日髙のり子

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ひだか のりこ
日髙 のり子
プロフィール
本名 (旧姓:伊東)
愛称 ノン子
出生地 日本の旗 日本 東京都千代田区
生年月日 (1962-05-31) 1962年5月31日(61歳)
血液型 AB型
所属 コンビネーション
配偶者 あり
活動
活動期間 1984年 -
デビュー作 ムジカ・ノヴァ
(『超時空騎団サザンクロス』)
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

日髙 のり子(ひだか のりこ、1962年5月31日 - )は、日本女優声優ラジオパーソナリティ東京都千代田区九段出身。愛称は「ノン子(さん)」。本名の旧姓は伊東。

身長156cm。血液型はAB型。

2009年1月19日に事務所「コンビネーション」を三ツ矢雄二と共に設立する。

代表作に『タッチ』(浅倉南)、『となりのトトロ』(草壁サツキ)、『らんま1/2』(天道あかね)など[1]

人物

日本武道館の近くで、洋服の仕立屋「テーラー伊東」を営む両親の元で、三姉弟の長女として生まれる(下に弟が2人いる)。

千代田区立富士見小学校、千代田区立九段中学校頌栄女子学院高校出身。短大中退。

様々な役柄を演じているが、特に活発な少年少女を演じることが多い。結婚後の一時期、多忙なレギュラー業務から距離を置くようになったが、これは「家庭を優先させているため、敢えて(拘束の弱い)仕事を選んでいる」ためである(三ツ矢雄二とのインターネットラジオにて発言)。しかし、高橋留美子の『犬夜叉』がアニメ化するにあたっては、ヒロインの日暮かごめ役を熱望して再度レギュラーオーディションに参加したという。

来歴

子役・アイドル時代

子供の頃から子役として活動。高校時代にはいとう のりこ名義でアニメ『ふたごのモンチッチ』の主題歌を歌い、キャンペーンのお姉さんとして着ぐるみとともに全国を回ったこともある。

1980年に「初恋サンシャイン」でアイドルデビュー。1日だけ「あいようこ」(漢字不明)の芸名だったが、本名の「のりこ」は残したいということで、現在の芸名に変更となった。香川の「仁尾太陽博」のキャンペーンガールを務める。NHK『レッツゴーヤング』において「サンデーズ」のメンバーになり、ある程度名は売れたものの、その後アイドルとしては失速して行き、苦労続きの日々を送る事になる。

1984年時点では22歳になっていたが、芸能界で未だ一皮剥けない状況に、業を煮やした両親からは半ば引退勧告も突き付けられていたという。

声優転向

そんな中、当時担当していたラジオ番組で、リスナーから「声に特徴があるので声優をやってみたら」と投稿があったことに触発され、オーディションに挑戦。結果として、『超時空騎団サザンクロス』(ムジカ・ノヴァ役)で声優デビューを果たした。1985年からは『タッチ』でヒロイン・浅倉南役を担当し、声優としての知名度をあげる。

その後『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『らんま1/2』、『となりのトトロ』等知名度の高い作品に多く出演。また、1989年の『ピーターパンの冒険』では、レギュラーキャラクターでは初となる少年役を担当した。この他にも年相応の役を増やすなど、役の幅を拡大させていった。

所属事務所・マネージャー

子役時代には東京宝映に所属していたが、アイドルデビュー後は当初CBSソニー預かり(マネージャー:森田)の後、河野プロモーションへ。マネージャーは岡本が長く務めた後、大楽豊、寺岡理恵と変遷した。

1996年春頃に事務所が廃業、暫くフリーでの活動を行うが、81プロデュースのマネージャーを務める吉田理保子から誘いを受け、寺岡と共に移籍。長年在籍したが、2006年3月限りで81プロデュースを退社、その後夫の個人事務所(BIG MOUNT)の所属扱いで活動していたが、平成21年1月19日に新事務所「コンビネーション」をタッチで共演以来の旧友の三ツ矢雄二と共に設立した。

所属レコード会社はアイドル時代の当初ソニーレコードCBSソニーから、ポニーキャニオン、そしてメルダックと変遷したが、近年は歌手活動をしていない。

人物像

明るい性格で知られ、島本和彦からは「便所の100W(無駄に明るい)」と言われたこともある。明けっぴろげな性格で、飲み会で酔っぱらい、ジーパンで股を開いて眠り惚けたエピソードを「文化人」こと三ツ矢雄二に散々言いふらされたことがある。

