インドネシアの国旗

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インドネシアの国旗
インドネシアの旗
用途及び属性 市民・政府・軍隊陸上、市民・政府・軍隊海上?
縦横比 2:3
制定日 1945年8月17日
使用色
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インドネシア国旗は、上に赤、下に白を配した横二色旗である。デザインはモナコの国旗と全く同一だが、縦横の比率が異なる。

インドネシア国内では "Sang Merah Putih" と表記される。Merah Putih が「紅白」を意味し、赤は勇気と情熱を、白は真実と聖なる心をあらわす。Sangヒンドゥーの神や王、英雄の名前など、尊敬の対象となるものの前に置かれる敬称である。

由来[編集]

モナスの前で掲げられる国旗

この国旗の由来を同国独立前の民族主義運動期にさかのぼれば、オランダ領東インドから宗主国オランダに留学していた留学生たちの団体、インドネシア協会が、1923年の会合の席上で、同協会の旗としてこの紅白旗を採用し(そのときは旗の中央に水牛の頭部が描かれた)、さらに帰国した彼らを含めて1928年5月に結成されたインドネシア国民党の党旗として採用されたものであった(このとき旗の中央には野牛が描かれた)。こうした民族主義運動の中で紅白旗は民族旗としての地位を獲得し、インドネシアの独立後、正式に国旗として採用された。

インドネシア社会では、さらにこの紅白旗の由来は13世紀に興ったマジャパヒト朝期にまでさかのぼると考えられており、また、16世紀マタラム朝期には祝日に紅白旗を掲げる習慣であったと伝えられている[1]

こうした歴史的由来からの説明のほかに、ジャワにおける民間習俗からもその起源が説明されることがある。すなわち、赤が男性のエネルギーを、白が女性の純潔を象徴しているというものである。また、赤と白の2色は、古くから太陽を表す色としても親しまれており、赤が自由と勇気を、白が正義と純潔を表すとされる。

備考[編集]

  • 日本国内では、第二次世界大戦とその後の独立戦争でインドネシアの独立に寄与した日本の日章旗の影響を受けているという説もある。実際、独立運動指導者のスカルノモハマッド・ハッタは、独立宣言文には日本式に皇紀2605年を使用している[2]。しかし、日本がインドネシアを占領下に置いた日本軍政期は、その最初期と末期以外にはインドネシアの紅白旗を掲げることが禁じられ、軍政への協力を求められた民族主義者たちに失望と不満をあたえることになった[3]
  • 独立記念日に国旗を掲揚するときは、インドネシアの服装の男女2名と、郷土防衛義勇軍(ペタ)の軍服を着用した1名で掲揚している。このペタの軍服については、1945年8月17日インドネシア独立宣言のとき、ペタの上級士官ラティフ・ヘンドラニングラットが紅白旗を掲げたことに由来する[4]

脚注[編集]

  1. ^ 永積、1980年、237-240頁、253-254頁
  2. ^ 映画「ムルデカ17805」の舞台(カリバタ英雄墓地=ジャカルタ)
  3. ^ インドネシア国立文書館編著、1996年、第2章
  4. ^ Anderson, 1972, p.84

参考文献[編集]

  • Anderson, Benedict R.O'.G., Java in a Time of Revolution : Occupation and Resistance, 1944-1964, Cornell University Press, 1972,
  • インドネシア国立文書館(編著)、倉沢愛子・北野正徳(訳) 『ふたつの紅白旗 インドネシア人が語る日本占領時代』、木犀社、1996年(Arsip Nasional Republik Indoneisa, Di Bawah Pendudukan Jepang : Kenangan Empat Puluh Dua Orang yang Mengalaminya, 1988)
  • 冨尾武弘「国旗」、石井米雄(監修)、土屋健治加藤剛深見純生(編集委員) 『インドネシアの事典』、同朋舎出版、1991年
  • 永積昭 『インドネシア民族意識の形成』、東京大学出版会、1980年
海軍用国籍旗 

関連項目[編集]