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'''吉田 正尚'''(よしだ まさたか、[[1993年]][[7月15日]] - )は、[[福井県]][[福井市]]出身<ref name="BBK160905">{{Cite web|url=https://baseballking.jp/ns/column/87524|title=“躍動するルーキー” 若き和製大砲・吉田正尚がオリックスを変える|publisher=BASEBALL KING|date=2016-9-5|accessdate=2016-12-30}}</ref>の[[プロ野球選手]]([[外野手]])。右投左打。[[オリックス・バファローズ]]所属。妻は[[モデル]]兼[[管理栄養士]]で[[実業家]]の[[ゆり香]]<ref name="sponochi">{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/12/10/kiji/20181209s00001173462000c.html/ |title=Sponichi Annex|accessdate=2018-12-10}}</ref>。
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== 経歴 ==
== 経歴 ==

2020年7月27日 (月) 08:04時点における版

吉田 正尚
オリックス・バファローズ #34
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福井県福井市
生年月日 (1993-07-15) 1993年7月15日(30歳)
身長
体重
173 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2015年 ドラフト1位
初出場 2016年3月25日
年俸 2億円(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
プレミア12 2019年
獲得メダル
日本の旗 日本
WBSCプレミア12
2019 野球

吉田 正尚(よしだ まさたか、1993年7月15日 - )は、福井県福井市出身[2]プロ野球選手外野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。妻はモデル管理栄養士実業家ゆり香[3]ちんこ

経歴

プロ入り前

6歳から野球を始める[4]と、福井市足羽中学校への在学中は、ボーイズリーグの鯖江ボーイズに所属していた[5]。本人曰く、「『遠くへ飛ばしたい』という意識が強い(子ども時代だった)」と述べている[6]

敦賀気比高校への進学後は、1年の夏に4番打者として第91回全国高等学校野球選手権大会に出場。帝京高校との初戦で1安打を放ったが、チームは敗れた[7]。1年の秋に福井県大会優勝・北信越大会準優勝を果たし、2年の春には第82回選抜高等学校野球大会へ出場。開幕戦でもあった1回戦では、中村奨吾擁する天理高校を相手に3安打を放ち、チームの勝利に貢献した[8]。その後も勝ち進んだが、山崎福也を擁する日大三高校との準々決勝で3打数無安打に抑えられると、チームも敗退した[9]。2年の夏以降は甲子園球場での全国大会には出場できなかったが、春夏を通じて4試合で打率.313、16打数5安打、2打点という成績を残した。高校の2学年先輩に山田修義、1学年下には西川龍馬がいた。

青山学院大学への進学後には、東都大学の1部リーグで、1年の春季リーグ戦から4番打者に抜擢。打率.311、1本塁打、7打点を記録し、指名打者としてベストナインに選ばれた[10]。秋季リーグ戦からは、3番打者に定着し、2年先輩の4番・杉本裕太郎とクリーンナップを組んだ[11]。指名打者部門で2季連続のベストナイン選出を果たした[12]。2年の春季リーグ戦では、指名打者から外野手へ転向すると、4本塁打を記録。外野手部門では初めてのベストナインに選ばれた[13][4]。3年の秋季リーグ戦では、打率.352、3本塁打という内容で、外野手として2度目のベストナインを獲得[14]。しかし、チームは2部に降格した。杉本の在学中には、リーグ戦で杉本との2者連続本塁打を3回達成している[11]。4年の秋には、2部リーグで打率.400、5本塁打を記録したが、チームの昇格はならなかった[15]。在学中には、東都リーグの1部で、通算72試合に出場。打率.277(278打数77安打)、9本塁打、38打点、12盗塁という成績を残した。

大学2年の7月には第39回日米大学野球選手権大会日本代表、3年には第27回ハーレムベースボールウィーク日本代表に選出された。4年の6月には、2015年ユニバーシアード日本代表に選出された。大会前に神宮球場で開かれた「大学日本代表対NPB選抜」戦では、高橋光成から本塁打を放った。ユニバーシアードでは、主に4番打者として、日本代表の優勝に貢献。大会後に開かれたU-18日本代表との壮行試合では、上野翔太郎高橋樹也を相手に、2打席連続本塁打を放った[4]