日高は井上喜久子に井上を表す代名詞となる「マンボウ」と名づけたのだが、日高自身がそのことを井上に指摘されるまで全く忘れており魚のマンボウを見ては「なぜ喜久子ちゃんはこんな平べったい魚の名前を付けたのだろう」と疑問に思っていた。後におそらく実物ではなくマンガチック化されたかわいいマンボウのイメージから名付けたのだろうと釈明している。

ゴルフ経験がないのにいきなりゴルフ場に連れて行かれラウンドデビューする。しかしクラブを変えることすらも分からずほとんどドライバーでプレーをしていたために スコア180という驚異的な数字を叩きだす。それ以来、日高はゴルフのクラブを握っていない。

玉乗り、小森まなみの声真似が得意。芸名は本来異体字を用いて日髙のり子としているが、アイドル時代のごく初期を除いて「日高」と表記されることが多かった。だが、10年ほど前に字画の関係から声優の金丸淳一に勧められて、本来の異体字で表記するようになった。

1991年山寺宏一関俊彦とともに芝居『@@ザ・スタースパングルド・ガール::』を公演。その後、山寺・関とユニットバナナフリッターズを結成し、ラジオやCDリリース、舞台などで1995年頃まで活動した(1995年に活動停止)。

1992年5月の末(30歳になる前)にラジオの仕事で知り合った年下のディレクターと結婚している[2]

アイドル時代の苦労話

アイドル時代初期には、空手着姿のグラビアを撮影したことがある。しかし、日高は「二度とやりたくない」と公言している。また「週刊ゴング」のリポーターを務めていた経験もある。

日高がアシスタントを担当した『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』のメインパーソナリティー・笑福亭鶴光に、後任アシスタントの坂上とし恵、ゲストとしてよく出演していた浜田朱里とともに「がげっぷちトリオ」と命名されるほど、初期は苦労続きであった(鶴光の十八番である下ネタも苦手にしていた)。また(一応)自分のコーナーとして「日高のりこのアップ・ルンルン」と題する時間帯を貰ってファンからの投稿に応えていたが、単独でDJとして生放送を行っている最中に、全部の照明を消されて真っ暗にされる、更に鶴光は当然ながら他の機器調整等の放送スタッフまで全員が姿を消して一人ぼっちにされる(その結果、怖さの余り本気で生放送中にもかかわらず号泣し、スタッフが戻りCMを入れて打ち切るまでそのまま全国に放送される)等の数々の悪戯が繰り返され、何事もない正常な放送を流せなかったことも度々であった。コーナー名自体が「日高はほっぺたがリンゴの様に赤い田舎者」だと揶揄する発言を鶴光が繰り返すものであり、鶴光の下ネタを始め当時のアイドルに必須な「清純可憐で爽やかなイメージ」を無理矢理に崩壊させる仕打ちを受けていた。ただそれでも番組降板時には「私はこの場所を離れたくない!」と絶叫したとのこと(『鶴光オールナイト』最終回にて笑福亭鶴光談)。

アイドル時代のある日、温泉でのロケが入った日高が現地に着くと、そこには温泉に入浴しているクマがいた。実は、ロケの内容は「クマと一緒に温泉に入る」企画であった。恐る恐る入浴する日高だったが、突如、クマが日高の髪の毛に噛み付くアクシデントが発生。命からがら逃げ出した日高が、番組のディレクターに文句を言うと、ディレクターは「自分が入って大丈夫ならまたやろう」と自らクマと一緒に入浴。しかし、クマに腕を噛まれる結果となった(エッセイ本『のんこ』や『渋谷でチュッ!』ゲスト出演時等で語っている)。

『タッチ』での演技指導

前述の『超時空騎団サザンクロス』のオーディションと、当時レギュラーだったラジオ番組と時間が重なったため、当時の岡本マネージャーがラジオ持参でオーディション会場に駆け付け、結果声優デビューを果たした。

このように殆ど未経験同然で声優の世界に飛び込んだ為、暫くはその演技力を酷評される時期が続いたが、日高のスタッフが気遣い、日高にその事を告げる事はなかった為、自分が下手だという認識はなかったという。ただ、その当時から先輩の島本須美オーディションの最終選考で敗れる事がしばしばで、後には島本に対して「いつも自分の前を行っていた」、「オーディションで会うと諦めていた」、「敵わないと思った」などの発言を残している。

