オフコース
| オフコース OFF COURSE |
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | フォーク ロック |
| 活動期間 | 1969年 - 1989年 |
| レーベル | エキスプレス ⁄ 東芝EMI (1969年 - 1983年) ファンハウス (1984年 - 1989年) |
| 事務所 | パシフィック・エンタープライズ(プロダクション) ⁄ ボン・ミュージック(音楽出版) (1969年 - 1973年) サブミュージック・パブリシャーズ・オフィス (1973年 - 1976年) オフコース・カンパニー(プロダクション) ⁄ フェアウェイ・ミュージック(音楽出版) (1976年 - 1989年) |
| メンバー | |
| 小田和正(ボーカル、キーボード) 結成 - 1989年 鈴木康博(ボーカル、ギター) 結成 - 1983年 清水仁(ボーカル、ベース) 1979年 - 1989年 大間ジロー(ドラムス) 1979年 - 1989年 松尾一彦(ボーカル、ギター、ハーモニカ) 1979年 - 1989年 |
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オフコース(OFF COURSE)は、1969年から1989年まで活動した日本の音楽グループ。
目次 |
[編集] 概略
小田和正・鈴木康博・地主道夫らが、神奈川県横浜市の聖光学院高校時代に結成したフォーク・グループがオフコースの始まりである。1970年に「群衆の中で」でレコードデビュー、当初は生ギターを中心としたフォークソング的な曲を歌っていた。その実力は当時から評価されながらも、長年ヒット曲に恵まれなかった。
結成7年目の1976年にギターの松尾一彦、ベースの清水仁、ドラムスの大間ジローが加わり、キーボード、シンセサイザーを含めたバンドサウンドとなる。結成10年目の「さよなら」の大ヒットで多大なる人気を獲得、それ以降も数多くのヒット曲を生み出し、時代を代表するビッグ・グループになった。しかし、音楽番組全盛の時代にあって、テレビ出演で人気を高めていった他のグループとは一線を画し、テレビ番組にはほとんど出演せず、レコード制作とコンサートに力を注ぐという独自の姿勢を頑なに貫いた。
そのシンプルで普遍的な愛の歌詞とニューミュージックと呼ばれるようになった洋楽のエッセンスを持ったポップな楽曲と美しいハーモニーのコーラスは多くの人を魅了した。オフコースの曲は近年でも多くのアーティストによってカヴァーされ、歌い継がれている。1982年の鈴木の脱退により一時活動を休止した後、4人での活動再開以降もヒット曲を連発し、変わらぬ人気を博する。その後5年近く4人で活動を続け、結成から19年目の1989年に解散。その後、小田と鈴木はソロとして、松尾 • 清水 • 大間は各々のソロ活動の傍ら1999年3月にユニットAcoustic Beatles Clubを結成し、3人でも活動している[1]。再結成を望む声は今も根強いが現在、その可能性は薄いと見られている[2]。
[編集] 音作り
- オフコースは5人で演奏可能なアレンジでレコーディングする方針を取っていた。最初は曲のタイトルも歌詞もない状態でコード進行を作り、そこにメンバーが意見を出し合ってアレンジを加えて行き、最後に詞が作られる。小田は当時「オーバープロデュースは嫌うので、音的には足りない部分もあるが、聴く人が足して聴いてくれればいい」と語っていた[3]。
[編集] メンバー
[編集] 正式メンバー
- 小田和正(おだ かずまさ 1947年9月20日 – ) ボーカル、キーボード、ギター
- リーダーで結成から解散まで唯一在籍。神奈川県横浜市金沢区出身。東北大学工学部卒業。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。代表的なボーカル曲は「さよなら」、「言葉にできない」など、ソロ以降の代表曲は「ラブ・ストーリーは突然に」。
- 鈴木康博(すずき やすひろ 1948年2月18日 – ) ボーカル、ギター
- 結成時のメンバー。1983年8月31日脱退。静岡県田方郡修善寺町(現:伊豆市)出身。東京工業大学工学部卒業。小田とは対照的な男らしい詞を書く。編曲にも大きな力を発揮してきた職人的存在[3]。代表的なボーカル曲は「でももう花はいらない」、「一億の夜を越えて」、「いくつもの星の下で」など、ソロ以降の代表曲は「愛をよろしく」、「入り江」、「Together」。
- 清水仁(しみず ひとし 1950年11月25日 – ) ボーカル、ベース
- 1979年8月1日に加入。大阪府大阪市西成区出身。尊敬する人は自分というマイペースな人柄[3]。 ライブでもコーラスをこなす。「ザ・バッド・ボーイズ」[4]を経て、1976年10月よりオフコースに参加。代表的なボーカル曲は「逢いたい」。
- 大間ジロー(おおま じろー 1954年5月14日 – ) ドラムス
- 1979年8月1日に加入。本名:大間仁世(おおま ひとせ)。秋田県鹿角郡小坂町出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。高校時代に松尾と出会い音楽活動を共にする。松尾一彦と共に活動していた4人組ロックバンド「ザ・ジャネット」を経て、1976年5月よりオフコースに参加[3]。
- 松尾一彦(まつお かずひこ 1954年8月7日 – ) ボーカル、ギター、ハーモニカ
- 1979年8月1日に加入。秋田県山本郡八森町(現:八峰町)出身。秋田県立能代高等学校卒業。幼い頃から音楽に目覚め、5歳で作曲したという。オフコース在籍時から他のアーティストに曲を提供している。「ザ・ジャネット」を経て、1976年10月よりオフコースに参加[3]。代表的なボーカル曲は「せつなくて」、「君を待つ渚」など、ソロ以降の代表曲は「波音だけは消さないで」、「There's no shoulder」。
[編集] 来歴メンバー
- 地主道夫(じぬし みちお) ギター
- 結成時のメンバー。1971年2月頃脱退後、竹中工務店に入社。有能な設計家として『日刊ゲンダイ』(平成6年6月16日号)で「超売れっ子設計家」として取り上げられたこともある。
- 須藤尊史(すどう たかふみ) ドラムス
- 結成時のメンバー。1965年脱退。高校3年時の聖光祭に小田・鈴木・地主とともにステージに立つ。卒業後横浜市立大学に進学。会社勤めのかたわらヨットマンとしても有名になる。
- 小林和行(こばやし かずゆき)ベース
- 1970年10月頃加入、1972年5月19日脱退。小田・鈴木の聖光学院時代の後輩。加入当時、早稲田大学学生でその後、小田らの勧めで学業に戻る。
- 吉田浩二(よしだ こうじ) コーラス
- 1972年5月13日加入、同年5月19日脱退。当時のオフコースのマネージャーで、第1回東京音楽祭出演のため助っ人として加入。
- 城間正博(しろま まさひろ) ドラムス
- 1978年12月加入、1979年1月脱退。1973年 - 1976年、「ザ・バッド・ボーイズ」[4]で“リンゴ”として清水とともに活動。1978年秋のツアー時、病気の大間に代わり一時加入。現在は音楽活動を停止している。
[編集] 年譜
[編集] デビュー以前
- 1964年(昭和39年)
- 12月、高校2年のクリスマス・パーティーでバンドの生演奏をしたことがきっかけとなり、翌年の文化祭(聖光祭)のステージに立つことを目指しメンバーの中から小田和正、鈴木康博、地主道夫、須藤尊史の4人でグループが結成される。
- 1965年(昭和40年)
- 11月3日、聖光祭に出演[5]。
- 高校卒業後、鈴木康博は東京工業大学制御工学科に、小田和正は東北大学建築科にそれぞれ進学[6]、離ればなれになる。しかし、休日に鈴木が車に機材を積み込んで仙台まで行って練習は続けられた。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 3月27日、「第2回 FOLK SONGの…」開催(横浜勤労会館)。コンサートの後、彼らは名前のなかったこのグループに“THE OFF? COURSE”と命名する。彼らの音楽活動を支援し、コンサートのためにいつも中心となって動く聖光野球部OB会“オフコース(OF COURSE)”に敬意を表してその名をもらった。
- 大学時代、自主コンサートを毎年開催するほか、聖光学院時代の友達から頼まれて演奏したり、他の大学の文化祭に呼ばれるなど、3人は活発な演奏活動を続けた。
- 1968年(昭和43年)
- 4月4日、「第3回 FOLK SONGの…」開催(神奈川県立青少年センター)。大学三年になった彼らにとって、これが解散コンサートのつもりだった。
- 1969年(昭和44年)
- 7月20日、第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト(LMC)仙台地区予選(仙台西花苑)にフォーク部門から出場、第2位[7]。前年の「第3回 FOLK SONGの…」を最後に解散と考えていたが、もうひとつ、客観的な尺度での評価を受けたいとの希望からの出場だった。その一方で、「うまくすれば全国大会まで進めるかもしれない」という自信もあった。
- 8月31日、宮城県予選(宮城県民会館)に出場、第1位を獲得。
- 9月、東北地区本選大会(仙台電力ホール)に出場、第1位を獲得し、全国大会へ進出。
- 11月2日、LMC全国グランプリ大会(新宿厚生年金会館大ホール)第2位[8][9][10]。
[編集] ジ・オフ・コース
- 1970年(昭和45年)
- 4月5日、シングル「群衆の中で(作詞:山上路夫、作曲:BETTY DEAN[11]) ⁄ 陽はまた昇る(作詞:山上路夫、作曲:上条友章、補作曲:村井邦彦)」(ジ・オフ・コース:小田•鈴木•地主)でデビュー。
- 10月、ベーシストの小林和行が加入。
- 11月14日、赤い鳥と“8人の音楽会”開催(大手町サンケイホール)。
- 1971年(昭和46年)
- 2月、地主が建築の道へ進むためにグループを脱退。
- 5月、“パシフィック・エンタープライズ”に所属。
- 10月5日、シングル「夜明けを告げに(作詞:山川啓介、作曲:加藤和彦) ⁄ 美しい世界(作詞•作曲:小田和正)」(小田•鈴木•小林)発売。
[編集] 1972 - 1974年
- 1972年(昭和47年)
- 4月25日、シングル「おさらば(作詞 • 作曲:東海林修) ⁄ 悲しきあこがれ(作詞:山上路夫、作曲:東海林修)」(小田•鈴木•小林•吉田)発売。グループ名を「オフ・コース」とする。
- 5月13日、コーラスの吉田浩二が加入。第1回東京音楽祭出場、「おさらば」を歌う。
- 5月19日、メンバーが小田•鈴木の二人となる。
- 6月9日、ラジオ関東“ヤングヤングミュージック・イン・テクニクス”初出演。のちに“オフコースの小さな部屋”のテーマソング「小さな部屋」を生んだ番組。
- 9月13日、第1回リサイタル“オフコース・コンサート・イン・横浜”開催(横浜市教育会館)。
- 1973年(昭和48年)
- 2月1日、杉田二郎と“サブミュージック・パブリッシャーズオフィス“を設立[12]。
- 2月20日、シングル「僕の贈りもの ⁄ めぐり逢う今」発売。
- 5月1日、“ラブ・ジェネレーション・コンサート”を全国12箇所で開催(5月25日まで)[13]。
- 6月5日、ファースト・アルバム『オフ・コース1 ⁄ 僕の贈りもの』発売。
- 9月9日、第2回オフコース・リサイタル“グリーン・ラブ”開催(日仏会館)。
- 11月26日、アルバム・レコーディング開始(1974年3月10日まで)。
- 11月30日、ラジオ関東“ヤングヤングミュージック・イン・テクニクス”にレギュラー出演。
- 1974年(昭和49年)
- 1月10日、札幌道新ホールにてコンサート[14]。
- 3月10日、アルバムレコーディング終了。
- 3月14日、渋谷ジァン・ジァンにてコンサート。
- 3月28日、東京で“オフコース・ファミリー・コンサート”開催(岩波ホール)。
- 4月5日、シングル「もう歌は作れない ⁄ はたちの頃」発売。
- 5月5日、アルバム『この道をゆけば ⁄ オフ・コース・ラウンド2』発売。
- 5月7日、第3回オフコース・リサイタル“明日への歩み”開催(日本青年館大ホール)。
