チューリップ (バンド)

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チューリップ
基本情報
出身地 日本の旗 日本 福岡県福岡市
ジャンル ニューミュージック
活動期間 1972年 - 1989年
1997年 - 2008年
2012年 -
レーベル 東芝EMIファンハウス日本コロムビアビクターエンタテインメント
事務所 有限会社ピラミッド
メンバー
財津和夫ボーカルギターキーボード
姫野達也(ボーカル、ギター、キーボード)
安部俊幸(ギター、ボーカル)
上田雅利ドラムス、ボーカル)
宮城伸一郎ベース、ボーカル、ギター)
旧メンバー
吉田彰(ベース、ボーカル)
伊藤薫(ドラムス、ボーカル)
松本淳(ドラムス、ボーカル)
丹野義昭(キーボード、ボーカル)
高橋ひろ(ボーカル、キーボード)

ビートルズ

チューリップTULIP)は、日本の音楽グループ。

概要

1970年前身のザ・フォーシンガーズとして結成、1989年一時解散。1997年に再結成。ロックでもフォークでもない新しい音楽分野「ニューミュージック(Jポップスの草分け)」を開拓したバンドのひとつ。

当時はかぐや姫海援隊甲斐バンドなど多くのアーティストが九州から誕生しミュージックシーンをにぎわせたが、チューリップも博多出身のバンドだった。

ビートルズに影響を受け、リーダー財津和夫は和製ポール・マッカートニーを自認、メロディアスでポップな作品を多数、世に出した。また、メンバー全員が作詞作曲ボーカルを担当していることも特徴で、この方針は伝統的に続けている。

経歴

1970年1969年説あり)、財津が中心となって西南学院大学在学中に吉田彰、宗田慎二、末広信幸と共に 福岡市で結成。
 この時期に、オムニバスに数枚参加したりシングルを数枚出している(財津は1995年にNHKの企画でこの時期のメンバー数人と再会し、当時の曲「柱時計が10時半」を共に演奏している)。後、メンバーの宗田慎二と末広信幸は、東京でブレークする前に脱退。

何度かメンバーが入れ替わるも、海援隊から上田雅利を引き抜いたのを最後に、5人のメンバー財津(ボーカル、ギター、キーボード)、姫野達也(ボーカル、ギター、キーボード)、安部俊幸(ギター)(安部を引き抜きにきた現場で『私の小さな人生』が書き下ろされたことを、後に安部自身が述べている)、上田雅利(ドラムス)、吉田彰(ベース)で本格的に活動を開始する。

1972年、上京。当時の所属事務所シンコー・ミュージック初の専属アーティストとして東芝音楽工業(現:EMIミュージック・ジャパン)から「魔法の黄色い靴」でメジャーデビュー。翌1973年に出した3枚目のシングル「心の旅」が5ヶ月かけてレコード売り上げ1位を記録し、一躍有名となる。その後も「青春の影」(1974年)、「サボテンの花」(1975年)、「虹とスニーカーの頃」(1979年)など数々の作品を輩出。その名を不動のものとする。第1期の特徴は「風のメロディ」(1976年)など財津と姫野のツインボーカル楽曲を用意していた点である。

1980年、上田、吉田が相次いで脱退。新たに宮城伸一郎 (b)、伊藤薫 (ds) を迎え、チューリップ第2期に入るが、さらに1985年、姫野、安部、伊藤が『涙のパーティ』のリリースを最後に脱退しオールウェイズを結成、オリジナルメンバーは財津を残すだけとなった。

1989年、アルバム『Well』を最後に一旦解散。財津和夫は本格的にソロ活動に入る。

1997年に再結成以降(財津、姫野、安部、上田、宮城)ライヴ活動を展開し往年のファンを動員している。以後10年の間に4度の再結成を行う。

2007年、全国ツアーの日程と同時に、「再結成は今回で最後」と足掛け35年に及ぶバンド活動に再び幕を下ろすと発表された。5月30日に18年ぶりのオリジナルアルバム『run』発売。「紅白でバンド活動に終止符を」と第58回NHK紅白歌合戦でファイナルとなることが示唆されていたが、出場を辞退した。そのためかどうかは不明だが、翌年2008年第59回NHK紅白歌合戦のオープニング・ナンバーとして、財津作詞・作曲の「切手のないおくりもの」が採用された。

