大韓民国の国旗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
大韓民国の国旗
韓国の旗
用途及び属性 市民・政府・軍隊陸上、市民・政府・軍隊海上?
縦横比 2:3
制定日 1948年7月12日
使用色
テンプレートを表示
太極旗
各種表記
ハングル 태극기
漢字 太極旗
発音 テグッキ
文化観光部2000年式 Taegeukgi
テンプレートを表示

大韓民国国旗(だいかんみんこくのこっき)は通称太極旗(たいきょくき)と呼ばれる。白地の中央にある円で「太極」を表し、その中に赤と青の2色からなる「陰陽」があり(青部を上に掲揚するのは逆さであり誤りである)、その周囲四隅に「」が配置されたデザインとなっている。

太極旗は李氏朝鮮高宗時代、1883年旧暦1月27日に朝鮮国の国旗として公布され、1949年10月15日に大韓民国の国旗として採用された。

初期の太極図[編集]

左:日本の日刊新聞「時事新報」1882年10月2日 朴泳孝ら使節団が日本で使ったものを報道[1]
中央: 清・李鴻章編『通商章程成案彙編』(1886年)収録。「大清國属」の文字が見える[2]
右: ソウル大学校奎章閣所蔵の御旗「太極八卦図」。太極旗以前に太極図を旗として使用したもの。
Flags of the Maritime, 5th.ed., Bureau of Navigation, Secretary of the Navy, Washington.D.C., july 1882 収録。49ヶ国150旗の1つとして掲載されている。2003年にソウルの古書店ARTBANKが入手した。その刊行年が正しければ最も早く太極旗を伝えたものとなる。

制定当初の太極旗の実物は本国に残っておらず、アメリカのスミソニアン博物館所蔵の1884年製の太極旗が実物サイズでもっとも古いものである。また、それを絵で伝えたものが他国の史料のなかに残されている。従来、太極旗の八卦を四卦に減らし左に45°傾けたデザインは朝鮮の特命全権大使兼修信使である朴泳孝1882年8月に日本に向かう船の中で考案されたものとされてきたが、1882年7月米海軍省 (Navy Department) の航海局 (Bureau of Navigation) が発行した『海上国家の旗』(Flags of Maritime Nations) 第5版[3]に収録されたものが2004年に発見され、現在のところ、公式に視認できる最古のものとなったため、朴泳孝以前にすでに考案され使用された可能性が出てきている。デザインは現在のものと若干の違いがあり、現状のものに確定するまでに細かく変遷しているようである。初期のものの中には太極円内の陰陽が赤黒のものなども存在し、卦の大きさや位置、太極の構図などが細かく変えられたりするなどして現在のデザインに落ち着いた様である。

旗が考案された時代、李氏朝鮮は清王朝の冊封体制に服属していた。この為、1886年に清の李鴻章によって編纂された『通商章程成案彙編』に収録された旗は清国の国旗、軍旗、商旗の後に位置づけられると供に「大清国属 高麗国旗」と明記して掲載されており従属国であったことが分る。[4]

国旗制定の背景[編集]

李氏朝鮮の国旗制定が具体的な問題として浮上したのは、1880年、日本から帰国した修信使金弘集らが清の駐日公使館参事官黄遵憲が書いた『朝鮮策略』を持ち帰ってからである。『朝鮮策略』はロシアの南下政策に対して朝鮮がアメリカと連合すべきとする書物であるが、ここではじめて朝鮮の国旗の図案についての言及があり、朝鮮が清の冊封国であることを強調するため、清朝旗のように龍を図案に入れることを主張している。そこで李氏朝鮮は国旗制定にあたり、清の助言を求めたところ、北洋大臣李鴻章は朝鮮国王の御旗である画龍方旗が清の黄龍旗と似ていることからこれを国旗としてもよいのではないかとした。

