「アトレティコ・マドリード」の版間の差分
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今シーズンから、本拠地を[[エスタディオ・ビセンテ・カルデロン]] から、[[ワンダ・メトロポリターノ|エスタディオ・メトロポリターノ]]に移転した。新スタジアムでの最初の試合は、2017年9月16日[[プリメーラ・ディビシオン|ラ・リーガ]]第4節アトレティコ対[[マラガCF]]で、[[アントワーヌ・グリーズマン]]が初得点を決めた。 |
今シーズンから、本拠地を[[エスタディオ・ビセンテ・カルデロン]] から、[[ワンダ・メトロポリターノ|エスタディオ・メトロポリターノ]]に移転した。新スタジアムでの最初の試合は、2017年9月16日[[プリメーラ・ディビシオン|ラ・リーガ]]第4節アトレティコ対[[マラガCF]]で、[[アントワーヌ・グリーズマン]]が初得点を決めた。 |
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シメオネは就任7シーズン目となり、冬に[[チェルシーFC|チェルシー]]から[[ジエゴ・ダ・シウヴァ・コスタ|ジエゴ・コスタ]]が復帰。また、[[中国]]・[[中国サッカー・スーパーリーグ|スーパーリーグ]]の[[大連一方足球倶楽部]]へと移籍した[[ニコラス・ガイタン]]と[[ヤニック・フェレイラ・カラスコ|ヤニック・カラスコ]]の後釜として、[[セビージャFC|セビージャ]]から[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]MF[[ビクトル・マチン・ペレス|ビトーロ]]を獲得。リーグ戦においては、序盤こそは二者に追随を許すも、最終的には2位フィニッシュ。[[アントワーヌ・グリーズマン|グリーズマン]]がチーム最多の19ゴール。[[UEFAチャンピオンズリーグ|チャンピオンズリーグ]]ではグループCにポット分けされ、[[ASローマ|ローマ]]、[[チェルシーFC|チェルシー]]、[[カラバフFK|カラバフ]]と同組になった。勝ちきれない試合が多く、結果、1勝4分1負の成績で[[UEFAヨーロッパリーグ|ヨーロッパリーグ]]へと回った。ここでは持ち前の強さを発揮し、準決勝で[[アーセナルFC|アーセナル]]、決勝で[[オリンピック・マルセイユ|マルセイユ]]を破り5シーズンぶり、3度目の優勝を果たした<ref>{{Cite web|title=アトレティコがマルセイユ下しEL制覇、グリーズマンが2得点|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3174853|website=www.afpbb.com|accessdate=2019-03-02|language=ja}}</ref>。またこの優勝により、シメオネがこのクラブで勝ち取ったタイトルが7つになった。2017年3月23日、[[ソシオ]]数が10万人に到達し、ソシオ数がスペイン国内では[[レアル・マドリード]]を抜き2番目に、世界では8番目に多いクラブになった<ref>{{Cite web|title=2強時代に終止符? ソシオ数でレアルを越えるアトレティコ|url=https://victorysportsnews.com/articles/2728|website=VICTORY ALL SPORTS NEWS|accessdate=2019-09-05|language=ja}}</ref>。クラブのアイコン的存在であったフェルナンド・トーレスの退団が決まった<ref>{{Cite web|title=F・トーレス、アトレティコ退団決定…リーガ最終節でセレモニー開催|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20180410/740635.html|website=サッカーキング|accessdate=2020-05-28|language=ja|first=FromOne|last=co.,Ltd}}</ref>。最終節の[[SDエイバル|エイバル]]戦では、スタジアムには6万5000人のファンが訪れ、トーレスはキャプテンマークを付けてフル出場し、2得点を記録。試合後に退団セレモニーが行われた。 |
シメオネは就任7シーズン目となり、冬に[[チェルシーFC|チェルシー]]から[[ジエゴ・ダ・シウヴァ・コスタ|ジエゴ・コスタ]]が復帰。また、[[中国]]・[[中国サッカー・スーパーリーグ|スーパーリーグ]]の[[大連一方足球倶楽部]]へと移籍した[[ニコラス・ガイタン]]と[[ヤニック・フェレイラ・カラスコ|ヤニック・カラスコ]]の後釜として、[[セビージャFC|セビージャ]]から[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]MF[[ビクトル・マチン・ペレス|ビトーロ]]を獲得。リーグ戦においては、序盤こそは二者に追随を許すも、最終的には2位フィニッシュ。[[アントワーヌ・グリーズマン|グリーズマン]]がチーム最多の19ゴール。[[UEFAチャンピオンズリーグ|チャンピオンズリーグ]]ではグループCにポット分けされ、[[ASローマ|ローマ]]、[[チェルシーFC|チェルシー]]、[[カラバフFK|カラバフ]]と同組になった。勝ちきれない試合が多く、結果、1勝4分1負の成績で[[UEFAヨーロッパリーグ|ヨーロッパリーグ]]へと回った。ここでは持ち前の強さを発揮し、準決勝で[[アーセナルFC|アーセナル]]、決勝で[[オリンピック・マルセイユ|マルセイユ]]を破り5シーズンぶり、3度目の優勝を果たした<ref>{{Cite web|title=アトレティコがマルセイユ下しEL制覇、グリーズマンが2得点|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3174853|website=www.afpbb.com|accessdate=2019-03-02|language=ja}}</ref>。またこの優勝により、シメオネがこのクラブで勝ち取ったタイトルが7つになった。2017年3月23日、[[ソシオ]]数が10万人に到達し、ソシオ数がスペイン国内では[[レアル・マドリード]]を抜き2番目に、世界では8番目に多いクラブになった<ref>{{Cite web|title=2強時代に終止符? ソシオ数でレアルを越えるアトレティコ|url=https://victorysportsnews.com/articles/2728|website=VICTORY ALL SPORTS NEWS|accessdate=2019-09-05|language=ja}}</ref>。クラブのアイコン的存在であったフェルナンド・トーレスの退団が決まった<ref>{{Cite web|title=F・トーレス、アトレティコ退団決定…リーガ最終節でセレモニー開催|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20180410/740635.html|website=サッカーキング|accessdate=2020-05-28|language=ja|first=FromOne|last=co.,Ltd}}</ref>。最終節の[[SDエイバル|エイバル]]戦では、スタジアムには6万5000人のファンが訪れ、トーレスはキャプテンマークを付けてフル出場し、2得点を記録。試合後に退団セレモニーが行われた。さらに長年カピタンを務めていたガビもシーズン終了後に退団を表明し、二大功労者がチームを去ることになった。 |
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==== 2018-19シーズン ==== |
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2020年6月2日 (火) 13:18時点における版
アトレティコ・マドリード | ||||
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ファイル:Atlético de Madrid.jpg | ||||
原語表記 | Club Atlético de Madrid S.A.D. | |||
愛称 |
Los Colchoneros (マットレス、マットレス屋), Los Rojiblancos (赤と白), Los Indios (インディアン), El Atleti | |||
クラブカラー | 赤と白のストライプ | |||
創設年 | 1903年 | |||
所属リーグ | ラ・リーガ | |||
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | |||
ホームタウン | マドリード | |||
ホームスタジアム | ワンダ・メトロポリターノ | |||
収容人数 | 67,829 | |||
代表者 | エンリケ・セレソ | |||
監督 | ディエゴ・シメオネ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
クルブ・アトレティコ・デ・マドリー(Club Atlético de Madrid SAD、スペイン語発音: [ˈkluβ aðˈletiko ðe maˈðɾið])は、スペインのマドリードを本拠地とするサッカークラブチームである[1]。UEFAクラブランキングは第2位[2]。 ラ・リーガ・プリメーラ・ディビシオンに所属している。
