「サッカー日本女子代表」の版間の差分
オリンピックの成績、対戦成績、出場記録 - 南アフリカ戦を反映 |
Yaguruma~jawiki (会話 | 投稿記録) |
||
123行目: | 123行目: | ||
[[2012年]]1月、[[2011年のFIFAバロンドール|2011年度のFIFA年間表彰式]]において、[[澤穂希]]が[[FIFAバロンドール|FIFA女子最優秀選手賞]]を、監督の[[佐々木則夫 (サッカー指導者)|佐々木則夫]]がFIFA女子最優秀監督賞を受賞した。3月の[[アルガルヴェ・カップ2012]]ではグループリーグで初めてアメリカを破り決勝進出を果たすも、決勝でドイツに敗れ準優勝となった。 |
[[2012年]]1月、[[2011年のFIFAバロンドール|2011年度のFIFA年間表彰式]]において、[[澤穂希]]が[[FIFAバロンドール|FIFA女子最優秀選手賞]]を、監督の[[佐々木則夫 (サッカー指導者)|佐々木則夫]]がFIFA女子最優秀監督賞を受賞した。3月の[[アルガルヴェ・カップ2012]]ではグループリーグで初めてアメリカを破り決勝進出を果たすも、決勝でドイツに敗れ準優勝となった。 |
||
7月のオリンピック1次リーグでは2戦を終えた時点で予選突破を決め、3戦目の結果次第で通過順位が決まることとなった。一位通過すれば[[グラスゴー]]への移動があるが、二位通過であれば移動なしで試合が出来ると佐々木は判断し、控えメンバーをスタメン起用して引き分けを狙った。[[ジャーナリスト]]の[[大住良之]]は「フェアプレーの精神に反している」と批判した<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXZZO44407890R00C12A8000000/?dg=1 引き分け狙い…なでしこ、フェアプレー精神はどこへ ]</ref>。 |
|||
== 成績 == |
== 成績 == |
2012年7月31日 (火) 23:17時点における版
サッカー日本女子代表 | |||
---|---|---|---|
国または地域 | 日本 | ||
協会 | 日本サッカー協会 | ||
愛称 | なでしこジャパン | ||
監督 | 佐々木則夫 | ||
最多出場選手 | 澤穂希(183試合) | ||
最多得点選手 | 澤穂希(81得点) | ||
| |||
初の国際試合 | |||
1981年6月7日 チャイニーズタイペイ 1 - 0 日本 第4回AFC女子選手権 (香港) | |||
最大差勝利試合 | |||
1997年12月5日 日本 21 - 0 グアム 第11回AFC女子選手権 (中国・番禺) | |||
最大差敗戦試合 | |||
1981年9月9日 日本 0 - 9 イタリア ポートピア'81国際女子サッカー大会 (国立西が丘サッカー場) 1999年4月29日 アメリカ合衆国 9 - 0 日本 (アメリカ合衆国シャーロット) | |||
女子W杯 | |||
出場回数 | 6回 (初出場は1991) | ||
最高成績 | 優勝 (2011) | ||
オリンピック | |||
出場回数 | 4回 | ||
最高成績 | 4位 (2008) | ||
AFC女子アジアカップ | |||
出場回数 | 12回 | ||
最高成績 | 準優勝 (1986, 1991, 1995, 2001) | ||
アジア競技大会 | |||
出場回数 | 6回 | ||
最高成績 | 優勝 (2010) | ||
サッカー日本女子代表(サッカーにっぽんじょしだいひょう、サッカーにほんじょしだいひょう)は、日本サッカー協会 (JFA) により編成される女子サッカーの日本代表チームである。愛称は「なでしこジャパン」。
FIFA女子ワールドカップには全6大会に、オリンピックには5大会中4回に出場している。2011年のFIFA女子ワールドカップではアジア勢の代表チームとしては初優勝を成し遂げた。
名称
日本女子代表チームの愛称としては、「なでしこジャパン」が2004年から採用されている。
愛称の由来は、アテネオリンピックアジア予選として行われた「AFC女子サッカー予選大会2004」の際、「大和撫子」(やまとなでしこ)という言葉がよく使われたためと、その大和撫子が「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて「大和」が「ジャパン」となったものである。