2012年、40周年を記念したベスト盤の発表とコンサートツアーを実施。

メンバーとの出会いと別れ、再会のエピソード

アマチュア期 (1970-1971) - 財津和夫、吉田彰、宗田慎二、末広信幸

財津和夫は、音楽の道を直走りに走っていた時代のメンバーと同窓会紀行 「それぞれの歌の別れ ~財津和夫と仲間たち~」 (1994.12.30 NHK総合)という番組で再会を果たし、財津の過去の仲間への思いとわだかまり、そして過去の仲間が当時の心情と財津への思いを腹を割り同番組で語り合っていた。アマチュア期とのメンバーで最初に出した「私の小さな人生」というレコードが出てから25年が経ち、財津は昔の仲間の本当の気持ちが知りたくなりこの番組に出演することになった。そして、故郷の福岡に帰郷し、再会を果たす。

財津和夫は、高校時代からの親友である吉田彰と共にミュージシャンを目指していた。プロのミュージシャンを目指していた西南学院大学時代、キャンパス内のチャペルで末広信幸に出会う。美声を発する末広を見て財津は、すぐにスカウトをした。うまいプレイヤーを見つけるとすぐに自分のバンドに引き入れる財津は「バンド潰しの財津」と呼ばれていた。末広信幸は脱退後、音楽の世界と別れ15年間のサラリーマン生活をし、その後電気店を経営。そして、89年から新聞販売店に切り替えているという。 宗田慎二も財津に才能を買われ、他のバンドを脱退してチューリップに加入した仲間であった。宗田慎二は、現在福岡市内で録音スタジオを経営している。当時、宗田にはプロへの意志はなく普通に就職する事を希望していた。 しかし、4人は地元でたちまち人気になり、TV番組やライブハウスの活動、ラジオ番組などが増えていった。多忙な日々を過ごして4年生になるころには、ファンクラブが結成された。大学4年の冬、東京のレコード会社から声がかかり、プロデビューを目前としていた。 だがしかし、財津の野心とは裏腹に宗田慎二も末広信幸も心が揺らいでいた。東京でのレコーディングを終えて地元に戻ってきた後、宗田と末広から脱退の連絡を受ける。末広は、財津に「もう財津の敷いた線路の上には歩けないんだ」といわれる。財津も番組で当時を振り返って「うすうすは、そうなる(脱退する)のかなと感じていた。」と語った。

そして、25年後、財津は宗田と末広を当時一緒に活動をしていたライブハウス「照和」へ呼び出しそこで久々の3人だけのライブを行う。そこでアマチュア時代の代表曲「柱時計は10時半」を披露。これをきっかけに財津は、宗田と末広の今も残る音楽への熱い気持ちを感じ取っていた。そして、ライブ後に財津は、なぜ当時二人がチューリップを離れたかを聞き出す。財津は、プロへの野心が強かったあまり、他人の気持ちを推し量ることができなく二人を傷つけていたことに気がつく。当時のエピソードとして宗田が語ったのは、財津が他のバンドを辞めさせ引き抜きをしたメンバーが、思いのほか下手クソであり、以後そのメンバーと鉢合わせしないよう警戒したり、練習場所を教えない等、財津の無責任で傍若無人な行為の徒党を組まされた事。宗田と末広の辞めた理由の中に「財津の敷いた線路の上には歩けない」もひとつだったがそんな思い上がった人間(財津)と付き合いたくないという気持ちもあったという。けれども二人の中には財津には自分無しでやっていける才能があると当時から高く評価していることもカミングアウトした。そして、自分たちにとって財津のことが多少脱退する理由にも入っていたが一番の理由は、プロでやっていく実力が財津ほどなく将来への不安があったことを告げた。 しかし財津は、二人に当時自分は「生意気にもこれが私の考える最強メンバーだと思っていたのね。それで無しってなった時、手足をもぎ取られた感覚になったよ」と初めて思いを伝えた。 腹を割って話をした後、わだかまりも解け、その後3人は初めて一緒にレコーディングした曲「私の小さな人生」を宗田のスタジオで鑑賞し、男の友情を確かめあった。財津は、この話し合いをきっかけに「自分の中にあった嫌な部分がやっぱり振り返ってみてはっきりでてきたなと。すごく反省させられました」とコメント。