- 10月20日、シングル「忘れ雪 ⁄ 水いらずの午後」発売。
- 10月26日、第4回オフコース・リサイタル“秋ゆく街で”開催(中野サンプラザホール)[15]。
- 12月20日、アルバム『秋ゆく街で ⁄ オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』発売。
[編集] 1975 - 1977年
- 1975年(昭和50年)
- 3月22日、“オフコースの小さな部屋 Vol.1”–なぜ音楽活動を続けるか– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:山本コータロー、南高節、 斉藤哲夫、 イルカ)[16]。
- 4月、武藤敏史がオフコースの担当ディレクターとなる。
- 4月27日、“オフコースの小さな部屋 Vol.2”–お帰りなさいジローちゃん– 開催(神田共立講堂 ゲスト:杉田二郎)。
- 6月8日、“オフコースの小さな部屋 Vol.3”–みつはしちかこさんを迎えて– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:みつはしちかこ、イルカ)。
- 7月2日、シングル、アルバム・レコーディング開始(11月6日まで)。
- 8月17日、“オフコースの小さな部屋 Vol.4”–フォーク史をたどる– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:石川鷹彦、新田和長)。
- 8月26日、“オフコース・ファミリー・コンサート”開催(新宿安田生命ホール)。
- 10月4日、第5回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でII”開催(中野サンプラザホール)。
- 11月2日、聖光祭に出演[17]。
- 11月24日、“オフコースの小さな部屋 Vol.5”–コーラスの世界– 開催(日本青年館大ホール)。
- 12月20日、シングル「眠れぬ夜 ⁄ 昨日への手紙」とアルバム『ワインの匂い』を同時発売。
- 1976年(昭和51年)
- 1月28日、「オフ・コースとイルカの年賀状コンサート」開催(日本青年館 ゲスト:なぎら健壱)。
- 2月、小田、早稲田大学大学院を卒業。
- 2月26日、シングル「ひとりで生きてゆければ」レコーディング開始(2月29日まで)。プロデューサー武藤敏史が以前ディレクターとして担当していた「ザ・ジャネット」の元メンバーの大間ジローをレコーディングに参加させる。
- 5月5日、シングル「ひとりで生きてゆければ ⁄ あいつの残したものは」発売。同日、大間ジロー参加。
- 5月18日、「ハイファイセット・オフコース・ジョイント」コンサート開催(中野サンプラザホール)。
- 5月23日、“オフコースの小さな部屋 Vol.6”–音楽の多様性その1:音楽はいかに映像を助けるか、また映像はいかに音楽を助けるか– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:加藤和彦)。
- 8月1日、それまで所属していた“サブミュージック・パブリッシャーズオフィス”から独立、“オフコース・カンパニー”を設立。
- 8月15日、アルバム・レコーディング開始(9月15日まで)。
- 9月5日、“オフコース・ファミリー・コンサート”開催(全電通ホール)。
- 10月5日、シングル「めぐる季節 ⁄ ランナウェイ」発売。
- 10月23日、第6回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でIII”開催(中野サンプラザホール)。松尾一彦と清水仁が参加[18]。
- 10月24日、学園祭ライブ回り(11月23日まで:オフコース史上最高の10校)。
- 11月5日、アルバム『SONG IS LOVE』発売[19]。
- 11月10日、シングル・レコーディング開始(12月7日まで)。
- 11月21日、白百合女子大学園祭公演。初めてアンコールをもらう。
- 1977年(昭和52年)
- 2月5日、シングル「こころは気紛れ ⁄ あなたがいれば」発売。
- 4月8日、初めての全国ツアー、「春のコンサート・ツアー」開始(9月28日まで:全国37ヶ所)。
- 4月25日、“オフコースの小さな部屋 Vol.7”–音楽の多様性その2:弦カル・トマトを迎えて。ひとつの音がいくつか集まるとどのような音楽において、どんな風に音の広がりが出てくるか– 開催(九段会館)。
- 5月9日、シングル、アルバム・レコーディング開始(7月22日まで)。
- 8月5日、シングル「秋の気配 ⁄ 恋人よそのままで」発売。このシングルより「オフコース」名義(オフとコースの間の中黒がなくなる)になる。
- 8月18日、ツアー・リハーサル開始(9月14日まで)。
- 9月5日、アルバム『JUNKTION』発売。
- 10月9日、「秋のコンサート・ツアー」開始(1978年2月27日まで:全国39ヶ所)。
- 10月23日、第7回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でIV”開催(中野サンプラザホール)。
- 11月20日、シングル「ロンド ⁄ 思い出を盗んで」発売。
- 冬、プロモート・ディスク『ANTHOLOGY』配布。
[編集] 1978 - 1979年
- 1978年(昭和53年)
- 1月18日、シングル・レコーディング開始(2月22日まで)。
- 3月10日、「春のコンサート・ツアー」開始(7月24日まで:全国41ヶ所)。
- 4月5日、“オフコースの小さな部屋 Vol.8”–78年度オフコース大賞– 開催(渋谷公会堂 ゲスト:財津和夫)。
- 4月5日、シングル「やさしさにさようなら ⁄ 通りすぎた夜」発売。
- 4月19日、アルバム・レコーディング開始(8月8日まで)。
- 5月5日、アルバム『SELECTION 1973-78』発売。
- 7月8日、“オフコース・ファミリー・コンサート”開催(神奈川県民会館小ホール)。
- 7月20日、シングル「あなたのすべて ⁄ 海を見つめて」発売。
- 8月22日、ツアー・リハーサル開始(8月31日まで)。
- 9月1日、軽井沢にて、ツアー・リハーサル合宿(9月10日まで)。
- 9月20日、「秋のコンサート・ツアー」開始(1979年1月31日まで:全国60ヶ所[20])。このツアー中、大間ジロー病気のため城間正博が一時加入。
- 10月5日、アルバム『FAIRWAY』発売。
- 10月21日、シングル・レコーディング開始(11月7日まで)。
- 10月25日、第8回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でV”開催(中野サンプラザホール)(10月27日まで)。
- 1979年(昭和54年)
- 1月20日、シングル「愛を止めないで ⁄ 美しい思い出に」発売。
- 3月1日、河口湖サニーデ・スタジオにて、ツアー・リハーサル合宿(3月12日まで)。
- 3月14日、シングル・レコーディング開始(4月2日まで)。
- 3月22日、「春のコンサート・ツアー」開始(8月5日まで:全国61ヶ所62回公演)。
- 5月16日、アルバム・レコーディング開始(8月28日まで)。
- 6月5日、シングル「風に吹かれて ⁄ 恋を抱きしめよう」発売。
- 8月1日、松尾•清水•大間が、正式にバンドメンバーとなる。
- 8月4日、「オフコース田園コロシアム」開催(8月5日まで)。[21]
- 9月13日、河口湖サニーデ・スタジオにて、ツアー・リハーサル合宿(9月22日まで)。
- 9月24日、シングル・レコーディング開始(10月8日まで)。
- 9月27日、河口湖サニーデ・スタジオにて、ツアー・リハーサル合宿(10月4日まで)。
- 10月16日、「OFF COURSE CONCERT “Three and Two”」開始(1980年2月25日まで:全国51ヶ所63回公演)。
- 10月20日、アルバム『Three and Two』発売。ジャケットは表に新加入の清水•大間•松尾の3人、裏に小田と鈴木が、それぞれ写った。
- 12月1日、シングル「さよなら ⁄ 汐風のなかで」発売。オリコンシングルチャート第2位を記録、一躍人気「ニューミュージック・バンド」と呼ばれるようになる。
[編集] 1980 - 1983年
- 1980年(昭和55年)
- 3月3日、シングル・レコーディング開始(4月21日まで)。
- 3月5日、シングル「生まれ来る子供たちのために ⁄ この海に誓って」発売。
- 4月14日、ツアー・リハーサル合宿(4月19日まで)。
- 5月1日、「OFF COURSE CONCERT LØVE」開始(6月28日まで:オフコース初の日本武道館公演を含む全国15ヶ所21回公演)。
- 5月5日、アルバム『LIVE』発売。
- 5月11日、NHK教育テレビのドキュメンタリー番組『若い広場』「牛尾治朗と若者たち」に小田が出演。
- 6月21日、シングル「Yes-No ⁄ 愛の終わる時」発売。
- 6月29日、木田高介・阿部晴彦追悼コンサートに出演(日比谷野外音楽堂)。
- 8月6日、アルバム・レコーディング開始(9月25日まで)。
- 9月28日、トラックダウンのため、渡米。ハワイ経由で10月15日に帰国。
- 10月21日、伊豆市の別荘地「伊豆エメラルドタウン」にて、ツアー・リハーサル合宿(11月7日まで)。
- 11月10日、「OFF COURSE CONCERT “We are”」開始(1981年3月28日まで:日本武道館4日間公演を含む全国47ヶ所58回公演)
- 11月21日、アルバム『We are』発売。初めてオリコンチャートで1位を獲得する。
- 11月25日、小田和正サウンドプロデュースシングル「夜明けのグッドバイ」(イルカ)発売(SIDE A のみ)。
- 11月27日、“オフコースの小さな部屋”札幌道新ホールにて開催。かつての“観客13人”を吹っ切るために企画されたもの[22]。
- 12月1日、シングル「時に愛は ⁄ 僕等の時代」発売。
- 12月21日、小田和正サウンドプロデュースアルバム『我が心の友へ』(イルカ)発売(11曲中6曲)。
- 年末、鈴木が「オフコースを抜けて違う音楽をやってみたい」との意思を小田に伝える。
- 1981年(昭和56年)
- 4月、シングル・レコーディング開始。
- 5月25日、小田和正サウンドプロデュースシングル「Follow Me」(イルカ)発売(SIDE A のみ)。
- 6月5日、鈴木康博プロデュースシングル「君が好き」(あんべ光俊)発売。
- 6月21日、シングル「I LOVE YOU ⁄ 夜はふたりで」発売。
- 8月16日、アルバム制作開始。L.A.にてトラックダウン(10月30日まで)。
- 9月1日、アルバム『SELECTION 1978-81』発売。
- 10月5日、小田和正サウンドプロデュースアルバム『FOLLOW ME』(イルカ)発売(「Follow Me」のみ)。
- 10月21日、鈴木康博プロデュースアルバム『Born to be Wild』(あんべ光俊)発売。
- 11月15日、アルバム製作開始(1982年6月6日まで)。
- 11月23日、NHK教育テレビ『若い広場』に出演。
- 12月1日、シングル「愛の中へ ⁄ Christmas Day」とアルバム『over』を同時発売。
- 12月31日、『We are』が「第23回日本レコード大賞」“ベスト・アルバム賞”を受賞[23]。
- 1982年(昭和57年)
- 1月3日、NHK教育テレビ『若い広場』「オフコースの世界」放映。アルバム『over』の制作過程を追ったもの[24]。
- 1月21日、 フジテレビ系『笑ってる場合ですよ!』「明石家さんまの減点マネージャー」に清水•大間•松尾と、マネージャーの富樫要が出演。
- 1月22日、「Off course Concert 1982 “over”」開始(6月30日まで:全国28ヶ所69回公演)。観客動員数約25万人。
- 2月1日、シングル「言葉にできない ⁄ 君におくる歌」発売。
- 6月10日、シングル「YES-YES-YES ⁄ メインストリートをつっ走れ」発売。
- 6月15日、日本武道館連続10日間公演実施(6月30日まで)[25]。その後約3年間、ライブ活動を休止する[26]。