採用のきっかけは日本サッカー協会 (JFA) の女性スタッフ[1]の提案で、「日本代表という呼称は男子のイメージ。オーストラリア女子代表はMatildas(マティルダス)の愛称で親しまれており、日本女子代表も愛称を使えば認知度も高まり、女子サッカー発展につながる」というものであった。JFAでも日本サッカーの発展には女子サッカーの発展が必須との考えで、キャプテン・ヘッドクオーターズ (CHQ) において女子サッカー活性化に積極的に取り組み、2004年5月14日に女子代表愛称の募集を開始した。約2,700通の応募があり、2回の予備選考を経て、下記の審査委員会による最終選考の結果、7月5日に愛称が「なでしこジャパン」に決定し、7月7日に発表され[2]、7月30日のキリンチャレンジカップ・カナダ戦(国立霞ヶ丘競技場)から採用されている。(商標登録は2005年3月11日)
- 審査委員長(以下肩書きは当時)
- 川淵三郎(財団法人日本サッカー協会キャプテン)
- 審査委員
なお愛称の候補として、次点(優秀賞)には日本サッカー協会のシンボル八咫烏(やたがらす、やたのからす)にちなんだ「ヤタガールズ」、またユニフォームカラーのブルーにladyの頭文字エル (L) やドリーム(夢)を組み合わせた、「エルブルー」や「ドリームブルー」があった。
女子代表の現在のユニフォームデザインは男子代表と共通だが、首下や脇下のラインにナデシコの花の色であるピンクがあしらわれている。
なお、男子代表の呼称は監督の姓の下に「ジャパン」を付けて用いられる(ザックジャパンなど)が、女子代表呼称にはそういった慣例はない。
2004年と2011年には新語・流行語大賞候補にノミネートされ、2011年には年間大賞となった。
歴史
(詳細は日本の女子サッカーを参照のこと)
1960年代から70年代に掛けて、日本ではサッカー競技を行う女性が増え始め、やがて各地にチームが誕生すると、各地域ごとに小規模なリーグ対戦が行われるようになった。
1980年には全日本女子サッカー選手権大会が始まり、翌81年には日本女子代表チームとして、国外チームとの試合が行われるようになる。当初は各地域の選手ごとに編成された「選抜チーム」を臨時任用された監督が指揮するというものであったが、1986年に鈴木良平が初の女子代表「専任監督」に就任すると、日本全国のチームを対象とする「全日本」チームが編成されるようになる。そして1989年、女子の全国リーグ「日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)」が誕生。1991年の第1回FIFA女子世界選手権・中国大会にも参加した。
鈴木保・宮内聡監督時代
女子サッカーがオリンピック種目となったのは1996年のアトランタ大会からである。 出場権は前年開催の第2回FIFA女子世界選手権・スウェーデン大会での上位8カ国とされたが、鈴木保率いる日本女子代表は、この選手権においてグループリーグでドイツに0-1、ブラジルに2-1、スウェーデンに0-2の成績を収め、かろうじてベスト8の出場権を獲得した。しかしアトランタオリンピック本大会ではグループリーグでドイツに2-3、ブラジルに0-2、ノルウェーに0-4と全敗に終わり、グループリーグ突破はできなかった。
2000年のシドニーオリンピック出場に照準をあわせた宮内聡率いる日本女子代表は、1999年6月、五輪予選を兼ね開催された第3回FIFA女子世界選手権・アメリカ大会で初戦のカナダに1-1と引き分けたものの、つづくロシアに0-5、ノルウェーに0-4で敗戦し、目標のシドニー五輪出場権を獲得できなかった。結果、日本国内での女子サッカーへの関心は瞬く間に低下、L・リーグの観客動員は急速な落ち込みをみせ、リーグからチームの脱退も相次いだため、日本の女子サッカーは衰亡の危機に瀕することになった。
上田栄治監督時代
2002年8月、マカオ男子代表の監督を務めていた上田栄治が代表監督に就任。女子サッカーの再起と2004年アテネオリンピックに向けたチーム再編を図るが、当初は厳しい道のりであった。