ディスコグラフィー

シングル

  1. 魔法の黄色い靴(1972年6月5日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ・木田高介
  2. 一人の部屋 (1972年9月20日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  3. 心の旅 (1973年4月20日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ/リードボーカル:姫野達也
  4. 夏色のおもいで (1973年10月5日)
    • 作詞:松本隆/作曲:財津和夫/編曲:チューリップ/リードボーカル:姫野達也
  5. 銀の指環 (1974年1月20日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ/リードボーカル:姫野達也
  6. 青春の影 (1974年6月5日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  7. ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily〜 (1974年10月5日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ・青木望/リードボーカル:姫野達也
  8. サボテンの花 (1975年2月5日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  9. 悲しきレイン・トレイン (1975年7月20日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ・青木望/リードボーカル:姫野達也
  10. 娘が嫁ぐ朝 (1976年4月20日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  11. 風のメロディ (1976年9月5日)
    • 作詞:財津和夫/作曲:財津和夫・姫野達也/編曲:チューリップ/ボーカル:姫野達也と財津和夫
  12. ブルー・スカイ (1977年6月5日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  13. WELCOME TO MY HOUSE(1977年11月20日)
    • 作詞:Bert-T/作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  14. 夕陽を追いかけて (1978年6月20日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  15. 約束 (1978年10月20日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  16. 虹とスニーカーの頃 (1979年7月5日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  17. I am the Editor(この映画のラストシーンは、ぼくにはつくれない) (1980年7月21日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  18. さよなら道化者 (1981年3月5日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ・椎名和夫
  19. ふたりがつくった風景 (1981年10月1日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  20. We Can Fly (1982年4月1日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  21. 星空の伝言 (1983年3月1日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  22. 夏の夜の海 (1983年7月1日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  23. たったひとりのオーディエンス (1983年12月21日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  24. 愛の迷路(1984年3月21日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  25. it WAS love (1984年6月30日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  26. もっと幸せに素直になれたら (1985年1月19日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  27. アイ・アイ・アイ (1985年6月29日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  28. 涙のパーティー (1985年10月19日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  29. くちづけのネックレス (1986年3月31日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  30. 愛の風 (1986年5月22日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  31. Morning Squall/愛になりたい (1987年5月1日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  32. 抱きあって/Primary Color/セプテンバー (1987年9月1日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  33. 真っ赤な花と水平線/オレンジの花火 (1988年4月1日)
  34. ストロベリー・スマイル/STATION (1989年2月21日)
  35. サボテンの花 (1997年4月9日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  36. We believe in Magic/ぼくがつくった愛のうた (1997年4月23日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  37. シェア/ひとつの道 (1997年7月2日)
  38. この愛は忘れていいよ/再会の日(LIVE) (1997年12月17日)
    • 作詞・作曲:財津和夫/編曲:チューリップ
  39. あなたのいる世界/風の中の子供のように/You are in the world (2002年6月5日)
  40. hope/DAKARA (2005年5月21日)

1990年には吉田栄作が『心の旅』を、2002年にはソウル・フラワー・ユニオンが『アイ・ラヴ・ユー』を、2011年には中川敬ソウル・フラワー・ユニオン)が『しっぽの丸い小犬』をカバーした。また、彼らの作品は様々なドラマ挿入曲(「ひとつ屋根の下」の『サボテンの花』など)やCMソング(「グリコポッキー」の『ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily〜』、関西電力「企業広告 阪神・淡路大震災から10年」の『青春の影』など)に採用されている。あまり知られていないがデビュー当時、コーリン鉛筆シャープペンシル「jib」のCMソングも手がけた。