具体的な国旗の図案についての議論が行われたのは、一説では、1882年4月 (旧暦)米朝修好通商条約締結を斡旋するために訪れた清の馬建忠と金弘集の会談があるとする。その筆談の内容を記録した『清国問答』によると第1次会談で馬建忠は条約締結において国旗が必要であり、朝鮮人の服色である民の白、臣の青、王の赤にちなんだ白底青雲紅龍の図案を提案し、金弘集はこれを了承している。しかし、第2次会談において金弘集は青雲と紅龍は作るのに手間がかかるため、赤地に青と白が交わった円の図案はどうかと述べたが、これに対して馬建忠は地は白で中央に半紅半黒の太極文様を描き、その周囲に朝鮮八道を象徴する八卦を配した古太極図の図案を提唱し、金弘集はこれを受け入れたとされている。

その2ヶ月後、壬午事変が起こり、日本との間に済物浦条約が結ばれた。済物浦条約の規定に従い謝罪の使節として朴泳孝らが派遣された。朴泳孝がその4ヶ月間のことを記した日記『使和記略』によると8月9日に仁川から日本船籍の明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは船内でイギリス領事アストンとイギリス人船長ジェームスに八卦と太極文様を描いた古太極図を見せて国旗について相談したところ、船長が八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便であると述べたため、四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案が提案され、大・中・小3本の太極旗が作られたという。8月14日、神戸に到着した一行は宿泊した西村屋にはじめて太極旗を掲げ、8月22日、太極旗小本とともに国旗制定を本国に報告したとされる。

1883年旧暦1月27日3月6日)、統理交涉通商事務衙門の指示によって八道四都に通知され、太極旗が正式に国旗として使われるようになった。

解釈[編集]

白地は平和の精神を表し、中央の赤と青からなる「太極円(太極文様)」は、陽・陰がひとつになり万物を創造する、創造の精神を表しているとする。まわりの四卦は向き合っているもので一つの意味を持っているとする。けん)が天、こん)が地の無窮の精神を表し、かん)が月、り)の日の光明の精神を表しているとする。

伏羲先天八卦の生成

これは儒教経典の一つである『易経』繋辞伝にある「太極-両儀-四象-八卦」の宇宙生成論に由来しており、円で表される天地未分の太極の中に両儀=陰陽が生じている様子を描き、四方に配されている四卦は、八卦を代表する四正卦(乾・坤・坎・離)であるとともにその初爻と第二爻で両儀から生じる四象(太陽Taiyang.png・少陰Shaoyin.png・少陽Shaoyang 4.png・太陰Taiyin.png)を表し、いわゆる伏羲先天図である。太極旗と呼ばれ、朱子学にもとづいた先天太極図(古太極図)系統の太極図―いわゆる陰陽魚の太極図―ともいえるが、卦を大きく配して四象を兼ね、より先天図としての特徴が分かりやすい図案になっている。先天太極図と比べてみるならば、まず一般的に白黒で配色される陰陽が、韓国国旗では赤青で彩色されている。また先天太極図に特徴的な陰中陽と陽中陰を表す魚眼が欠けているが、これは魚眼部分が表す坎Kan.png・離Ri.pngの卦を円外に配して円内は純粋に陰陽両儀のみを表しているためで、先天太極図が円内に太極-両儀-四象-八卦すべてを重ねる構図であるのに対して韓国国旗は太極と両儀、四象と八卦を重ねつつ順に四方へと広げていく構図といえる。周りの卦は伏羲先天八卦方位に配されているが、八卦を四卦に減らしたために四正卦の南北東西が上下左右に配置される先天太極図とは異なり、左上・右下・左下・右上の四隅に配置されている。

制作方法[編集]

太極旗の制作方法

表示する色 マンセル色体系[5] CIE 1931 色空間[5] パントン[6] ウェブカラー[7]
6.0R 4.5/14 0.5640, 0.3194, 15.3 186 Coated #C60C30
5.0PB 3.0/12 0.1556, 0.1354, 6.5 294 Coated #003478
N 0.5 N/A N/A #000000
N 9.5 N/A N/A #FFFFFF