1985年に放映開始された『タッチ』では、オーディションを経てメインスタッフの「下手だけどこの子に賭けてみよう」という、育成目的も込めた意図でヒロイン・浅倉南役に抜擢される。そのアフレコ現場では、共演していた林家こぶ平(現・林家正蔵)と共に、上杉達也役の三ツ矢雄二を始めとする先輩声優や、藤山房伸音響監督に毎回厳しい演技指導を受けていた。初期の日高の拙い演技に対して、はじめは我慢していたが、遂に耐えられなくなった三ツ矢が「下手糞!もっと僕の事を好きになってよ!」(浅倉南が上杉達也を好きだという感情を、もっと上手に表現してほしいの意)と怒号し、その事に激しい衝撃を受けるも、そこではじめて自分の実力を知ったとの事。

しかし、この環境は日高の演技力を短期間のうちに向上させ、以後息の長い活動を見せることとなった。厳しい指導を受けたものの、三ツ矢とは共同事務所を設立するなど、両人の関係は非常に良好である。

これらから「現場で叩き上げられて成長した代表例」、「努力で這い上がった苦労人」と取り上げられることもあり、日高本人も当時の『タッチ』関係者に自著で感謝の念を語っている。

後には、山口勝平の新人時代の演技指導にも活かされ、今でも山口は日高に頭が上がらないと言う(山口の項を参照)。

87年3月、TVアニメタッチの放送が終了。「タッチが終わってすごく不安だったんです。でも、翌年の88年に”トップをねらえ!”でヲタクの方達から評価を頂きまして、さらに映画”となりのトトロ”のサツキ役をもらって、一般の方にも喜んでいただいて。なんとヲタクの方達と一般人の両方から同時に称賛を受けるという快挙を達成しまして(笑)これで、なんとか声優でやっていけるかも?と思いました」との事。

少年・青年役

『ピーターパンの冒険』では、当初はヒロインのウェンディ役としてオファーを受けていた。しかし「少年役に挑戦したい」という考えから、日高本人がピーターパン役での出演を希望し、変更になったという経緯がある。「当時の自身に付きまとっていた『浅倉南』のイメージを振り払うためだった」、と後に動機を語っているが、第1話のアフレコでは力みすぎて声をつぶしてしまい、また、初の少年役ということで日高本人はプレッシャーを感じて苦しんでいたが、ウェンディ役の松井菜桜子や共演していた島本須美に助けてもらって演じる事が出来たという。

2つ目の本格的な少年役『ふしぎの海のナディア』のジャンは、ピーターパンのはつらつな芝居と違い、抑える場面や日常的な会話の演技を求められ、「男の子の声になっているだろうか?」との不安を感じたという。また、発明家という設定から脚本のセリフに難しい漢字が多く、漢字が苦手な日高はその面でも苦労もあったと語っている[3]

更に劇場版では、17歳に成長した青年のジャンも演じているが、当時青年役を満足に演じられる女性声優は野沢雅子しかいなかった為、やりがい・苦労共に大きかったという。ジャン役以降は男性役での出演が増えるようになり、より演技の幅を広げる。

出演作品

太字は主役・メインキャラクター、斜字はヒロイン

テレビアニメ

1984年

1985年

1986年

1987年

1988年

1989年

1990年

1991年

1992年

1993年

1994年

1995年

1996年

1997年

1998年

1999年

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年

  • 犬夜叉 完結編(桔梗
  • チーズスイートホーム あたらしいおうち(お母さん

2010年

2011年

2012年

OVA

劇場アニメ

Webアニメ

ゲーム

吹き替え(実写)

吹き替え(アニメ)

人形劇

ドラマCD

パチンコ・パチスロ

テレビナレーション

レギュラー出演(テレビ)

