イースター島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

世界測地系: 27°7′S, 109°22′W

ラパ・ヌイ
Rapa Nui
イースター島の旗
詳細
公用語 スペイン語
中心地 ハンガロア
ラパ・ヌイの知事
面積
 - 総計

163.6km²
人口
 - 総計(2005年
 - 人口密度

3,791
/km²
通貨 ペソ
時間帯 UTC-6
ccTLD .cl

イースター島:Easter Island)はチリ領の太平洋上に位置する火山島。現地語名はラパ・ヌイラパ・ヌイ語:Rapa Nui)。正式名はパスクア島スペイン語:Isla de Pascua)で、"Pascua"は復活祭(イースター)を意味する。日本では英称で呼ばれることが多い。

モアイの建つ島として有名。ポリネシア・トライアングルの東端に当たる。周囲には殆ど島らしい島が存在しない絶海の孤島である。「ラパ・ヌイ」とはポリネシア系の先住民の言葉で「広い大地」という意味。

目次

[編集] 歴史

4世紀頃から、同じポリネシアマルケサス諸島から渡ってきた人が、イースター島に暮らすようになったといわれている(年代については3世紀から9世紀まで諸説あり、はっきりしていない)。化石花粉の研究から、当時のラパ・ヌイは、世界でも有数の巨大椰子が生い茂る、亜熱帯性雨林の島であったと考えられている。初期のヨーロッパ人来航者は、「ホトゥ・マトゥア」という首長が2艘の大きなカヌーでラパ・ヌイに入植したという伝説を採取している。

モアイ像
モアイ像

10世紀頃から、モアイの製作が始まる。当時彼らの作ったモアイや墳墓石碑など考古学上極めて重要な遺跡が数多く残されている。人口も増加し、最盛期では1万5千人を超えていたと見られる(人口についても6千人から3万人まで諸説あり)。

その後、モアイ製作やカヌー製造、農耕の拡大などで伐採が進み、島全体から森林が消えてしまう。その結果、表土が流出し、農地は荒れ果て、また木材が不足してカヌーの生産にも支障が出たことから大規模な飢餓が発生。そのためもあり、16世紀から17世紀にかけて部族間の紛争が起こり、モアイの破壊合戦が起こる(一説ではあるが、耳長族がモアイの製作を行っていた耳短族に無理な要求を行い、それに反発した耳短族との間で、 モアイ倒し戦争が勃発したと伝承されている)。この時代、人口は激減し、伝承によれば人肉食さえ横行していたとされる。

1722年オランダ海軍提督、ヤコブ・ロッゲフェーンが発見。発見した日がイースターであったため「イースター島」と名前が付いたといわれている。1774年には、イギリス人探検家のジェームス・クックも上陸している。クックの上陸当時は、島のモアイの半数ほどがまだ直立していたという。なお、伝承では1840年に最後のモアイが倒されたとされる。

18世紀から19世紀にかけて、住民らが奴隷として連れ出されたり、ヨーロッパ人などにより外部から持ち込まれた天然痘が猛威を振るったりした結果、島の人口はさらに激減し、先住民は絶滅寸前まで追い込まれた。1872年当時の島民数は、僅か111人であった。1888年にチリ領になり現在に至る。

[編集] 地理

位置は、チリの首都であるサンティアゴから西へ3,700km、タヒチから東へ4,000kmの太平洋上に位置する。

の周辺海域はペルー海流が渦巻き、近海は海産資源豊富な漁場(とくにカタクチイワシ)になっている。

島の全周は60kmほどで、面積は180平方kmである(北海道利尻島とほぼ同じ)。小さな火山島。島全体が、ラパ・ヌイ国立公園としてチリ政府により国立公園に登録されている。また1995年世界遺産に登録されている。

絶海の孤島であり、最も近い島(サラ・イ・ゴメス島)でも東北東に415kmも離れている。

なお、ギネスブックに記載されている「人が住んでいる世界一孤立している島(the most isolated inhabited island in the world)」はトリスタン・ダ・クーニャ島(Tristan da Cunha)である。

[編集] 交通

マタベリ国際空港
マタベリ国際空港

[編集] 島内

島内には鉄道が敷設されていないため、乗り合いバスもしくはタクシーが主な公共交通手段として島民や観光客に利用されている。なお、観光客にはレンタカーやレンタバイクも利用されることが多い。

[編集] 島外

ラン・チリ航空が、マタベリ国際空港とサンティアゴとの間に週3便の定期便を運行しているほか、タヒチパペーテとの間にも週3便の定期便が運航されている。近隣諸島との間には貨客船も運航されている。

なおマタベリ国際空港の滑走路は島の規模には不釣合いな3300mの長大なものである。これはかつてNASAスペースシャトルヴァンデンバーグ空軍基地から打ち上げる計画を持っていたため、その際の緊急着陸地(TAL sites)のひとつとして整備されたものである。チャレンジャー号爆発事故によってこの計画も中止されたため、現在は緊急着陸地のリストから外れている。

[編集] 文化

[編集] 文字

住民はポリネシアで唯一文字を持っていた。ラパヌイ文字(ロンゴロンゴ文字)と呼ばれる絵文字がこれに当たる。この絵文字は読み方が特殊で、1行目を読み終えると逆さにして2行目を読むというように、偶数行の絵文字が逆さになっている。板や石に書かれ、かつては多数存在したようであるが、宣教師らが「悪魔の文字」であるとして破壊したため、現在はわずか25枚しか存在しない。したがって、解読も難しいとされている。   

ラパヌイ文字はインダス文字との類似性を指摘されている。ただ、現存する資料は全て西洋人との接触後に書かれたものとみられており、ラパ・ヌイの先住民が最初に外国から来た船で西洋人と接した時、文字の存在を知り、その有効性を学び、そこから自らの文字を真似て作り上げたとする説も極めて有力である。そのため、ラパヌイ文字をポリネシアの古来からの書記言語と断定することはできない。よって、インダス文字との関わりについては、学術的には、あくまでも一つの可能性という範囲に留まっている。

[編集] 参考文献

ISBN 4-7942-1464-2

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

空港情報(SCIP)
空港情報(worldaerodata.com) | 定時航空気象(METAR) | 飛行用飛行場予報(TAF) | 定時航空気象