2003年6月、タイのバンコクで行われた「第14回アジア女子選手権」は第4回FIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会のアジア地区予選を兼ねる大事な大会であったが、3位決定戦で韓国に敗戦。残る出場枠を賭けてメキシコ(北中米カリブ海地区)との大陸間プレーオフ(ホーム・アンド・アウェー方式)にまわらねばならなかった。7月5日のメキシコ、エスタディオ・アステカ(アステカスタジアム)でのアウェー戦では、慣れない高地、そして10万の観客が地元メキシコを応援する完全アウェーという悪条件のなか、多くの選手が体調不良となりながらも2-2の引き分けとした。そして7月12日、当時の日本女子サッカー最多となる12,743人の観客を集め国立競技場で行われたホーム戦は、澤穂希と丸山桂里奈のゴールにより2-0で勝利し、ワールドカップ出場権を獲得した。この「薄氷の勝利」はマスメディアに大きく取り上げられ、女子サッカーが再び注目されるきっかけとなった。
このワールドカップ本大会では、アルゼンチン戦でFW大谷未央がハットトリックを決め6-0で勝利したものの、ドイツに0-3で敗戦。つづくカナダ戦は先制しながらも1-3で敗れ、グループリーグ敗退という戦績で終わった。
2004年4月、「AFC女子サッカー予選大会2004」が日本で開催された。これは出場チームが10に拡大したアテネオリンピックのアジア枠2を決める大会で、日本代表は3グループに分かれての1次リーグでベトナムを7-0、タイを6-0で降し、決勝トーナメントで強豪国、北朝鮮を圧倒的不利の予想を覆す3-0で撃破し、2大会ぶり2度目の五輪出場を果たした。なお、この時の北朝鮮戦は観客数31,324人で、女子サッカーでの記録を更新した(テレビ朝日系列のテレビ視聴率は関東エリアで平均16.3%、最高瞬間視聴率は関東地区31.1%、関西地区23.0%)。
8月に開催されたアテネオリンピック本大会では、グループステージにおいて強豪スウェーデンを1-0で破る活躍を見せ、続くナイジェリア戦では0-1で敗れたが、他グループ3位との総得点差で決勝トーナメント進出を果たした。決勝トーナメント初戦、優勝候補アメリカ合衆国に1-2で敗れベスト8に終わったが、チームは3試合を通して「警告・退場者ゼロ」により「フェアプレー賞」を受賞した。
これら一連の活躍で女子サッカーは広く認知され、国内トップリーグの日本女子サッカーリーグ(略称:L・リーグ)の人気も再上昇した。五輪後、「なでしこリーグ」という愛称も採用され、「なでしこ」を冠した女性向けのサッカー教室や大会が開催されるようになった。2005年より「なでしこスーパーカップ」も開催されるなど、以後、「なでしこ」は女子サッカーのブランド名として活用されている。
大橋浩司監督時代
2004年10月、日本サッカー協会は前月に退任した上田の後任に大橋浩司を新監督として任命した。11月から代表合宿を行い、12月18日のキリンチャレンジカップ、チャイニーズタイペイ(中華民国(台湾)代表)との対戦は、大量得点に加え、被シュートゼロの11-0で完全勝利。上々のスタートを切った。なおこの試合のチラシやプログラム、応援用のブルーシートにはナデシコの花をイメージした模様がはじめて描かれた。
一方、ユニバーシアード日本女子代表は、ユニバーシアードの2003年大邱大会で銀メダル、2005年イズミル大会で銅メダルを獲得した。このイズミル大会では本田美登里(岡山湯郷Belle(L・リーグ)監督)が日本では各年代を通じて初の「女性代表監督」として采配をとり、銅メダル獲得で女性指導者もレベルアップしていることを証明した。
2006年にカタールの首都・ドーハで行われた第15回アジア競技大会では、阪口夢穂、永里優季という新戦力が活躍し、グループリーグで強豪の中国を破り決勝トーナメント進出。決勝では同じく強豪の北朝鮮にスコアレスでPK戦まで持ち込んだものの敗れ、準優勝となった。
2007年4月から8月に行われた北京オリンピックアジア予選では5勝1分で北京オリンピック出場権を獲得。
9月、中国で開催された2007 FIFA女子ワールドカップではグループリーグA組となり、アルゼンチンに勝利したものの、イングランドと引き分け、最後のドイツに敗北しグループリーグ敗退となった。この大会では日中関係の問題から日本選手に対し会場のブーイングが多かったが、ドイツ戦終了後、なでしこチームは「謝謝」(ありがとう)と書かれた横断幕を揚げ、中国のマスメディアから称賛された[3]。
佐々木則夫監督時代
2008年1月、大橋の任期満了による退任に伴い、コーチを務めていた佐々木則夫が監督に就任。2月に行われた東アジアサッカー女子選手権2008において初采配の監督のもと、なでしこジャパンは3戦全勝で大会初優勝。日本女子代表初のタイトル獲得となった。
続く5月末から6月初めに行われた2008 AFC女子アジアカップでは3位となり、澤穂希が大会MVP、チームはフェアプレー賞を受賞した。
