フェラポントフ修道院
|
|||
|---|---|---|---|
フェラポントフ修道院の遠景
|
|||
| 英名 | Ensemble of the Ferrapontov Monastery | ||
| 仏名 | Ensemble du monastère de Ferapontov | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | (1),(4) | ||
| 登録年 | 2000年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 使用方法・表示 | |||
フェラポントフ修道院(ロシア語:Ферапонтов монастырь)は、ロシア・ヴォログダ州にある修道院である。1398年に創建され、2000年にUNESCOの世界遺産に登録された。
歴史[編集]
1398年に聖フェラポントによって、修道院は創建された。修道院の名声は、en:Kirill of Beloozeroの弟子であるマルティニアンの時代に広がった。彼は、1447年には、至聖三者聖セルギイ大修道院の修道院長となる。
彼の死後、イヴァン3世の一族によって、修道院は保護された。1490年には、生神女誕生聖堂が、ロストフの技術者の指導によって、レンガ造りで建設された。フェラポントフ修道院の聖堂建築は、1490年代に建設されたロシア北部の建築物の中でも保存状態がいい。また、聖堂の内壁は、15世紀から16世紀に活躍したフレスコ画家であるディオニシウスによる(en)フレスコ画が描かれている。
1530年代には、宝物館、食堂、生神女福音教会が建設された。また、イヴァン4世により、様々な特権が与えられ、60の村を所有するにいたった。イヴァン4世は、数回、この修道院を巡礼の形式で訪れている。
1598年から1613年の大動乱時代(en)には、ポーランド人により、攻撃を受けた。ロシアが失地を回復する中で、1641年から1680年の間に、3つの教会と鐘楼が建設された。
修道院が宗教的重要性を徐々に喪失する中で、ニーコン総主教(en:Patriarch Nikon)のように、流刑地としての性格を持っていくようになった。1798年、ピョートル3世により、修道院は廃止され、その地位を回復したのは1904年であった。20年後、ボルシェヴィキの手によって、再度、修道院は閉鎖したが、1975年、修道院は、美術館として復活した。
世界遺産登録基準[編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
外部リンク[編集]
| 文化遺産 | |
|---|---|
| サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 | キジー・ポゴスト | モスクワのクレムリンと赤の広場 | ノヴゴロドと周辺の文化財 | ソロヴェツキー諸島の文化的・歴史的遺産群 | ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群 | セルギエフ・パサドの至聖三者聖セルギイ大修道院の建築的遺産群 | コローメンスコエの主の昇天教会 | クルシュー砂州 | フェラポントフ修道院の建造物群 | カザン・クレムリンの歴史的・建築的遺産群 | ノヴォデヴィチ女子修道院の建造物群 | デルベントのシタデル、古代城壁、要塞建造物群 | ヤロスラヴリ市街の歴史地区 | シュトルーヴェの測地弧 | |
| 自然遺産 | |
| コミの原生林 | バイカル湖 | カムチャツカの火山群 | アルタイの黄金山地 | 西コーカサス | 中部シホテ-アリン |ウヴス・ヌール盆地 | ウランゲル島保護区の自然体系 | プトラナ平原 | レナ石柱自然公園 | |
| 世界遺産 | ヨーロッパの世界遺産 | ロシアの世界遺産 | 五十音順 | | |