2015年のNPBドラフト会議で、オリックスから1巡目で指名され、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号34。この会議ではJR西日本から杉本もオリックスから10巡目で指名され、大学以来のチームメイトとなった。なお、球団としては「どうしても和製大砲がほしかったんです」との理由で1位指名したが、本人は「(チームには)糸井嘉男T-岡田後藤駿太と左の素晴らしい外野手がたくさんいる」ことから、オリックスからの1位指名は想像していなかったとのことである[16]

プロ入り後

2016年は新人合同自主トレーニング中に、ほっともっとフィールド神戸で初めて対面したイチローから直々に「青学(青山学院大学)の子やな」という声を掛けられた[17]が、そのトレーニング2日目に左ふくらはぎの筋膜炎を発症し[18]、春季キャンプのスタートを二軍で迎えた。2月6日に一軍へ昇格したが[19]、当日の打撃練習で右脇腹の違和感を訴えたため、2日後に二軍へ戻された[20]。3月16日には、広島東洋カープとのウエスタン・リーグ公式戦に指名打者で出場。実戦2試合目でプロ初本塁打を記録した[21]オープン戦の最終カードであった阪神タイガースとの3連戦(京セラドーム大阪)から再び一軍へ合流すると、3試合全てでスタメンに起用され、3月19には、3回裏の第2打席で藤川球児から京セラドーム3階席前面の壁を直撃する本塁打を放った[22]。オープン戦通算で13打数4安打を記録すると、開幕一軍入りを果たし[23][24]、一軍監督・福良淳一より「指名打者としての開幕スタメン」を明言された[25]。3月25日の埼玉西武ライオンズとの開幕戦(西武プリンスドーム)で、「1番・指名打者」としてスタメンで一軍公式戦にデビュー。オリックスの新人選手が一軍開幕戦のスタメンに起用された事例は、2011年駿太以来5年振り(指名打者としての起用は2002年の後藤光尊以来14年振り)であった[25]。本人曰く「中学生(時代)以来」の1番起用とのことだった[26]が、7回表の第3打席で一軍公式戦初安打を放つなど[27]、フル出場で5打数2安打を記録した。さらに、開幕戦から6試合連続安打(プロ野球ドラフト会議導入後の1966年以降のNPBの新人選手の最長タイ記録)を達成[28]。しかし、スタメン起用が続くうちに、腰椎の椎間板症に見舞われた[29]。外野の守備へ就けないほどにまで症状が悪化した[30]ため、4月24日に出場選手登録を抹消された[31]。その後8月12日に一軍へ復帰し、8月18日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で一軍公式戦初本塁打を放つと、シーズンが終了するまでに10本塁打を記録した。オリックスの新人選手による一軍公式戦でのシーズン2桁本塁打は、阪急時代の1985年熊野輝光が記録して以来31年振り[32]。8月26日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天Koboスタジアム宮城)以降は、30試合で3番打者を務め、翌27日の同カードでは、1回表の第1打席から2打席連続で本塁打を放っている。オリックスの新人選手による一軍公式戦での2打席連続本塁打は、阪急ブレーブス時代の1969年福本豊が記録して以来47年ぶり[33]。チームのシーズン最終戦であった10月1日の対楽天戦(コボスタ宮城)では、オリックスの新人選手としては1969年の加藤秀司以来47年振りに、一軍公式戦の4番打者に起用された[34]。レギュラーシーズン全体では、前述した故障の影響で、一軍公式戦への出場が63試合にとどまり、打席数(258)もパシフィック・リーグ規定打席(443)を下回ったものの、打率.290(リーグ9位相当)、10本塁打、34打点を記録[35]OPSは.854(リーグ4位相当)、RC27は6.09(リーグ8位相当)に達した[35][36][注 1]。守備面では、左翼手として44試合でスタメンに起用されたほか、右翼手として9試合、指名打者として8試合に出場した。シーズン終了後に台湾で開かれたアジア・ウィンター・リーグでは、ウエスタン・リーグ選抜の主軸打者として全18試合に出場。打率(.556)、本塁打(6本)、安打数(30安打)、塁打数(57塁打)、打点(29打点)の5部門でいずれもトップの成績を残し、最優秀打者に選ばれた[37][38][39]。帰国後の12月20日に、年俸2,100万円(前年から600万円増)という条件で契約を更改した[40]