8月、満を持して迎えた北京オリンピック本大会は、グループリーグのニュージーランド戦で2-2の引き分け、アメリカ合衆国戦では0-1の敗戦と、苦戦をしいられた。しかし第3戦のノルウェー戦は先制されるも、後半に大量得点。5-1の勝利で、グループリーグを突破し、その勢いで準々決勝の中国戦は完全アウェーの中でも2-0で勝利。初のオリンピックベスト4進出となった。準決勝では再びアメリカと対戦するも、2-4の逆転負けを喫した。3位決定戦のドイツ戦も、一時、主導権を握るが0-2で敗戦。あと一歩が届かず、なでしこジャパンにとっては忘れ物をしたような大会となったが、その健闘ぶりに世界が注目した大会でもあった。
この成果により、世界各国から対戦のオファーが届き、2010年1月にはチリで行われたBICENNTENIAL WOMAN'S CUP 2010に参戦。5カ国による総当たり戦で3勝1分により優勝した。
東アジア女子サッカー選手権2010は前大会に続き3戦全勝で2連覇を達成。5月に中国で開催された2010 AFC女子アジアカップでは3位決定戦で地元中国を破り、翌年のFIFA女子ワールドカップの出場権を獲得し、安藤梢が大会得点王に輝いた。11月に中国の広州で行われた第16回アジア競技大会では無失点で決勝へ進出し、前大会王者の北朝鮮を1-0で下し初優勝を果たす。
2011年6月末よりドイツで開催された2011 FIFA女子ワールドカップでは、グループリーグB組でニュージーランドとメキシコに勝利、第3戦のイングランドには敗れたものの、B組2位で1995年大会以来となる決勝トーナメント進出を決めた[4]。決勝トーナメント準々決勝、過去未勝利で大会3連覇を狙う開催国ドイツには延長戦の末1-0で勝利し[5]、準決勝のスウェーデン戦は得意のパスサッカーで3-1で快勝し決勝進出を果たす[6][7]。決勝は世界ランキング1位、対戦成績が0勝21敗3分という、それまで1度も勝利がない強豪アメリカとの対戦となり、終始アメリカの猛攻にさらされるも延長戦に持ち込み、先行された延長も残り4分、澤穂希の同点弾で2-2とし、PK戦の末アメリカに対し歓喜の初勝利(公式記録は引き分け)。男女、年齢別代表を通じ、日本代表としては初のFIFA主催の世界大会優勝という快挙を成し遂げた[8][9]。チームはフェアプレー賞、澤穂希が得点王とMVPを受賞。決勝戦の視聴率は早朝の時間帯ながらフジテレビ系列で生放送された後半部分1時間30分(午前5時~6時30分)が関東地区で平均21.8%、瞬間最高27.7%、同時放送のBS1でも平均10.7%を記録した[10]。
大会中、チームは試合後に同年3月11日に発生した東日本大震災に対する世界からの支援へ感謝を表す横断幕をかかげ、会場の大きな拍手を受けたが、各国メディアは復興への思いも勝利へのモチベーションとなっていると分析、なでしこジャパンの素早いパスサッカー[11]とともに、その戦いぶりを賞賛した[12][13]。なでしこジャパンはこの優勝により、国際Aマッチの代表ユニフォーム左胸エンブレム上にワールドカップ優勝回数を示す「星」を、そして右胸には直近のワールドカップ優勝国であることを示すチャンピオンエンブレム(2015年ワールドカップ開催まで)を付け加える栄誉も獲得した。8月2日、日本政府から国民栄誉賞授与(団体に対しては初)と女子サッカー支援充実の検討も発表された[14]。
9月、中国で行われたロンドンオリンピックアジア予選では4勝1分の1位でロンドンオリンピック出場権を獲得。11月3日、女子団体スポーツでは初の紫綬褒章が授与され、12月1日には愛称の「なでしこジャパン」が新語・流行語大賞年間大賞を受賞した。アメリカのスポーツサイト・FOXスポーツが発表した「FOX Soccer 2011: Top 10 Teams of 2011(2011年サッカーベストチームTOP10)」において第1位に選ばれた[15]。
2012年1月、2011年度のFIFA年間表彰式において、澤穂希がFIFA女子最優秀選手賞を、監督の佐々木則夫がFIFA女子最優秀監督賞を受賞した。3月のアルガルヴェ・カップ2012ではグループリーグで初めてアメリカを破り決勝進出を果たすも、決勝でドイツに敗れ準優勝となった。
7月のオリンピック1次リーグでは2戦を終えた時点で予選突破を決め、3戦目の結果次第で通過順位が決まることとなった。一位通過すればグラスゴーへの移動があるが、二位通過であれば移動なしで試合が出来ると佐々木は判断し、控えメンバーをスタメン起用して引き分けを狙った。ジャーナリストの大住良之は「フェアプレーの精神に反している」と批判した[16]。