- 7月1日、アルバム『I LOVE YOU』発売。
- 7月、オフコース初のTVスペシャル『NEXT』の制作開始。
- 9月21日、アルバム『NEXT SOUND TRACK』発売。
- 9月29日、TBS系特別企画オフコース・スペシャル『NEXT』放映[27]。
- 9月29日、フィルム・コンサート「Off Course Consert 1982.6.30」開始(1983年1月31日まで:全国240ヶ所393回上映)。
- 1983年(昭和58年)
- 3月、海外用デモテープ・レコーディング[28]。
- 6月6日、大間ジロープロデュースシングル「tomorrow –すべては時の中に–」(あんべ光俊)発売。
- 8月21日、鈴木康博ソロデビュー、シングル「愛をよろしく ⁄ ラララ〜愛の世界へ〜」とアルバム『Sincerely』を同時発売。
- 8月21日、大間ジロープロデュースアルバム『HEARTS』(あんべ光俊)発売。
- 8月29日、栃木県のジュンクラシックカントリークラブ(ゴルフ場)にて行われた合宿でメンバー、スタッフを含むミーティング実施。4人での再出発を決める(9月1日まで)。
- 10月21日、アルバム・プリプロダクション開始(1984年5月4日まで)。
- 10月29日、日中文化交流協会主催による中国旅行(11月22日まで)。
- 11月3日、アルバム『YES-YES-YES』発売。
- 12月8日、清水の友人、リッキー&リボルバーの誘いで急遽、渋谷エッグマンで行われたジョン・レノン追悼コンサートに飛び入り出演。「Long Tall Sally」など3曲を演奏。
[編集] 1984 - 1986年
- 1984年(昭和59年)
- 1月7日、アルバム『The Best Year of My Life』レコーディング開始。
- 2月14日、 フジテレビ系『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に明石家さんまからの紹介で小田が出演、翌15日の“お友達”に星野仙一を紹介する[29]。
- 4月21日、シングル「君が、嘘を、ついた ⁄ 愛よりも」発売。これも同じくオリコンシングルチャートで第2位。このシングルより、小田•松尾•清水•大間の4人となる。
- 4月26日、「君が、嘘を、ついた」プロモーションビデオ制作(6月21日まで)。
- 4月29日、トラックダウンのため、渡米(5月7日まで)。
- 6月21日、アルバム『The Best Year of My Life』発売。
- 6月23日、フジテレビ系『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」に第1位で出演、「君が、嘘を、ついた」のプロモーションビデオ・プレミアム鑑賞会を行う。
- 7月6日、「夏の日」プロモーション・フィルム制作(7月20日まで)。
- 7月18日、シングル「夏の日 ⁄ 君の倖せを祈れない」発売。
- 8月30日、「緑の日々」プロモーション・フィルム制作(9月24日まで)。
- 9月21日、シングル「緑の日々 ⁄ CITY NIGHTS」発売。
- 11月21日、シングル・レコーディング開始(1985年1月14日まで)。
- 1985年(昭和60年)
- 1月、アメリカでのアーティスト契約への足がかりとして自身の曲を全て英訳したアルバムのレコーディングを開始(3月8日まで)。
- 2月3日、シングル・レコーディング開始(3月8日まで)。
- 2月21日、シングル「call ⁄ 2度目の夏」発売。
- 3月11日、ツアー・リハーサル開始(4月24日まで)。
- 4月26日、「OFF COURSE CONSERT '85 “The Best Year of My Life”」開始(10月17日まで:全国42ヶ所56回公演)。約26万人動員。
- 5月22日、シングル「たそがれ ⁄ LAST NIGHT」発売。
- 6月1日、松任谷由実•小田和正•財津和夫共作のシングル「今だから」発売。
- 6月15日、国立競技場で行なわれた国際青年年記念イベント“ALL TOGETHER NOW”に出演。吉田拓郎のバックバンドを担当したほか[30]、小田は同イベントのテーマソング「今だから」を松任谷由実, 財津和夫と共に歌った。
- 7月13日、LIVE AID出演。「ENDLESS NIGHTS」を歌う。
- 7月31日、シングル・レコーディング開始(8月8日まで)。
- 8月1日、アルバム『Back Streets of Tokyo』発売。同年初頭にレコーディングされた英語詞の楽曲をまとめたもの。
- 9月21日、シングル「夏から夏まで ⁄ ぜんまいじかけの嘘」発売。
- 10月15日、国立代々木競技場・第一体育館にて追加公演(17日まで)。
- 11月30日、シングル「ENDLESS NIGHTS ⁄ EYES IN THE BACK OF MY HEART」発売。
- 1986年(昭和61年)
- 5月8日、小田渡米(11月24日まで)。
- 7月2日、松尾一彦ソロシングル「普通のオフィスレディ ⁄ Wrapped Woman〜風 are you」発売。
- 7月17日、大間ジロープロデュースシングル「センターラインが終わる時」(勇直子)発売。
- 7月23日、松尾一彦ソロアルバム『Wrapped Woman』発売。
- 9月29日、清水仁ソロシングル「上を向いて歩こう ⁄ 悲しんでも仕方ない」発売。
- 10月6日、清水仁ライブハウスツアー開始(10月31日まで:全国9ヶ所10回公演)。
- 10月21日、大間ジロープロデュースシングル「ナーバスにならないで」(勇直子)発売。
- 10月22日、清水仁ソロアルバム『ONE』発売。
- 11月1日、小田和正ソロシングル「1985」発売。
- 11月21日、大間ジロープロデュースアルバム『アスファルトの天使たち』(勇直子)発売。
- 12月3日、小田和正ソロアルバム『K.ODA』発売。
- 12月8日、清水 • 松尾、渋谷エッグマンで行われた“ジョン・レノン追悼コンサート”に出演。
- 12月15日、アルバム『as close as possible』レコーディング開始(1987年2月21日まで)。
[編集] 1987 - 1989年
- 1987年(昭和62年)
- 3月4日、シングル「IT'S ALL RIGHT(ANYTHING FOR YOU) ⁄ IT'S QUITE ALL RIGHT(INSTRUMENTAL)」発売。
- 3月5日、ツアー・リハーサル開始(4月16日まで)。
- 3月28日、アルバム『as close as possible』発売。
- 4月17日、「OFF COURSE TOUR 1987 “as close as possible”」開始(9月6日まで:全国50ヶ所69回公演)。前回同様、約26万人動員。
- 5月25日、シングル「もっと近くに(as close as possible) ⁄ Tiny Pretty Girl」発売。
- 7月5日、アルバム『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION Ⅲ 1984-1987』発売。
- 7月15日、シングル・レコーディング開始(7月17日まで)。
- 11月5日、清水仁ソロ・プロジェクト“Project ONE”シングル「二人だけの海 ⁄ 二人だけの海(Instrumental Version)」発売。
- 11月25日、Project ONEミニ・アルバム『ONE NIGHT』発売。
- 11月25日、ビデオ『OFF COURSE TOUR 1987 –as close as possible–』発売。
- 1988年(昭和63年)
- 1月25日、シングル「君住む街へ ⁄ 君住む街へ –INSTRUMENTAL VERSION–」発売。
- 2月16日、「君住む街へ」プロモーション・ビデオ撮影。
- 3月5日、小田和正ソロシングル「僕の贈りもの ⁄ After Forever」発売。
- 3月5日、小田和正ソロアルバム『BETWEEN THE WORD & THE HEART』発売。
- 3月30日、アルバム『Still a long way to go』レコーディング開始(5月2日まで)。
- 5月9日、ツアー・リハーサル開始(5月31日まで)。
- 6月9日、アルバム『Still a long way to go』発売。
- 6月9日、「OFF COURSE TOUR 1988-'89 “STILL a long way to go”」開始(1989年2月3日まで:全国83ヶ所102回公演)。
- 7月25日、シングル「she's so wonderful ⁄ 陽射しの中で」発売。
- 10月25日、シングル「夏の別れ ⁄ 逢いたい」発売。
- 11月、ファンクラブ会員に“To Our Friends”と題して解散を告知。
- 1989年(平成元年)
- 2月1日、アルバム『君住む街へ 1984→1988』発売。
- 2月26日、「The Night with Us」東京ドーム公演を実施、ファンやスタッフの強い働きかけで実現したスペシャルライブ[31][32]。同日オフコース解散。
[編集] 1990年 - 現在
- 1996年(平成8年)
- 2月1日、小田和正『LOOKING BACK』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム。
- 10月23日、鈴木康博『BeSide』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム。
- 1999年(平成11年)
- 3月、清水、松尾、大間がA.B.C.(Acoustic Beatles Club)を結成。
- 2000年(平成12年)
- 11月2日、A.B.C.『ABC VOL.1』発売。
- 2001年(平成13年)
- 5月26日、小田和正『LOOKING BACK 2』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム第2弾。
- 9月26日、DVD『Off Course 1969-1989 Digital dictionary』発売。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 12月22日、A.B.C.『ABC VOL.2』発売。
- 2004年(平成16年)
- 2006年(平成18年)
- 2010年(平成22年)
[編集] ディスコグラフィー
- 以降、順位は全てオリコンより。
[編集] シングル
- 群衆の中で ⁄ 陽はまた昇る(1970年4月5日)
- 夜明けを告げに ⁄ 美しい世界(1971年10月5日)
- おさらば ⁄ 悲しきあこがれ(1972年4月25日)
- 僕の贈りもの ⁄ めぐり逢う今(1973年2月20日)
- もう歌は作れない ⁄ はたちの頃(1974年4月5日)
- 忘れ雪 ⁄ 水いらずの午後(1974年10月20日)
- 眠れぬ夜 ⁄ 昨日への手紙(1975年12月20日) 最高位48位
- ひとりで生きてゆければ ⁄ あいつの残したものは(1976年5月5日)
- めぐる季節 ⁄ ランナウェイ(1976年10月5日)
- こころは気紛れ ⁄ あなたがいれば(1977年2月5日)
- 秋の気配 ⁄ 恋人よそのままで(1977年8月5日)
- ロンド ⁄ 思い出を盗んで(1977年11月20日) 最高位89位
- やさしさにさようなら ⁄ 通りすぎた夜(1978年4月5日)
- あなたのすべて ⁄ 海を見つめて(1978年7月20日) 最高位82位
- 愛を止めないで ⁄ 美しい思い出に(1979年1月20日) 最高位19位
- 風に吹かれて ⁄ 恋を抱きしめよう(1979年6月5日) 最高位24位
- さよなら ⁄ 汐風のなかで(1979年12月1日) 最高位2位
- 生まれ来る子供たちのために ⁄ この海に誓って(1980年3月5日) 最高位24位
- Yes-No ⁄ 愛の終わる時(1980年6月21日) 最高位4位
- 時に愛は ⁄ 僕等の時代(1980年12月1日) 最高位9位
- I LOVE YOU ⁄ 夜はふたりで(1981年6月21日) 最高位7位
- 愛の中へ ⁄ Christmas Day(1981年12月1日) 最高位10位