2017年は「公式戦全143試合出場」を目標に地元の鯖江市で始動した[41]。前年のシーズン終盤以降の活躍に加えて、国内FA権行使により阪神へ移籍した糸井の穴を埋める中軸打者・レギュラー外野手候補として周囲から高い期待を寄せられた[42]が、オープン戦の終盤に腰痛が再発。後の診察で急性筋性腰痛の発症が判明したため、開幕一軍のメンバーから外れた[43]。5月10日に、ウエスタン・リーグの対広島東洋カープ戦(舞洲サブ球場)で、「2番・左翼手」としてスタメンで実戦に復帰。1回裏の第1打席で本塁打を放ったが、試合後に腰痛を訴えたため、再び戦線を離れた[44]。7月9日の対千葉ロッテマリーンズ戦で、「3番・指名打者」として、この年初めて一軍の公式戦に出場[45]。翌10日の対日本ハム戦(いずれも京セラドーム大阪)では、1回裏の第1打席で、右翼スタンド5階席に推定飛距離130mの本塁打を放った[46]。同月下旬以降は、首脳陣が攻撃重視の打線を組んだことから、8試合で1番打者、9試合で2番打者に起用。8月8日の対西武戦(京セラドーム大阪)では、2年連続の1試合2本塁打を2打席連続で記録した[47][48]。8月16日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオク!ドーム)以降は、シーズン終了まで、再び3番打者に起用。9月3日の対西武戦(京セラドーム)で、2年連続の一軍公式戦シーズン2桁本塁打を達成した[49]。シーズン終盤の10月4日に臀部の膿を除去する手術を受けたが、登録の抹消には至らず、手術後にも一軍公式戦2試合へ出場した[50]。前述した腰痛や手術の影響で、一軍公式戦への出場は64試合(268打席)にとどまったが、打率.311(リーグ2位相当)、12本塁打、38打点を記録。いずれも前年を上回る成績[51]で、OPSは.928(リーグ3位相当)、RC27は7.41(リーグ3位相当)に達した[51]。打順では、1番や2番に起用されることもあったが、主に3番打者(46試合)として起用された。守備面では、主に右翼手(36試合)で出場したが、左翼手として16試合、中堅手として1試合、指名打者として10試合にそれぞれスタメン出場した。なお、シーズン終了後の第1回アジア プロ野球チャンピオンシップには、日本代表として選ばれることが内定していたが、前述した膿を除去する処置を受けたことから、正式発表の前に代表入りを辞退した[52]。さらに、秋季キャンプへの参加も辞退したうえで、11月下旬に腰の手術を受けた[53]。12月6日に、推定年俸3,100万円(前年から1,000万円増)という条件で契約を更改[53]