成績
FIFA女子ワールドカップの成績
(関連項目:FIFA女子ワールドカップ)
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分* | 敗 | 得 | 失 | +/- |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 12 | −12 |
1995 | ベスト8 | 4 | 1 | 0 | 3 | 2 | 8 | −6 |
1999 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 10 | −9 |
2003 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 7 | 6 | +1 |
2007 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 4 | -1 |
2011 | 優勝 | 6 | 4 | 1 | 1 | 12 | 6 | +6 |
2015 | - | - | - | - | - | - | - | - |
合計 | 出場6回/優勝1回 | 21 | 7 | 3 | 12 | 25 | 46 | −21 |
- *PK戦勝利は公式記録上引き分けとなる。
第1回FIFA女子世界選手権(1991年)
(詳細は「1991 FIFA女子ワールドカップ」及び「1991 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表」を参照)
- 開催期間:11月16日 - 30日
- 開催地:中華人民共和国
- グループリーグB組4位(4チーム)3戦0勝0分3敗
第2回FIFA女子世界選手権(1995年)
(詳細は「1995 FIFA女子ワールドカップ」及び「1995 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表」を参照)
- 開催期間:6月5日 - 18日
- 開催地:スウェーデン
- グループリーグA組3位(4チーム)3戦1勝0分2敗
- 決勝トーナメント 準々決勝敗退(ベスト8):決勝トーナメント進出によりアトランタオリンピック出場権獲得
- 6月13日(準々決勝) ●0-4 アメリカ合衆国
第3回FIFA女子世界選手権(1999年)
(詳細は「1999 FIFA女子ワールドカップ」)及び「1999 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表」を参照)
- 開催期間:6月19日 - 7月10日
- 開催地:アメリカ合衆国
- グループリーグC組4位(4チーム)3戦0勝1分2敗:グループリーグ敗退によりシドニーオリンピック出場ならず
第4回FIFA女子ワールドカップ(2003年)
(詳細は「2003 FIFA女子ワールドカップ」及び「2003 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表」を参照)
- 開催期間:9月20日 - 10月12日
- 開催地:アメリカ合衆国
- グループリーグC組3位(4チーム)3戦1勝0分2敗
第5回FIFA女子ワールドカップ(2007年)
(詳細は「2007 FIFA女子ワールドカップ」及び「2007 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表」を参照)
- 開催期間:9月10日 - 9月30日
- 開催地:中華人民共和国
- グループリーグA組(4チーム)1勝1敗1分 勝ち点4 敗退
第6回FIFA女子ワールドカップ(2011年)
(詳細は「2011 FIFA女子ワールドカップ」及び「2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表」を参照)
- 開催期間:6月26日 - 7月17日
- 開催地:ドイツ
- グループリーグB組2位(4チーム)3戦2勝0分1敗:決勝トーナメント進出(4大会ぶり2度目)。
- 決勝トーナメント:準々決勝でドイツ、準決勝でスウェーデン、決勝でアメリカ合衆国を破って初優勝(澤穂希は大会MVPと得点王を獲得)
オリンピックの成績
