ソビエト連邦の国旗

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ソビエト連邦の国旗
ソビエト連邦の旗
用途及び属性 市民・政府陸上、市民・政府海上?現在使われていない歴史的な旗?
縦横比 1:2
制定日 1980年8月15日
使用色
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ソビエト連邦国旗は、赤地(赤旗)に黄色で鎌と槌赤い星五芒星)が描かれたである。赤は革命を、交差した労働者のシンボル)と農民のシンボル)は労働者と農民の団結を、その上の五芒星は五大陸の労働者の団結と共産党による指導とを意味する。

ソ連国旗の変遷[編集]

ソビエト連邦の公式な旗は、1922年12月に開かれた全連邦ソビエト大会において制定の方針が決められた。ここでは「赤旗のシンボルから国家のシンボルへと変え、その旗を囲んでソビエト共和国諸国の人民が一つの国家-ソビエト社会主義共和国連邦のもとに団結する」ことが合意された。12月30日、ソビエト大会はソビエト連邦の樹立に合意し、国家樹立を宣言した。宣言の第22条には「ソビエト連邦は国旗国章国璽を持つ」とあった。

最初の国旗[編集]

最初の国旗の詳細は、1923年7月6日に全連邦中央執行委員会の第二回会合で了承されたソビエト連邦憲法案において定められた。この際の憲法案の第71条にはこうあった。

「ソビエト社会主義共和国連邦の国旗は、赤色または緋色の地に国章を配する。」

この国旗の縦横比は縦1:横4という、例を見ない横長のものであり、赤旗の中央に国章を配置していた。しかしこの国旗は大量生産にまわされることはなかった。4ヶ月の間だけ国旗の座にあり、1923年11月12日の全連邦中央執行委員会の第三回会合でデザインされた、一般に良く知られている「鎌と槌」の旗に置き換えられてしまったのである。

二番目の国旗[編集]

1923年11月から1955年までのソ連国旗。後の旗より色が濃い。縦横比は1:2

全連邦中央執行委員会の第三回会合では、デザイン変更をうけて憲法案の第71条の条項はこう書き換えられた。

「ソビエト社会主義共和国連邦の国旗は、赤色または緋色を地とし、左上端に金色の槌と鎌を配し、金で縁取られた赤い五芒星をその上に配する。国旗の縦と横の比率は1:2である。」

新しく採用されたソ連の公式な旗は、赤一色の旗に、交差した鎌と槌が描かれ、赤い星が上方に配置されていた。槌は産業労働者を、鎌は農業労働者をそれぞれシンボル化したものである。赤い星は共産党による指導を意味していた。旗の裏側は何も描かれていない赤一色であった。

ソビエト社会主義共和国連邦憲法1924年に成立し、槌と鎌の国旗は広く使われることになった。また世界各国の共産党や共産主義国家にも影響を与えている。中国ベトナムなどは赤地に金の星のデザインを使用し、赤い星南イエメン北朝鮮ユーゴスラビアなどの旗に使用された。また槌と鎌やそのバリエーションである槌と斧、槌とペン、槌とコンパスなどのシンボルは社会主義諸国の国旗(例:東ドイツアンゴラモザンビーク)や国章、党章に使われている。

1950年代以降、ソ連を構成する各共和国でも国旗が定められたが、すべてソ連国旗をもとに部分的に独自の色や模様を追加した旗であった。

三番目と四番目の国旗[編集]

1955年8月から1980年までのソ連国旗。縦横比は1:2

1955年8月19日最高会議幹部会の決定により、国旗には修正が加えられた。鎌の形状が全体的に変えられ、ハンマーの持ち手も長くなっている。

1980年8月15日にも国旗の修正が行われた。地の赤色は明るくされ、ワイン色に近い深紅から明るい赤へと変更された。

これがソ連最後の国旗となった。1991年12月25日ソ連崩壊により、ロシアではかつてのロシアの国旗が復活し、ソ連国旗は退場することになった。

赤色国旗の復活[編集]

1996年4月15日、ロシアのボリス・エリツィン大統領は「勝利の旗」と呼ばれるソ連国旗に似た旗に対し、国旗と同じ格を与える大統領布告に署名した。この旗は第二次世界大戦の勝利を記念した旗で、1945年5月1日ベルリン国会議事堂(ライヒスターク)の屋上で翻ったとされる旗(ライヒスタークの赤旗)を基にしたもので、ソ連国旗から槌と鎌を除き、赤地に赤い星だけになったものである。祝日には「勝利の旗」はロシア国旗と並んで掲揚されることとなっていた。

またウラジーミル・プーチン大統領のもとで、「勝利の旗」はロシア陸軍の公式な旗となったが、その後は公式な存在ではなくなった。2009年現在のロシア軍旗は赤地に四方に赤い星、中央に双頭の鷲があしらわれた旗が使われている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]