朝鮮人民共和国

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朝鮮人民共和国
各種表記
ハングル 조선인민공화국
漢字 朝鮮人民共和國
発音 チョソンインミンコンファグク
日本語読み: ちょうせんじんみんきょうわこく
文化観光部
2000年式

マッキューン=
ライシャワー式

英語表記:
Joseon inmin gonghwaguk

Chosŏn inmin konghwakuk

People's Republic of Korea (PRK)
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朝鮮人民共和国(ちょうせんじんみんきょうわこく、英語:People's Republic of Korea)(1945年9月6日 - 1945年9月11日)は、大東亜戦争での大日本帝国によるポツダム宣言受諾後(光復)後の朝鮮半島に6日間存在した臨時政府である。

なお、領域(領土)を支配する実質的な権力を持たず、また承認して外交関係を樹立した国も無いため大韓民国臨時政府と同様に国際法上の「国家」とは言えない。

設立[編集]

日本のポツダム宣言受諾後、朝鮮総督府政務総監遠藤柳作は日本統治終了以後の朝鮮半島無政府状態に陥るのを恐れ、民衆保護のため朝鮮人による政府樹立の要請を人望のあった政治活動家呂運亨に要請した。呂は直ちに8月15日に朝鮮建国準備委員会(建準)を設置し、朝鮮総督府から行政権の事実上の移譲を受けることになり、翌月の9月6日には建国宣言を行った。

その後[編集]

9月8日、朝鮮半島に上陸した連合国軍(実質的にアメリカ軍)は臨時政府を認知せず、アメリカ軍政庁を設置した。

その後、臨時政府はアメリカソ連冷戦により短期間で瓦解、連合国側の当初のプランであった信託統治についても冷戦の影響で決裂する。朝鮮の世論は信託統治への賛否で二分され、信託統治に反対する右派は「非常国民会議」を結成、一方朝鮮人民共和国のメンバーは1946年2月に民主主義民族戦線に発展的に解消した。これを契機に朝鮮は分断へと突き進むことになった。1947年には呂運亨は右翼に暗殺され、1948年に親米的な李承晩を首班とした大韓民国がアメリカの承認のもとで朝鮮半島南部に建国されることになる。

備考[編集]

この「朝鮮人民共和国」は、実態を超えて、統一朝鮮を願う者にとっては失われた理想を示す言葉として幻の共和国とも呼ばれ、理想化して語られることがある。実際、この時期の朝鮮には路線の違いはあれ、長い日本による統治から解放され自由で民主的な社会(国家)を作ろうとする熱気に包まれていた。朝鮮の民族運動に対するアメリカ軍とソ連軍赤軍)の無理解も朝鮮の分断の固定化と長期化に繋がったとされる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]