- 言葉にできない ⁄ 君におくる歌(1982年2月1日) 最高位11位
- YES-YES-YES ⁄ メインストリートをつっ走れ(1982年6月10日) 最高位5位
- 君が、嘘を、ついた ⁄ 愛よりも(1984年4月21日) 最高位2位
- 夏の日 ⁄ 君の倖せを祈れない(1984年7月18日) 最高位11位
- 緑の日々 ⁄ CITY NIGHTS(1984年9月21日) 最高位11位
- call ⁄ 2度目の夏(1985年2月21日) 最高位5位
- たそがれ ⁄ LAST NIGHT(1985年5月22日) 最高位7位
- 夏から夏まで ⁄ ぜんまいじかけの嘘(1985年9月21日) 最高位8位
- ENDLESS NIGHTS ⁄ EYES IN THE BACK OF MY HEART(1985年11月30日) 最高位26位
- IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU) ⁄ IT'S QUITE ALL RIGHT (INSTRUMENTAL)(1987年3月4日) 最高位20位
- もっと近くに (as close as possible) ⁄ Tiny Pretty Girl(1987年5月25日) 最高位29位
- 君住む街へ ⁄ *君住む街へ-INSTRUMENTAL VERSION-(1988年1月25日 CD-S:1988年2月25日 *CD-Sでは「君住む街へ-Another Version-」) 最高位11位
- she's so wonderful ⁄ 陽射しの中で(1988年7月25日) 最高位80位
- 夏の別れ ⁄ 逢いたい(1988年10月25日) 最高位82位
[編集] オリジナル・アルバム
- オフ・コース1 ⁄ 僕の贈りもの(1973年6月5日)
- この道をゆけば ⁄ オフ・コース・ラウンド2(1974年5月5日)
- ワインの匂い(1975年12月20日) 最高位62位
- SONG IS LOVE(1976年11月5日) 最高位34位
- JUNKTION(1977年9月5日) 最高位21位
- FAIRWAY(1978年10月5日) 最高位8位
- Three and Two(1979年10月20日) 最高位2位
- We are(1980年11月21日) 最高位1位
- over(1981年12月1日) 最高位1位
- I LOVE YOU(1982年7月1日) 最高位1位
- The Best Year of My Life(1984年6月21日) 最高位1位
- as close as possible(1987年3月28日) 最高位2位
- Still a long way to go(1988年6月9日) 最高位2位
[編集] サウンドトラック・アルバム
- NEXT SOUND TRACK(1982年9月21日) 最高位1位
[編集] セルフカバー・アルバム
- Back Streets of Tokyo(1985年8月1日) 最高位1位
[編集] ライブ・アルバム
[編集] ベスト・アルバム
- SELECTION 1973-78(1978年5月5日) 最高位16位
- SELECTION 1978-81(1981年9月1日) 最高位1位
- IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987(1987年7月5日) 最高位11位
[編集] アーティスト非監修ベスト・アルバム
- YES-YES-YES(1983年11月3日) 最高位2位
- BEST COLLECTION(1985年8月31日) 最高位6位
- スーパー・ベスト30 さよなら(1989年1月25日) 最高位36位
- バラード(1989年1月25日)
- アコースティック(1989年1月25日)
- レア(1989年1月25日)[34]
- SELECTION SUZUKI(1989年1月25日)
- SELECTION ODA(1989年1月25日)
- 君住む街へ 1984→1988(1989年2月1日) 最高位17位
- スーパーベスト(1990年9月5日)
- OFF COURSE TWIN BEST[35](1996年9月19日)[36]
- OFF COURSE Singles(1998年3月28日)
- Off Course GREATEST HITS 1969-1989(1998年5月21日) 最高位94位
- i(ai)(2006年12月6日)
[編集] 映像作品
- NEXT VIDEO PROGRAM(1982年11月21日)
- Off Course 1982・6・30 -Concert in Budokan(1983年4月21日)
- Movie The Best Year of My Life(1984年12月1日)
- RUNNING THROUGH '84(1985年4月)
- OFF COURSE TOUR 1987 as close as possible(1987年11月25日)
- Off Course 1969-1989 Digital dictionary(2001年9月26日)
- Off Course 1981.Aug.16〜Oct.30 若い広場 オフコースの世界(2002年1月30日)
- Off Course 1982・6・30 コンサート スペシャル(2007年6月27日)
[編集] 関連作品
- 第3回全日本ライトミュージック・コンテスト グランプリ1969 3rd ALL JAPAN LIGHT MUSIC CONTEST GRAND PRIX / FOLK(1970年4月 LP:MR-1059)- 1969年11月2日新宿厚生年金会館大ホールにて開催されたLMC全国グランプリ大会フォーク部門を収録したライブアルバム。ジ・オフ・コースが2位に入賞したステージより「Jane Jane」、「One Boy」を収録。
- 海と空と太陽の祭典 第一回合歓作曲コンクール入賞曲集!(1970年5月 LP:EP-7750)- 1969年にヤマハ主催で行われた第一回合歓作曲コンクールの入賞曲を集めたアルバム。主にヤマハの講師達の作曲による楽曲を、東芝所属のアーティストがレコーディングしたもの。ジ・オフ・コースの歌による「グラジュエイト Graduate」を収録。
- ラブ・ジェネレーション LOVE GENERATION LIVE IN CONCERT(1973年8月5日 2LP:ETP-7695~6)- 1973年に全国12箇所で行われた東芝レコード所属アーティストによるイベントコンサートのうち、5月1日の日本武道館でのステージを収録したライブアルバム。「僕の贈りもの」、「でももう花はいらない」を収録。
- コルサの歌 –ヨコハマが似合う奴–(1978年 EP:ERS-1331)- 横浜トヨペットがコルサの販売促進用に東芝への委託で制作した、オフコースの歌による非売品ソノシート。作詞:杉山政美、作曲:松尾一彦、リードボーカルは鈴木康博。
- RONIN 〜ORIGINAL SOUND TRACK〜(1986年1月18日 LP:28K-100)- 1986年製作の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』のサウンドトラック・アルバム。「時代のかたすみで(せめて今だけ)」を収録。
[編集] 写真集
- オフコース写真集[We are] 小学館 (1980年12月19日 ISBN 4-09-363045-3)
- Off Course 1969~1982 新興楽譜出版社 (1982年10月1日 ISBN 4-401-62037-2)
- OFF COURSE YEAR BOOK '84 扶桑社 (1984年10月31日 ISBN 4-89353-062-3)
- OFF COURSE YEAR BOOK '85 扶桑社 (1985年12月18日 ISBN 4-89353-064-X)
- OFF COURSE as close as possible 学習研究社 (1987年12月20日)
- 1989.2.26 OFF COURSE FINAL ワニブックス (1989年4月20日)
[編集] CMソング
- CMのために制作された作品のみ列記。
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[編集] 楽曲提供
- アーティスト名は50音順、曲名は発売順に列記。作品はグループ在籍期間に限定。
[編集] 小田和正
| アーティスト | 提供曲 | 作者 | 収録作品(初出のみ) | 発売日 | 生産番号 |
|---|---|---|---|---|---|
| ザ・バッド・ボーイズ | アイツのせい | 作詞 : The Bad Boys 補作詞 • 作曲 : 小田和正 |
僕と踊ろう ⁄ アイツのせい |
1975年8月20日 | EP:ETP-20166 |
| 牧ミユキ | さよならの離陸 | 作詞 : 竜真知子 作曲 : 小田和正 編曲 : 井上鑑 |
Fly Like A Bird | 1978年11月 | LP:LX-7056-A |
| 由紀さおり | 永遠のひととき | 作詞 : 山川啓介 作曲 : 小田和正 編曲 : 青木望 |
ルームライト『オリジナル・ア・ラ・カルト』 | 1973年4月5日 | LP:ETP-8238 |
[編集] 鈴木康博
| アーティスト | 提供曲 | 作者 | 収録作品(初出のみ) | 発売日 | 生産番号 |
|---|---|---|---|---|---|
| 杉田二郎 | 憂世 HAPPY STREET |
作詞 : 鈴木康博 作曲 : 杉田二郎 |
アパートメント1109 APARTMENT 1109 |
1972年10月5日 | LP:ETP-8197 |
| 桃井かおり | 秋風の吹く夜 | 作詞 • 作曲 : 鈴木康博 編曲 : 鈴木茂 |
FOUR | 1980年11月25日 | LP:27PL-4 |
- ソロ以降の提供作品は鈴木康博を参照
[編集] 松尾一彦
「松尾一彦#楽曲提供」も参照
[編集] 参加作品
- 発売順に列記。作品はグループ在籍期間に限定。
| 発売日 | アーティスト | 収録作品(初出のみ) | 生産番号 | 収録曲 | 参加内容 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1972年10月5日 | 杉田二郎 | アパートメント1109 APARTMENT 1109 |
LP:ETP-8197 | あの扉をあけて OPEN THE DOOR |
作詞 : 及川恒平 作曲 : 杉田二郎 鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal |
| 君は眠る YOU'RE SLEEPIN' |
作詞 : 山川啓介 作曲 : 杉田二郎 鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal |
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| 人力ヒコーキのバラード AIR PLANE SONG |
作詞 : 山川啓介 作曲 : 杉田二郎 鈴木康博(The Off Course) : Acoustic Guitar, Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal |
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| 孤独の広場 LONESOME SQUARE |
作詞 : 山川啓介 作曲 : 杉田二郎 鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal |
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| 若いというだけで YOUNGER GENERATION |
作詞 : 泉谷しげる 作曲 : 杉田二郎 鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal |
