双頭の鷲

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セルジューク朝の紋章(11-12世紀)
1370年代に描かれた、教会会議を主宰する東ローマ皇帝ヨハネス6世カンタクゼノス。彼の足元に金の双頭の鷲が描かれている。
1493年建築のルーマニア Borzeşti 教会(ro)の双頭の鷲の壁画。

双頭の鷲(そうとうのわし、ギリシア語: Δικέφαλος αετόςドイツ語: Doppeladler英語: Double-headed eagle)とは、鷲の紋章の一種で、頭を2つ持つ紋章

主に東ローマ帝国神聖ローマ帝国と、関連したヨーロッパ国家貴族などに使用された。現在でもセルビアアルバニアドイツロシアなどの国章や、ギリシャ正教会などで使用されている。

歴史[編集]

「双頭の鷲」自体は古来より存在する紋章で、紀元前20世紀から7世紀の間のシュメール文明や、現在のトルコ地域のヒッタイトでも使用された。また11-12世紀のセルジューク朝でも使用された。

ローマ帝国国章は(双頭ではない)鷲の紋章であったが、13世紀の東ローマ帝国末期のパレオロゴス王朝時代に「双頭の鷲」の紋章が採用された。この紋章は元々はパレオロゴス家の家紋との説もある。東ローマ帝国における「双頭」は、「西」と「東」の双方に対するローマ帝国の支配権を表したが、実際には「西」(過去の西ローマ帝国の支配領域)の支配権を既に失っていった時代である。

東ローマ帝国の「双頭の鷲」は、ギリシャ正教会コンスタンティノープル総主教庁セルビアアルバニアなどに継承された。セルビアの「双頭の鷲」の多くは白色である。

またローマ帝国の継承を自負する神聖ローマ帝国ハプスブルク家の紋章となり、更にオーストリア帝国オーストリア=ハンガリー帝国ドイツ国などに継承された。1472年には東ローマ帝国の姫ゾイ・パレオロギナを迎えたロシア帝国も「双頭の鷲」を採用した。東ローマ帝国滅亡後は、ロシア帝国もローマ帝国の後継を自負し、その「双頭」は、「東(アジア)」と「西(ヨーロッパ)」に渡る統治権を表した。また16世紀にハプスブルク家出身で神聖ローマ帝国皇帝となったスペイン国王カール5世(カルロス1世)によりスペインの国章にも一時使用された。これらハプスブルク家関連の「双頭の鷲」の多くは黒色である。

20世紀前半に、ロシアはロシア革命によりソビエト連邦に、セルビアやドイツ東部(東ドイツ)は第二次世界大戦の結果として社会主義国となり、「双頭の鷲」は皇帝の象徴として国章から削除された。しかし1990年代のソ連崩壊東欧革命ドイツ再統一により、それぞれ復活された。

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東ローマ帝国関連[編集]

ロシア帝国関連[編集]

神聖ローマ帝国関連[編集]

類似の例[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]