  • バトルフィーバーJ(BF隊連絡員 中原ケイコ)
    • 本名(旧姓)でクレジットされている。一度、劇中で水着を披露したこともある。
  • GOGO! チアガール(中川純子)
  • レッツゴーヤング(NHK)
    • サンデーズメンバーとして出演。その当時にシングル「もう一度ブラックコーヒー」をリリース。
  • おはよう!サンデー・ちびっこマラソン(日本テレビ系、毎週日曜朝放映)
    • 小学生が参加する皇居1周マラソンを放映する番組。コント赤信号の3人と共にレギュラー出演しており、子供達の中に混ざり皇居1周マラソンを走っていた。
  • 新アフタヌーンショー(1987年、テレビ朝日他・テレ朝系のマスト局とTSBTOSは同時ネット)
  • 同級生は13歳(1987年、フジテレビ系列)
    • 後藤久美子主演のドラマ。日高は、お好み焼き屋の店員の役。
  • タミヤRCカーグランプリテレビ東京系)
    • 参加者にインタビューするリポーターを務めていた。また、同番組のテーマ曲『潮風のサーキット』、『TRY TO JUMP〜あきらめないで〜』を歌っていた。レースに参加したこともあった。
  • おはようスタジオテレビ東京系列)
    • 同番組の最後の3ヶ月間のアシスタントを務めていた。2001年正月に21世紀特番『おはスタSP 帰って来た! おはようスタジオ』が放送され、新旧出演者が勢揃いする中で日高も出演。
  • お願い!ランキング(2011年10月13日- 、テレビ朝日)
    • 「雄二のぶっちゃけ部屋」コーナーにおいて、三ツ矢雄二と共にメインパーソナリティを務める。人気声優を招いて声優業界の衝撃的な裏話をランキング形式でトーク展開するコーナー。