2018年は前年に腰の手術を受けたことを考慮されて、春季キャンプを二軍でスタート。「故障しない身体づくり」「走攻守すべての面でのレベルアップ」をテーマに、体幹トレーニングなどへ取り組んだ。2月4日には、野球日本代表監督の稲葉篤紀から2020年東京オリンピック・野球日本代表の代表候補あることを告げられた[54]。キャンプ終盤から一軍へ合流する[55][56][57]と、3月30日には、ソフトバンクとのレギュラーシーズン開幕戦(ヤフオクドーム)で「3番・左翼手」としてスタメンに起用。5月22日の対楽天戦(楽天生命パーク)では、3回表の第2打席でシーズン6号本塁打、4回表の第3打席で2点適時打(単打)、6回表の第4打席で二塁打を記録した。8回表の第5打席でも長打を放ち三塁へ進んだが、二塁から三塁への進塁が「送球間の進塁」とみなされ、公式記録上「二塁打」になり、サイクルヒットの達成はならなかった[58]。入団後初めてセ・パ交流戦に出場すると6月7日の対阪神戦(甲子園)で一軍公式戦初の三塁打[59]、6月13日の対広島戦(京セラドーム大阪)で3年連続のシーズン2桁本塁打を記録した[60]。全18試合に出場し、打率.397 3本塁打 10打点 出塁率.477 得点圏打率.500という好成績でチームをパ・リーグ球団の最高順位(2位)へ導いたことから、交流戦のMVPに選ばれた[61]。交流戦の最終戦では右足の関節を捻挫し、自力で歩けないまま代走を送られたため、戦線離脱が懸念された[62]が、翌22日から再開されたパ・リーグの公式戦には代打で出場し、大事には至らなかった。オールスターゲームには、ファン投票・選手間投票ともパ・リーグ外野手部門の3位に入ったことを受けて初出場[63]。7月13日の第1戦(京セラドーム大阪)では、パ・リーグ選抜の「5番・指名打者」としてスタメンに起用されると、1回裏の第1打席でオールスターゲーム初安打・初打点を松坂大輔からの適時打で記録した[64]。レギュラーシーズンでは全143試合への出場を果たし、規定打席へ初めて到達。打率.321、26本塁打、86打点という好成績を残した。オリックス入団3年目以内の日本人選手が一軍公式戦でシーズン20本塁打を記録した事例は前身・阪急ブレーブス時代の1988年に、入団3年目の藤井康雄が20本塁打を放って以来30年ぶりであった[65]

2019年はオープン戦期間中の3月上旬に京セラドーム大阪で開かれた日本代表の強化試合(メキシコ代表との2連戦)に、プロ入り後初めて日本代表の一員として選出[66]、2試合ともスタメンでクリーンアップの一角を任され、第2戦では1回裏の第1打席で満塁本塁打を放った[67]。シーズンでは、開幕から4番打者に起用。開幕当初は打率が1割を切るほどの打撃不振で、シーズン初本塁打を放ったのは、開幕11試合(通算49打席)目の4月11日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)第3打席だった[68]。それでも、5月21日に京セラドームで催された同カードで、オリックスの選手としては初めて、入団1年目からの4年連続シーズン2桁本塁打を自己最速のペース(出場43試合目)で達成した[69]。前年にMVPを獲得したセ・パ交流戦で再び調子を落とした[70]ものの、オールスターゲームには、ファン投票・選手間投票(いずれもパ・リーグ外野手部門2位)を経て2年連続で出場[71]。7月13日の第2戦(甲子園球場)では、「3番・左翼手」としてのスタメン起用で同ゲーム初本塁打を放ち、パ・リーグの選手から唯一の敢闘選手に選ばれた[72]。レギュラーシーズンの終盤には、森友哉首位打者争いを展開し、打率.329で先にシーズンを終えた森には僅差で及ばなかったものの、リーグ2位の打率.322を記録した[73]。さらに、2年連続の全143試合出場で自己最多の29本塁打を放ったほか、7月度と9・10月度の月間MVPにも選ばれた[74]。オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12日本代表に選出された。また、チームとしては谷佳知オリックス・ブルーウェーブ時代の2001年 - 2004年)以来の2年連続ベストナイン(パ・リーグ外野手部門)選出を果たした[75]。プレミア12終了後の11月29日に、推定年俸2億円(前年から1億1,500万円増)という好条件で契約を更改した。オリックス生え抜きの選手が入団5年目で1億円以上の年俸を勝ち取った事例は、イチローがブルーウェーブ時代の1996年に推定年俸1億8,000万円(前年から1億円増)で契約を更改したことに次いで2人目である[76]

2020年の7月7日には第一子(女児)が誕生。その日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、4打数4安打2打点(1本塁打)という結果を残している。 そして、7月14日の福岡ソフトバンクホークス戦でプロ通算500安打を野球の神様川上哲治を上回る435試合目でホームランで達成した。(打たれた投手はプロ初登板の板東湧梧

選手としての特徴

野球選手としては小柄だが、オリックスOBの門田博光を彷彿させる和製大砲[77][78]。50メートル走は6秒2、遠投100メートル[79]