アトレティコ・マドリードあるいは単にアトレティコとして一般的に認知されている。「総合スポーツ (Athletic) 」を意味する「アトレティコ」という名称がつくサッカークラブは世界中に多数存在するが、略称としての「アトレティコ」は本クラブを指すことが一般的である。ただし、日本ではブラジルポルトガル語読みの「アトレチコ・マドリード」などと表記される場合がある。
概要
これまでに、プリメーラ・ディビシオン優勝10回、コパ・デル・レイ(国王杯)優勝10回、スーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝1回、コパ・エバ・ドゥアルテ優勝3回を果たし、欧州ではUEFAカップウィナーズカップ優勝1回、UEFAチャンピオンズリーグ準優勝3回[3]、UEFAヨーロッパリーグ優勝3回、UEFAスーパーカップ優勝3回を果たしている。
ビセンテ・カルデロン(収容人数54,960人)でホームゲームを開催していたが[4]、2017-18シーズンからワンダ・メトロポリターノ(収容人数73,000人)に本拠地を移転。
ホームユニフォームは赤色と白色の縦縞のシャツに青色のショートパンツ、青色と赤色のソックスである。この組合せは1911年から使用されている。2019-20シーズンのユニフォームサプライヤーはナイキ、ユニフォームスポンサーはPlus500(外国為替証拠金取引等を扱う金融先物取引業者)、現代自動車である。
FCバルセロナに次いで、スペインで2番目、世界では8番目にサポーターが多いクラブである[5]。またマドリード市内でも市内北部の富裕層にファン層の多いレアル・マドリードに対し、比較的南部の庶民層に熱狂的ファン層を持つ。
2003年から、スペイン国王のフェリペ6世が名誉会長を務めている。また、ソシオの数の面では最も規模の大きなクラブの一つであり、6万5千人を越えるシーズンチケット保持者がいる。
2017年3月23日にアトレティコのソシオ数が10万人に達し、スペインで2番目、世界で8番目にソシオ数が多いクラブになった。[6]
『デロイト・トウシュ・トーマツ』によると、18-19シーズンのクラブ収入は 3億6760万ユーロ(約450億円)、欧州第13位、スペインではバルセロナ、レアル・マドリードに次いで第3位である[7]。
これまでの歴史の中、クラブはLos Colchoneros(マットレス、もしくはマットレス屋の意。ホームユニフォームで採用されている赤と白の縦縞がスペインの古風なマットレスと同じ色調であるため。)などの多くの愛称で知られてきた。1970年代は、Los Indios(インディアン)として知られるようになった。これはおそらく外国人選手との契約制限が取り除かれた後に複数の南米選手と契約したことによる。しかしながら、その他にも、スタジアムが河岸にあったため、あるいはLos Indios(インディアン)がLos Blancos(白人の意。アトレティコのライバルであるレアル・マドリードの愛称でもある)の伝統的な敵であったため[8]、など多くの他説もある。
歴史
創設期
クラブの創設は1903年4月26日。クラブの起源は、バスク地方の名門チーム・アスレティック・ビルバオが、首都マドリードに設置した姉妹チームに遡る。現在、その関係は切れてはいるが、チームカラーがビルバオと同系統なのはそのためである[9]。同じマドリードを本拠とするライバルのレアル・マドリードが主に富裕層の支持を受けるクラブであったのに対し、アトレティコは主に労働者階級の支持を受けて発展してきたクラブであり、サポーターは熱狂的なことで有名である。
1930年代後半から1940年代前半には軍隊のチームとなり、アトレティコ・アビアシオンという名称だった時期がある。10回の優勝のうち2回はこの時期に獲得したものである。現在、その名称はアトレティコの下部組織の名前として残っている。現在のクラブ名になったのは、1947年のことであった。この頃から、徐々に勢いを増していった。後にインテルにグランデ・インテルと称される黄金期をもたらすことになるアルゼンチン人のエレニオ・エレーラが監督に就任してからは、ラルビ・ベンバレクらを擁するチームは国内リーグを連覇した。エレーラが去った後も勢いを増し、1960年代にかけて黄金期を創り出した。しかし、同時期にアルフレッド・ディ・ステファノのレアル・マドリード、ラディスラオ・クバラのFCバルセロナという強大な敵が国内に存在したことから国内でのタイトルを積み上げられず、結果欧州レベルでの実績を挙げることが出来なかった。1959年にはUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)の準決勝まで駒を進めているが、立ちはだかったのは仇敵レアル・マドリードであった。結局、黄金期のアトレティコが得た国際タイトルは、1962年のUEFAカップウィナーズカップ優勝のみに留まった。
リーガ3強時代から2部降格へ
1974年にはUEFAチャンピオンズカップで決勝戦に進出。バイエルン・ミュンヘンを相手に0-0のまま延長戦となり、114分のルイス・アラゴネスのゴールで先制すると、そのまま延長戦終了間際までリードを保っていた。しかし、シュヴァルツェンベックに30メートル以上のミドルシュートを決められ、同点に追いつかれた。結局2日後の再試合では敗れ、準優勝に終わった。しかし、その後出場を辞退したバイエルンに代わって出場したインターコンチネンタルカップでは、アルゼンチンのCAインデペンディエンテを下し、世界一の座に輝いた。なおスペインにおいて、インターコンチネンタルカップを獲得しているクラブは、レアル・マドリードとアトレティコだけである(大会名称が変わったFIFAクラブワールドカップはFCバルセロナも獲得している)。
1987年に事業家のヘスス・ヒルが会長に就任。1995-96シーズンには、クラブ史上初めてリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイの二冠を達成、これはヒル会長の行った大型補強の成果といえる。更に、この前年プリメーラ・ディビシオンで得点王を獲得したサルバ・バジェスタが加入した。
復活と停滞
1年での1部復帰が叶わなかったが、ルイス・アラゴネスを招聘し、フェルナンド・トーレスの台頭などもあって、2002-03シーズンに1部復帰を果たした。
2003年にヘスス・ヒルが会長から退任したが、低迷を続けるアトレティコが上昇のきっかけをつかむことはできなかった。新会長エンリケ・セレソは、ヒル時代に蓄積された巨額の負債にも悩まされることとなった。
2005-06シーズン
不振が続く中、カルロス・ビアンチが監督に就任し、マルティン・ペトロフ、マキシ・ロドリゲス、マテヤ・ケジュマン、ルシアーノ・ガジェッティらを獲得した。優勝候補の一角にも挙げられたが、予想に反しチームは低迷し、前半戦終了を待たずにビアンチは解任された。その後、下部組織からペペ・ムルシアが監督に就任。その後は14年ぶりの6連勝を果たすなど一時調子を上げたが、マキシ・ロドリゲスが代表招集中に怪我をしてから再び失速、最終的には10位でシーズンを終えた。
2006-07シーズン
メキシコ代表やCAオサスナで実績を挙げたハビエル・アギーレを招聘。更に大型補強をし、再建を図った。しかしリーガ最終順位は7位に終わった。
2007年7月にはフェルナンド・トーレスをリヴァプールに放出した。迎えた2007-08シーズンは、不安定な戦いに終始しアギーレも批判を浴びたが、加入2年目のセルヒオ・アグエロが19ゴール、新加入のディエゴ・フォルランが16ゴールを記録し、新加入のシモン・サブローザ、ラウール・ガルシア、下部組織出身のイグナシオ・カマーチョらも活躍した事で最終順位は4位で、1995-96シーズン以来12年ぶりにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
2008-09シーズン
シーズン途中にアギーレが解任されるなど終始不安定ではあったが、終盤戦の6連勝で最終的に4位となり、2年連続でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を得た。最終節のUDアルメリア戦はエスタディオ・ビセンテ・カルデロンでの1000試合目であり、記念の試合を3-0の快勝で飾った。
2009-10シーズン
序盤は大きく低迷し、2シーズン連続で出場したUEFAチャンピオンズリーグもグループリーグで敗退。前シーズン途中から監督に就いていたアベル・レシーノを解任しキケ・サンチェス・フローレスを招聘した。冬の移籍期間中に獲得したティアゴ・メンデスの活躍もあり、不振に陥っていたチームの建て直しに成功した。UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグを3位で終えていたため、UEFAヨーロッパリーグに決勝トーナメントより参戦した。決勝戦でフラムFCをフォルランの2ゴールで2-1と下し、UEFAヨーロッパリーグの初代チャンピオンとなった。また、リーグ戦の最終順位は9位だったが、スペイン国王杯では1999-2000シーズン以来10年ぶりに決勝に進出。セビージャFCに敗れ、準優勝に終わった。
2010-11シーズン
UEFAスーパーカップでチャンピオンズリーグ王者のインテルを2-0で下したが、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグで敗退し、1月から2月前半にかけては8敗を喫した。シーズン終盤のセルヒオ・アグエロのゴールラッシュによって、UEFAヨーロッパリーグ出場圏内の7位にこそ位置したものの、キケはシーズンが終わる前に監督からの退任を宣言した。アグエロは移籍を表明した。なお3月の東日本大震災の際には、スペイン在住記者とGoal.comを通じて日本へ応援メッセージが届けられた[10]。
2011-12シーズン