(関連項目:オリンピックサッカー競技)
女子サッカーがオリンピックに登場するのは1996年のアトランタ大会から。1992年大会から男子サッカーは23歳以下(U-23)の大会となったが、女子はフル代表が参加する。
アトランタ大会とシドニー大会は前年に行われたFIFA女子世界選手権(FIFA女子ワールドカップ)の上位8チームが参加。アテネ大会は10チーム、北京大会とロンドン大会は12チームに参加枠が増え、各地区で予選が行われた。
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | +/- |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 9 | −7 |
2000 | 予選敗退 | |||||||
2004 | ベスト8 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3 | −1 |
2008 | 4位 | 6 | 2 | 1 | 3 | 11 | 10 | +1 |
2012 | 3 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 | +1 | |
合計 | 出場4回 | 15 | 4 | 3 | 8 | 17 | 23 | −6 |
アトランタ大会(1996年)
(詳細はアトランタオリンピックにおけるサッカー競技及びアトランタオリンピック日本選手団参照)
グループステージ敗退
シドニー大会(2000年)
- 開催期間:9月13日 - 28日
- 第3回女子世界選手権の成績により参加できず
アテネ大会(2004年)
(詳細はアテネオリンピック (2004年) におけるサッカー競技及びアテネオリンピック (2004年) 日本選手団参照)
- 開催期間:8月11日 - 26日
- グループステージ(E組)
- 決勝トーナメント
- 8月20日 (準々決勝) ● 1-2 アメリカ合衆国(得点:山本絵美)
北京大会(2008年)
(詳細は北京オリンピックにおけるサッカー競技及び北京オリンピック日本選手団参照)
- 開催期間:8月6日 - 21日
- グループステージ(G組)
- 決勝トーナメント
ロンドン大会(2012年)
(詳細はロンドンオリンピック (2012年) におけるサッカー競技及びロンドンオリンピック (2012年) 日本選手団参照)
- 開催期間:7月25日 - 8月9日
- グループステージ(F組)
- 7月25日 ○2-1 カナダ シティ・オブ・コヴェントリー・スタジアム(得点:川澄奈穂美、宮間あや)
- 7月28日 △0-0 スウェーデン シティ・オブ・コヴェントリー・スタジアム
- 7月31日 △0-0 南アフリカ共和国 ミレニアム・スタジアム
アルガルヴェ・カップの成績
(関連項目:アルガルヴェ・カップ)
AFC女子アジアカップ(AFC女子選手権)の成績
(関連項目:AFC女子アジアカップ)
アジア競技大会の戦績
(関連項目:アジア競技大会サッカー競技)
東アジア女子サッカー選手権の成績
(関連項目:東アジアサッカー選手権)
国別対戦成績
- 290試合146勝44分100敗(2012年7月31日南アフリカ戦終了時)
(PK戦となった試合は勝敗関係なく記録上は引き分け)
アジアサッカー連盟
- 148試合96勝19分33敗
(オーストラリア、チャイニーズタイペイは在籍時の対戦結果のみ記載)
対戦相手国 (地域) | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 |
---|---|---|---|---|
韓国 | 24 | 14 | 8 | 2 |
朝鮮民主主義人民共和国 | 18 | 5 | 4 | 9 |
中国 | 31 | 9 | 6 | 16 |
チャイニーズタイペイ | 17 | 14 | 1 | 2 |
タイ | 12 | 11 | 0 | 1 |
ベトナム | 7 | 7 | 0 | 0 |
フィリピン | 4 | 4 | 0 | 0 |
オーストラリア | 8 | 6 | 0 | 2 |
香港 | 7 | 7 | 0 | 0 |
インドネシア | 2 | 2 | 0 | 0 |
インド | 4 | 3 | 0 | 1 |
マレーシア | 2 | 2 | 0 | 0 |
ネパール | 2 | 2 | 0 | 0 |
シンガポール | 2 | 2 | 0 | 0 |
ウズベキスタン | 2 | 2 | 0 | 0 |