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| ひとりにばれば LONELINESS |
作詞 : 及川恒平 作曲 : 杉田二郎 鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal |
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| 憂世 HAPPY STREET |
作詞 : 鈴木康博 作曲 : 杉田二郎 鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal |
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| 春は寂しいネ GROOMY SPRING |
作詞 : 吉田拓郎 作曲 : 杉田二郎 鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal |
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| 1973年4月5日 | 由紀さおり | ルームライト『オリジナル・ア・ラ・カルト』 | LP:ETP-8238 | 永遠のひととき | 作詞 : 山川啓介 作曲 : 小田和正 編曲 : 青木望 オフ・コース : Backing Vocal |
| 1977年5月 | 飛行船 | 風の時刻表 | LP:ETP-72244 | 青春の踏切で Seishun no fumikiri-de |
作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 飛行船 鈴木康博(Off Course) : Electric Guitar 小田和正(Off Course) : Hammond Organ 清水仁 : Electric Bass 大間仁世 : Drums |
| 花嫁泥棒 Hanayome dorobo |
作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 飛行船 ブラス・セクション・アレンジメント : 小田和正(Off Course) 小田和正(Off Course) : Strings ensemble 松尾一彦 : Chorus |
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| 悲しみのイエスタデイ Kanashimi no yesterday |
作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 飛行船 ストリングス・アレンジメント : 鈴木康博(Off Course) |
||||
| 五月になれば Gogatsu ni nareba |
作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 飛行船 ホーンセクション(シンセサイザー)・アレンジメント : 小田和正(Off Course) 小田和正(Off Course) : Mellotron & Synthesizer 大間仁世 : Drums |
||||
| サンライズサンセット Sunrise sunset |
作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : オフコース & 飛行船 ストリングス & ブラスセクション・アレンジメント : 鈴木康博(Off Course) 鈴木康博(Off Course) : Electric Guitar 小田和正(Off Course) : Acoustic Piano 清水仁 : Electric Bass 大間仁世 : Drums 松尾一彦 : Chorus, Harmonica オフコース : Chorus |
||||
| 三年目の決心 Sannenme no kesshin |
作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 飛行船 ブラス・セクション・アレンジメント : 鈴木康博(Off Course) 小田和正(Off Course) : Electric Piano オフコース : Chorus |
||||
| やさしさはほしいけれど Yasashisa wa hoshiikeredo |
作詞 : 安部光俊 作曲 : 萩原誠 編曲 : オフコース ストリングス・アレンジメント : 小田和正(Off Course) 小田和正(Off Course) : Acoustic Piano, Electric Piano, Synthesizer 鈴木康博(Off Course) : Electric Guitar 清水仁 : Electric Bass 大間仁世 : Drums & Bell Tree |
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| 1977年8月5日 | 寺尾聰 • 田辺靖雄 | 16の夏 ⁄ 坂道を登れば |
EP:ETP-10269 | 16の夏 | 作詞 • 作曲 : 寺尾聰 & 田辺靖雄 編曲 : ミッキー吉野 コーラス・アレンジメント : 鈴木康博(オフコース) オフコース : Chorus |
| 1977年11月5日 | 加山雄三 | 地平線の彼方 | LP:ETP-72282 | 足音 | 作詞 : 岩谷時子 作曲 : 弾 厚作 編曲 : 森岡賢一郎 コーラス・アレンジメント : 小田和正(オフコース) オフコース : Chorus |
| もえる草原 | 作詞 : 岩谷時子 作曲 : 弾 厚作 編曲 : 森岡賢一郎 オフコース : Chorus |
||||
| 1977年11月20日 | アイリーン | 愛の唄 ⁄ 私の庭から |
EP:ETP-10338 | 愛の唄 AI NO UTA |
作詞 • 作曲 : 小田和正 編曲 : 青木望 & オフコース オフコース : Chorus |
| 1978年7月5日 | 尾崎亜美 | STOP MOTION | LP:ETP-80022 | 来夢来人 | 作詞 • 作曲 • 編曲 : 尾崎亜美 ストリングス & オーボエ・アレンジメント : 尾崎亜美 小田和正(OFF COURSE) : Chorus 鈴木康博(OFF COURSE) : Chorus |
| ストップ モーション | 作詞 • 作曲 • 編曲 : 尾崎亜美 ストリングス・アレンジメント : 尾崎亜美 小田和正(OFF COURSE) : Chorus 鈴木康博(OFF COURSE) : Chorus |
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| ラスト キッス | 作詞 • 作曲 • 編曲 : 尾崎亜美 ストリングス・アレンジメント : 尾崎亜美 松尾一彦 : Harmonica |
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| 1978年11月5日 | PRISMY | LP:ETP-80050 | 気紛れ予報 | 作詞 • 作曲 • 編曲 : 尾崎亜美 ストリングス編曲 : 尾崎亜美 オフコース(小田和正・鈴木康博) : Chorus |
|
| コズミック ブルー | 作詞 • 作曲 • 編曲 : 尾崎亜美 ストリングス編曲 : 尾崎亜美 松尾一彦 : Harmonica |
||||
| 白夜 | 作詞 • 作曲 • 編曲 : 尾崎亜美 ストリングス編曲 : 尾崎亜美 オフコース(小田和正・鈴木康博) : Chorus |
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| 1978年12月5日 | あんべ光俊 | 碧空と海のすき間から | LP:ETP-80045 | 星の旅 | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 木田高介 大間仁世 : Drums |
| 甘い夜 | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 武藤敏史 大間仁世 : Drums |
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| 霧の晴れ間に | 作詞 : 安部光俊 作曲 : 松尾一彦 編曲 : 安部光俊 松尾一彦 : Acoustic Guitar |
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| 君を夢みて | 作詞 • 作曲 • 編曲 : 安部光俊 大間仁世 : Drums 鈴木康博 : Slide Guitar 清水仁 : Chorus 松尾一彦 : Chorus |
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| 雪の日のひとりごと | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 小田和正 小田和正 : Electric Piano, Clarinette & Synthesizer 鈴木康博 : Acoustic Guitar, Percussions 清水仁 : Electric Bass 大間仁世 : Drums Chorus by OFF COURSE Kazumasa Oda ⁄ Yasuhiro Suzuki |
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| 真夜中の電話 | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博 鈴木康博 : Electric Guitar, Percussions 小田和正 : Electric Piano 清水仁 : Electric Bass 大間仁世 : Drums Chorus by OFF COURSE Kazumasa Oda ⁄ Yasuhiro Suzuki |
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| 12月の頃 | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 木田高介 大間仁世 : Drums |
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| 風は知っている | 作詞 • 作曲 • 編曲 : 安部光俊 ストリングス編曲 : 武藤敏史 大間仁世 : Drums |
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| 25歳の冬に | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 木田高介 ストリングス編曲 : 木田高介 大間仁世 : Drums |
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| 1980年4月20日 | オリンポスの果実 | LP:ETP-80134 | 愚かなる冬の自画像 | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 安部光俊 & 小田和正 小田和正 : Keyboards 清水仁 : Bass 大間仁世 : Drums |
|
| ラスト ショウ | 作詞 • 作曲 • 編曲 : 安部光俊 清水仁 : Chorus 松尾一彦 : Chorus |
||||
| 1980年12月21日 | イルカ | 我が心の友へ | LP:GWP-1003 | ふりむけばそこに | 作詞 • 作曲 : イルカ 編曲 : 小田和正 |
| 我が心の友へ | |||||
| ジェレミーの木 | |||||
| 夜明けのグッドバイ | |||||
| 幻のタペストリィー | |||||
| まあるいいのち | |||||