ヘスス・ガルシア・ピタルチに代わる新スポーツディレクターとしてホセ・ルイス・カミネロを招聘[11]。そして新指揮官には、2003-04シーズンにもチームを率いたグレゴリオ・マンサーノを呼び戻した[12]。移籍の意思を表明していたアグエロが推定4500万ユーロでマンチェスター・シティFCへ[13]、ダビド・デ・ヘアは推定2100万ユーロでマンチェスター・ユナイテッドFCへ[14]、フォルランは500万ユーロでインテルへ[15]移籍した。その一方、UEFAヨーロッパリーグ得点王のラダメル・ファルカオ、アルダ・トゥラン、ローンでジエゴを獲得した。また、カンテラーノのガビをレアル・サラゴサから呼び戻した。しかし、リーグ戦では苦戦を強いられ同年12月にマンサーノを監督から解任した。
チョリスモ(シメオネイズム)の時代へ
後任の監督にディエゴ・シメオネが就任すると、持ち前の求心力を発揮し全選手に高い守備意識とハードワークを植え付け、中盤と最終ラインに強固なブロックを形成し、攻撃では奪ったボールをジエゴ、アドリアン・ロペス、トゥラン、ファルカオを生かすシンプルな戦い方へと舵を切った。その結果チームは調子を取り戻し、マンサーノの時は5試合しかなかった無失点試合がシメオネの時は就任後の6試合を全て無失点で乗り切ったのも含めて10試合に倍増しリーグ戦は5位。決勝トーナメントはおろか、マンサーノが監督だったグループステージ第4節のウディネーゼ戦から9連勝。しかも全て2失点以内に抑えたのもあって2年ぶりにUEFAヨーロッパリーグを制覇した。
2012-13シーズン
UEFAスーパーカップでチャンピオンズリーグ王者のチェルシーを破り2度目のUEFAスーパーカップ制覇を達成した。リーガ・エスパニョーラでもシメオネの掲げる激しいプレスでボールを奪い、素早く攻撃に移るスタイルでジエゴ・コスタが2トップに定着したのに合わせて、当時21歳だったティボ・クルトゥワが、4連覇中だったFCバルセロナのビクトル・バルデスからサモラ賞を奪えば、トゥランやコケが中盤の核に定着したのも相まって2強に次ぐ3位の好成績を収める。さらに、レアル・マドリードとのマドリードダービーとなったコパ・デル・レイ決勝では、延長戦の末14年ぶりとなるダービー勝利を果たし、17年ぶり10回目の国王杯優勝を達成した。
2013-14シーズン
前年度チーム得点王のファルカオがASモナコに移籍したものの、ダビド・ビジャをFCバルセロナから獲得した。新加入ビジャとジエゴ・コスタが2トップを形成し、リーグ序盤からバルセロナ、レアル・マドリードと熾烈な優勝争いを展開した。首位で迎えた最終節、敵地カンプ・ノウでの2位バルセロナとの直接対決で引き分け、18年ぶりにリーグ優勝を達成した。UEFAチャンピオンズリーグでもFCポルトやFCゼニト・サンクトペテルブルクに勝利し、グループリーグ首位通過を決めた。決勝トーナメントでも、ベスト16で2007年の王者・イタリアのACミランを、準々決勝で同じスペインで2006、2009、2011年の王者バルセロナを、準決勝で2012年の王者イングランドのチェルシーFCと歴代のチャンピオンズリーグ王者を次々に破って40年ぶりに決勝に進出。チャンピオンズリーグ史上初の同一都市に所在するクラブ同士の対戦となった決勝戦[16]ではレアル・マドリード相手に90分+5分のアディショナルタイムうちの3分まで前半に挙げたディエゴ・ゴディンのゴールで1-0とリードしたものの、後半終了間際にコーナーキックから相手のセルヒオ・ラモスにゴールを奪われ延長戦に持ち込まれる。延長戦ではそのまま相手の勢いに呑まれ3失点を喫し1-4で大敗。準優勝に終わった。
2014-2015シーズン
夏の移籍市場では、前年シーズンのリーグ優勝とCL準優勝の立役者であったジエゴ・コスタとフィリペ・ルイスをチェルシーへ売却したほか、ビジャはニューヨーク・シティFCへ移籍し、クルトゥワはチェルシーからのレンタル移籍期間満了により退団した。これら昨季の主力選手の抜けた穴を補填する目的で、バイエルン・ミュンヘンからマリオ・マンジュキッチ、レアル・ソシエダからアントワーヌ・グリーズマン、トリノFCからアレッシオ・チェルチ、ヘタフェCFよりミゲル・アンヘル・モジャ、SLベンフィカからヤン・オブラク、グラナダCFからギリェルメ・シケイラを獲得した。昨シーズンリーガ王者として戦ったスーペル・コパでは、ライバルのレアル・マドリードを下して29年ぶり2度目の優勝を果たした。冬にはフェルナンド・トーレスがチェルチとの交換トレードでACミランからレンタル移籍し、2006-07シーズン以来7年半ぶりに復帰した。チャンピオンズリーグではラウンドオブ16でバイエル・レバークーゼンをPK戦で下したものの準々決勝で昨季に引き続きレアル・マドリードとのダービーが実現。1stレグは0-0で終えるも、2ndレグでは後半31分にトゥランが退場となった後にチチャリートのゴールが決まり、0-1で敗れてベスト8で敗退。ダービーでの対戦成績では8試合4勝3分け1敗(今季もスペインの国内の3コンペティションでは4勝2分)と大きく勝ち越していたものの、チャンピオンズリーグ決勝でのリベンジは果たせなかった。
2015-16シーズン
開幕前にFCポルトからジャクソン・マルティネス、ビジャレアルCFからルシアーノ・ビエット、ASモナコからヤニック・カラスコを獲得し、チェルシーからフィリペ・ルイス、FCポルトにレンタルされていた下部組織出身のオリベル・トーレスが復帰した。リーグ戦では当初、新戦力が噛み合わず勝ち点を落とすこともあったが、ジャクソンに見切りを付けて冬に広州恒大へ売却する一方で、フェルナンド・トーレスの復活やアントワーヌ・グリーズマン、サウール・ニゲス、冬にセルタ・デ・ビーゴから加入したアウグスト・フェルナンデスらの活躍によりFCバルセロナとレアル・マドリードと優勝争いを展開するも最終的に昨年と同じ3位に入り、リーグ戦38試合全てにフル出場して18失点とゴールに鍵をかけ続けたオブラクがサモラ賞を受賞している。チャンピオンズリーグでは2年ぶりに決勝に進出。決勝では2年前と同じくレアル・マドリードとのマドリードダービーとなり、持ち前の4-4-2でブロックを作った守備を発揮したが、前半に先制を許す。後半に途中出場のカラスコのゴールで追いついたが、延長戦を戦い抜いて1-1のままスコアは動かず、PK戦の末3-5で敗れ、再びレアル・マドリードの前に涙を飲んだ。
2016-17シーズン
夏の移籍市場では、セビージャFCからケヴィン・ガメイロ、SLベンフィカからニコラス・ガイタンらを獲得したほか、フェルナンド・トーレスの保有権を買い取った。リーグ戦ではレアル・マドリードとバルセロナと上位争いをしたが3位でフィニッシュ。チャンピオンズリーグでは準決勝まで勝ち進み、決勝トーナメントでは4年連続となるレアル・マドリードと対戦との対戦となったが、2戦合計2-4で敗れてベスト4で大会を去った。
2017-18シーズン
今シーズンから、本拠地をエスタディオ・ビセンテ・カルデロン から、エスタディオ・メトロポリターノに移転した。新スタジアムでの最初の試合は、2017年9月16日ラ・リーガ第4節アトレティコ対マラガCFで、アントワーヌ・グリーズマンが初得点を決めた。
シメオネは就任7シーズン目となり、冬にチェルシーからジエゴ・コスタが復帰。また、中国・スーパーリーグの大連一方足球倶楽部へと移籍したニコラス・ガイタンとヤニック・カラスコの後釜として、セビージャからスペイン代表MFビトーロを獲得。リーグ戦においては、序盤こそは二者に追随を許すも、最終的には2位フィニッシュ。グリーズマンがチーム最多の19ゴール。チャンピオンズリーグではグループCにポット分けされ、ローマ、チェルシー、カラバフと同組になった。勝ちきれない試合が多く、結果、1勝4分1負の成績でヨーロッパリーグへと回った。ここでは持ち前の強さを発揮し、準決勝でアーセナル、決勝でマルセイユを破り5シーズンぶり、3度目の優勝を果たした[17]。またこの優勝により、シメオネがこのクラブで勝ち取ったタイトルが7つになった。2017年3月23日、ソシオ数が10万人に到達し、ソシオ数がスペイン国内ではレアル・マドリードを抜き2番目に、世界では8番目に多いクラブになった[18]。クラブのアイコン的存在であったフェルナンド・トーレスの退団が決まった[19]。最終節のエイバル戦では、スタジアムには6万5000人のファンが訪れ、トーレスはキャプテンマークを付けてフル出場し、2得点を記録。試合後に退団セレモニーが行われた。さらに長年カピタンを務めていたガビもシーズン終了後に退団を表明し、二大功労者がチームを去ることになった。
2018-19シーズン
フランス・ASモナコから当時クラブ史上最高額となる約7000万ユーロでトマ・レマルを、国内のビジャレアルからロドリゴを獲得した。シーズン最初の公式戦となったUEFAスーパーカップでは宿敵レアル・マドリードを延長戦の末4-2で破り、8つめとなるタイトルをチームにもたらした。コパ・デル・レイではジローナに敗戦し、大会を去った。優勝が期待されたCLではモナコ、ボルシア・ドルトムント、クラブ・ブルッヘとのグループに入り、4勝1分1敗の成績でグループ2位でノックアウトラウンドへ進出。ベスト16の相手はイタリアのユヴェントス。1stレグでは2-0と完封勝利を果たすも、2ndレグでクリスティアーノ・ロナウドにハットトリックを許し、2戦合計2-3で大会を後にした。また、今シーズンをもって、クラブの主軸であった主将のディエゴ・ゴディンを始め、アントワーヌ・グリーズマンやフアンフラン、リュカ・エルナンデス、ロドリなど、主力選手らがクラブを離れることが決まった。
2019-2020シーズン