掲揚[編集]

掲揚されている大韓民国の国旗

掲揚する日[編集]

韓国の祝日とそれ以外の指定される日。

国家と地方自治体、公共団体の庁舎、学校、空港、ホテルなどの国際的な場所においては毎日国旗を掲揚することになっている。

掲揚時間[編集]

国旗は24時間掲揚することが出来るが、夜間には適当な照明が必要とされる。

国旗を日中のみ掲揚する場合は以下のように行う。

時 期 掲揚時刻 降納時刻
3月 - 10月 07:00 18:00
11月 - 2月 07:00 17:00

歴代国旗[編集]

朝鮮国王使用御旗(1392年?―1910年) 
朝鮮1945年 - 1948年、アメリカ占領時代の太極旗) 
大韓民国1950年 - 現行) 

その他[編集]

  • 韓国内のイベントや、テレビのニュース[8]、国連[9]などでも、国旗が上下逆さまだったり、間違った図案の国旗を使用したケースが度々ある。
  • 太極図は中国文化圏に広く普及する図案であり、モンゴルの国旗にも小さな太極図が使用されている。国旗以外の図案、ロゴマーク等(大韓航空シマンテックペプシコーラ浜松市章など)にもしばしば用いられる。2005年頃、アップルコンピュータが商品ロゴに用いた際は、韓国のネット上で話題となった[10]
  • 韓国の小中学生で正確に描けるのは30%ほどである。[要出典]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 「...馬建忠が朝鮮の國旗は支那に從ひ三角形の靑地に龍を書くべし本國支那は黃色を用るども朝鮮は支那の東方に當る邦たるを以て東は靑色を貴ぶの意により靑地を用ふべしと指示したるに國王は大に之を憤み決して支那の國旗に倣ふべからぬとして四角形の玉色地に太極の圖(二つ巴繪)を靑赤にて書き旗の四隅に東西南北の易卦を附けたるを自今朝鮮の國旗と定むる旨沙汰せられたりとあり...」
    大意
    「中国の馬建忠が朝鮮の国旗は清国の国旗と似た模様を使うことを指示した。これに国王は憤慨して、絶対に中国の国旗をまねないといって他の模様を作ることを指示したという。」
  2. ^ 2004年1月26日付の中央日報は、アメリカ海軍航海局が発行した「海上国家の旗」(1882)に最古の太極旗が発見されたという報道に際して、それまで最も古い太極旗としてこの国旗を紹介したが、旗にある「大清國属」の文字を日本語版ではそのまま載せたが、韓国の新聞・インターネット版ではトリミングしてカットしていた。これについて呉善花は韓国では国定の「唯一正当な歴史」以外は隠す体質が国家・マスコミ・学者にあるとした(『やっかいな隣人 韓国の正体』呉善花・井沢元彦)。
  3. ^ Open Libraryにて公開されている Flags of Maritime Nations 第5版31ページ http://www.archive.org/stream/flagsofmaritimen00unitrich#page/n29/mode/2up
  4. ^ 『通商章程成案彙編』巻三十 李鴻章編『通商章程成案彙編』(1886年)Google ブックス
  5. ^ a b 깃면”. 행정안전부 (2009年). 2010年2月16日閲覧。
  6. ^ http://www.infokorea.ru/flag/
  7. ^ http://www.edigita.com/pantone.php
  8. ^ SBS 8時ニュース「おかしな太極旗」連日報道 中央日報日本語版 2011年06月27日
  9. ^ 「韓国人が総長なのに…」国連本部に‘変な太極旗’ 中央日報日本語版 2007年09月20日
  10. ^ DCinside(朝鮮語版) http://www.dcinside.com/webdc/dcnews/news/news_list.php?s_title=&s_body=&s_name=&curPage=&id=46034&blog_id=1231197&s_que=&code=ahh