ホームランバッターに対する憧れは強く、インタビューで「僕自身、子供の頃にホームランバッターに憧れていたので、僕もそういう存在になりたい。今、野球界全体を見渡しても野球をする子供が減ってるじゃないですか。僕のホームランを見たいというのがきっかけになって野球人口も増えたらいいなと思います」とも述べ[80]、「(力強いスイングは)変わらないし、変えられない」として、長距離打者としてのこだわりを示す一方で、「ボールに対するコンタクト率を意識しているんです」とも語っている[55]。スイングは状況に応じて「投球ラインに沿ってバットを入れる」「上から叩く」「下からバットを入れる」の3つのスタイルを使い分けている[55]

自身の打撃理論として、「探求心を大切にして自分のバッティングに日々向き合うことを心掛けている」[6]「ベストスイングの形を打席の中で再現できる可能性を高くできれば、その延長線上にホームランがある」[6]「『打てると感じた球を打っていく』のが自分の打撃スタイル」[81]と述べ、特に本拠地・京セラドーム大阪和田毅から初ホームランを打った際、「今までにない感覚で、左投手から左方向に打てたことが良かった」と語っている[41]

高校時代には「力みなくバットが振れ、ヘッドスピードが速く、芯でボールをとらえる技術が高い巧打者」[82]、オリックスへの入団当初は、「広角に強い打球を打ち分ける長距離打者」として評価されていた。オリックス入団後の2シーズンには、上記の評価から一転して、長打力を示すIsoPが「0.203→0.206」と高い数値で推移している[4][35][51]。その一方で、右翼方向への打球が2年連続で40%を上回っており、プロ入り後の2シーズンで放った22本塁打のうち、20本塁打が右翼方向(右中間方向もこれにカウント)への打球であり、俗に言うプルヒッターの傾向が示されている[35][51][83]

選球眼も良く、オリックス入団後の2シーズンを例に取れば、三振率「13.2%→11.9%(リーグ4位相当)」(リーグ平均は「18.0%→19.5%」)・四球率「9.7%→14.2%(リーグ2位相当)」とも高い水準で推移している[35][51]。さらに、対左投手のOPSが「.822(対右投手.870)→.946(対右投手.922)」を示すなど、左投手をほとんど苦にしていない傾向が見られる[35][51]

オリックス入団後の一軍公式戦では、1年目(2016年)には通算63試合の出場(258打席)で10本塁打、2年目(2017年)には通算64試合の出場(268打席)で12本塁打、3年目(2018年)には開幕戦からセ・パ交流戦中の61試合目まで(通算253打席)で10本塁打と、ほぼ同じペースで2桁本塁打に到達していた[60]。4年目(2019年)には、43試合目で達成している。

人物

実家で過ごしていた小中学生時代には、NPBよりもメジャーリーグ(MLB)のテレビ中継を見ることが多かったという影響から、自身と同じ右投げ左打ちのブライス・ハーパーを「憧れの対象で目標の選手」に挙げ、オリックスで着用する背番号を「34」に自身の強い希望で決めたのも、ハーパーがワシントン・ナショナルズ時代の2018年までに着用していた背番号にちなんでいる[5]。(背番号34は主に投手に用いられ、2020年シーズンの野手では吉田と楽天の山崎幹史のみである)

青山学院大学時代の監督である善波厚司曰く、「守備も足も肩も平凡だけど、野球に取り組む姿勢が入学当初からずば抜けていて、『強く振る』ことができる強打者だった」「やはりモノが違います。ほかの『プロに行きたい』と言っている選手とは、思考力や行動力が違いました。魅力的なスイングの持ち主なので、プロでもある程度は活躍できるとは思いますから、けがをしない体を作っていって欲しいですね」と述べている[84]

NPBドラフト会議での1巡目指名に至ったターニングポイントとして、大学4年時にユニバーシアード野球日本代表へ参加したことを挙げている。同学年のチームメイトだった高山俊(明治大学)や茂木栄五郎(早稲田大学)が東京六大学野球で実力を培っている一方で、自分は東都大学野球2部リーグでのプレーを余儀なくされていたことへの悔しさが、勝負強さを開眼させるうえで大きな原動力になったという[84][85]