ベンフィカからジョアン・フェリックスを、クラブ最高額の約1億2600万ユーロで獲得した他、レアル・マドリードからマルコス・ジョレンテ、アトレチコ・パラナエンセからレナン・ロディなど、計8名を新獲得した。また、シメ・ヴルサリコはレンタルから復帰し、アルバロ・モラタは来シーズンの完全移籍が決定した。冬の移籍市場では、エディンソン・カバーニの移籍がほぼ確定とされながら、実現しなかった。しかし、冬の移籍期間最終日には、大連プロフェッショナルFCから、ヤニック・カラスコの買取オプション付きのレンタルでの電撃復帰が発表された[20]。コパ・デル・レイではラウンド32でセグンダBのクルトゥラル・レオネサに延長戦の末敗退。リーグ戦では失点こそ少ないが点が取れず、「負けないが勝てないチーム」と言われた。チャンピオンズ・リーグでは、ラウンド16で前回の欧州王者で、当時リーグ戦無敗のリヴァプール相手に1stレグで1-0、2ndレグでは、リヴァプールが公式戦42戦無敗を記録し、難攻不落の要塞と呼ばれた[21]本拠地アンフィールドで、ジョレンテの2ゴールとモラタの決勝ゴールで、2-3で勝利。アグリゲートスコアでは4-2と快勝し、昨季王者を下した。
マドリードダービー
レアル・マドリードとアトレティコ・マドリードは、対照的なアイデンティティと非常に異なる運命を持つクラブである。歴史的に、レアル・マドリードはエスタブリッシュメントクラブであると長年見られてきた。その一方で、アトレティコは常に「sentimiento de rebeldía」(抵抗の意識)を特徴としていた。しかし、初期フランコ時代には、体制に好まれたチームはアトレティコであった[要出典]。1950年代に体制の好みがレアル・マドリードに移るまでは、アトレティコは(Atletico Aviacionと改名し)空軍と関連付けられていた。
確かに、フランコ政権下の独裁国家はスペインが国際的に孤立していた当時、レアル・マドリードのヨーロピアンカップ制覇を政治的に利用しようとしていた。当時ある大臣は「レアル・マドリードはこれまでで最も優れた使節である」と述べた[要出典]。こういった認識は、集合意識に乗り、マドリードのサッカーアイデンティティに重要な影響をもたらしてきている。アトレティコのファンは「Hala Madrid, hala Madrid, el equipo del gobierno, la verguenza del país(ゆけマドリード、ゆけマドリード、政府のチーム、国の恥)」という歌のおそらく本家である。
アトレティコは2012-2013シーズンまでダービーで14戦勝利がなかった。しかしながら、2013年5月17日、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウでの国王杯決勝でレアル・マドリードを2-1で破り優勝を果たし、2013年9月29日にも再びエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウにおいて1-0で勝利した。2014年5月25日にはUEFAチャンピオンズリーグのビッグイヤーをかけた決勝の舞台で、延長戦にまでもつれ込む熱戦を演じた。2015年2月7日のリーグ戦ではホームで4-0の歴史的大勝を果たしている。2016年5月28日にもUEFAチャンピオンズリーグの決勝で対戦し、PK戦まで持ち込んだ。
タイトル
国内タイトル
- プリメーラ・ディビシオン : 10回
- 1939-40, 1940-41, 1949-50, 1950-51, 1965-66, 1969-70, 1972-73, 1976-77, 1995-96, 2013-14
- コパ・デル・レイ : 10回
- 1959-60, 1960-61, 1964-65, 1971-72, 1975-76, 1984-85, 1990-91, 1991-92, 1995-96, 2012-13
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 2回
- 1985, 2014
国際タイトル
- UEFAヨーロッパリーグ : 3回
- UEFAカップウィナーズカップ : 1回
- 1961-62
- UEFAスーパーカップ : 3回
- インターコンチネンタルカップ : 1回
- 1974
- アウディカップ : 1回
- 2017
過去の成績
シーズン | ディビジョン | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 国内カップ | 欧州カップ | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1939-40 | プリメーラ | 1位 | 22 | 14 | 1 | 7 | 43 | 29 | 29 | ベスト16 | |||
1940-41 | プリメーラ | 1位 | 22 | 13 | 7 | 2 | 70 | 36 | 33 | 準々決勝敗退 | |||
1941-42 | プリメーラ | 3位 | 26 | 14 | 5 | 7 | 50 | 44 | 33 | 準々決勝敗退 | |||
1942-43 | プリメーラ | 8位 | 26 | 11 | 5 | 10 | 54 | 44 | 27 | 準々決勝敗退 | |||
1943-44 | プリメーラ | 2位 | 26 | 15 | 4 | 7 | 66 | 49 | 34 | 準決勝敗退 | |||
1944-45 | プリメーラ | 3位 | 26 | 13 | 5 | 8 | 46 | 41 | 31 | 準々決勝敗退 | |||
1945-46 | プリメーラ | 7位 | 26 | 10 | 6 | 10 | 50 | 48 | 26 | 準々決勝敗退 | |||
1946-47 | プリメーラ | 3位 | 26 | 13 | 6 | 7 | 58 | 44 | 32 | ベスト16 | |||
1947-48 | プリメーラ | 3位 | 26 | 13 | 7 | 6 | 73 | 45 | 33 | 準々決勝敗退 | |||
1948-49 | プリメーラ | 3位 | 26 | 15 | 4 | 7 | 54 | 32 | 34 | 準々決勝敗退 | |||
1949-50 | プリメーラ | 1位 | 26 | 15 | 3 | 8 | 71 | 51 | 33 | 準々決勝敗退 | |||
1950-51 | プリメーラ | 1位 | 30 | 17 | 6 | 7 | 87 | 50 | 40 | 準々決勝敗退 | 準優勝 スーペルコパ | ||
1951-52 | プリメーラ | 4位 | 30 | 16 | 5 | 9 | 80 | 57 | 37 | 1回戦敗退 | 優勝 スーペルコパ | ||
1952-53 | プリメーラ | 8位 | 30 | 13 | 4 | 13 | 65 | 70 | 30 | 準決勝敗退 | |||
1953-54 | プリメーラ | 9位 | 30 | 11 | 7 | 12 | 57 | 47 | 29 | 1回戦敗退 | |||
1954-55 | プリメーラ | 8位 | 30 | 11 | 7 | 12 | 59 | 64 | 29 | ベスト16 | |||
1955-56 | プリメーラ | 5位 | 30 | 14 | 5 | 11 | 75 | 49 | 33 | 準優勝 | |||
1956-57 | プリメーラ | 5位 | 30 | 15 | 4 | 11 | 65 | 45 | 34 | ベスト16 | |||
1957-58 | プリメーラ | 2位 | 30 | 16 | 10 | 4 | 78 | 43 | 42 | ベスト16 | |||
1958-59 | プリメーラ | 5位 | 30 | 13 | 6 | 11 | 58 | 48 | 32 | 準々決勝敗退 | EC | ベスト4 | |
1959-60 | プリメーラ | 5位 | 30 | 15 | 3 | 12 | 59 | 40 | 33 | 優勝 | |||
1960-61 | プリメーラ | 2位 | 30 | 17 | 6 | 7 | 57 | 35 | 40 | 優勝 | |||
1961-62 | プリメーラ | 3位 | 30 | 15 | 6 | 9 | 50 | 36 | 36 | ベスト32 | CWC | 優勝 | |
1962-63 | プリメーラ | 2位 | 30 | 14 | 9 | 7 | 61 | 36 | 37 | 準々決勝敗退 | CWC | 準優勝 | |
1963-64 | プリメーラ | 7位 | 30 | 10 | 9 | 11 | 37 | 34 | 29 | 準優勝 | |||
1964-65 | プリメーラ | 2位 | 30 | 20 | 3 | 7 | 58 | 27 | 43 | 優勝 | |||
1965-66 | プリメーラ | 1位 | 30 | 18 | 8 | 4 | 54 | 20 | 44 | 準々決勝敗退 | CWC | ベスト8 | |
1966-67 | プリメーラ | 4位 | 30 | 14 | 7 | 9 | 57 | 30 | 35 | 準々決勝敗退 | EC | 2回戦敗退 | |
1967-68 | プリメーラ | 6位 | 30 | 12 | 12 | 9 | 38 | 32 | 36 | 準決勝敗退 | |||
1968-69 | プリメーラ | 6位 | 30 | 10 | 10 | 10 | 40 | 37 | 30 | 準々決勝敗退 | |||
1969-70 | プリメーラ | 1位 | 30 | 18 | 6 | 6 | 53 | 22 | 42 | ベスト16 | |||
1970-71 | プリメーラ | 3位 | 30 | 17 | 8 | 5 | 51 | 20 | 42 | 準決勝敗退 | EC | ベスト4 | |
1971-72 | プリメーラ | 4位 | 34 | 14 | 11 | 9 | 45 | 28 | 39 | 優勝 | UC | 1回戦敗退 | |