コーナー出演

ラジオ

ここでは代表的な番組を挙げる。

笑福亭鶴光のオールナイトニッポン
アシスタントを担当。浜田朱里坂上とし恵らと共に「ガケっぷちトリオ 」と命名されていた。鶴光流のエールであった。
日石土曜おもしろラジオ
タッチ』で共演した三ツ矢雄二と共に出演。日本石油(現:新日本石油)一社提供
生放送のような形を取っていたが、実際は録音で「はいぱぁナイト」と同じスタジオ、スタッフだった。
めざせ!高校一直線!(1987年4月-1989年3月)
サタデーときめきステーション(1989年4月-1994年9月)
日高のり子のサタステブレイク(1994年10月-1995年9月)
同局の坂井一正アナウンサーと共に、毎週土曜日夕方に同局の松本市内の本社スタジオ(一般道路から放送の様子をガラス越しに見ることが出来る)から生放送(2時間番組であったが、放送時間は時期によって異なる)。
本人は毎週新宿駅から中央線特急あずさ号に乗って松本まで通い、新宿駅松本駅でのファンの見送りが常態化していた。毎週放送終了後、時間があれば本社ロビーにて放送を見に来たファンへのサービスとしてミニサイン会が行われていた。本人が仕事等で松本に行けなかった週は主に日高と交友のある人間がピンチヒッターとして出演していた。
番組自体はFM局らしく、リスナーからの音楽リクエストや坂井アナとのトーク、リスナーへの電話コーナー等が主体であった。
1995年9月一杯をもって本人の妊娠を機に終了。
ノン子とのび太のアニメスクランブル
長谷川のび太(本名・長谷川太)アナウンサーと共に出演。日高・文化放送のアニラジ双方にとって最も長寿番組になる。
詳しくはこの番組の項を参照。
Clair de Lune
関俊彦山寺宏一と組んでいたユニットバナナフリッターズの番組。ミニドラマ(後にCD化された)とトーク、音楽主体の構成。
アースコンシャス・ドリーム
JET STREAMのすぐ後に放送されていた5分番組。島根県がスポンサーとなっていた局もあった。
KBS京都はいぱぁナイト-ハイヤングKYOTO「アロマチックナイト」
  • KBS京都(1989年10月13日-1997年9月29日。全413回)
日高が初めて単独で持った長時間生ラジオ番組。『ラジオパラダイス』誌(廃刊)でも1位に迫るほどの人気を博した。
ラジオ番組、主にアニラジで現在広く使われているふつおたの起源とされる番組でもある。
日高のり子のはいぱぁナイト金曜日
  • 1989年10月13日-1995年3月31日(全285回)
日高のり子のはいぱぁナイト月曜日
  • 1995年4月3日-1996年3月26日(全50回)
1995年春にKBS京都が会社更生法の適用に至り、同局の深夜生番組体制の縮小が始まったことから、はい金枠終了と共に月曜へ異動。1995年初秋に番組内で懐妊を発表、翌年初冬に出産を控えて一時降板(その間は山寺宏一杉原徹沢田聖子等が代打を務めた)。
日高のり子のアロマチックナイト(ハイヤングKYOTO月曜日)
  • 1996年4月1日-1997年9月29日(全78回)
『はいぱぁ』終了後に始まったハイヤングKYOTO (第二期)の月曜を引き続き担当。
開始半年後に日高と共に担当していた水曜担当の杉原徹が外れ、旧『はいぱぁ』陣としてはただ一人の状態で新『ハイヤン』全曜日の中でも高聴取率だったにもかかわらず、KBS京都の経営環境が厳しい中で1997年9月一杯をもって新『ハイヤン』東京制作枠全廃を理由に終了が決定。最終回当日に四条河原町ゲームセンター店内で開催されたファイナルイベントが参加リスナーのあまりの多さ(3000人以上)に会場周囲の歩道が歩行不能状態に陥ったことから警察が駆け付ける事態になり、敢え無く中止となる(翌日の京都新聞の記事にもなった)。紆余曲折を経て、最終回放送から約一ヵ月後、その年の年末の特番(「日高のり子のアロマチックウィンターナイト」)の公開録音を兼ねた仕切り直しのファイナルイベントが円山公園で開かれ終了する。
日高のり子のTokyo Wonder Jam うり!うり!うりほぅ!
  • KBS京都 - 1998年4月4日-2001年3月31日(全156回)
先述のアロマチックナイト最終回の混乱交じりの盛り上がりを見たナムコがスポンサーとして名乗りを上げ、半年ぶりに復活した番組。東京・二子玉川のナムコ・ワンダーエッグより毎週土曜夕方から生放送だった(同施設が2000年末をもって二子玉川地域再開発事業の為に閉園となった後は、スタジオ(詳細不明)からの生放送に)。
日高のり子のHAPPY@
  • KBS京都 - 2001年4月7日-2004年3月27日(全155回)
当初は文化放送が開設していたスタジオSOLA(都庁45階展望台の公開スタジオ)からの放送だったが、同スタジオ閉鎖後はスタジオ(詳細不明)からの放送に。
浅倉南のオールナイトニッポン
  • ニッポン放送ほか - 2004年9月29日
オールナイトニッポン第一部枠で『タッチ』DVD-BOX発売記念として放送された一晩限りの特番。その当時、同BOXの宣伝で文化放送のあらゆる番組にゲスト出演していた。
NONKO'S CHEERFUL MIND “うらら”
  • KBS京都 - 2005年10月5日-2006年3月
HAPPY@終了後、KBS京都に1年半ぶりの復帰。「癒し」が主なコンセプトの録音の15分番組。
(三ツ矢3+日高3)2=!?
毎月第1・第3火曜更新で、三ツ矢雄二と組む。
神南スタジオ公式サイト内・番組配信ページ
ケンクスのABCラジオファンキーズ(昭和62年11月)
マンスリーゲストとして出演。「のりも」のニックネームを付けられる。最終週ではラジオドラマで「たこ仙人」を演じ、ドラマ以外でも「はっぴー・るんるーん」と絶叫した。
林原めぐみのTokyo Boogie Night
ゲストとしての出演機会も多く、パーソナリティの林原めぐみの産休期間には代理パーソナリティを務めた。
東京REMIX族

舞台

  • 「マミミの森」
  • 「雨が聴こえない」(コント赤信号劇団第3回公演1985年4月23日 - 28日下北沢駅前劇場 作・演出:秋元康 出演:室井滋・日高のり子・伊藤克信・肥後克弘・新納敏正・菅原大吉小宮孝泰・石井章雄・渡辺正行)
  • 「The Star Spangled Girl」(バナナフリッターズ 演出中尾隆聖)1991年
  • 「PLAY A SONG」(オムニバス。「始発の心」で塩沢兼人と共演。演出三ツ矢雄二)1993年
  • サクラ大戦歌謡ショウ「巴里花組特別ミニライブショウ」(エリカ・フォンティーヌ)2001年8月13日(東京厚生年金会館)
  • サクラ大戦ディナーショー(エリカ・フォンティーヌ)
  • ブリングアップ「憧れのスーザン・ボイル様」(2009年)
  • アルターエゴ第46回公演「シンプル・レヴュー3」(2011年)

