「報道におけるタブー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
出典の明記
75行目: 75行目:


==== 荊タブー ====
==== 荊タブー ====
荊(いばら)は[[部落解放同盟]]の団体旗である[[荊冠旗]]に由来する。[[部落解放同盟]]をはじめとする一部の同和団体が政府の同和政策に癒着し、同和利権を構成していることについてマスコミが批判できないこと。また、一般的な事件の犯人や関係者が同和関係者であり、事件の本質的な原因として同和問題が関わっている場合であっても同和問題には一切触れず、一般的な事件であったかのような報道をする傾向がある。
荊(いばら)は[[部落解放同盟]]の団体旗である[[荊冠旗]]に由来する。[[部落解放同盟]]をはじめとする一部の[[同和団体]]が政府の同和政策に癒着し、[[同和利権]]を構成していることについてマスコミが批判できないこと。また、一般的な事件の犯人や関係者が同和関係者であり、事件の本質的な原因として同和問題が関わっている場合であっても同和問題には一切触れず、一般的な事件であったかのような報道をする傾向がある。


万が一、部落解放同盟をはじめとする同和団体を批判すると部落解放同盟から[[確認・糾弾]]などを受け強要や暴力行為の被害に発展する可能性もあるため、各社共にこうした問題には及び腰となっている。
万が一、部落解放同盟をはじめとする同和団体を批判すると部落解放同盟から[[確認・糾弾]]などを受け強要や暴力行為の被害に発展する可能性もあるため、各社共にこうした問題には及び腰となっている。

2013年9月22日 (日) 07:27時点における版

報道におけるタブー(ほうどうにおけるタブー)では、マスコミが不祥事などの否定的な報道を行うことを控えている特定の事柄について記述する。

概説

およそ表現の自由が認められている国では、報道の自由が認められており、少なくとも建前上は報道にタブーなるものは存在しない。日本においても日本国憲法により言論の自由報道の自由が認められており、見かけ上はタブーは存在しない。しかし、実際には諸事情により、マスメディアが特定の事件や現象について報道を控える話題・問題が存在する。日本ではキー局全国紙など広範囲に影響を与えるメディアほどその傾向が著しく、こうした姿勢に対する批判も存在する。

しかし日本と欧米を中心とした諸外国では、表現の自由に係る根本的な考え方に大きな違いがある(詳しくは表現の自主規制を参照)。すなわち報道内容に係る責任の帰属が、欧米を中心とした諸外国では表現者であるが、日本ではマスコミであり、日本では訴訟となると、マスコミ側にまず勝ち目はない。従って日本では読者や視聴者、官庁、企業や団体、他国から抗議・圧力を受けたり、訴訟を起こされたり、物理的ないし経済的な損失を被る危険がある話題について、大多数のマスコミは触れたがらないのである。すなわち、タブーの本質はマスコミという組織の中にある。

一方、欧米を中心とした諸外国では表現者に責任が帰属するため、報道内容は多様であるのが普通、被取材者の表現を肯定あるいは否定するマスコミ自身の表現も加わり、日本では偏向報道として問題となるような、自由な報道内容もある。すなわち一見、タブーは存在せず、他社が報道しないことを報じていることを売り物にするマスコミが多数あるように見えるが、表現の責任の所在は原則、個人であるため、タブーは表現者個人(被取材者のみならず、各マスコミや個別案件ごとの担当者)の中にそれぞれある。また、過去の歴史的経緯などから特定の内容の報道について、法律による一定の規制を課しているところもある。一方で「いちいち規制するものという概念」そのものがないことも多く、結果、むしろ無数に存在する。

日本にも、他社が報道しないことを報じていることを売り物にするマスコミもあるが[1]、欧米を中心とした諸外国ほど多くはない。

具体的なタブー

日本では「利益衡量」基準(表現を認めた場合と規制した場合とのそれぞれの社会的利益を比較衡量して判断するもの)、欧米を中心とした諸外国、特に米国では理論化された「明白かつ現在の危険」基準(表現行為が重大な害悪を発生させ、明白かつ現在の危険をもたらさない限り表現の規制を認めないとするもの)が大元である。報道関係者が「○○はタブーです」と公式に言うことはないので明記はできない。

推測・日本の報道におけるタブー

タブーというものは明示されないものであり、特に日本では「利益衡量」基準が定着していることから非常に難しい。そして、日本における報道のタブーについては各個人の思想などによっても様々な主張がされており(特に政治思想の右派左派宗教の各宗派などで)、統一されていない。もとの基準自体が相当曖昧、すなわち「ケース・バイ・ケースでどのようにでもなる」ものであることから、統一されないのは当然という見方もある。ただし日本の場合、タブーは各マスコミの中にあり、各放送局が自主的に定める「放送基準」に「自主規制」が示されていること、概ね報道システムが公開されていることから推測は可能である。以下では日本のマスメディアが何らかの事情で報道を控える傾向のある事柄について類型ごとに概観する。あくまで傾向であり、必ずしもすべてがタブーという訳ではない。

メディアタブー

テレビ報道や新聞各紙、即ちマスメディアそのものの在り方などを批判するようなことはタブーである。これは自分自身を否定してしまうことに繋がるため、マスメディア自身が電波を通して公式の見解として発表することは勿論、視聴者である国民が一意見として投稿したものを大々的に認めることは有り得ない。つまり、テレビや新聞等のメディアに、メディアそのものの是非を求めても無意味であり、たとえ機会があったとしても当たり障りのない議論しかなされない。その為、国民はマスメディアに対する批判をBPOに寄せたり、インターネットを使って世間に発信することになる。

