マジャパヒト王国
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マジャパヒト王国(マジャパヒトおうこく、Kerajaan Majapahit)は13世紀末から16世紀始め頃までジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国。最盛期にはインドネシア諸島全域とマレー半島まで勢力下に置いたとの説がある一方、実際にはジャワ島中東部を支配したにすぎないとする説もある。なお、表記に「マジャパイト」と書くこともある。綴りは"Majapahit"であるが、ジャワ語では、h音を発音しないからである。
目次 |
[編集] 成立
シンガサリ王国のクルタナガラ王のもとにモンゴル帝国のクビライの使者が来て朝貢を求めたが、その顔に刺青を入れて送り返したので、モンゴルの遠征軍派遣が行われたが、クルタナガラ王はクディリ王家の末裔と呼ばれる当地の領主ジャヤカトワンの反乱によって殺されていた。クルタナガラ王の娘婿であったウィジャヤはジャワ北岸のトゥバンに上陸した元軍と同盟して、ジャヤカトワンが乗っ取ったシンガサリ王国を滅ぼし、さらに元軍をジャワから追い出してマジャパヒト王国を建国した。ウィジャヤの即位名をクルタラジャサ=ジャヤワルダナという。王国の都はジャワ島東部プランタス川流域のマジャパヒトに置かれた。
マジャパヒトと元朝の関係は当然悪化したが、フビライ汗が死去すると大きく好転し、1295年から1332年の間に10回の朝貢が行われた。
1328年にジャヤナガラが死去すると後継男子がいなかったので、故クルタナガラ王の末娘ラージャパトニに後を継がせたが、ラージャパトニは熱心な仏教徒で出家していたので、娘のトリブワナーを摂政として政務を取らせた。(インドネシアの歴史教科書『インドネシア国史』(Sejarah Nasional Indonesia)では、トリブワナが王位に登ったとする。)この頃、親衛隊長から宰相に抜擢されたガジャ・マダがマジャパヒト王国を最盛期に導くことになる。1350年ラージャパトニが死去するとトリブワナーの息子ハヤム・ウルクがラージャサナガラとして即位した。
[編集] 最盛期
宰相ガジャ・マダは1342年にバリ島に侵攻したのを皮切りに、インドネシア各地に対する遠征を行い、スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国を滅ぼして南海の海上交易ルートを掌中に収めた。
最盛期の支配領域はマレー半島のパタニやトゥマシク(シンガポール)、カリマンタン島に及び、東西交通の要衝であるマラッカ海峡とスンダ海峡を制圧した。またタイのアユタヤ王朝やカンボジア、ベトナムとも友好関係を持った。
[編集] 衰亡
中国の明王朝は15世紀前半鄭和艦隊を7回にわたって南海に派遣し、ジャワのマジャパヒト王国にも来航した。鄭和艦隊の保護下にマラッカ王国が成立すると、南海貿易の中心はマラッカに移り、マジャパヒト王国はこの趨勢を食い止めることができなかった。また15世紀以降はイスラム教が浸透して、マラッカ王国がイスラム化したのを始め、マタラム王国がジャワ北岸のトゥバン、グレシクなどにもイスラム教国が成立する。
一方、マジャパヒトの宮廷は東王宮と西王宮に別れ、次第に勢力を争うようになり、16世紀に始めにドゥマク王国を中心としたイスラム勢力に滅ぼされたとされる。
[編集] 遺跡調査その他
- ジャワ島東部には、マジャパヒト王国の遺跡が見つかっているが、発掘調査は資金や人材不足で進んでいない。遺跡発掘への支援を呼びかけるため、インドネシア政府と日本の民間団体[1]とが当時の技術で木造船を復元した。船は壁画などをもとに、くぎを使わず作られた帆船である。2010年7月4日、日本人関係者とインドネシア軍の水兵など14人のせた復元木造船が、アジア各国に向けて出航した[2]。
- マジャパヒト王国は13世紀から16世紀にかけてインドネシアを中心に栄え、琉球王国とも交易を行っていた。
[編集] 参考文献
- 池端雪浦編 『東南アジア史II 島嶼部』山川出版社、1999年
- 大林太良(編)『民族の世界史6 東南アジアの民族と歴史』 山川出版社 1984年
- 石井米雄・桜井由躬雄 『《ビジュアル版》世界の歴史12 東南アジア世界の形成』 講談社 1985年
- 綾部恒雄・石井米雄(編)『もっと知りたいインドネシア(第2版)』 弘文堂 1995年
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注