1972-73 | プリメーラ | 1位 | 34 | 20 | 8 | 6 | 49 | 29 | 48 | 5回戦敗退 | CWC | 2回戦敗退 | |
1973-74 | プリメーラ | 2位 | 34 | 18 | 6 | 10 | 50 | 31 | 42 | 準決勝敗退 | EC | 準優勝 | |
1974-75 | プリメーラ | 6位 | 34 | 11 | 13 | 10 | 46 | 34 | 35 | 準優勝 | UC | 2回戦敗退 | 優勝 インターコンチネンタルカップ |
1975-76 | プリメーラ | 3位 | 34 | 18 | 6 | 10 | 60 | 38 | 42 | 優勝 | CWC | 2回戦敗退 | |
1976-77 | プリメーラ | 1位 | 34 | 19 | 8 | 7 | 62 | 33 | 46 | ベスト16 | CWC | ベスト4 | |
1977-78 | プリメーラ | 6位 | 34 | 16 | 4 | 14 | 61 | 52 | 36 | 準々決勝敗退 | EC | ベスト8 | |
1978-79 | プリメーラ | 3位 | 34 | 14 | 13 | 7 | 55 | 37 | 41 | 3回戦敗退 | |||
1979-80 | プリメーラ | 12位 | 34 | 10 | 11 | 13 | 38 | 44 | 31 | 準決勝敗退 | UC | 1回戦敗退 | |
1980-81 | プリメーラ | 3位 | 34 | 16 | 10 | 8 | 46 | 39 | 42 | ベスト16 | |||
1981-82 | プリメーラ | 8位 | 34 | 15 | 4 | 15 | 38 | 37 | 34 | 準々決勝敗退 | |||
1982-83 | プリメーラ | 3位 | 34 | 20 | 6 | 8 | 56 | 38 | 46 | 3回戦敗退 | |||
1983-84 | プリメーラ | 4位 | 34 | 17 | 8 | 9 | 53 | 47 | 42 | ベスト16 | UC | 1回戦敗退 | |
1984-85 | プリメーラ | 2位 | 34 | 16 | 11 | 7 | 51 | 28 | 43 | 優勝 | UC | 1回戦敗退 | |
1985-86 | プリメーラ | 5位 | 34 | 17 | 8 | 9 | 53 | 38 | 42 | 準々決勝敗退 | CWC | 準優勝 | 優勝 スーペルコパ |
1986-87 | プリメーラ | 7位 | 34 | 13 | 9 | 12 | 37 | 40 | 35 | 準優勝 | UC | 2回戦敗退 | |
1987-88 | プリメーラ | 3位 | 38 | 19 | 10 | 9 | 60 | 38 | 48 | 準々決勝敗退 | |||
1988-89 | プリメーラ | 4位 | 38 | 19 | 8 | 11 | 69 | 45 | 46 | 準決勝敗退 | UC | 1回戦敗退 | |
1989-90 | プリメーラ | 4位 | 38 | 20 | 10 | 8 | 55 | 35 | 50 | ベスト16 | UC | 1回戦敗退 | |
1990-91 | プリメーラ | 2位 | 38 | 17 | 13 | 8 | 52 | 28 | 47 | 優勝 | UC | 1回戦敗退 | |
1991-92 | プリメーラ | 3位 | 38 | 24 | 5 | 9 | 67 | 35 | 53 | 優勝 | CWC | ベスト8 | 準優勝 スーペルコパ |
1992-93 | プリメーラ | 6位 | 38 | 16 | 11 | 11 | 52 | 42 | 43 | ベスト16 | CWC | ベスト4 | 準優勝 スーペルコパ |
1993-94 | プリメーラ | 12位 | 38 | 13 | 9 | 16 | 54 | 54 | 35 | ベスト16 | UC | 2回戦敗退 | |
1994-95 | プリメーラ | 14位 | 38 | 13 | 9 | 16 | 56 | 54 | 35 | 準々決勝敗退 | |||
1995-96 | プリメーラ | 1位 | 42 | 26 | 9 | 7 | 75 | 32 | 87 | 優勝 | |||
1996-97 | プリメーラ | 5位 | 42 | 20 | 11 | 11 | 76 | 64 | 71 | 準々決勝敗退 | CL | ベスト8 | 準優勝 スーペルコパ |
1997-98 | プリメーラ | 7位 | 38 | 16 | 12 | 10 | 79 | 56 | 60 | ベスト16 | UC | ベスト4 | |
1998-99 | プリメーラ | 13位 | 38 | 12 | 10 | 16 | 54 | 50 | 46 | 準優勝 | UC | ベスト8 | |
1999-00 | プリメーラ | 19位 | 38 | 9 | 11 | 18 | 48 | 64 | 38 | 準優勝 | UC | 4回戦敗退 | |
2000-01 | セグンダ | 4位 | 42 | 21 | 11 | 10 | 59 | 39 | 74 | 準決勝敗退 | |||
2001-02 | セグンダ | 1位 | 42 | 23 | 10 | 9 | 68 | 44 | 79 | 1回戦敗退 | |||
2002-03 | プリメーラ | 11位 | 38 | 12 | 11 | 15 | 51 | 56 | 47 | 準々決勝敗退 | |||
2003-04 | プリメーラ | 7位 | 38 | 15 | 10 | 13 | 51 | 53 | 55 | 準々決勝敗退 | |||
2004-05 | プリメーラ | 11位 | 38 | 13 | 11 | 14 | 40 | 34 | 50 | 準決勝敗退 | 準優勝 UEFAインタートトカップ | ||
2005-06 | プリメーラ | 10位 | 38 | 13 | 13 | 12 | 45 | 37 | 52 | ベスト16 | |||
2006-07 | プリメーラ | 7位 | 38 | 17 | 9 | 12 | 46 | 39 | 60 | ベスト16 | |||
2007-08 | プリメーラ | 4位 | 38 | 19 | 7 | 12 | 66 | 47 | 64 | 準々決勝敗退 | UC | ベスト32 | 優勝 UEFAインタートトカップ |
2008-09 | プリメーラ | 4位 | 38 | 20 | 7 | 11 | 80 | 57 | 67 | ベスト16 | CL | ベスト16 | |
2009-10 | プリメーラ | 9位 | 38 | 13 | 8 | 17 | 57 | 61 | 47 | 準優勝 | EL | 優勝 | CL - グループステージ敗退 |
2010-11 | プリメーラ | 7位 | 38 | 17 | 7 | 14 | 62 | 53 | 58 | 準々決勝敗退 | EL | グループステージ敗退 | 優勝 UEFAスーパーカップ |
2011-12 | プリメーラ | 5位 | 38 | 15 | 11 | 12 | 53 | 46 | 56 | ベスト32 | EL | 優勝 | |
2012-13 | プリメーラ | 3位 | 38 | 23 | 7 | 8 | 65 | 31 | 76 | 優勝 | EL | ベスト32 | 優勝 UEFAスーパーカップ |
2013-14 | プリメーラ | 1位 | 38 | 28 | 6 | 4 | 77 | 26 | 90 | 準決勝敗退 | CL | 準優勝 | 準優勝 スーペルコパ |
2014-15 | プリメーラ | 3位 | 38 | 23 | 9 | 6 | 67 | 29 | 78 | 準々決勝敗退 | CL | ベスト8 | 優勝 スーペルコパ |
2015-16 | プリメーラ | 3位 | 38 | 28 | 4 | 6 | 63 | 18 | 88 | 準々決勝敗退 | CL | 準優勝 | |
2016-17 | プリメーラ | 3位 | 38 | 23 | 9 | 6 | 70 | 27 | 78 | 準決勝敗退 | CL | ベスト4 | |
2017-18 | プリメーラ | 2位 | 38 | 23 | 10 | 5 | 58 | 22 | 79 | 準々決勝敗退 | EL | 優勝 | CL - グループステージ敗退 |
2018-19 | プリメーラ | 2位 | 38 | 22 | 10 | 6 | 55 | 29 | 76 | ベスト16 | CL | ベスト16 | 優勝 UEFAスーパーカップ |
2019-20 | プリメーラ | 位 | 38 | ベスト32 | CL | 準々決勝 |
優勝 準優勝 昇格 降格
現所属メンバー
- ラ・リーガ 2019-20シーズン 基本フォーメーション
- 2020年1月31日現在
選手
Pos | No. | 選手名 | 生年月日 (年齢) | 在籍年 | 前所属 | 備考 | |
GK | 1 | アントニオ・アダン | 1987年5月13日(36歳) | 2018年 - | レアル・ベティス | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
13 | ヤン・オブラク | 1993年1月7日(31歳) | 2014年 - | ベンフィカ | |||
DF | 2 | ホセ・ヒメネス | 1991年5月25日(32歳) | 2013年 - | ダヌービオ | ||
4 | サンティアゴ・アリアス | 1992年1月13日(32歳) | 2018年 - | PSV | 外国人枠 | ||