グアム | 3 | 3 | 0 | 0 |
ミャンマー | 2 | 2 | 0 | 0 |
ヨルダン | 1 | 1 | 0 | 0 |
オセアニアサッカー連盟
- 20試合6勝7分7敗
(オーストラリア、チャイニーズタイペイは在籍時の対戦結果のみ記載)
対戦相手国 (地域) | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 |
---|---|---|---|---|
ニュージーランド | 5 | 4 | 1 | 0 |
オーストラリア | 11 | 2 | 6 | 3 |
チャイニーズタイペイ | 4 | 0 | 0 | 4 |
アフリカサッカー連盟
- 2試合0勝1分1敗
対戦相手国 (地域) | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 |
---|---|---|---|---|
ナイジェリア | 1 | 0 | 0 | 1 |
南アフリカ共和国 | 1 | 0 | 1 | 0 |
ヨーロッパサッカー連盟
- 62試合25勝6分31敗
対戦相手国 (地域) | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 |
---|---|---|---|---|
イタリア | 7 | 0 | 0 | 7 |
ドイツ | 10 | 1 | 1 | 8 |
フランス | 5 | 2 | 0 | 3 |
スウェーデン | 12 | 5 | 3 | 4 |
ロシア | 6 | 4 | 0 | 2 |
イングランド | 3 | 0 | 1 | 2 |
ノルウェー | 6 | 4 | 0 | 2 |
チェコ[19] | 1 | 0 | 0 | 1 |
スロバキア | 1 | 1 | 0 | 0 |
フィンランド | 2 | 1 | 0 | 1 |
ハンガリー | 1 | 1 | 0 | 0 |
オーストリア | 1 | 1 | 0 | 0 |
デンマーク | 4 | 2 | 1 | 1 |
オランダ | 2 | 2 | 0 | 0 |
スコットランド | 2 | 2 | 0 | 0 |
北中米カリブ海サッカー連盟
- 46試合11勝9分26敗
対戦相手国 (地域) | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 |
---|---|---|---|---|
アメリカ合衆国 | 28 | 1 | 5 | 22 |
カナダ | 10 | 4 | 3 | 3 |
メキシコ | 8 | 6 | 1 | 1 |
南米サッカー連盟
- 12試合8勝2分2敗
対戦相手国 (地域) | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 |
---|---|---|---|---|
ブラジル | 6 | 3 | 1 | 2 |
アルゼンチン | 4 | 4 | 0 | 0 |
コロンビア | 1 | 1 | 0 | 0 |
チリ | 1 | 0 | 1 | 0 |
実績
世界レベル
- FIFA女子ワールドカップ
- 優勝 (1):2011
- オリンピック
- 4位 (1):2008
- アルガルヴェ・カップ
- 準優勝 (1):2012
大陸レベル
地域レベル
記録
出場数
位 | 名前 | キャップ数 | 代表招集期間 |
---|---|---|---|
1 | 澤穂希 (#) | 183 | 1993 - |
2 | 池田(磯﨑)浩美 | 119 | 1997 - 2008 |
3 | 宮間あや (#) | 117 | 2003 - |
4 | 加藤(酒井)與恵 | 114 | 1997 - 2008 |
5 | 大野忍 (#) | 109 | 2003 - |
6 | 安藤梢 (#) | 108 | 1999 - |
7 | 山郷のぞみ (#) | 96 | 1997 - |
8 | 柳田美幸 (#) | 91 | 1997 - 2008 |
9 | 大儀見(永里)優季 (#) | 88 | 2004 - |
10 | 大部由美 | 85 | 1991 - 2004 |
得点
位 | 名前 | 得点数 | キャップ数 | 代表招集期間 |
---|---|---|---|---|
1 | 澤穂希 (#) | 81 | 183 | 1993 - |
2 | 長峯かおり | 48 | 64 | 1983 - 1996 |
