阪急ブレーブス団歌

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阪急ブレーブス団歌」(はんきゅうブレーブスだんか)は、日本のプロ野球チーム・阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)が制定した球団歌である。作詞・内海重典、作曲・入江薫。本項では「団歌」のレコードB面に収録されており、しばしば「団歌」と混同される1962年(昭和37年)発表の公式応援歌「阪急ブレーブス応援歌」についても解説する。

両曲とも、1999年平成11年)にバップから発売されたコンピレーション・アルバム『野球小僧 〜懐かしの野球ソングコレクション〜』(VPCD-81305)に収録されている[1]

概要[編集]

1958年昭和33年)、球団の運営会社が「株式会社阪急野球倶楽部」から球団名と同じ「株式会社阪急ブレーブス」へ名称を変更した際に前身の阪急軍球団歌「阪急の歌」に代わり制定された。1番の歌い出しが阪神タイガースの歌と同様「六甲おろしに…」で始まることから「もう一つの六甲おろし」と呼ばれることも有った。曲調はアップテンポではなく荘厳さを重視したものとなっている。

初版は宝塚歌劇団男声コーラスの歌唱、MBS放送管弦楽団の伴奏。1978年(昭和53年)に、ロイヤルナイツの歌唱によりレコードが発売された。「応援歌」に対して「団歌」は、阪急西宮球場でホームゲームがある日に最寄り駅である西宮北口駅のコンコースでよく流されていたとされる。

阪急ブレーブス応援歌[編集]

歌い出しから「晴れたる青空」の別名で呼ばれることもある。1961年(昭和36年)、阪急のコーチに就任した大下弘2リーグ分裂後に「灰色の球団」と呼ばれる長期低迷状態にあった球団のイメージを向上させるため、1951年(昭和26年)に「西鉄ライオンズの歌」を作詞・作曲したサトウハチロー藤山一郎に応援歌の作成を依頼し、翌1962年(昭和37年)に発表された。

阪急西宮球場では団歌よりもこの応援歌の方が演奏される機会が多かったとされ、1982年刊の『大阪のうた』でも応援歌のみが掲載されている[2]2010年(平成22年)2月13日早稲田摂陵高等学校ウィンドバンドの第51回定期演奏会において応援歌が演奏された。

参考文献[編集]

  • 大阪都市協会 編『大阪のうた』(大阪都市協会、1982年) NCID BA91791955
  • 阪急ブレーブス・阪急電鉄 編『阪急ブレーブス五十年史』(阪急電鉄、1987年NCID BN02610755
  • 大倉徹也『ブレーブス人間の遺書』(発行・菁柿堂 発売・星雲社1991年NCID BA32751029

脚注[編集]

  1. ^ 野球小僧 〜懐かしの野球ソングコレクション〜 - バップ。ただし、タイトル表記に誤りがあり、12曲目の応援歌のところに団歌が収録されており、13曲目の団歌のところに応援歌が収録されている。
  2. ^ 大阪のうた, p310
先代:
阪急の歌
(?年 - 1957年)
阪急ブレーブス球団歌
2代: 阪急ブレーブス団歌
(1958年 - 1988年)
次代:
問題ないね。
(1989年 - 1990年)