12 | レナン・ロディ | 1998年4月8日(26歳) | 2019年 - | アトレチコ・パラナエンセ | 新加入 外国人枠 | ||
15 | ステファン・サヴィッチ | 1991年1月8日(33歳) | 2015年 - | フィオレンティーナ | |||
18 | フェリペ | 1986年7月18日(37歳) | 2019年 - | ポルト | 新加入 外国人枠 | ||
22 | マリオ・エルモソ | 1995年6月18日(28歳) | 2019年 - | エスパニョール | 新加入 | ||
23 | キーラン・トリッピアー | 1990年9月19日(33歳) | 2019年- | トッテナム・ホットスパー | 新加入 | ||
24 | シメ・ヴルサリコ | 1992年1月10日(32歳) | 2016年 - 2018年 2019年 - |
サッスオーロ・カルチョ | 期限付き移籍より復帰 | ||
MF | 5 | トーマス・パーテイ | 1993年6月13日(30歳) | 2015年 - | アトレティコ・マドリードB | カンテラーノ | |
6 | コケ | 1992年1月8日(32歳) | 2009年 - | アトレティコ・マドリードB | キャプテン
カンテラーノ | ||
8 | サウール | 1994年11月21日(29歳) | 2012年 - 2013年 2014年 - |
アトレティコ・マドリードB | カンテラーノ | ||
11 | トマ・レマル | 1995年11月12日(28歳) | 2018年 - | モナコ | |||
14 | マルコス・ジョレンテ | 1995年1月30日(29歳) | 2019年 - | レアル・マドリード | 新加入 | ||
18 | エクトル・エレーラ | 1990年4月19日(34歳) | 2019年 - | ポルト | 新加入 | ||
20 | ビトーロ | 1989年11月2日(34歳) | 2017年 - | セビージャ | |||
21 | ヤニック・カラスコ | 1993年9月4日(30歳) | 2015年 - 2018年 2020年 - |
大連プロフェッショナル(大連一方) | 再加入 期限付き移籍 | ||
FW | 7 | ジョアン・フェリックス | 1999年11月10日(24歳) | 2019年 - | ベンフィカ | 新加入 | |
9 | アルバロ・モラタ | 1990年9月1日(33歳) | 2018年-2020年
2020年- |
チェルシー | 期限付き移籍 | ||
10 | アンヘル・コレア | 1995年3月9日(29歳) | 2014年 - | サン・ロレンソ | |||
17 | イヴァン・シャポニッチ | 1997年8月2日(26歳) | 2019年 - | ズルテ・ワレヘム | 新加入 | ||
19 | ジエゴ・コスタ | 1988年10月7日(35歳) | 2007年 - 2009年 2010年 - 2014年 2018年 - |
チェルシー |
ローン移籍
- in
Pos | No. | 選手名 | 生年月日 (年齢) | ローン期間 | 移籍元 | 備考 | |
MF | 21 | ヤニック・カラスコ | 1993年9月4日(30歳) | 2020年 | 大連一方/大連プロフェッショナル | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
FW | 9 | アルバロ・モラタ | 1990年9月1日(33歳) | 2018年-2020年 | チェルシー |
- out
Pos | 選手名 | 生年月日 (年齢) | 在籍年 | ローン期間 | 移籍先 | 備考 | |
GK | アクセル・ウェルネル | 1996年2月28日(28歳) | 2016年- | 2019年-2020年 | アトレティコ・サン・ルイス | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
DF | ハビ・モンテーロ | 1999年9月14日(24歳) | 2019年- | 2019年-2020年 | デポルティーボ・ラ・コルーニャ | カンテラーノ | |
ネウエン・ペレス | 2000年6月24日(23歳) | 2018年- | 2019年-2020年 | ファマリカン | |||
FW | ビクトル・モジェホ | 2001年6月21日(22歳) | 2019年- | 2019年-2020年 | デポルティーボ・ラ・コルーニャ | カンテラーノ | |
ニコラス・イバニェス | 1994年8月23日(29歳) | 2019年- | 2019年-2020年 | アトレティコ・サン・ルイス | |||
ニコラ・カリニッチ | 1988年1月5日(36歳) | 2018年- | 2019年-2020年 | ローマ |
リザーブ・チーム
Pos | No. | 選手名 | 生年月日 (年齢) | 在籍年 | 備考 | |
GK | 27 | ジエゴ・コンデ | 1998年10月28日(25歳) | 2017年-2018年 2018年- |
||
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37 | アレックス・ドス・サントス | 1999年1月15日(25歳) | 2018年- | |||
DF | 35 | マヌ・サンチェス | 2000年8月24日(23歳) | 2019年- | ||
40 | リカルド・サンチェス | 2000年2月22日(24歳) | 2019年- | |||
MF | 38 | トニ・モヤ | 1998年3月20日(26歳) | 2017年- | ||
39 | オスカル・クレメンテ | 1999年3月26日(25歳) | 2018年- | |||
FW | 32 | ロドリゴ・リケルメ | 2000年4月2日(24歳) | 2019年- | ||
34 | セルヒオ・カメージョ | 2001年2月10日(23歳) | 2019年- | |||
40 | ダリオ・ポベダ | 1997年3月13日(27歳) | 2018年- | |||
17 | ヘルマン・バレラ | 2002年3月16日(22歳) | 2019年 - |
スタッフ
テクニカル・スタッフ
地位 | スタッフ |
---|---|
ヘッド・コーチ | ディエゴ・シメオネ |
アシスタント・マネージャー | ネルソン・ビバス |
アシスタント・コーチ | ヘルマン・ブルゴス |
ゴール・キーパー・コーチ | パブロ・ヴェルチェジョーネ |
フィットネス・コーチ | オスカル・オルテガ |
理学療法士 | イヴァン・オルテガ |
ヘスス・バスケス | |
エステバン・アレバロ | |
ダビド・ローラス | |
フェリペ・イグレシアス・アローヨ | |
リハビリテーション・ フィジオ |
オスカル・ピティージャス |
アルフレード・ハロディフ | |
テクニカル・ アシスタント・チーム |
カルロス・メネンデス |
ダニエル・カストロ | |
チーム・デリゲート | ペドロ・パブロ・マテサンツ |
医療部長 | ホセ・マリア・ビヤロン |
クラブ・ドクター | ゴルカ・デ・アバホ |
ドクター | オスカー・ルイス・セラダ |
テクニカル・チーム | クリスチャン・バプテスト |
ディムチョ・ピリチェフ | |
フェルナンド・サンチェス・ラミレス | |
マリオ・セラーノ |
ソース: Atlético Madrid
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シーズン | サプライヤー | ユニフォームスポンサー |
---|---|---|
1980–1986 | Meyba | なし |
1986–1989 | Puma | なし |
1989–1990 | Mita | |
1990–1993 | Marbella* | |
1993–1994 | Antena 3 | |
1994–1996 | Marbella* | |
1996–1997 | Bandai/Tamagotchi | |
1997–1998 | Marbella* | |
1998–1999 | Reebok | |
1999–2000 | なし | |
2000–2001 | Idea | |
2001–2002 | Nike | |
2002–2003 | Century | |
2003–2005 | Columbia Pictures** | |
2005–2006 | KIA | |
2006–2011 | KIA / Kyocera | |
2011-2012 | Rixos Hotels/Huawei / Kyocera | |
2012 5月〜12月 | Huawei / Azerbaidzhan Land of Fire / Kyocera | |
2012–2014 | Azerbaidzhan Land of Fire / Kyocera | |
2014–2015 | Azerbaidzhan Land of Fire | |
2015–2018 | Plus500 | |
2018–2019 | Plus 500 / Hyundai[22] / Save the Children*** | |
2019– | Plus 500 / Hyundai |
- (*) – 1990–93, 1994–96, 1997–99 マルベーリャ 観光局、会長のヘスス・ヒルがマルベーリャ市長だったため
- (**) – 2003–05 コロンビア・ピクチャーズ、配給作品に合わせて定期的に変更 (奥さまは魔女, ハリウッド的殺人事件, S.W.A.T., ビッグ・フィッシュ, ヘルボーイ, スパングリッシュ, バイオハザードII アポカリプス, 最後の恋のはじめ方, トリプルX,スパイダーマン2.)