ライヴ

  • 「LIVE IN MURASAKI」(Live House Murasaki、1984年6月10日I部20:00〜、II部21:30 - (+アンコール)、出演:日高のり子)
  • 「日高のり子ファーストライヴinルイード」(新宿ルイード、1985年12月頃 12:30 - 13:45、出演:日高のり子)
  • 「日高のり子セカンド ライヴinルイード」(新宿ルイード、1986年4月20日12:00 - 14:00、出演:日高のり子、ゲスト:三ツ矢雄二・他)
  • 「日高のり子&三ツ矢雄二ジョイントライヴ」(新宿ルイード、1986年6月22日14:00 - 16:00、出演:日高のり子・三ツ矢雄二)

電気製品

CM

その他

音楽作品

シングル

  1. ふた子のモンチッチのうた (いとうのりこ) (1980.01)
    (c/w) どこかのだれかとモンチッチ
  2. 初恋サンシャイン (1980.12.01)
    (c/w) PRETTY LOVE
  3. もう一度・ブラックコーヒー (1981.10.01)
    (c/w) イエスorノー
  4. ひとつぶの涙 (1982.04.01) - シモンズカバー
    (c/w) 春めきラプソディ
  5. ときめきはForever (1986.10)
    (c/w) 晴れた日にも愛をください
  6. ウルティマ 〜瞳のナイフ〜 (1987.08)
    (c/w) ハートの磁石
  7. 潮風のサーキット (1987.11)
    (c/w) TRY TO JUMP
  8. あなたが宇宙 〜BY MY SIDE〜 (1990.12.26)
  9. やさしい、いい娘になれない (1991.01.21)
  10. 人 (1992.07.08)
  11. 私だって 〈遠藤一美〉 (1994.10.21)
    (c/w) 瞬く気持ち
  12. BE NATURAL (1995.07.21)
    (c/w) 女神がくれた一秒
  13. 未来(あした)への翼 (1995.11.22)
    (c/w) 虹の彼方
  14. 真冬の流れ星 (WITH YOUとして) (1997.12.17)

アルバム

  • 南の青春 (1985.10.21)
  • 南風に吹かれて (1986.04.21)
  • パーソナル (1986.10.21)
  • Touch in Memory 〈浅倉南〉 (1987.02.21)
  • パーソナル2 (1987.05.21)
  • 日高のり子BEST (1987.11.21)
  • お宝ソングブック (1990.08.21)
  • パラダイス (1991.12.16)
  • MEGA BABE (1993.07.21)
  • Breath of air (1994.11.21)
  • KAZUMI 〈遠藤一美〉 (1994.12.16)
  • ダンシング・クィーン(1998. 11. 21、そよ風の誘惑イフを歌唱)
  • NONKO (1999.04.21)
  • ミレニアム・シリーズ タイムカプセルVol.7~想う心は、何より大事な宝物~ (2000.12.16)
  • Moira (2008.9.3、Sound Horizon、フィリス役)
  • 日高のり子 ベスト・コレクション(2010年2月17日発売、ポニーキャニオン)

その他 主題歌

  • オリジナルビデオアニメCOOL COOL BYE クール・クール・バイ(1986.01.21)

書籍

注釈

  1. ^ Yahoo!人物名鑑によるプロフィールより 2010年2月3日閲覧
  2. ^ http://homepage2.nifty.com/4179/nonko/ano/ano.htm
  3. ^ この点は自身のラジオ番組でも出てしまう事がしばしばで、番組によってはリスナーから容赦ないツッコミを受ける事も珍しくなかった。
  4. ^ 出演者”. 番組情報 : テレビ東京. 2012年4月7日閲覧。
  5. ^ スタッフ・キャスト”. 映画スイートプリキュア♪ とりもどせ! 心がつなぐ奇跡のメロディ♪. 2011年9月1日閲覧。
  6. ^ 本編の公開は12月10日!今後の展開を一挙公開!”. 京騒戯画 公式サイト 東映アニメーション. 2011年8月27日閲覧。
  7. ^ 週刊ファミ通』2012年5月31日号。
  8. ^ 日高のり子うぐいす嬢によるオリックススタメン発表

関連項目

外部リンク