「(高校時代までを過ごした)福井が野球人生の原点」ということを、インタビューなどでしばしば言及している。オリックス2年目の2017年には、春季キャンプの直前に、自身が所属していた少年野球チーム(鯖江ボーイズ)の後輩である岸本淳希玉村祐典と共に自主トレーニングへ取り組んだ[86]

「向上心、探究心、反骨心が旺盛なこと」を、自身の性格の特徴に挙げている。2017年以降は、ハンマー投の選手として世界トップレベルの実績を残した室伏広治から、春季キャンプの前にトレーニングの指導を受けている。2016年のオフシーズンに吉田が直筆の手紙を室伏へ送った縁で、室伏からの直接指導が始まったという[87]。2018年1月には、「自分自身に打ち勝つこと」「1日1日を大切に過ごすこと」「規定打席到達」を目標に、糸井や柳田悠岐と一緒にグアムで自主トレーニングを敢行した[53][55]

持ち味のパワフルな打撃スタイルを生かした動画(通称「マッチョ動画」)を自らプロデュースし、2018年の京セラドームでのホームゲームからは、吉田がチャンスで打席を迎えた際に「マッチョ動画」を大型ビジョンで流し、その動画と連動したダンベル型の球団公式応援グッズが販売されている[88]

「張り切り屋」を自認する性格ゆえに負傷も多く[24]、2017年のシーズン途中までは、スイングの最後までバットを両手で握り続けていたが、自分で靴下も履けないほどにまで腰の状態が悪化[55]。これを機に、腰への負担の軽減と打球の飛距離アップを両立すべく、スイングのフォロースルーでバットから片手を離している。

社会貢献活動への関心が高く、2018年にパ・リーグ公式戦の規定打席へ初めて到達したことを機に、本塁打1本につき10万円を国境なき子どもたちを通じて寄付することを開始した[89]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2016 オリックス 63 258 231 35 67 17 0 10 114 34 0 2 0 1 25 0 1 34 6 .290 .360 .494 .854
2017 64 268 228 42 71 11 0 12 118 38 1 1 0 1 38 2 1 32 9 .311 .410 .518 .928
2018 143 598 514 77 165 37 2 26 284 86 3 1 0 8 69 10 7 74 9 .321 .403 .553 .956
2019 143 610 521 92 168 24 2 29 283 85 5 1 0 5 79 12 5 64 12 .322 .413 .543 .956
NPB:4年 413 1734 1494 246 471 89 4 77 799 243 9 5 0 15 211 24 14 204 36 .315 .401 .535 .936
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBSCプレミア12での打撃成績

















































2019 日本 5 21 20 2 4 0 0 0 4 1 0 0 0 0 1 1 0 0 0 .200 .238 .200

年度別守備成績



外野












2016 オリックス 54 86 4 1 0 .989
2017 53 92 2 0 0 1.000
2018 123 223 2 3 1 .987
2019 98 149 5 2 0 .987
通算 328 550 13 7 1 .988
  • 2019年度シーズン終了時

表彰

記録

初記録
その他の記録

背番号

  • 34 (2016年 - )※野球日本代表のトップチームでも着用

登場曲

代表歴

脚注

注釈

  1. ^ RC27は糸井嘉男(6.72)に次ぐ「チーム内2位相当」、OPSは糸井(.849)を上回る「チーム内1位相当」の好成績だった。また、この年に放った10本塁打のうち、3番打者として起用され始めた8月26日(対楽天戦)以降に出場した30試合で9本塁打を放っている。

出典

  1. ^ オリ吉田正「No.1評価」で5400万円増 新妻に感謝「心強かった」”. Sponichi Annex (2018年12月11日). 2019年3月12日閲覧。
  2. ^ “躍動するルーキー” 若き和製大砲・吉田正尚がオリックスを変える”. BASEBALL KING (2016年9月5日). 2016年12月30日閲覧。
  3. ^ Sponichi Annex”. 2018年12月10日閲覧。
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関連項目

外部リンク