JR西日本硬式野球部

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JR西日本硬式野球部
チーム名(通称) JR西、JR西日本
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1935年
チーム名の遍歴 広島鉄道局(1935年 - 1950年)→
広島鉄道管理局(1950年 - 1987年)→
JR西日本(1987年 - )
本拠地自治体 広島県広島市
チームカラー 青色
監督 田村亮
都市対抗野球大会
出場回数 6回
最近の出場 2023年
最高成績 ベスト8
社会人野球日本選手権大会
出場回数 8回
最近の出場 2022年
最高成績 2回戦進出
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

JR西日本硬式野球部(ジェイアールにしにほんこうしきやきゅうぶ)は、広島県広島市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである。6つあるJR本社チームのうち、唯一本社所在地と本拠地が同一都道府県にないチームである(JR東日本東北は、JR東日本の営業エリアが広く、東北地方で活動していた鉄道管理局チームが多かったことから、他地区と分離の上本社支援としたもの)。

概要[編集]

1935年に創部した「広島鉄道局」が前身。当時は全国各地に強豪鉄道局チームが存在し、全国大会への出場は果たせなかった。1950年の組織改正で「広島鉄道管理局」に改称。さらに国鉄民営化で「JR西日本」に改称した。1999年に全国大会初出場、2004年日本選手権1回戦で七十七銀行を相手に2大大会初のタイブレークが適用される激戦を制し、全国大会初勝利を挙げた。

2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故を受ける形で活動自粛、同年7月8日に活動休止の届出を行った。休部後、主力選手は活動の場を求めて他チームに移籍している。

以後長らく活動を休止していたが、2013年度に活動再開を目指す方針が報じられ[1]、2013年1月に広島県野球連盟に活動再開届を提出した[2]。その年の都市対抗野球大会予選には出場しなかったが、秋の日本選手権大会予選に出場し、計3勝を挙げた。そして翌2014年、第85回都市対抗野球大会中国地区予選では伯和ビクトリーズとの第2代表決定戦に勝利し、創部80年目にして本大会初出場を決めた。[3]さらに同年の日本選手権大会にも9大会ぶりに出場したが、両大会とも初戦敗退となった。

2015年ドラフト会議では、高野圭佑ロッテ7位)・杉本裕太郎オリックス10位)の二人が所属選手として18年ぶりに指名された。

選手は全員が中国統括本部(経営企画部など)および広島支社管内の現業機関(広島駅横川駅広島車掌区など)に勤務しながら練習を行っている。練習拠点はかつてNTT中国の練習場として使用されていた「JR西日本広島総合グラウンド」(広島市安佐北区安佐町)。

2016年からは広島東洋カープ内野手外野手・コーチ・二軍監督を歴任した山崎隆造中国放送野球解説者)が臨時コーチを務めている。

エピソード[編集]

  • 1936年夏、日本初のプロ野球公式戦である名古屋大会を終えた大阪タイガース東京巨人軍が九州と広島を遠征。前座試合としてこの両チームが連合軍を作り「広島鉄道局」と対戦、「広島鉄道局」が5対4と勝った。

設立・沿革[編集]

主要大会の出場歴・最高成績[編集]

主な出身プロ野球選手[編集]

広島鉄道局[編集]

JR西日本[編集]

国鉄・西日本地区各鉄道管理局野球部出身プロ野球選手[編集]

大阪鉄道管理局[編集]

国鉄鷹取工機部[編集]

天王寺鉄道管理局[編集]

岡山鉄道管理局[編集]

米子鉄道管理局[編集]

元プロ野球選手の競技者登録[編集]

柳川事件によるプロアマ断絶以前
プロ選手の受け入れ再開後

在籍者[編集]

かつて所属していた選手・関係者[編集]

大阪鉄道局吹田[編集]

広島鉄道管理局[編集]

JR西日本[編集]

  • 中須賀諭投手(JT休部に伴い、JR西日本に転部。その後のJR西日本の休部に伴い、JR東海に転部)
  • 片山純一投手(JR西日本の休部に伴い、JR東日本に転部)
  • 山本大貴内野手(当時、高校通算本塁打歴代最多記録保持者)

脚注[編集]

  1. ^ JR西日本野球部、来年度から活動再開目指す…本拠地は広島 - スポーツニッポン、2012年4月28日配信
  2. ^ JR西野球部が活動再開へ - スポーツ報知、2013年1月16日配信(リンク切れ)
  3. ^ 都市対抗野球:JR西日本が初出場 創部80年目 - 毎日新聞、2014年6月12日配信
  4. ^ 社会人野球:JR西野球部が活動再開 練習初公開「礼節備えたチームに」 - 毎日新聞広島版、2013年9月4日配信

関連項目[編集]

外部リンク[編集]