| 1981年10月5日 | FOLLOW ME | LP:GWP-1011 | Follow Me | 作詞 • 作曲 : イルカ 編曲 : 小田和正 |
|
| 1981年10月21日 | あんべ光俊 | Born to be Wild | LP:ETP-90017 | さよならMy Boy | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博 鈴木康博 : Guitars 松尾一彦 : Guitars 清水仁 : Bass 大間ジロー : Drums |
| Single Girl | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博 鈴木康博 : Guitars 松尾一彦 : Guitars 清水仁 : Bass 大間ジロー : Drums |
||||
| ふり向いて もう一度 | 作詞 : 安部光俊 作曲 • 編曲 : 鈴木康博 鈴木康博 : Guitars 松尾一彦 : Guitars 清水仁 : Bass 大間ジロー : Drums |
||||
| そして誰もいなくなった | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博 鈴木康博 : Guitars |
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| Born to be Wild | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博 鈴木康博 : Guitars 松尾一彦 : Guitars 清水仁 : Bass 大間ジロー : Drums |
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| ねえ君 | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博 鈴木康博 : Guitars |
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| 365日 | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博 |
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| 君が好き | 作詞 • 作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博 鈴木康博 : Guitars |
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| 大きな河のほとりで | 作詞 : 安部光俊 作曲 : 松尾一彦 編曲 : 鈴木康博 鈴木康博 : Guitars 松尾一彦 : Guitars 清水仁 : Bass 大間ジロー : Drums |
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| 1982年6月1日 | 原日出子 | 青いラプソディー | EP:ETP-17347 | 無風都市 | 作詞 : 松本隆 作曲 : 筒美京平 編曲 : 大谷和夫 コーラスアレンジ & コーラス:鈴木康博 |
[編集] エピソード
- “オフコース(OFF COURSE)”という名前はコンサートのためにいつも中心となって動く聖光野球部OBが作った草野球チームの名前が“勝ってof course”、“of course 勝つ”という意味で“OF COURSE”だったことから。コンサートを始めてなにか名前をつけるということで“調子っ外れ”とひっかけて“OFF COURSE(THE OFF? COURSE)”にしたという[37]。
- <さよなら>[38]、<Yes-No>[39]、<YES-YES-YES>[40]、<君が、嘘を、ついた>[41]などのヒットで当時、TBSの人気番組『ザ・ベストテン』に何度となくランクインしたが、この番組を含むすべての音楽番組には出演しなかったため、「オフコースの皆さんはコンサート活動に専念するため…」とお詫びのお辞儀をする久米宏の姿が毎週のように見られた。<YES-YES-YES>[40]では一度、レコーディング・スタジオから中継で小田が単独でコメントを出したことがある。その一方で『笑っていいとも』と『オレたちひょうきん族』には出演したので、フジテレビの音楽番組担当プロデューサーは、バラエティ担当プロデューサーを羨ましがったという。
- オリコンシングルチャートでは<さよなら>[38]、<君が、嘘を、ついた>[41]が最高2位止まり、アルバムチャートでは『We are』[42]と『over』[43]が1位になっている。なお、小田が作った曲のシングルチャート1位は、彼がソロシンガーとしてデビュー後、<ラブ・ストーリーは突然に>[44]で達成された。
- 『Three and Two』[45]でのインタビューで小田は「去年初めて『銀河鉄道999』の(映画)音楽をやらないかって話があってね、さんざん考えた末、やろうっていう気になったら映画会社とかレコード会社の問題とか、いろいろいきさつがあって、結局ゴダイゴということになっちゃって」と、実現しなかったいきさつを語っている。
- 1981年3月28日宮城県民会館で行われた「OFF COURSE CONSERT “We are”」最終公演のアンコール、<愛を止めないで>[46]のエンディングにさしかかった瞬間、舞台の袖から200本のカーネーションがスタッフの手によって投げ入れられた。これについて小田は「僕たちの制作するものの中で特に、レコーディングとステージに関しては何がどうなっているか知らぬ部分はない。だから、僕らの想像を超えて何かが創造されるということは全く考えたことがなかった。しかしそれは起こった。他人が聞けば他愛のないシャレに過ぎないかも知れないが、それが僕にとっては今度のアルバム・レコーディング、そしてこのコンサート・ツアーのすべてが覆されるほどの衝撃だった。だから僕は『ヤラレタ…』と思ったのだった。そして、あんなことが起こったのが心から嬉しかった」と語っている。この時の写真がベスト・アルバム『SELECTION 1978-81』[47]の中袋に掲載されている。
- シングル<I LOVE YOU>[48]のエンディングのコーラスは当初、少年合唱団によるテイクを予定していたが、結果的にはレコーディングスタジオ近くの公園にいた子供たちやその親を迎え、さらにそこにメンバーやスタッフも加わってレコーディングしたテイクに変更された。また、この曲はアルバム『I LOVE YOU』[49]収録の際、ビル・シュネーの友人がジョン・レノン死亡の新聞記事をニュース調に読み上げたナレーションが間奏部に挿入された。
- シングル<YES-YES-YES>[40]に女性の声(ねぇ、私のこと好き?)が入っていると、テレビのオカルト番組で取り上げられることがあるが、この声の主はレコーディングのとき、同じ録音スタジオを使っていた“レモンツリー”という男女デュオの女性で、意図的に収録されていることが当時の音楽雑誌『ギターブックGB』(ソニー・マガジンズ)の記事に掲載されている。
- 1982年の日本武道館10日間公演中の6月23日、ツアーの追加公演という形で横浜スタジアムでのコンサートが8月に計画されたが、7月5日に鈴木からの「区切りをつけたい」との申し入れにより中止となった。横浜スタジアム公演は後に小田がソロとして1992年8月29日、 30日の“MY HOME TOWN”で実現させている。
- <僕等の時代>[50]は名古屋テレビのオープニングBGMとして使われた[51]。
- <僕等の時代>[50]の詞がオフコースの写真・プロフィールと共に、中学校国語教科書[52]に採用されている。
- <言葉にできない>[53]のフェードアウト直前に、当時の解散を示唆する“We are”, “over”, “thank you”のナレーションが収録されている。
- シングルのA面はほとんどが小田の曲だが、最初から小田の作品がA面と決められていたわけではなく、メンバー(ほとんどは小田か鈴木)が曲を持ち寄り、コンペティションを行った結果だった。このことは小田が『たしかなこと』[54]で、鈴木が自身のホームページでのファンからの質問への回答で、それぞれ異口同音に語っている。結果として小田の曲が多くA面に採用されたことについて、小田は「ヤス(鈴木)に対して申し訳ないと思っていた」、鈴木は「そういう結果だから仕方ないと思っていた」と語っている。鈴木はよく自身のオフコース時代を“B面人生”と自嘲したりしたことがあったが、A面の選ばれ方自体には特にわだかまりは無いと思われる。
- 全米デビューへの足がかりの一環として『Back Streets of Tokyo』[55]が制作された1985年以前に、全米デビューを打診されていたことがある。松尾によれば、『We are』[42]と『over』[43]を聴いてオフコースを気に入ったBS&Tの元メンバーで当時キャピトル・レコードのプロデューサーだったBobby Colombyから<きかせて>と<せつなくて>で是非アメリカ・デビューを、との話をもらったという。すぐに英詞の仮歌によるデモテープが制作されたものの、直後に鈴木の離籍とグループの解散問題が浮上したため、それきりになったという[56]。
[編集] 参考文献
- 『FAIRWAY フォト&楽譜集』 ペップ出版 (1978年10月15日発行 ISBN 0076-00353-7629)
- 『OFF COURSE Three and Two』 八曜社 (1979年10月30日発行 ISBN 0095-00102-6998)
- 『Off Course—Now The Time』GB-SPECIAL CBS・ソニー出版 (1982年7月15日発行 雑誌62935-16)
- 『スナップ・ショット—オフコースその夏まで』 藤沢映子 著 CBS・ソニー出版 (1982年7月25日発行 ISBN 4-7897-0046-1)
- 『Give up オフコース・ストーリー』 山際淳司 著 飛鳥新社 (1982年8月1日発行 ISBN B000J7EUVE)
- 『オフコースの道 はじめの一歩』 オフコース・ファミリー 著 サンリオ (1983年8月15日発行 ISBN 0095-83046-2831)
- 『Give up オフコース・ストーリー (文庫版)』 山際淳司 著 角川文庫 (1983年6月25日発行 ISBN 4041540011)
- 『INNER DOCUMENT OFF COURSE』 藤沢映子 著 旺文社 (1984年4月14日 ISBN 4-01-009811-2)
- 『Maybe The Best Year of My Life』 オフコース詩集 新潮文庫 (1985年12月20日 ISBN 410143901X)
[編集] カヴァー
- 曲名は50音順、アーティスト名は発売順に列記、セルフカヴァーは除外。
[編集] あ行
- 西城秀樹
- 『HIDEKI SONG BOOK』 (1981年3月5日)- LP:RHL-8015
- 岡本真夜
- 『21世紀への贈りもの』 (1999年11月10日)- CD:WPCV-10044
- 槇原敬之
- 『Listen To The Music』 (1998年10月28日)- CD:SRCL-4387
- 山口由子
- 『21世紀への贈りもの』 (1999年11月10日)- CD:WPCV-10044
- 妹尾武
- 『Seasons.』 (2003年11月5日)- CD:PSCR-6127
- 渡辺美里
- 『うたの木 seasons “秋”』 (2005年8月24日)- CD:ESCL-2702
- 羽岡佳
- 『HEARTFUL ORGEL 〜秋音〜』 (2008年9月26日)- CD:NECA-20063
- 稲垣潤一
- 『男と女 -TWO HEARTS TWO VOICES-』 (2008年11月19日)- CD:UICZ-4187
- CHIHOMI
- 『On/Off Sea Breeze』 (2009年7月22日)- CD:TECG-24024
- 河村隆一
- 『evergreen 〜あなたの忘れ物〜』 (2006年5月24日)- CD:COCP-33643
- あぁ!
