アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の国旗

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アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の国旗
用途及び属性 現在使われていない歴史的な旗表面と違う裏面がある旗?
縦横比 1:2
制定日 1956年5月5日
使用色 赤色青色金色
根拠法令 アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の国旗に関する規則
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アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国国旗は、「アゼルバイジャン共和国の主権、労働者・農民・知識人の破られることのない団結、共産主義社会を築くすべての民族・国籍の労働者の友好と兄弟愛の象徴」とされる[1]

変遷[編集]

ボリシェヴィキアゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国を樹立した1920年4月28日からしばらくの間は、赤旗の旗竿付近上部に白い星と三日月英語版を表示したものが、非公式の国旗としてポスターなどで使用されていた[2]

現在使われていない歴史的な旗法律又は勅令で定められていない既成標準(デファクト)の旗 1920年4月28日から1921年5月19日までの非公式の国旗

1921年5月19日に最初のアゼルバイジャン共和国憲法が採択され、その第104条では旗について次のように定められた[3][4]

アゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国の商船旗・海軍旗・軍旗は、旗竿最上部左隅の緑色の領域に、金文字で «А. С. С. Р.» ないし «Азербайджанская Социалистическая Советская Республика» と表示した赤旗である。

実際には、当時のアゼルバイジャン語アラビア文字で書かれていたため、国名略記もアラビア文字で 《.أ.ا.ﺵ.ﺝ》‎ と書かれ、ロシア共和国の国旗と同様に左上の領域は金色の帯で区切られていたものとみられる[2]

現在使われていない歴史的な旗記録から復元したもの 1921年5月19日から1922年12月30日までの国旗

1922年12月30日、アゼルバイジャン共和国中央執行委員会は、アゼルバイジャン語の表記についてアラビア文字とラテン文字を同等に扱う法令を採択したため、これにより国旗の文字にもラテン文字表記 "A.I.Ş.Ç." が加えられたとみられる[2]

現在使われていない歴史的な旗記録から復元したもの 1922年12月30日から1925年3月14日までの国旗

1924年12月4日の第4回全アゼルバイジャン・ソビエト大会において採択され、翌1925年3月14日に承認された新憲法の第104条にはこうある[2]

アゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国の国旗は、高さに対する幅の比が1:2で、左上部旗竿付近に半径が旗の高さの6分の1である金色の鎌と槌、そして右側に金枠で縁取られた赤い五芒星を持つ金色の三日月を配した赤(緋色)の布である。三日月の直径は旗の高さの10分の1であり、鎌と槌の右側には新字英語版と旧テュルク文字で «А.С.С.Р.» と表示される。
現在使われていない歴史的な旗 1925年3月14日から1920年代末までの国旗

1920年代末には、「社会主義」という語が "ishtirak" よりも "sosialist" とアゼルバイジャン語訳されるようになったため、国旗における国名略記も "A.S.Ş.Ç.", 《.أ.ﺱ.ﺵ.ﺝ》‎ とする変更が加えられた[2]

現在使われていない歴史的な旗 1920年代末から1930年2月14日までの国旗

その後、アゼルバイジャン語表記におけるアラビア文字からラテン文字への切り替えが1929年1月1日から最終段階を迎え、1930年2月14日に第7回全アゼルバイジャン・ソビエト大会で採択された新たな憲法の定めによって、国旗の国名表記はラテン文字のみとされるようになった[5]

現在使われていない歴史的な旗 1930年2月14日から1937年3月14日までの国旗

1937年中には再度アゼルバイジャン語訳に変更が加えられ、「ソビエト」は "şura英語版" から "sovet" に、「共和国」は "çümhyrıjjetı" からロシア語借用語である "respublikası" に置き換えられた[2]。同年3月14日の第9回アゼルバイジャン臨時ソビエト大会において採択された新憲法の第152条には、国旗について次のような定めがある[2]

アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の国旗は、左上部旗竿付近に金色の鎌と槌、そしてアゼルバイジャン語で "AzSSR" と表示した赤い布である。
現在使われていない歴史的な旗 1937年3月14日から1940年3月20日までの国旗

1939年7月11日から翌1940年1月1日にかけて、アゼルバイジャン語アルファベットロシア語版のラテン文字からキリル文字への切り替えが行われた[2]。そして同年3月20日のアゼルバイジャン共和国最高会議幹部会令によって、国旗上の国名略記も «АзССР» に変更することが定められた[2]

現在使われていない歴史的な旗 1940年3月20日から1952年10月7日までの国旗

1952年10月7日には、ソビエト連邦の国旗に基づいた新たな国旗のデザインが制定された[6]。「アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の国旗に関する規則」は、1956年5月5日にアゼルバイジャン共和国最高会議幹部会によって承認された[2]

アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の国旗は、上から高さの4分の3分を赤、下から高さの4分の1分を青の、2本の水平帯からなる矩形の赤い布であり、赤い領域の左上部旗竿付近に金色の鎌と槌、そしてその上部に金色で縁取られた五芒星を持つ。高さに対する幅の比は1対2である。
鎌と槌は、その辺長を旗の高さの4分の1とする正方形に内接し、鎌の鋭端はその正方形の上辺中点に、鎌と槌の柄は下辺両端に接する。柄を含めた槌の長さは、正方形の対角線の4分の3を占める。五芒星は、旗の高さの8分の1を直径とする円に内接し、その円は正方形の上辺に接する。星と鎌と槌の垂直軸から旗竿までの距離は、旗の高さの3分の1に等しい。旗の上辺から星の中心点までの距離は、旗の高さの8分の1に等しい。

1978年に採択、1981年3月16日に承認された新憲法によって、旗の裏面には鎌と槌と星を表示しないことが付け加えられた[2]

現在使われていない歴史的な旗表面と違う裏面がある旗 1952年10月7日から1990年11月29日までの国旗(裏面は1978年から)

その後、ソビエト連邦の崩壊に際し、1990年11月29日に大統領令によってアゼルバイジャンの国旗は新たに三色旗として制定された[2]

1990年11月29日からのアゼルバイジャン国旗

脚注[編集]

  1. ^ Положение о Государственном флаге Азербайджанской Советской Социалистической Республики. Утверждено Указом Президиума Верховного Совета Азербайджанской ССР от 16 марта 1981 года. — Баку, изд-во Верховного Совета Азербайджанской ССР, 1981, С. 3
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Советский Азербайджан”. Вексиллография. 2016年4月25日閲覧。
  3. ^ Конституция (Основной Закон) Азербайджанской ССР. Собрания узаконений и распоряжений рабоче-крестьянского правительства АзССР, №5. май 1921 г. p. 109. {{cite book}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  4. ^ Конституция (Основной Закон) Азербайджанской ССР. — Баку, 1921, С.21. — цит. по: Вексиллологический справочник по флагам Российской империи и СССР. Т.2./ Сост. С. А. Соколов. — М.: МГИУ, 2002, ISBN 5-276-00240-1, С.121
  5. ^ Конституция (Основной Закон) Азербайджанской ССР. Б.: АзЦИК. 1931. p. 32.
  6. ^ Указ Президиума Верховного Совета Азербайджанской ССР от 07.10.1952 «О государственном флаге Азербайджанской Советской Социалистической Республики»