江﨑真澄

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江﨑真澄
えさき ますみ
1960年頃に撮影
生年月日 1915年11月23日
出生地 愛知県一宮市
没年月日 (1996-12-11) 1996年12月11日(81歳没)
出身校 日本大学
所属政党日本自由党→)
民主自由党→)
自由党→)
自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
親族 三男・江崎鉄磨
五男・江崎洋一郎

内閣 第2次中曽根第2次改造内閣
在任期間 1985年12月28日 - 1986年7月22日

内閣 第1次大平内閣
在任期間 1978年12月7日 - 1979年11月9日

内閣 第2次田中角榮内閣
在任期間 1972年12月22日 - 1973年11月25日

日本の旗 第28代 防衛庁長官
内閣 第3次佐藤改造内閣
在任期間 1971年12月3日 - 1972年7月7日

選挙区 愛知県第3区
当選回数 17回
在任期間 1946年4月11日 - 1993年6月18日

その他の職歴
日本の旗 第13代 防衛庁長官
1960年7月19日 - 1960年12月8日
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江崎 真澄(えさき ますみ、1915年11月23日 - 1996年12月11日)は、日本政治家衆議院議員(17期)、総務庁長官自治大臣防衛庁長官等を歴任。

来歴・人物

愛知県一宮市出身。旧制私立東邦商業中学から旧制第八高等学校(現・名古屋大学)に入学。八高に入ってすぐに結核にかかり、闘病生活中に小説を書き始める。1934年、雑誌『改造』の懸賞小説に、恋愛小説『長良』を応募し佳作となる。また、禅寺で修行するなどし、八高を結局、中退する。その後、日本大学経済学部に進学。作家を目指し、横光利一菊池寛に紹介されるが、結局、母校である東邦商業で教師となった。東邦商業校長の下出義雄は、名古屋にあった大同製鋼の社長でもあったため、下出社長の秘書となる。

1946年衆議院議員総選挙日本自由党から立候補し、初当選(当選同期に小坂善太郎二階堂進小沢佐重喜石井光次郎坂田道太水田三喜男村上勇川崎秀二早川崇中野四郎など)。自由党の実力者で、農林大臣、自由党幹事長、総務会長を歴任した広川弘禅の忠臣として活躍した。広川が失脚した後は緒方竹虎派に所属し、緒方の死後は、砂田重政の庇護を受けた。1960年第1次池田内閣防衛庁長官として初入閣。この年、岸信介に誘われて外務大臣として入閣・政界入りした藤山愛一郎が岸派の一部議員と藤山派を結成した際、同派に入会した。藤山の凋落後、水田派結成に参加。

1971年第3次佐藤改造内閣増原恵吉西村直己が立て続けに辞任した後任として防衛庁長官に再び就任し、翌1972年第2次田中角栄内閣では、自治大臣国家公安委員会委員長北海道開発庁長官に就任。1973年自由民主党の初代幹事長代理となり、マスコミに積極的に出演し、田中内閣の党側のスポークスマンとして活躍した。

田中内閣総辞職後の1974年に、同じ水田派の田村元(後に衆議院議長)と共に田中派に入る。江崎は自由党系の広川派、緒方派を別として藤山派、水田派と傍流とみなされる中間派に長年所属して、口八丁手八丁の万能選手と評される一方で、弁舌と器用さに対してやっかみもあり、能力ほど評価されていなかった。田中派に入会し自民党総務会長党政務調査会長通商産業大臣を歴任する。第2次中曽根内閣第2次改造内閣では副総理格で入閣し総務庁長官を務めた。一時田中も田中派からの総理候補を挙げるときには二階堂、江崎、後藤田正晴の順で挙げていたがもちろんこれは田中の世代交代を望まないゆえの時間稼ぎから出たほこ先をかわす目的であって本気ではない。歴任したポストは総裁候補級だったが、田中派では外様であったこと・年齢的にも田中より年長で二階堂より年少という立場であったことから江崎を本気で擁立しようとする勢力は田中派内には特に存在しなかった。

田中派では、会長の二階堂と竹下登金丸信の間に対立が生じていたが、江崎は二階堂側に立ち、竹下派と袂を分かった。1993年、政界を引退

1996年12月11日死去。享年81。三男の江崎鉄磨・五男の江崎洋一郎は衆議院議員(地盤を譲られたのは鉄磨)。

元秘書

参考文献

関連項目

議会
先代
山村新治郎
日本の旗 衆議院議院運営委員長
第13代:1958年 - 1959年
次代
荒船清十郎
先代
山崎巌
日本の旗 衆議院予算委員長
1957年 - 1958年
次代
楢橋渡
公職
先代
後藤田正晴
日本の旗 総務庁長官
第2代:1985年 - 1986年
次代
玉置和郎
先代
河本敏夫
日本の旗 通商産業大臣
第39代:1978年 - 1979年
次代
佐々木義武
先代
福田一
日本の旗 自治大臣
第19代:1972年 - 1973年
次代
町村金五
先代
木村武雄
日本の旗 国家公安委員会委員長
第29代:1972年 - 1973年
次代
町村金五
先代
福田一
日本の旗 北海道開発庁長官
第34代:1972年 - 1973年
次代
町村金五
先代
西村直己
赤城宗徳
日本の旗 防衛庁長官
第28代:1971年 - 1972年
第12代:1960年
次代
増原恵吉
西村直己
党職
先代
河本敏夫
自由民主党政務調査会長
第27代:1977年 - 1978年
次代
河本敏夫
先代
松野頼三
自由民主党総務会長
第20代:1976年 - 1977年
次代
中曽根康弘
先代
福田一
山村新治郎
自由民主党国会対策委員長
第19代:1974年
第7代:1961年 - 1962年
次代
宇野宗佑
竹山祐太郎