3 | 大儀見(永里)優季 (#) | 38 | 88 | 2004 - |
4 | 大野忍 (#) | 37 | 109 | 2003 - |
5 | 大谷未央 | 31 | 73 | 2000 - 2007 |
6 | 木岡二葉 | 30 | 75 | 1981 - 1996 |
7 | 高倉麻子 | 29 | 79 | 1984 - 1996 |
7 | 大竹奈美 | 29 | 46 | 1993 - 2000 |
7 | 宮間あや (#) | 29 | 117 | 2003 - |
10 | 内山環 | 26 | 58 | 1991 - 1999 |
歴代監督
- 市原聖曠(1981年)※1981 AFC女子選手権およびポートピア'81国際女子サッカー大会時の監督
- 折井孝男(1984年)※中国遠征時の監督
- 鈴木良平(1986年 - 1989年)
- 鈴木保(1989年 - 1996年)
- 宮内聡(1997年 - 1999年)
- 鈴木保(1999年)
- 池田司信(2000年 - 2002年)
- 上田栄治(2002年 - 2004年)
- 大橋浩司(2004年 - 2007年)
- 佐々木則夫(2007年 - )
年代別代表チームの戦績
U-20女子代表
U-17女子代表
脚註
- ^ サッカー日本女子代表チーム 『愛称』=なでしこジャパン=に決定!! - 日本サッカー協会機関誌「JFAnews 2004年8月情報号(通巻244号)」14ページ
- ^ 5月15日応募開始、6月20日応募締め切り【応募総数:約2,700通】、6月26日~27日JFA「愛称」募集担当者による選考、6月28日~7月1日JFA担当新聞記者による選考、7月5日審査委員会による最終選考
- ^ 女子サッカー日本代表の横断幕に、ブーイングの中国反省[1]
- ^ なでしこジャパン、喜びと悔しさが交錯するベスト8 強烈なインパクトも1位通過ならず -スポーツナビ: 2011年7月6日
- ^ 実は失速の可能性もあったなでしこ。前W杯王者のドイツ代表撃破の裏側。 -NumberWeb: 2011年7月12日
- ^ なでしこジャパン、歓喜の決勝進出。スウェーデン戦での意外な選手起用。 -NumberWeb: 2011年7月14日
- ^ なでしこジャパンを導く日替わりヒロイン 苦労も失敗もすべてを糧に頂点へ -スポーツナビ: 2011年7月14日
- ^ 笑顔で世界の頂点に立ったなでしこ。最強アメリカを倒した“折れない心”。 -NumberWeb: 2011年7月18日
- ^ 澤のゴールが示した「あきらめない心」 なでしこジャパンの快挙と進むべき道 -スポーツナビ: 2011年7月18日
- ^ “なでしこ”歓喜のW杯決勝 早朝に平均視聴率21.8%、瞬間最高は27.7%ORICON、2011年7月19日
- ^ 海外メディアの中には、なでしこジャパンのパスサッカーを「女子サッカーのバルセロナ("the Barcelona of women's football")」と評していたところもあった。 England face tough test against skilful Japan at World Cup(ガーディアン 2011年7月3日)
- ^ なでしこ優勝に歓喜と称賛の声が続々世界が伝えた日本の快挙-スポーツナビ: 2011年7月18日
- ^ なでしこ快挙の陰に隠れたアメリカの負けっぷりの良さとフェアネスの精神~日本称賛を続けた米メディア -ダイヤモンドオンライン: 2011年7月19日
- ^ 官房長官記者発表 平成23年8月2日(火)午前首相官邸サイト
- ^ http://msn.foxsports.com/foxsoccer/premierleague/lists/2011-review-top-team-soccer-teams-uswnt-japan-barcelona-real-madrid-123111#photo-title=Japan&photo=30507132 FOX Sports on MSN Jan 1, 2012 1:39 AM ET
- ^ 引き分け狙い…なでしこ、フェアプレー精神はどこへ
- ^ ただし、FCジンナンが日本代表として参加したとの記録あり ISBN 4-00-700120-0 がんばれ!女子サッカー(岩波アクティブ新書)巻末資料
- ^ アジアサッカー連盟(AFC)非公認で開催という理由で参加取りやめ
- ^ チェコスロバキアの頃に対戦