- (***)2018-2019セーブ・ザ・チルドレン、UEFAチャンピオンズリーグ及びUEFAスーパーカップ
パートナー
- Plus 500
- Wanda Group
- Nike
- Hyundai
- Ria Money Transfer
- Mahou
- Bwin
- Movistar
- CaixaBank
- Socios.com
- EA sports
- Coca-Cola
- Signify
- LG
- Solan de cabras
- Monbus
- Falken Tire
- Energía Rojiblanca
- Marca
- Halcón Viajes
- Clinica Universidad de Navarra
- Acunsa
歴代所属選手
GK
- マルセル・ドミンゴ 1949-1951
- ミゲル・レイナ 1973-1980
- ウバルド・フィジョール 1985-1986
- アベル・レシーノ 1986-1995
- フランシスコ・モリーナ 1995-2000
- セルヒオ・サンチェス 2000-2005
- ヘルマン・ブルゴス 2001-2004
- エステバン・スアレス 2002-2003
- レオ・フランコ 2004-2009
- イバン・クエジャル 2005-2006
- イスマエル・ファルコン 2005-2008
- クリスティアン・アッビアーティ 2007-2008
- グレゴリー・クーペ 2008-2009
- ダビド・デ・ヘア 2009-2011
- セルヒオ・アセンホ 2009-2014
- ティボ・クルトゥワ 2011-2014
- ミゲル・アンヘル・モジャ 2014-2018
- ヤン・オブラク 2014-
DF
- フリオ・アルベルト 1977-1982
- トマス・レニョネス 1984-1996
- カルロス・アギレラ 1987-1993,1996-2005
- ミケル・ソレール 1991-1992
- デルフィ・ヘリ 1994-1999
- サンティ・デニア 1995-2004
- ホセ・チャモ 1998-2000
- カルロス・ガマーラ 1999-2000
- ジョアン・カプデビラ 1999-2000
- アントニオ・ロペス 2000-2012
- ファブリシオ・コロッチーニ 2002-2003
- コスミン・コントラ 2002-2006
- マティアス・レキ 2003-2004
- パブロ・イバニェス 2004-2010
- ルイス・ペレア 2004-2012
- マリアーノ・ペルニア 2006-2010
- ゼ・カストロ 2006-2009
- ゲオルギオス・セイタリディス 2006-2009
- ファビアーノ・エレル 2007-2008
- トマーシュ・ウイファルシ 2008-2011
- ヨニー・ハイティンハ 2008-2009
- ディエゴ・ゴディン 2010-2019
- フィリペ・ルイス 2010-2014,2015-2019
- ミランダ 2011-2015
- フアンフラン 2011-2019
- ホセ・ヒメネス 2013-
- ギリェルメ・マダレナ・シケイラ 2014-2017
- リュカ・エルナンデス 2014-2019
- ステファン・サヴィッチ 2015-
- シメ・ヴルサリコ 2016-
- サンティアゴ・アリアス 2018-
- マリオ・エルモソ 2019-
- フェリペ 2019-
- レナン・ロディ 2019-
- キーラン・トリッピアー 2019-
MF
- ラルビ・ベンバレク 1948-1953
- アデラルド・ロドリゲス 1959-1976
- ルイス・アラゴネス 1964-1974
- ハビエル・イルレタ 1967-1975
- ジルセウ 1979-1982
- キケ・セティエン 1985-1988
- アレモン 1987-1988
- ドナト 1988-1993
- ベルント・シュスター 1990-1993
- ホセ・ルイス・カミネロ 1993-1998
- ディエゴ・シメオネ 1994-1997,2003-2005
- イーゴリ・ドブロヴォリスキー 1994-1995
- クイントン・フォーチュン 1996-1999
- ラデク・ベイブル 1996-2000
- ジュニーニョ・パウリスタ 1997-1999
- サンティアゴ・ソラーリ 1998-2000
- フアン・カルロス・バレロン 1998-2000
- ヴラディミル・ユーゴヴィッチ 1998-1999
- ウーゴ・レアル 1999-2001
- ルベン・バラハ 1999-2000
- ラファーエル・ヴィッキー 2001
- ゴンサーロ・コルサ 2001-2006
- デメトリオ・アルベルティーニ 2002-2003
- アリエル・イバガサ 2003-2006
- ガビ 2004-2007,2011-2018
- ペテル・リュクサン 2004-2007
- マリオ・スアレス 2005-2008,2010-2015
- マニシェ 2006-2009
- ホセ・マヌエル・フラド 2006-2010
- クレーベル・サンタナ 2007-2010
- ラウール・ガルシア 2007-2015
- イグナシオ・カマーチョ 2008-2010
- パウロ・アスンソン 2008-2012
- コケ 2009-
- ティアゴ・メンデス 2010-2017
- ジエゴ 2012-2014
- エムレ・ベロゾール 2012-2013
- オリベル・トーレス 2012-2017
- サウール・ニゲス 2012-
- クリスティアン・ロドリゲス 2012-2015
- トーマス・パーテイ 2013-
- ニコラス・ガイタン 2016-2018
- ロドリ 2018-2019
- マルコス・ジョレンテ 2019-
- エクトル・エレーラ 2019-
FW
- エンリケ・コリャル 1953-1969
- ホセ・エウロヒオ・ガラテ 1966-1977
- ウーゴ・サンチェス 1981-1985
- キケ 1993-2001
- フリオ・サリナス 1986-1988
- パウロ・フットレ 1987-1993,1997-1998
- マノロ 1988-1995
- バウタザール 1988-1991
- ルイス・ガルシア 1992-1994
- ヴェリコ・パウノヴィッチ 1996-2002,2003-2005
- ジョルディ・ラルディン 1997-2002
- ホセ・マリ 1997-1999,2002-2003
- サルバ・バジェスタ 2000-2001,2004-2005
- フェルナンド・トーレス 2001-2007,2015-2018
- ルイス・ガルシア 2002-2003,2007-2009
- マキシ・ロドリゲス 2005-2010
- マルティン・ペトロフ 2005-2007
- ルシアーノ・ガジェッティ 2005-2007
- セルヒオ・アグエロ 2006-2011
- ホセ・アントニオ・レジェス 2007-2011
- ジエゴ・コスタ 2007-2009,2010-2014,2018-
- ディエゴ・フォルラン 2007-2011
- シモン・サブローザ 2007-2010
- フロラン・シナマ=ポンゴル 2006-2008
- エドゥアルド・サルビオ 2010-2012
- アルダ・トゥラン 2011-2015
- ラダメル・ファルカオ 2011-2013
- アドリアン・ロペス 2011-2014
- ダビド・ビジャ 2013-2014
- アントワーヌ・グリーズマン 2014-2019
- アンヘル・コレア 2014-
- マリオ・マンジュキッチ 2014-2015
- ジャクソン・マルティネス 2015-2016
- ヤニック・カラスコ 2015-2018,2020-
- ケヴィン・ガメイロ 2016-2018
- ディオゴ・ジョタ 2016-2018
- ビトーロ 2017-
- トマ・レマル 2018-
- ニコラ・カリニッチ 2018-
- ジェルソン・マルティンス 2018-2019
- アルバロ・モラタ2019-
- ジョアン・フェリックス 2019-
- イヴァン・シャポニッチ 2019-
歴代監督
- マヌエル・アンソレアガ 1921-1922
- ウルバノ・イトゥルベ 1922-1923
- ヴィンス・ヘイズ 1923-1924
- ラモン・オラルキアガ 1924-1925
- フレッド・ペントランド 1925-1926
- アンヘル・ロモ 1929-1930
- イェニ・ルドルフ 1930-1932
- ハビエル・バロゾ 1932
- ウォルター・ハリス 1932-1933
- マニュエル・アナトール 1933
- アルカディオ・アルテアガ 1933
- フレッド・ペントランド 1933-1935
- ジョゼップ・サミティエール 1935-1936
- リカルド・サモラ 1939-1940
- ラモン・デ・ラ・フエンテ・レアル 1940
- リカルド・サモラ 1940-1946
- エミリオ・ビダル 1946-1948
- リノ・トライオリ 1948-1949
- エレニオ・エレーラ 1949–1953
- ラモン・コロン 1953
- ベニート・ディアス 1953-1954
- ジャシント・キンコセス 1954-1955
- アントニオ・バリオス 1955-1957
- フェルディナント・ダウチーク 1957-1959
- ホセ・ビジャロンガ 1959-1962
- ラファエル・ガルシア 1962-1963
- エイドリアン・エスクデロ 1964
- サビノ・バリナガ 1963-1964
- オットー・ブンベル 1964-1965
- ドメネク・バルマーニャ 1965-1966
- オットー・グロリア 1966-1968
- ミゲル・ゴンザレス・ペレス 1968-1969
- マルセル・ドミンゴ 1969-1972
- マックス・メルケル 1972-1973
- フアン・カルロス・ロレンソ 1973-1974
- ルイス・アラゴネス 1974-1978
- エクトル・ヌーニェス 1978
- ルイス・アラゴネス 1978
- スサ・フェレンツ 1978-1979
- ルイス・アラゴネス 1979-1980
- ヘスス・マルティネス・ハヨ 1980
- マルセル・ドミンゴ 1980
- ホセ・ルイス・ガルシア・トライド 1980-1981
- カリエガ 1981
- ホセ・ルイス・ガルシア・トライド 1981-1982
- ルイス・アラゴネス 1982–86
- ビセンテ・ミエラ 1986
- ヘスス・マルティネス・ハヨ 1986-1987
- ルイス・アラゴネス 1987
- セサル・ルイス・メノッティ 1987-1988
- ホセ・ウファルテ 1988
- アントニオ・ブリオネス 1988
- ホセ・マリア・マクレギ 1988
- アントニオ・ブリオネス 1988
- ロン・アトキンソン 1988-1989
- コリン・アッディソン 1989
- アントニオ・ブリオネス 1989
- ハビエル・クレメンテ 1989-1990
- アントニオ・ブリオネス 1990
- ホアキン・ペイロ 1990
- イセリン・サントス・オベヘロ 1990
- トミスラフ・イヴィッチ 1990-1991
