ペトログリフ

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ブライス・キャニオンのペトログリフ。数千年前のものと推測されている。

ペトログリフ英語:petroglyph)とは、象徴となる岩石洞窟内部の壁面に、意匠文字が刻まれた彫刻のこと。ギリシア語を意味するペトロとグリフ(彫刻)の造語である。日本語ではペトログラフと呼ばれることもあるが、通常は岩絵と呼ばれる。また線刻画・文字)と呼ばれたり、岩面彫刻岩石線画岩面陰刻と訳されることもある。

概要[編集]

人類が後生に伝えたいさまざまな意匠や文字を岩石に刻んだもの。筆記具や紙を持たない古代の人々が残した記録として注目されがちであるが、アメリカ合衆国ハワイ州などには16世紀17世紀にかけて刻まれた比較的新しいものもある。また、近世や現代においても、宗教的な儀式の目的やアートとして刻まれるものも多数存在している。日本では主に漢字伝来以前の物をペトログラフ、漢字伝来以後の物を「碑文」又は「絵」と呼んで区別している。

海外ではペトログリフは勿論、岩石芸術(英語で言うRock art、ペトログラフだけでなく、洞窟の壁画やドルメンストーンサークル等も含む)全般の研究が行われており、特にで研究が盛んであり、ユネスコに研究機関があるほか、ハーバード大学などでも研究が行われている。

1970年代にはアメリカでペトログラフ探しが流行したことがあるという。

内容[編集]

最も古いものはウクライナの「カメンナヤ・モグリャ」にあるもので、旧石器時代(約10,000から12,000年前)のものといわれている。7,000から9,000年前頃には絵文字表意文字のようなものが現れ始めた。この頃は世界中で岩面彫刻はまだ一般的であったが、いくつかの文化では20世紀になって西洋の文化が入ってくるまで、使用し続けていた。ペトログラフは、南極大陸を除く世界中で見つかっている。

それらの場所や作られた時代、イメージのタイプ等から推察される目的については、多くの理論がある。いくつかのペトログリフは、天文学で使う印、地図および記号的なコミュニケーションの他の形式であると思われる。地形あるいは周囲の土地を表す岩面彫刻はGeocontourglyphとして知られている。それは道、川、時間と距離を表しているとも推察される。

さらに、それらは他の儀式の副産物とも考えられる。たとえばインドのものは、ロックゴングという楽器であると確認された。いくつかのペトログリフは、それを作った当時の社会において文化的にあるいは宗教的に重要なものだと考えられる。その重要性は子孫へと伝えられる。スカンジナビアの北欧人の青銅器時代以後の記号は、宗教的な意味に加えて、種族間の領土の境界を表すように見える。

さらに、地域ごとに方言が存在するように見える。たとえば、「シベリアの銘」と呼ばれるはほとんどルーン文字のある初期の形式のような形をしている。しかし、詳しい事は分かっていない。

ヨハネスブルグのヴィトヴァーテルスラント大学の岩石芸術研究所(RARI)が、カラハリ砂漠サン人の中のシャーマン教と岩石芸術との関係について研究した。サン人の美術品はおもに絵画であるが、それらの背後にある信条は、それらを理解する根拠になるという。RARIウェブサイトによると、研究者は、サン人の信条がその画家の信仰生活に基本的な役割を果たしたことを示した。絵の背後には別の世界がある。踊り手が動物の形で飛び立ち、力を引くことができ、治療、人工降雨および狩猟を導くことができたという。

意義[編集]

おもに考古学的な面と美術的な面から研究が行われている。考古学的には過去の人々の風俗や生活様式、ときには気候などを類推できるほか、文字の誕生を探る上でも貴重な手がかりと考えられている。また美術的な価値についても研究がなされている。

研究における有効性の問題として、岩石の風化により生じる亀裂やくぼみがペトログリフであると誤認される場合のあることや、遺跡の改竄や捏造といった問題が挙げられる。

一致[編集]

世界中で調査され、GPSで記録されたペトログリフを分析した結果、紀元前3000年から7000年頃のペトログラフに、大陸の全域の広い範囲で共通性がある事が分かっている。 よく見られる模様としては、うずくまる人、キャタピラー梯子アイマスクココペリ(インディアンの神様)、輪留めをかけられた車輪、等が挙げられる。

