加え、20系客車に搭載された編成増圧装置を作用させるための指令線を追設した。これは列車全体のブレーキシリンダ圧力を増加させる機構で、高速域からの非常制動時に制輪子と車輪の摩擦熱によって減衰する制動力を補うための装備であるが、2008年現在は使用されていない。


[編集] 100番台

1989年(平成元年)から1991年(平成3年)にかけて川崎重工業で33両[3]が製作された。
JR移行後の貨物列車増発に対応するため製作された区分で、外観が変更され、乗務員室に冷房装置が搭載された。前面は正面窓を大型化し、上面が大きく傾斜した3面構成の意匠に変更され、灯火類は正面中位に前照灯・標識灯を横方向に配置する。正面窓にはウィンドウオッシャーが装備された。
外部塗色は車体上部が濃淡ブルーの組み合わせ、下部がライトグレー、乗務員室扉はカラシ色(黄土色)のJR貨物標準色である。
集電装置は下枠交差形パンタグラフ PS22 形を当初から装備する。電動機・制御機器は基本番台2次車の仕様を踏襲するが、細部仕様の差異により以下のとおり区分される。
1次車
EF66 103(100番台1次車)
1989年(平成元年)に8両 (101 - 108) が製作された。前面の灯火類は丸型のものを設置する。


2次車
EF66 123(100番台2次車)
1990年(平成2年) - 1991年(平成3年)に25両 (109 - 133) が製作された。単位スイッチ・高速遮断器の非アスベスト化、抵抗バーニア・界磁制御機器類の仕様を変更したほか、保守の簡素化のため、灯火類を一体化した角型形状・カバー付のものに変更した。外部塗色は1次形の塗り分けに加え、車体裾部に 100 mm 幅の青色の帯が追加された。


[編集] 運用の変遷・現況

[編集] 国鉄時代

901は新製当初、吹田第二機関区(現・吹田機関区)に配置されたが、量産車は新製当初、全車が下関運転所(現・下関総合車両所運用検修センター[4]に配置された。901も量産化改造と同時に下関運転所に転属している。1978年(昭和53年)から一部が広島機関区(現・広島車両所)に転属し、貨物列車の大幅削減が実施された1984年(昭和59年)には広島機関区所属の車両が吹田第二機関区に転属している。転属後も引き続き東海道・山陽本線の貨物列車に使用された。

その後、1985年(昭和60年)3月14日ダイヤ改正の際、2次車の一部が寝台特急「あさかぜ」「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」の東京 - 下関間での牽引に転用された。これは貨物列車縮減により運用に余裕が出たことに加え、「はやぶさ」の編成中にロビーカーを増結して牽引定数が増加し、従来のEF65形では牽引力が不足するための措置である。

[編集] JR貨物

分割民営化時には1 - 39, 901号機の40両を承継し、その後、100番台33両を製作して73両体制となった。国鉄から承継した車両はすべて吹田機関区に配置され、100番台は吹田機関区・岡山機関区広島機関区に分散配置されたが、1996年(平成8年)3月16日のダイヤ改正で73両すべてが吹田機関区配置となった。また1999年(平成11年)から2002年(平成14年)にかけてJR西日本から41, 44, 52, 54号機の4両を譲り受けている。

基本番台機に対しては、乗務員室に冷房装置の取付を実施している。1988年(昭和63年)に試験的に取付を実施し、1991年(平成3年)から本格対応として、電源容量の大きい21号機以降[5]について取付を実施している。

EF66 21(基本番台更新車 旧更新色)

延命・更新工事は1993年(平成5年)から開始され、内部機器の更新などを実施している。施工済機は車体塗色を100番台機に準じたJR貨物標準色に変更しているほか、正面のステンレス飾り帯を撤去している。

EF66 37(JR貨物新更新色)前部屋根上に冷房装置が設置されている

2003年(平成15年)施工の54号機以降は外部塗色が変更され、車体を青15号、正面と車体裾部にクリーム色1号を配した、国鉄色に近似するもの[6]となった。

基本番台は製作後30年以上が経過し、老朽化や状態不良、EF210形電気機関車による置き換えの進行もあって、2001年(平成13年)以降、試作機の901号機および基本番台の一部に廃車が発生している[7]

2008年4月現在、吹田機関区に基本番台・100番台の合計68両が配置され、東京貨物ターミナル駅 - 幡生駅間のほか、京葉線蘇我駅東北本線黒磯駅まで運用される。

[編集] JR西日本

EF66 41

分割民営化時には40 - 55号機の16両を承継した。東海道・山陽本線系統の寝台特急牽引に使用されていたが、列車の削減に伴い余剰が発生し、41, 44, 52, 54号機がJR貨物に移籍した。1995年(平成7年)以降、一部には廃車[8]も発生している。

保安装置としてATS-P形を搭載することから、首都圏方面への団体臨時列車を牽引することもある。一部の車両は検査出場時に台車・床下機器がグレーに塗装されている。

2008年4月時点では、下関地域鉄道部下関車両管理室に10両が配置される。寝台特急の運用は漸次減少し、「富士」・「はやぶさ」(東京 - 下関)の運用が最後まで残存していたが、2009年3月14日ダイヤ改正で同列車が廃止され、定期運用が消滅している。

[編集] 脚注

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  1. ^ EF60形やEF65形では、力行時に直列→直並列、直並列→並列に接続を切り替える「渡り」の際に一部の主電動機を電気的に開放する「短絡渡り方式」を採用していたが、本形式は大出力であるため、牽引力の急激な変化による主電動機への影響を防ぐ目的で、ホイートストンブリッジ回路を応用した「橋絡渡り方式」を採用している。これはEF62形EF63形EF64形と同一の方式である。
  2. ^ これらの新技術は好結果を収め、後にEF64形やEF65形1000番台などに反映された。
  3. ^ 川崎重工の車両製作拠点は兵庫工場であるが、本区分は2次車の一部を除き、坂出工場で製作された。同工場は後に川崎造船に移管されたため、稀有な製作例である。
  4. ^ 現車は幡生支所(現・幡生機関区)に駐在している。
  5. ^ 1号機 - 20号機は国鉄時代からの扇風機を設けるのみである。
  6. ^ 同社所属機中、国鉄時代の配色で最後まで残存した27号機は2006年(平成18年)9月に更新工事を受け、ほぼ国鉄塗装のままで出場した。変更箇所は「JR FREIGHT」のロゴ追加や製造銘板の移設、庇(ひさし)部分を含む屋根のグレー塗装化など、ごく僅かな箇所にとどまる。
  7. ^ JR貨物広島車両所で除籍された11号機は東日本旅客鉄道(JR東日本)に寄贈され、さいたま市大宮区鉄道博物館に保存展示されている。
  8. ^ 1992年(平成4年)に山陽本線須磨 - 塩屋駅間で寝台特急「さくら」牽引中に事故大破し復旧された55号機も含まれる。

[編集] 参考文献

  • 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル
    • 別冊No.4 『国鉄現役車両1983』 1982年
    • 2005年5月号 No.463 特集:鉄道貨物輸送の現状
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル
    • 1986年7月号 No.466 特集:EF66形電気機関車
    • 2000年1月号 No.680 特集:貨物輸送
  • ネコ・パブリッシング『国鉄冷蔵車の歴史(下)』 RM LIBRARY No.28 2001年
  • 交友社『鉄道ファン
    • 1991年11月号 No.367 特集:機関車EF66

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ
レンフェ251形
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