- ルイス・アラゴネス 1991-1993
- レーモン・エレディア 1993
- ジャイル・ペレイラ 1993
- レーモン・エレディア 1993
- エミリオ・クルス 1993
- ホセ・ルイス・ロメーロ 1994
- イセリン・サントス・オベヘロ 1994
- ホルヘ・ダレッサンドロ 1994
- フランシスコ・マツラナ 1994
- ホルヘ・ダレッサンドロ 1995
- アルフィオ・バシーレ 1995
- カルロス・サンチェス・アギアール 1995
- アルフィオ・バシーレ 1995
- ラドミル・アンティッチ 1995-1998
- アリゴ・サッキ 1998
- ラドミル・アンティッチ 1999
- クラウディオ・ラニエリ 1999-2000
- ラドミル・アンティッチ 2000
- フェルナンド・サンブラーノ 2000
- マルコス・アロンソ・ペーニャ 2000–01
- カルロス・ガルシア・カンタレホ 2001
- ルイス・アラゴネス 2001-2003
- グレゴリオ・マンサーノ 2003-2004
- セサル・フェランド 2004-2005
- カルロス・ビアンチ 2005-2006
- ペペ・ムルシア 2006-2006
- ハビエル・アギーレ 2006-2009
- アベル・レシーノ 2009
- キケ・フローレス 2009-2011
- グレゴリオ・マンサーノ 2011
- ディエゴ・シメオネ 2011-
歴代会長
- エンリケ・アジェンデ: 1903
- エドゥアルド・デ・アチャ: 1903-1907
- リカルド・デ・ゴンドラ: 1907-1909
- ラモン・デ・カルデナス: 1909-1912
- フリアン・ルエテ: 1912-1919
- アルバロ・デ・アギラル: 1919-1920
- フリアン・ルエテ: 1920-1923
- フアン・デ・エステファニア: 1923-1926
- ルシアーノ・ウルギホ: 1926-1931
- ラファエル・ゴンサーレス: 1931-1935
- ホセ・ルイス・デル・バジェ: 1935-1936
- ホセ・マリア・フェルナンデス: 1936-1939
- フランシスコ・ビベス: 1939
- ルイス・ナバロ: 1939-1941
- マヌエル・ガジェゴ: 1941–1945
- フアン・トウソーン: 1946-1947
- セサレオ・ガリンデス: 1947-1952
- マルケス・デ・ラ・フロリダ: 1952-1955
- フアン・スエボス: 1955
- ハビエル・バロッソ: 1955-1964
- ビセンテ・カルデロン: 1964-1980
- リカルド・イレサーバル: 1980
- アルフォンソ・カベサ: 1980-1982
- アントニオ・デル・オヨ: 1982
- アグスティン・コトルエロ: 1982
- ビセンテ・カルデロン: 1982-1986
- フランシスコ・カステド: 1986-1987
- ヘスス・ヒル: 1987-2003
- エンリケ・セレソ: 2003-
クラブ記録
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関連クラブ
脚注
- ^ “:: Tienda Club Atlético de Madrid::” (Spanish). Atlético Madrid. 2010年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月20日閲覧。
- ^ UEFA.com. “Club coefficients | UEFA Coefficients” (英語). UEFA.com. 2020年3月13日閲覧。
- ^ “1973/74: Müller ends Bayern wait”. UEFA. 2010年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月7日閲覧。
- ^ “Estadio Vicente Calderón”. The Stadium Guide. 2010年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月20日閲覧。
- ^ “2強時代に終止符? ソシオ数でレアルを越えるアトレティコ”. VICTORY ALL SPORTS NEWS. 2019年9月5日閲覧。
- ^ 2強時代に終止符? ソシオ数でレアルを越えるアトレティコ victorysportsnews.com 2017年4月6日
- ^ co.,Ltd, FromOne. “過去5シーズンを比較…欧州主要クラブで最も売上高をアップさせたのは?”. サッカーキング. 2020年1月18日閲覧。
- ^ “Real Madrid vs Atlético Madrid Derby: Great Local Football Derbies”. Eurorivals. 2010年11月20日閲覧。
- ^ “意外!デザインのルーツが「他のチームだった」ユニフォーム5着”. Qoly. 2020年5月5日閲覧。
- ^ [1]Goal.com、2011年3月20日
- ^ アトレティコ新SDにカミネロ氏Goal.com、2011年5月28日
- ^ アトレティコ新指揮官はマンサーノ氏Goal.com、2011年6月9日
- ^ http://www.goal.com/jp/news/74/イングランド/2011/07/29/2595024/シティアグエロ獲得を正式発表
- ^ http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=1648014.html
- ^ http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/foreign/news/20110830-OYT1T00203.htm
- ^ 古巣マドリーへの感謝を語るフアンフラン UEFA.com 2014年5月20日
- ^ “アトレティコがマルセイユ下しEL制覇、グリーズマンが2得点”. www.afpbb.com. 2019年3月2日閲覧。
- ^ “2強時代に終止符? ソシオ数でレアルを越えるアトレティコ”. VICTORY ALL SPORTS NEWS. 2019年9月5日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “F・トーレス、アトレティコ退団決定…リーガ最終節でセレモニー開催”. サッカーキング. 2020年5月28日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “カラスコが約2年ぶりに古巣復帰…アトレティコへの期限付き移籍が決定”. サッカーキング. 2020年1月31日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “リヴァプールは「42」でストップ…今、最も長くホームで負けていないチームは?”. サッカーキング. 2020年3月23日閲覧。
- ^ “Atlético Madrid park up with Hyundai”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ Most appearances for Atlético de Madrid bdfutbol.com
- ^ Astiazarán Iriondo, José Luís (30 June 2010). “Clubes Liga BBVA”. In Roca Pérez, Francisco; del Campo Colás, Carlos; Tebas Medrano, Javier et al.. Memoria de la Liga de Fútbol Profesional. Liga BBVA. p. 60
- ^ Sánchez, Fernando (2016年8月17日). “Enrique Collar, el primer niño rojiblanco” (スペイン語). La Vida en Rojiblanco. Elegant Themes. 2018年5月25日閲覧。
- ^ EFE (2004年2月14日). “Tomás, de capitán del Atlético en la 'era Gil' a alcalde de Marbella” (スペイン語). Ideal 2018年5月25日閲覧。
- ^ “Koke reaches 300 LaLiga matches”. Atlético de Madrid (2019年12月2日). 2019年12月8日閲覧。
- ^ Redacción (18 May 2018). “Otro éxito para una pareja de época” (スペイン語). Revista el Balón. オリジナルの26 May 2018時点におけるアーカイブ。 2018年5月25日閲覧。.
- ^ Rincón, Jaime (2018年5月16日). “The title Fernando Torres deserved”. Marca (Unidad Editorial Información Deportiva, S.L.U.) 2018年5月18日閲覧。
- ^ a b Luis Aragonés bdfutbol.com
- ^ “Luis Aragonés, 50 años dedicados al fútbol” (スペイン語). AS. (2014年2月1日) 2018年5月25日閲覧。
- ^ “Torres, Luis Aragonés y los máximos goleadores de la historia del Atlético” (スペイン語). Goal.com (2018年4月15日). 2018年5月21日閲覧。
- ^ a b c https://en.atleticodemadrid.com/noticias/fernando-torres-becomes-our-fifth-all-time-leading-goalscorer
- ^ Vela, José Luís (2015年7月3日). “Adelardo, el motor rojiblanco” (スペイン語). Cadena Ser. 2018年5月21日閲覧。
関連項目
- アトレティコ・マドリードB
- アトレティコ・マドリードの選手一覧
- 幸谷秀巳 (1994年-1999年にコーチとして在籍)
- 佐伯夕利子 (2004-2005シーズン女子Bチーム監督、2005-2006シーズン女子トップチームスカウティング担当)
- 玉乃淳 1999-2002までユースに所属 (昇格は出来ていない)
- 宮川類 (2007年から5年契約で下部組織に所属)
外部リンク
- 公式サイト
- Atlético de Madrid - YouTubeチャンネル
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