アルバム

オリジナル

  1. 魔法の黄色い靴(1972年6月5日)
  2. 君のために生れかわろう(1972年12月20日)
  3. TAKE OFF(離陸)(1974年4月5日)
  4. ぼくがつくった愛のうた(1974年10月5日)
  5. 無限軌道(1975年4月5日)
  6. 日本(にっぽん)(1975年12月1日)
  7. MELODY(1976年9月5日)
  8. WELCOME TO MY HOUSE(1977年8月5日)
  9. Upside-down(1978年9月5日)
  10. Someday Somewhere(1979年7月20日)
  11. THE LOVE MAP SHOP(1981年3月5日)
  12. THE 10th ODYSSEY(1981年11月1日)
  13. 2222年ピクニック(1982年7月1日)
  14. Halo(1983年5月1日)
  15. I dream(1984年1月21日)
  16. New Tune(1985年1月19日)
  17. I Like Party(1985年8月31日)
  18. Jack is a boy(1986年5月22日)
  19. PRIMARY COLOR(1987年6月1日)
  20. そんなとき女を好きになる(1988年4月1日)
  21. Well(1989年2月21日)
  22. We believe in Magic Vor.1(1997年5月21日)
  23. We believe in Magic Vor.2(1997年7月24日)
  24. run(2007年5月30日)

ライブ

  1. LIVE!! ACT TULIP(1973年12月1日)
  2. LIVE!! ACT TULIP Vol.2(1976年12月1日)
  3. LIVE!! ACT TULIP Vol.3 鈴蘭&田園ライブ!!(1978年12月1日)
  4. TULIP LIVE The 1000th(1982年12月21日)
  5. 8.11 PAGODA(1984年9月29日)
  6. コンサートはチューリップ(1985年12月21日)
  7. TULIP FINAL TOUR Well(1989年9月10日)
  8. Live Act Tulip '97 Magical History Tour(1997年12月17日)
  9. LIVE ACT TULIP 2001年心の旅(2000年11月1日)

企画・コンピレーション

  1. 心の旅(1973年6月5日、新曲と既発曲で構成されたセミ・ベスト)
  2. すべて君たちのせいさ All Because Of You Guys(1976年6月5日、ビートルズのカバー集)
  3. チューリップ・ガーデン(1977年11月5日)
  4. TULIP LAND(1982年8月14日)
  5. チューリップ白書(1988年10月1日)
  6. TULIP Anthology 1〜Rare Tracks〜(2000年9月6日)
  7. TULIP 40〜すべてのシングル40曲 デビュー40周年を記念して〜(2012年6月6日)

メンバー

アマチュア期 (1970-1971)
財津和夫、吉田彰、宗田慎二、末広信幸
第一期 (1972-1979)
財津和夫、吉田彰、安部俊幸、上田雅利、姫野達也
第二期 (1980-1985)
財津和夫、安部俊幸、姫野達也、宮城伸一郎、伊藤薫
第三期 (1986-1989)
財津和夫、宮城伸一郎、丹野義昭、松本淳(1987年7月脱退)、高橋裕幸(1987年4月加入)、鈴川真樹(サポートメンバー)、松本光雄(サポートメンバー)、菊地圭介(サポートメンバー)、北原拓(サポートメンバー)、小林涼(サポートメンバー)、上野義雄(サポートメンバー)
1989年解散ツアー時メンバー
財津和夫、宮城伸一郎、丹野義昭、高橋裕幸、安部俊幸(ゲスト)、姫野達也(ゲスト)、大久保敦夫(サポートメンバー)
再結成(1997-2007,2012)からのメンバー
財津和夫、安部俊幸、上田雅利、姫野達也、宮城伸一郎

コンサート

野外コンサート

チューリップは4回の大規模な野外コンサートを行っている。

ライブ・アクト・チューリップ・イン・鈴蘭

初の野外コンサートは、1978年(昭和53年)7月26日岐阜県御嶽鈴蘭高原スキー場で行われた。テーマは、「YOU'LL FIND ANOTHER SPACE!」。交通の不便なところではあったが、全国からバス・ツアーを中心に約8000人が集まった(動員数はファイナル・コンサート・ツアーパンフレットより、以下同様)。ベンチャーズで有名な「TELSTAR」をオープニングにビートルズやウィングス、オールディーズのカヴァーを含む中期チューリップの集大成となる40曲あまりが演奏された。ハイライトは、財津和夫のソロアルバム『宇宙塵』から『光の輪』であった。この曲は、後の野外コンサートでもハイライトに演奏されている。アンコールではPAのトラブルから音が出なくなるアクシデントもあったが、観客が一緒になって歌いコンサートを盛り上げた。

この日前座を務めたのは、当時アレキサンダー・ラグタイム・バンドと名乗っていた後のARBで、ベースを弾いていたのはこの後チューリップのメンバーとなる宮城伸一郎であった。