- 『チャンプル(1)〜ハッピーマリッジソングカバー集〜』 (2009年7月15日)- CD:EPCE-5645
- チキンガーリックステーキ
- 『FACE』 (2007年6月20日)- CD:FRCA-1180
- 荻野目洋子
- 『Songs & Voice』 (2009年11月25日)- CD:VICL-63508
- Aki詩音
- 『波音ラヴァーズ〜Seasoning of Songs〜』 (2010年7月28日)- iTunes Store配信限定
- 佐藤竹善
- 「生まれ来る子供たちのために」 (2002年11月20日)- CD-S:UPCH-5136
- AIDS チャリティProject[57]
- 「RED RIBBON Spiritual Song〜生まれ来る子供たちのために〜」 (2007年11月28日)- CD-S:WPCL-10447
[編集] か行
- 槇原敬之
- 『Listen To The Music 2』 (2005年9月28日)- CD:TOCT-25748
- 岩崎宏美
- 『Dear Friends III』 (2006年9月27日)- CD:TECI-1136
- 柿木原こう
- 『コトバニデキナイ』 (2006年12月6日)- CD:WQCA-1014
- SOTTE BOSSE
- 『Innocent view』 (2007年3月7日)- CD:bloom-010
- 宇宙(ウジュ)
- 『言葉にできない』 (2007年10月24日)- CD:XNUA-30002
- 島谷ひとみ
- 『男歌〜cover song collection〜』 (2007年12月5日)- CD+DVD:AVCD-23399/B【初回限定盤】 ⁄ CD:AVCD-23400【通常盤】
- Fu-mi
- 『三線で聴きたい 弾きたい J-POP BEST15』 (2008年3月5日)- CD:RES-133
- TRACKBEANZ
- featuring Mayu Bingo 『Everlasting Tunes』 (2008年3月26日)- CD:DQC-58
- Smooth J
- 『Smooth Sound Collection vol.1』 (2008年5月5日)- CD:SMJC-1
- YUKI
- 『EXIT TRANCE PRESENTS CMトランス ⁄ Various Artists』 (2008年10月1日)- CD:QWCE-00060
- 美野春樹
- 『PIANO tone はるうた〜第2ボタンの胸キュンメロディー〜』 (2008年11月19日)- CD:COCX-35271
- CRYSTAL BROTHERS
- 『キラキラハウス〜WE LOVE J-POP〜』 (2009年3月20日)- CD:CDDD-004
- Dub Master X
- 『Dub Summer Pop』 (2009年5月13日)- CD:RZCD-46148
- COVERLAND
- 『ZOE -fall in love-』 (2009年6月17日)- CD:AVCD-23869
- 伊藤優
- 『泣けるピアノ—J-POPクラシカル・ピアノ・カヴァーズ』 (2009年7月29日)- CD:TOCT-26788
- 坂本冬美
- 『Love Songs 〜また君に恋してる〜』 (2009年10月7日)- CD:TOCT-26891
- Relaxing Piano
- 『ウェディング・ソングス』 (2010年5月28日)- CD:DLRP-218
- SONORUS
- 『Relax and good sleep by Rilakkuma』 (2011年3月30日)- CD:DGSA-10006
- EXILE ATSUSHI
- 『EXILE ATSUSHI Premium Live 〜The Roots〜』 (2011年5月11日)- DVD:RZBD-46875
- uBee
- 『Sunshine! J-POP COVER in ELECTRO ⁄ R&B』 (2011年6月22日)- CD:TFCC-86359
- 樹里からん
- 『TORCH II』 (2011年11月16日)- CD:UPCH-1855
- オルゴール
- オルゴールぷらす
- 『ずっと、恋じかん。〜バラード・セレクション』 (2009年11月18日)- 2CD:COCX-35907〜8
[編集] さ行
- 小谷美紗子
- 『21世紀への贈りもの』 (1999年11月10日)- CD:WPCV-10044
- 杏里
- 『tears of anri 2』 (2008年7月16日)- CD:UPCH-1613
- anry
- 『On/Off 3rd season』 (2008年12月3日)- CD:TECG-26019
[編集] た行
- Scudelia Electro
- 『21世紀への贈りもの』 (1999年11月10日)- CD:WPCV-10044
- Tak Matsumoto
- 『THE HIT PARADE』 (2003年11月26日)- CD:BMCV-8009
[編集] な行
[編集] は行
- SALT&SUGAR
- 『21世紀への贈りもの』 (1999年11月10日)- CD:WPCV-10044
[編集] ま行
[編集] や行
[編集] わ行
- 大木理紗
- 『遠い景色』 (1996年)- CD:CACE-2002
[編集] その他
- α波オルゴール
- さよなら
- 愛を止めないで
- Yes-No
- 僕の贈りもの
- 緑の日々
- 生まれ来る子供たちのために
- 言葉にできない
[編集] 脚注
- ^ 大間はSoul & Beat Unit 天地人を2003年に結成、活動中である。
- ^ 小田は2004年12月25日放送の『クリスマスの約束』でオフコースを取り上げているが、それは元メンバーに対して「(オフコースは)終わった」、「オフコース(の再結成)はもうないよ」というメッセージだという旨の発言をし、言葉をつまらせている。また、2004年10月 - 12月放送の「風のようにうたが流れていた」では、「オフコースは学校のようなもの。学校はいずれ卒業する時が来る」と語っている。鈴木の考えは鈴木康博の項参照。
- ^ a b c d e NHK教育『若い広場』「オフコースの世界」(1982年1月3日放送)
- ^ a b 大阪の中学時代の同級生だった廣田龍人(リッキー)(ジョン担当)と清水仁(ポール担当)を中心に1969年結成されたビートルズコピーバンド。メンバーは廣田・清水のほか、ダンスホールのオーディションに彼らと共に来ていた他のバンドの川端孝博(ジョージ担当)と、廣田の弟の友人の城間正博(リンゴ担当)。1973年9月20日にアルバム『MEET THE BAD BOYS』 (LP:ETP-8269)でデビュー、同年10月20日にシングル「ビートルズが教えてくれた ⁄ チークを踊ろう」 (EP:ETP-2924)をリリース。1975年8月20日に2枚目のシングル「僕と踊ろう ⁄ アイツのせい」 (EP:ETP-20166)をリリース後、同年冬に解散。
- ^ 当初は本編の前座的な意味合いで午前中に登場、「グリーン・スリーブス」や「イエロー・バード」などフォークのヒット曲を演奏し歌ったが評判となり、閉会式の前にアンコールでステージに立った。このとき味わった喜びが、その後の小田 • 鈴木 • 地主の音楽を通じての交流に繋がった。
- ^ 千葉大学医学部に進学することも考えていたが、見学に行ったときに「カーテンが薄汚れていた」という理由でやめた。
- ^ 仙台地区からの出場は、関東地区から出場すれば非常に競争が激しいだろうという計算もあってのことだったが、実際には関東地区よりも仙台地区のほうがレベルが高かった。申し込みに行くと早速、係員に全国大会までの日程を尋ねた。合計四回行われる大会について詳しく聞いてゆくと、係員は途中からまるで真剣に取り合わなかったという。
- ^ 第1位は赤い鳥
- ^ この時のレパートリーは「One Boy」(ミュージカル『バーディー・バーディー』挿入歌)と「Jane Jane」(ピーター・ポール&マリー)、小田は最優秀歌唱賞を受賞。
- ^ 自分たちの演奏には絶対の自信があり、優勝して「ジ・オフ・コース」とアマチュア音楽活動を終え社会人になるつもりだったが、2位にとどまったことで小田 • 鈴木は気持ちに決着がつかなくなった。鈴木はミュージシャンになることを親に反対されていたが、これで音楽で生きて行く決心が固まり、内定を取っていた安川電機への就職を辞退した。
- ^ BETTY DEANはアマチュアで、1969年11月23日ヤマハ主催の「’69 作曲コンクール」(後の「ポピュラーソングコンテスト」)に「DON’T PASS ME BY」という自作曲で出場していた。
- ^ パシフィック・エンタープライズから独立した加藤和彦と杉田二郎は個人事務所を設立することになり、オフコースは両方から誘いを受けた。加藤の事務所はPA会社を併合したもので音楽的に魅力があった。杉田には一緒にコンサートを回るうちに人間的に惹かれ結局、杉田の「俺について来い」の一言で意を決した。後に小田は、加藤にそのことを報告したら「二郎のところもいいけど、音楽、全然違うじゃん」と言われたという。