この理由としては様々な説が考えられている。

  • 世界的移動説

特定のグループが、ある地域から世界中に移ったという説。1853年に、ジョン・コリングウッド・ブルースとジョージ・テイトが唱え、ロナルド・モリスが彼らの104の理論を要約した。

シュメール人が世界中に広まったという説はこの説の親戚である。

  • 遺伝説

他の、より論争の的になっている説明は遺伝によるものである。ユング心理学およびミルチャ・エリアーデの見解では、人間の脳に遺伝学的に相続した構造があるからではないかとしている。

  • 薬物説

幻覚剤を使用して精神が異常状態になったたシャーマンによって作られたことをいう説。デービッド・ルイス=ウィリアムズは、これらの模様は人間の脳に組み込まれたもので、それらが薬や片頭痛および他の刺激によって起こる視覚障害や幻覚によって頭に生まれるのではないかとしている。

この一致を利用して、ペトログラフを「碑文」として解読しようという研究も存在する。この研究を推し進めたのは、ハーバード大学の教授でアメリカ碑文学会会長のバリー・フェルである。フェルは世界中に同じような形のペトログラフがあるのを利用して、シュメール古拙文字オガム文字等、使える古代文字を総動員してアメリカのペトログラフの解読を試みた。

日本でもこの方法を使って解読が試みられており、日本ペトログラフ協会がシュメール古拙文字等のフェルが用いた文字の他に、日本の仮名神代文字、中国のロロ文字等も使って解読を試みている。(一部にペトログラフ研究そのものをオカルトと考える人がいるのはこの為でもある。詳しくは神代文字を参照)

バリー・フェルの解読法には批判もあるが、発掘された文字(と思われる物)を解読しようという試みは世界的には古代エジプトヒエログリフ解読、中国甲骨文字ギリシャ線文字Bの解読等、古くから行われている事であり、それ自体は何もおかしいことではない。

日本のペトログリフ[編集]

太平洋地域にペトログリフの文化が点在し、日本においてもペトログリフの存在が確認されており、幾つかの団体が研究を行っている。

日本ペトログラフ協会は主に考古学的な研究や、解読を行っている。日本ペトログラフ協会の始まりは1986年下関市彦島にある磐座の研究である。 その頃、1924年に発見された古代の磐座が平家の財宝のありかを示す岩だという説が流れ、彦島に人が殺到していた。そこで福岡県の支援を受けて学問的な調査を行う事になり、海外の学者に問い合わせたり、ペトログラフ研究が進んだアメリカフランスの研究所で調査が行われた。このときの研究の流れを汲むのが日本ペトログラフ協会である。

日本先史岩面画研究会は北海道の手宮洞窟やフゴッペ遺跡の研究から発展している組織で、こちらは主に美術的な観点からの調査を行っている。

両会とも世界各地で調査を行っており、海外の学会で発表する等、成果を挙げている。ペトログラフは1994年の時点で120箇所で1200個が発見されている。

なお、1994年3月28日の読売新聞によると、山口県下関市彦島の市指定文化財「彦島杉田岩刻画」(平成3年5月指定)に傷がつけられているのが発見され、ニュースになった。(同新聞によれば、大正13年に地元の人が発見、昭和51年頃から研究があった、とされる。)

主な遺跡[編集]

アジア[編集]

その他陰山山脈寧夏回族自治区にもある。

アフリカ[編集]

アラヴァ岬の南1kmに存在するペトログリフ

北アメリカ[編集]

中南米[編集]

太平洋・オセアニア[編集]

ヨーロッパ[編集]

参考文献[編集]

  • 吉田信啓 (1994). ペトログラフ・ハンドブック : ペトログラフ探索調査手帳. 中央アート出版社.  ISBN 4886396992
  • 日本先史岩面画研究会
  • Petroglyph
  • 読売新聞 1994年3月28日付西武朝刊 『「古代文字」岩刻画に傷 貴重な文化財にいたずら/下関』

関連項目[編集]

外部リンク[編集]