コンサートの模様は、2ヵ月半後大田区田園コロシアムで行われたコンサートとともに、『ライヴ!アクト・チューリップVOl.3鈴蘭&田園ライヴ』としてライブ・アルバムがリリースされたほか、フィルムも撮影され後にビデオでもリリースされた。ただしアルバムの方はほとんどが田園コロシアムでのライブで、鈴蘭でのライヴはわずか(2枚組LPの1面のみ)である。

ライブ・アクト・チューリップ・イン・鈴蘭2

2度目は、2年後の1980年(昭和55年)の同じ日、場所も同じ鈴蘭高原で行われた。テーマは「LOOKING FOR EUPHORIA」で、15000人を動員した。チューリップはこの年の初めにメンバーチェンジを行っており、新編成での初の本格的なコンサートでもあった。

しかし、当日は豪雨に見舞われ、場所が高地で気温が低い上に夜間の開演ということも重なり、観客は寒さに耐えなければならず、さらに楽器類も水をかぶりまともに音がでないというコンディションの中で行われた。

この日のオープニングは、後にチューリップ・コンサートの定番となる「Shooting Star」で、この日のために用意された曲だった。雨のため、演奏曲目や演出を大幅に変更せざるをえなかったものの30曲近くが演奏された。

後日、コンサートを完全収録したカセット・テープが、当日の観客全員に記念として送られた。後に『ライヴ!アクト・チューリップ・イン・鈴蘭2』として、ミュージック・テープが一般発売された。このテープは、1993年に一度だけCD化されている。また、前回と同様にフィルムも撮影され、ビデオもリリースされた。

ライブ・アクト・チューリップ・ザ・1000TH

コンサート1000回目を記念する3度目は、1982年(昭和57年)8月14日よみうりランドサッカー場に21000人を動員して行われた。よみうりランド遊園地は、ある方向から見ると靴の形に見える。このことから、デビュー曲の「魔法の黄色い靴」にちなんで遊園地全体を「チューリップ・ランド」と称し、昼は遊園地、夜はコンサートを楽しむという趣向で、当日の園内では、1000回を記念した飾り付けやファン向けのイベントが行われた。

ステージは、前回の雨に懲りたのか巨大なテントが張られたステージとなった。「The Love Map Shop」をオープニングに、30曲近くが演奏された。花火や爆竹の演出は、過去2回の経験を踏まえてか、過去最高のものであった。特に、クレーンで吊るされた巨大なミラーボールが一面に光を放つシーンは圧巻であった。

このコンサートも『チューリップ・ライヴ・ザ・1000TH』として、ライヴ・アルバムがリリースされた。また同時に、フィルム撮影もされていたが、このフィルムは当時上映会が行われて以降、長い間、所在が不明の「幻の映像」となっていた。しかし、2006年にフィルムが発見され、2007年になってBOXセットの一枚としてDVD化され発売された。

チューリップ・ランド・イン・芦ノ湖 8.11パゴダ

最後の野外コンサートは、1984年(昭和59年)8月11日に芦ノ湖畔箱根ピクニックガーデンで行われた。テーマは「人間以上の日」で、25000人を動員した。実際に、芦ノ湖畔に20数メートルの高さのパゴダ(仏塔)が建造された。そのパゴダに象徴されるように、野外コンサートらしい演出は控えめで「人間以上の日」というテーマを重視したと思える演出であった。鐘が鳴り渡り『THE 10TH ODYSSEY』で始まったコンサートは、後期チューリップの代表曲を中心にした30曲近くが演奏された。

過去3回の野外コンサートで撮影されたフィルムがほとんどドキュメンタリー的な内容だったのに対して、このコンサートでは初めて本格的なライヴ・ビデオとして撮影され、また民放でテレビ放送も行われた。アンコールでは久々に『心の旅』が演奏されたが、自らをパロディ化するような派手なラメの入った衣装での演奏であった。この時の映像は現在も時々CMに使われることがあり、このシーンだけを見た人に誤解を与えかねない映像となっている。

『8.11パゴダ』としてライヴ・アルバムもリリースされたが、このライブ・アルバムは未だCD化されておらず、チューリップの全アルバムの中で未だCD化されていない2組のうちの1組となっている。

