赤の広場

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世界遺産 モスクワのクレムリンと赤の広場
ロシア
聖ワシリイ大聖堂側から見る赤の広場
聖ワシリイ大聖堂側から見る赤の広場
英名 Kremlin and Red Square, Moscow
仏名 Le Kremlin et la place Rouge, Moscou
登録区分 文化遺産
登録基準 (1),(2),(4),(6)
登録年 1990年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
使用方法表示
後方に聖ワシリイ大聖堂とクレムリンのスパスカヤ塔を臨む
クリスマスの夜景
『赤の広場』(フョードル・アレクセーエフによる絵画、1802年
赤の広場の空撮写真(イタル・タス

赤の広場(あかのひろば、ロシア語:Красная площадьクラースナヤ・プローシシャチ)は、ロシアの首都モスクワの都心部にある広場である。長さは695m、平均道幅は130m、面積は7万3,000㎡。

」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、元々ロシア語では「美しい」という意味もあり、広場の名前は本来「美しい広場」というものであった。広場は北西から南東に長く、南西側にはガガーリンスターリン片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領官邸、城壁に接しているレーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、北東側にはグム百貨店、北西端には国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門、南東端には葱坊主の屋根の聖ワシリイ大聖堂と処刑場・布告台だったロブノエ・メストがある。

歴史[編集]

1493年モスクワ大公国の統治者イヴァン3世が、自らの居城であるクレムリンの前の市街地を広場として整理させたのが起源とされる。以後、商業地域のキタイゴロドと区別され、モスクワ大公国やロシア帝国ロマノフ朝)の重要な国家行事がここで行われるようになった。

当初は「赤の広場」という名称ではなかった。「トルグ広場」(トルグとは交易や商売を意味する)、広場の隅に立つ至聖三者聖堂(トロイツカヤ聖堂)の名から「至聖三者広場(トロイツカヤ広場)」、1571年のタタール人襲撃で起きた大火による「ポジャール広場(火事広場)」等の名称の変遷を経ている。16世紀には、石畳もまだ敷かれておらず、当時の風景を再現した絵画では地面に板が敷かれた状態で描かれている[1]

赤の広場(クラスナヤ広場)」と名付けられたのは、広場が整備された17世紀後半。なお、ロシア語名「クラスナヤ広場」の「クラスナヤ」は、ロシア語で「赤い」を意味するが、古代スラヴ語では「美しい」を意味する事から、「美しい広場」が原義に近い[1]

ピョートル1世以降、ロシア帝国の首都はサンクトペテルブルクであったが、ロシア革命後に成立したソ連の首都がモスクワに定められ、モスクワが首都に返り咲くと、クレムリンには最高指導者が居住したため、赤の広場の重要性は更に増した。

ソ連時代には、革命記念日である毎年11月7日に、ここで閲兵式(軍事パレード)が行われた。西側諸国のジャーナリスト達は、閲兵式のためにレーニン廟の上に並ぶソ連共産党指導者たちの並び順を見て、公式には明らかにされない共産党内の序列を確認し、権力闘争のゆくえを観測する「クレムリノロジー」の手法を採用していた。

独ソ戦によるナチス・ドイツの侵攻でモスクワが危機にさらされた1941年のパレードでは、参加した軍隊がそのまま郊外の防衛最前線に直行する事態になった。そして1945年には、対独戦勝記念の記念パレードが盛大に行われた。

1987年5月28日には、西ドイツの青年マチアス・ルスト(当時19歳)の操縦するセスナ機がヘルシンキから飛び立ち、赤の広場に強行着陸する事件が起きた。

ソ連末期の1990年には、クレムリンと共にユネスコから世界遺産に文化遺産として指定され、1991年に登録された。

かつてはレーニン廟と共に社会主義体制の聖地とされたが、ソ連からロシアに政治体制が変わった現在では、商業的利用もなされる。1988年公開のアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「レッドブル」では、アメリカ映画として初の撮影許可が下りた。1993年5月に、山本寛斎が12万人を集めるファッションスペクタクルを開催。2003年には、ポール・マッカートニーがコンサートを開いた。2004年には、日清食品カップヌードルのCM(NO BORDER シリーズ)で、赤の広場が撮影場所となった。

外国人の観光客も多く、モスクワで結婚式を挙げたロシア人カップルが、挙式後に訪れる定番地の一つとしても知られている。

世界遺産[編集]

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

脚注[編集]

  1. ^ a b 川又一英『イヴァン雷帝-ロシアという謎』55頁・56頁、新潮社、1999年。 ISBN 4106005662

関連項目[編集]


座標: 北緯55度45分15秒 東経37度37分12秒 / 北緯55.75417度 東経37.62000度 / 55.75417; 37.62000