ソビエト連邦の国章

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ソビエト連邦の国章
Coat of arms of the Soviet Union.svg
詳細
使用者 ソビエト連邦
採用 1958年4月1日
クレスト Red five-pointed star with golden border
Hammer and sickle, Globe and the Rising sun. An emblem is surrounded by an Ears of wheat wrapped around a red ribbon with the National Motto in all 15 Languages of the Soviet Union.
モットー

: Пролетарии всех стран, соединяйтесь!

万国の労働者よ、団結せよ!

ソビエト連邦国章(ソビエトれんぽうのこくしょう、Государственный герб СССР)は、「地球の上に鎌と槌」を描き、これを麦の穂で囲んだ国章である。

1923年に制定され、1991年ソ連崩壊まで使用された。この国章は、紋章学の体系に沿って作られていないため、紋章であるというよりエンブレムという方が正確である(ロシアの伝統的な紋章制定に使われた体系は、ロシア語で「ゲルブ」(герб)と呼ばれる。)

変遷[編集]

ソビエト連邦の国章は、連邦を構成する共和国の数が大きく変わるたびに変更を繰り返した。

1923年から1936年[編集]

1923年から1936年までのソビエト連邦の国章

ロシア革命後も双頭の鷲が使われていたが、ソビエト連邦建国の際に反動的ということで変更をすることになった。最初の国章案は1923年7月6日ソビエト連邦最高会議中央執行委員会の第二回会合でソビエト連邦の国旗とともに了承された。同年9月22日に最終案が作成され[1]、憲法の条項に載せるためさらに手直しされた。この案は翌1924年に成立した憲法では次のようになっている。

ソビエト連邦の国家のエンブレムは、地球の上に鎌と槌が描かれることで構成される。地球は下にある黄色い太陽の光線の中に描かれ小麦の穂で囲まれ、その穂は6つの言語 - ロシア語ウクライナ語ベラルーシ語グルジア語アルメニア語トルコ・タタール語 - で、「万国の労働者団結せよ!」と書かれた赤いリボンで束ねられている。エンブレムの頂点には、赤い五芒星が配される。

1936年から1946年[編集]

1936年のソビエト憲法では、ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国の解散と細分化や、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国から中央アジア部分を分割したことにより、連邦構成共和国は11カ国に増えることになっていた。このため国章も新しくされた。大きく変更された点は、リボンの上の「万国の労働者団結せよ!」の文言が11の言語で書かれるようになったことである。

1946年から1956年[編集]

1946年から1956年までのソビエト連邦の国章

第二次世界大戦の初期、独ソ戦(「大祖国戦争」)が始まる前の1940年、ソビエト連邦は独ソ不可侵条約ポーランド侵攻バルト諸国占領ベッサラビア進駐などを通じて西に大きく領土を広げており、連邦構成共和国は16カ国に増えた。しかし国章がこの変化を反映したのは戦後の1946年になってからである。ソビエト連邦最高会議幹部会(Presidium of the Supreme Soviet of the USSR)による1946年6月26日の決定では、全16カ国の構成共和国が国章のなかに象徴されることとなった。「万国の労働者団結せよ!」は、新たにエストニア語ラトビア語リトアニア語モルドバ語フィンランド語を加えた16言語で書かれることになった。またアゼルバイジャン語トルクメン語ウズベク語タジク語カザフ語キルギス語の文言は、ラテン文字からキリル文字への切り替えに伴い新たに書き直された[1]

1956年から1991年[編集]

1956年カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国はカレリア自治ソビエト社会主義共和国(現在のカレリア共和国)へと降格し、直ちに国章にも変更が行われた[1]。1956年9月12日のソビエト連邦最高会議幹部会の決定では、フィンランド語で「万国の労働者団結せよ!」を書いたリボンは取り除かれることとなった[2]

また1958年4月1日のソビエト連邦最高会議幹部会の決定では、ベラルーシ語による表記に若干の変更が行われ、これが1991年まで使われることとなる[2]

諸外国への影響[編集]

ソ連構成国[編集]

ソビエト連邦構成共和国自治共和国もそれぞれの国章を制定したが、ソビエト連邦の国章に大きく刺激されたほとんど同じ図柄だった。

1991年のソ連崩壊後、かつてのソビエト連邦構成共和国の国章はそのほとんどがソ連時代のものとは全く異なるデザインの国章を採用している。独立後の国章の制定においては、ソ連併合以前の国章を復活させる(エストニアラトビアリトアニア)、ロシア革命から内戦期に樹立された短命の独立国家の国章を採用する(ウクライナ、独立直後のベラルーシ、アルメニア)、ロシア革命前の国章をベースとした新国章を制定する(ロシア連邦)、民族の伝統にのっとった新国章を制定する(モルドバ)などの方法が取られた。

唯一の例外はベラルーシ(白ロシア)で、独立直後はベラルーシ人民共和国(1918年 - 1919年)で採用されていた国章を使用していたが、1995年にアレクサンドル・ルカシェンコが大統領に就任してからは、白ロシアSSRの国章に若干の変更がなされた国章が採用された[3]

東ヨーロッパ[編集]

世界の共産党国家の国章にも大きな影響を与えている。東欧だけでもドイツ民主共和国(東ドイツ)、ハンガリー人民共和国ルーマニア社会主義共和国ブルガリア人民共和国アルバニア社会主義人民共和国ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の国章は「頂点に赤い星(東ドイツを除く)、中央にある国の象徴を円ないし楕円状に麦穂が囲み、麦穂の根元にリボン(色は国ごとに異なる)が取り巻く」基本的デザインがソビエト連邦の国章と共通している[4]

また、ドイツ民主共和国、ハンガリー人民共和国、ルーマニア社会主義共和国、ブルガリア人民共和国の国旗は、従来の国旗[5]にソビエト式国章を配置したデザインであった。このため、1956年のハンガリー動乱や1989年のルーマニア革命などでは、国旗の中心部に組み込まれている共産主義の国章を切り取ることで、反ソビエトや民主主義の意思を示す例もあった。

東欧諸国の国章も、1989年東欧革命に伴い、その多くが共産化前の国章をベースに修正を加えた新国章に変更されたが、この時に共産党時代の「赤い星」や「鎌と槌」が削除された[6]

ギャラリー[編集]


脚注[編集]

  1. ^ a b c Bolotina, S. (November 1983). “How Our State Emblem Was Created” (Russian). Nauka i Zhizn: pp. 20-24. ISSN 0028-1263. 
  2. ^ a b (ロシア語) Герб СССР
  3. ^ 国章の中心部の鎌と槌がベラルーシの国土の絵に変更されているが、それ以外はソ連時代と全く同じ。
  4. ^ チェコスロバキア及びポーランド人民共和国は、共産化前から使用されていた国章を使い続けていたが、この場合でも共産主義の理念にそぐわないを取り外すなどのデザイン変更が行われている。
  5. ^ 東ドイツの国旗の地の色は西ドイツと同様に黒・赤・金の配色であるが、これはヴァイマル時代でも使用されていた。
  6. ^ ポーランドの国章は、冠を復活させた社会主義化以前のデザインに戻された。チェコスロバキアや東ドイツ、ユーゴスラビアは国章以前に国家そのものが消滅した。

関連項目[編集]