初の日本武道館公演

グループは当初、「尊敬するビートルズが行った会場では、(憧れが強すぎて)コンサートをしたくない。」という意向で、「日本武道館では、コンサートは行わない。」ことを明言していたが、1997年に再結成を果たした際、10月2日・3日に「Magical History Tour」と銘打ち、グループとしては初の武道館公演を行った。

ファイナル・ツアー

35年間の全国コンサート・ツアー活動に終止符を打つために行われた。当初2007年12月の福岡公演が最終公演であったが、好評につきツアーを延長。2008年2月の大阪公演を持ってツアーは終了した。

  • Live Act Tulip 2007~2008 ~run~
2007年
6月2日 和光市民文化センター
6月15日 市川市文化会館
6月24日 大宮ソニックシティ
6月29日・30日 北海道厚生年金会館
7月6日 神戸国際会館こくさいホール
7月20日 東京国際フォーラム ホールA
7月22日 神奈川県民ホール
9月1日・2日 大阪フェスティバルホール
9月15日 広島厚生年金会館
9月17日 長崎ブリックホール
9月24日 東京国際フォーラム ホールA
10月14日 仙台サンプラザホール
10月21日 東京国際フォーラム ホールA
10月26日 鹿児島市民文化ホール(第1)
10月28日 名古屋センチュリーホール
11月11日・24日・25日 大阪フェスティバルホール
11月29日 金沢歌劇座(金沢市観光会館)
12月1日 名古屋センチュリーホール
12月7日 香川県県民ホール(グランド)
12月13日・14日 福岡サンパレス
2008年
1月14日 倉敷市民会館
1月25日 大分iichikoグランシアタ
1月30日 名古屋センチュリーホール
2月1日 長野県県民文化会館(大ホール)
2月12日 大阪フェスティバルホール

ライブ喫茶「照和」

チューリップをはじめ井上陽水、海援隊、甲斐バンドなど九州、特に福岡出身の多くのアーティストが出演していたことからしばしば“伝説の照和”と称される[1]ライブ・ステージを備えた喫茶店。所在地は福岡県中央区天神二丁目。もともとオーナーはレストランにするつもりであったが当時フォークソングがブームになりつつあったことから生演奏をやったほうが人が集まると考えたマネージャーの進言によりライブ喫茶となる。“喫茶”なのは当時のフォーク・ブームの中心が高校・大学生であると考えたマネージャーの判断による。

チューリップが出演するようになったのはアマチュア期チューリップ(財津、吉田、宗田、末広)から。当初は大学のフォーク・サークルを中心に出演者を探していたが、チューリップは当時既にかなりの人気であった[2]ため直接出演依頼されたようである[要出典]。一方財津のほうも単なる出演先の一つ程度の認識であったらしい。またチューリップ加入前、姫野達也は「ライラック」、安部俊幸は「ハーズメン」として照和に出演していた。第二期チューリップのドラマーである伊藤薫も「リンドン」在籍時に照和に出演したことがある。

その後メンバー2名が脱退してしまう(『魔法の黄色い靴 (アルバム)』収録の『あいつが去った日』はこの事件に触発されたものと思われる)と財津和夫は他のグループから引き抜くような形でメンバーを集め第一期メンバー(財津、吉田、安部、姫野、上田)を揃えるが練習場所がなかったため、照和を練習場所として使えるように交渉し、営業終了後の店内を使って深夜から朝まで猛練習を行うようになるのであった。
ちなみに安部俊幸は著書『ティータイム・トーキング』の中で、照和の待遇の悪さ(出演料の安さや食事の粗末さ)からチューリップが照和出身といわれることは不本意である旨のことを書いている。

2002年7月7日、デビュー30周年を記念して照和で定員限定30名のライブが行われた。チケットは入札式で高額入札者上位30名が入場でき収益はチャリティに寄付されるというものだった。最終的に1050万円以上の入場料を集め福岡市に寄付された。
2002年に財津和夫出演の保険会社のCM、2006年にはチューリップ出演のビール会社のCMが照和で撮影されている。

  1. ^ 富澤一誠は1982年に『「照和」伝説』を講談社から上梓、また同年東芝EMIも同題のLPアルバムを発売した
  2. ^ 富澤前掲書

関連項目

外部リンク