- ^ 東芝レコード所属アーティストによるイベントコンサート。出演 : トワ・エ・モワ、イースト、オフ・コース、アリス、シュリークス、はしだのりひことエンドレス、ザ・ラニアルズ、チューリップ、りりィ、杉田二郎、加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド、赤い鳥。
- ^ このときの観客が13人で、これが後々まで話題となる。
- ^ このコンサートの数日前に新曲「忘れ雪」(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)が発売されたが、レコード会社の幹部が来ていたにもかかわらず自分たちが望んでリリースした曲ではないとの理由で演奏しなかった。この出来事はファンのあいだで“「忘れ雪」事件”と呼ばれるようになり、この曲はその後も演奏されることはなかった。
- ^ 当時のマネージャー上野博の発案で計画されたシリーズ・コンサート。一味違った人たちと触れ合う中で何か新鮮なものを見つけ、色彩の豊かなコンサートにしようという目的でこの年に5回、全部で計8回開かれた。
- ^ 聖光祭実行委員会のイベント担当者が依頼したところ、音響設備だけ手配すればとの条件で、ノーギャラでの出演をOKした。このコンサートの開始前には、オフコースの2人と同期にあたる当時の世界史担当の斉藤教諭と在校生との座談会を実施。座談会には、10月4日の“秋ゆく街でII”で「オフコース万歳」と叫んだ声がライブアルバムにも収録された当時の現役聖光生も出演した。コンサート終了後、在校生が花束贈呈とともにステージ上で「オフコース万歳」と叫んだ。
- ^ 清水の参加に鈴木は「技術力が無い」として反対したが、小田が「オフコースには仁のような人柄の人間が必要だ」として引き下がらなかったため、鈴木は渋々これを了承した。後に鈴木は、清水の人間的な雰囲気の良さに「結果的には小田の言う通りになった」と語っている。
- ^ 清水は「ザ・バッド・ボーイズ」としての契約がまだ残っていたためレコーディングでは演奏には不参加だが、この頃から実質的に5人のバンドとなった。
- ^ “全国60ヶ所”というのはというのは県庁所在地クラスの都市40ヶ所以上を回る、一流の証だという。
- ^ 曲目:季節は流れて – やさしさにさようなら – 眠れぬ夜 – 恋を抱きしめよう – 通り過ぎた夜 – あなたのすべて – 新しい門出 – ひとりで生きてゆければ – 潮の香り – 秋の気配 – California Dreamin' – 想い出のサンフランシスコ – 君を待つ渚 – 愛の唄 – 老人のつぶやき – HERO – 心は気紛れ – ランナウェイ – のがすなチャンスを – 愛を止めないで – (アンコール) 風に吹かれて – 眠れぬ夜 – ランナウェイ – さわやかな朝を迎えるために – のがすなチャンスを – いつもいつも
- ^ 曲目:愛を止めないで – 眠れぬ夜 – おまえもひとり – こころは気紛れ – 愛の唄 – Today – A Soalin' – 僕の贈りもの – でももう花はいらない – Day By Day – 秋の気配 – 風に吹かれて – Yes-No – 一億の夜を越えて – のがすなチャンスを – 私の願い – きかせて – 僕等の時代 – 時に愛は
- ^ 他に松任谷由実『水の中のASIAへ』、大滝詠一『A LONG VACATION』も同賞を受賞。
- ^ それまでテレビメディアの取材をほとんど受けなかったため、当時異例の番組だった。アルバム『over』のレコーディング・リハーサル初日(8月16日)から終了(10月30日)までの約2ヶ月半を密着取材。レコーディングの様子のほか、2月10日の日本武道館公演の模様も放送された。
- ^ コンサートへのチケット抽選応募葉書は約53万通にも及んだ。
- ^ 最終日には小田が「言葉にできない」で感極まり、歌に詰まっている。
- ^ ストーリーは1982年夏の武道館コンサート後に解散し、それぞれの道を歩んでいたメンバーが5年後の1987年夏に無理矢理再結成させられ9月21日に再び武道館でコンサートを行うというもの。6月30日の武道館のライヴ映像がダイジェストで使われた。共演は謎の男役に中村敦夫、再結成についてコメントをする近藤真彦(声は田原俊彦)・具志堅用高・小森和子(の物真似)で片岡鶴太郎がそれぞれ出演したほか、メンバーを連れ去る2人組としてスタッフの富樫要と柿崎譲二も出演した)。
- ^ 当時の彼らのプライベート・スタジオ名にちなんで“GETTING BETTER DEMO”と題されたこのときのレコーディング曲は「SAYONARA(さよなら)」、「CITY NIGHTS(哀しいくらい)」、「YES-YES-YES(YES-YES-YES)」、「QUIET AS THE NIGHT(きかせて)」、「THE LITTLE ONES(生まれ来る子供たちのために)」、「THE PRICE OF FAME(NEXTのテーマ〜僕等がいた)」、「MYSTERY IN MY LIFE(哀しき街)」、「IT'S NOT MY AFFAIR(せつなくて)」、「GOOD TO HAVE YOU HERE(Yes-No)」の計9曲。
- ^ タモリは1976年ごろから「女々しい」、「歌が軟弱、根暗な奴が聞く曲だ」と、ラジオ番組で盛んに批判・揶揄した。これによりオフコースのファンから所属事務所へカミソリ入りの脅迫状が届くまでになったが、小田本人はタモリのことは「けっこう好き」と雑誌『ギターブック』でファンからの質問に回答し、このときの出演も簡単にOKした。
- ^ 曲目:おまえが欲しいだけ (吉田拓郎) – Yes-No
- ^ 曲目:緑の日々 – 君住む街へ – LAST NIGHT – 夏の日 – こころは気紛れ – 逢いたい – 時に愛は – 言葉にできない – きかせて – たそがれ – 夏の別れ – IT'S ALL RIGHT(ANYTHING FOR YOU) – She's so wonderful – 君が、嘘を、ついた – ぜんまいじかけの嘘 – Tiny Pretty Girl – YES-YES-YES – 生まれ来る子供たちのために – 君住む街へ – (アンコール) Yes-No – 眠れぬ夜 – 愛を止めないで – いつもいつも
- ^ このときも小田は「言葉にできない」で声を詰まらせた。
- ^ 小田にとってグループ解散後初の、元メンバーの楽曲へのレコーディング参加作品。
- ^ 当時、未CD化だったシングル曲を収録。
- ^ 1990年代末、ビクター・エンタテインメントや東芝EMIで企画された『TWIN BEST』シリーズの一つ。いずれも著名曲を『Disc 1』、隠れた良曲を『Disc 2』にそれぞれ収録。「アルバムレコードのAB面」に相当する形で構成されている。
- ^ EMI公式サイトでは、発売日が「1997.9.10」となっている。
- ^ オフコース・ファミリー著『はじめの一歩』(サンリオ)1983年8月15日初版発行 1巻:P61~70
- ^ a b 1979年12月1日発売 EP:ETP-10655
- ^ 1980年6月21日発売 EP:ETP-17003
- ^ a b c 1982年6月10日発売 EP:ETP-17362
- ^ a b 1984年4月21日発売 EP:07FA-1001
- ^ a b 1980年11月21日発売 LP:ETP-90038
- ^ a b 1981年12月1日発売 LP:ETP-90150
- ^ 1991年2月6日発売 SCD:FHDL-1004
- ^ 1979年10月30日初版 八曜社
- ^ 1979年1月20日発売 EP:ETP-10524
- ^ 1981年9月1日発売 LP:ETP-90106
- ^ 1981年6月21日発売 EP:ETP-17169
- ^ 1982年7月1日発売 LP:ETP-90180
- ^ a b 1980年12月1日発売 EP:ETP-17100
- ^ 1987年~1991年
- ^ 『伝え合う言葉』 教育出版
- ^ 1982年2月1日発売 EP:ETP-17280
- ^ 小貫信昭 著 2005年3月18日初版 ソニー・マガジンズ
- ^ 1985年8月1日発売 LP:28FB-2020
- ^ Gallery-Untitled 松尾一彦公式サイト内BBS “2677 Re:2674 I always cry at christmas。”投稿日:2009/12/25(Fri) 18:15
- ^ Lyric by 小田和正 / 桜井和寿(Mr.Children) / RYO(ケツメイシ) / 若旦那(湘南乃風) Song by 小田和正 Vocal by 絢香 / 小田和正 / 加藤ミリヤ / TAKE(Skoop On Somebody) / TERU(GLAY) / 一青窈 / RYO(ケツメイシ) / 若旦那(湘南乃風) Guitar by TAKURO(GLAY)
[編集] 外部リンク
- Off Course EMIミュージック・ジャパンによるオフコース公式ページ
- Far east cafe 小田和正の公式ページ
- 鈴木康博オフィシャルページ
- Soul & Beat Unit 天地人 大間参加のバンド「天地人」の公式ページ
- Acoustic Beatles Club 松尾•清水•大間によるバンド「ABC」の公式ページ
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