ルンルンあさ6生情報

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ルンルンあさ6生情報
ジャンル ニュース情報番組
放送時間 平日 6:00 - 6:45(45分)
放送期間 1983年5月9日 - 1992年3月27日
放送国 日本
制作局 日本テレビ放送網
出演者 井田由美
木村優子
鷹西美佳
鈴木君枝
豊田順子

ルンルンあさ6生情報』(ルンルンあさろくなまじょうほう)は1983年5月9日から1992年3月27日まて日本テレビ放送網系全国ネットで月曜日 - 金曜日6:00 - 6:45(JST)に放送されていた朝の情報番組。1992年3月30日からは同時間帯は『ジパングあさ6』へ引き継がれた。なお、系列局には6:14(RNC・KRY・RKC・YBS)や6:25(YTV・SDT・NKT)から放送するところもあったほか、地域によって「6」を抜いたタイトルにしていたこともあった。

目次

[編集] 歴代司会者

  • 初代 井田由美(元日本テレビアナウンサー、現日本テレビ報道局解説委員) 1983年5月~1986年9月
  • 2代目 木村優子(元日本テレビアナウンサー、現日本テレビ広報局宣伝部次長) 1984年4月~1988年9月
  • 3代目 鷹西美佳(日本テレビアナウンサー) 1986年10月~1991年4月
  • 4代目 鈴木君枝(元日本テレビアナウンサー) 1988年10月~1992年3月
  • 5代目 豊田順子(日本テレビアナウンサー) 1991年4月~1992年3月

[編集] 司会者組み合わせ

  • 1983年5月~1984年3月 井田由美
  • 1984年4月~1986年9月 井田由美・木村優子
  • 1986年10月~1988年9月 木村優子・鷹西美佳
  • 1988年10月~1991年3月 鷹西美佳・鈴木君枝
  • 1991年4月~1992年3月 鈴木君枝・豊田順子

[編集] 番組構成

これは昭和63年(1988年)頃の大まかな流れである。

  • 6:00 番組開始、オープニング
  • 6:02 ニュース、交通情報
  • 6:10頃 曜日企画(築地情報など)
  • 6:25 レーダー625
 この時間から「ルンルンあさ6生情報」として飛び乗りネットする局や、コーナータイトルの「レーダー625」としてネットする局も存在した。
  • 6:35頃 まとめのコーナー(天気、交通情報など)
  • 6:42 エンディング~番組終了

番組は当初から関東ローカルであったが、系列地方局からのネット希望が増えてくるにつれ、関東ローカルの番組内容が足枷となる場面が見受けられた。このため途中から系列局がネット受けできるような内容を番組中盤に挟むことになった。

それが「レーダー625」であり、6:25からおよそ15分間のみをネットし、その後『NNN朝のニュース』が始まる6:45までの5分間は前夜の「スポーツニュース」を再放送して番組としての体裁を保つという措置を取るネット局も存在した。番組末期では6:25から番組エンディング(6:41)までネットする局も出てきたため、関東ローカルの内容は前半に押し込めるという苦肉の策もとられたようである。

こうした系列ネット局からの番組ネット希望の多さと、それに応えられるような「全国ネット向けの番組内容」への変更が求められ、番組内容を全国ネット向けに刷新し「ジパングあさ6」へと改まることとなったのである。

[編集] 主な番組ネット局

但し夏の高校野球期間中は休止し、「熱闘甲子園」(朝日放送)の翌日時差ネット放送に差し替え。末期は本番組のネットを離脱し、「ビジネスマンNEWS」(テレビ東京)を放送した。

[編集] エピソード

  • 井田・木村時代の1986年に、元旦スペシャルを放送した。
  • 日本テレビ入社前(当時は上智大学の学生であった)の米森麻美が、1988年に『WeakEnd Wind』のコーナーのレギュラーとして出演していた。
  • 鈴木君枝がMCを担当していた時期、鈴木本人が番組に遅刻した時が一度あり、その時は先輩アナの福留功男(当時)が急遽登場し、鈴木が番組スタジオに入ってくるまでの間、代役として番組の進行をやったことがあった。

[編集] 番組関連雑記

  • この番組の企画・制作には、1979年スタートの「ズームイン!!朝!」と同じく東阪企画がかかわった。「ズームイン」の視聴率をさらに向上させるために、関東地区では他局があまり手を付けていなかった午前6時台前半まで生情報番組枠を広げ、早起きの視聴者層が4チャンネルに合わせるよう考えられたと言われている。
  • この番組は、当時の日テレ本社南本館1階にあったオープンスタジオ「マイスタジオ」から毎日生放送されていた。そもそも「ズームイン」開始のために新設されたスタジオであったが、(関東地区において)「ルンルン」との連動・相乗効果を狙い(人件費やスタジオ稼動の問題などもあり)同じスタジオを使用した。