記者クラブタブー

記者クラブは、公的機関や業界団体などの各組織を継続取材を目的とするために大手メディアが中心となって構成されている任意組織である。官公庁なども記者クラブのみを対象とした定例の記者会見を開くなど持ちつ持たれつの関係も見られる。

記者クラブは官公庁内に記者室とよばれる一角を占めることが許されている。記者室の賃借料は無く、光熱費も官公庁丸抱えなど、指摘点は多岐にわたるが、「官公庁の無駄な出費」「税金の無駄遣い」と指摘(報道)されることは全くない。

記者クラブに非加盟の報道機関に対しては取材活動が制限されることも多い。また、非加盟の報道機関が記者クラブに新たに加盟するには記者クラブ加盟報道機関の同意が必要で、拒否されることも多い。

日本の報道における最大のタブーといわれる。閉鎖性が堅固になったのは1969年博多駅テレビフィルム提出命令事件最高裁判決以降である。

海外の報道機関からは「日本の閉鎖性的報道制度」を象徴する制度として有名で、度々批判を受けている。また一般の国民の認知度も低い。なお、今日なおこのような制度が残存している国として、日本以外にはガボンジンバブエを挙げることができ、先進国では日本のみとなっている。

一般的な海外の「プレスクラブ」は、自前の建物に娯楽設備などを用意し、勉強会や、ピクニックなどのイベントで国籍などにかかわらず記者としての交流を深めるのを目的としている。すなわち個々の記者同士の親睦を深め、個人レベルでの取材ネットワークを形成するための私的な団体であり、日本のそれとはまったく趣旨が違う。

スポンサー・広告代理店タブー

スポンサーからの広告収入によって事業が成立している民放(特に東京キー局において)では、広告媒体として視聴者のレスポンス、消費意欲を損ね得る番組内容は実現し難いのが通例である。

2008年6月1日放送の『新ニッポン人』(テレビ東京)において司会者久米宏は「民放というのは、物が売れない、人々が物を買わない、という番組は非常に難しいんですよね。よくこの番組ができたと思います」と述べた。また、CMを軽視する発言をした乱一世が一時的に番組から外された例がある。

このため、民放で昼夜を問わず通販番組が多く放送されている。とりわけ一日の多くがテレビショッピングで占められている局(特に在京独立UHF局、衛星放送局)が存在している問題について報道されることはほとんどない(この批判は従来からあり、2011年には各局が量を明確に削減するよう求められた[2])。『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)において出演者の岡村隆史はテレビ放送でのお笑いについて述べたのに加えて「報道と通販しかやらなくなったらどうする?」と述べた(それに対して相方の矢部浩之が「それでも見るけどな」と返した)。

同じ理由で、マスメディア、特に民間放送新聞に対して大きな影響力を持っている大口スポンサーや広告代理店の事故や不祥事、雇用環境の問題など、不利な報道を行うことは巨額のCM広告収入を途絶えさせる事であり、死活問題につながる。上記のことから社会問題すら見過ごされることすらある。例として、大口スポンサーである電力会社に対する配慮から、原子力発電所の危険性についての報道が福島第一原子力発電所事故以前にはほとんどなされなかった事があげられよう。

ただし、いわゆる中小企業や、大企業であっても民間放送への影響の小さい企業はこの限りではない。

芸能プロダクションタブー

各局のテレビラジオ番組に多数の出演者を送り込んでいる芸能プロダクションレコード会社も含む)や、そこに所属する芸能人の不祥事、スキャンダルは、取材拒否・出演拒否(番組が制作出来なくなるなど)を恐れ、特に在京キー局を中心とした大手マスコミでは取り上げないことがほとんどである。報道される場合においても、本来「容疑者」や「被告(人)」と表記される部分を、「(元)メンバー」、「(所属)タレント」、「司会者」、「狂言歌舞伎俳優」、「ボーカル」、「ギタリスト」、「落語家」などと本人の芸能界での肩書きによる不自然な呼称表現で済まされること、また「さん」付けにされることが批判されている(2011年8月に島田紳助暴力団との親密な関係を問われて引退に追い込まれた際、記者会見で当該問題を質した取材者は皆無で、ほとんどの質問が「芸能界での思い出について」など当たり障りのない内容であった。また会見の生中継はニコニコ生放送のみで行われた[3])。

これらは主に、逮捕後処分保留で釈放された直後や、書類送検・略式起訴・在宅起訴で済まされた事例で多く、後述のように逮捕→起訴→有罪の場合はこの限りではない。

しかし、読売テレビアナウンサー道浦俊彦は、「『メンバー』などの不自然な呼称を付けるのは、実名に肩書きを付けて報道するのが原則の在宅捜査に切り替わるにあたり、適当な呼称が存在しないからであり、芸能プロの圧力ではない」としている[4][5]

関西における芸能のタブーとしては、吉本興業松竹芸能の両所属タレントが、同じ番組、同じ舞台に同時に立つ事はほぼ皆無である。これは過去に両事務所間で所属芸人の引き抜き合戦があったことに端を発しており、現在ではほぼ慣例化していて、両事務所のタレントが同じ場所に出演する場合は、同時に他事務所のタレントを起用しなければならないといった慣例が続いている。一方、事務所から独立した個人事務所タレントである場合は制約も緩くなり、柔軟なバーター営業が可能となっている。

芸能人だけでなく芸能プロダクションのトップ(または幹部クラス)や、大物プロデューサーについても同様で、不祥事だけでなく経営手法や不適切な交友関係などについて、一部週刊誌や地方のテレビ・ラジオ番組(ニュースなど)で取り上げることはあるが、在京キー局を中心とした大手マスコミでは言及すらされない事が多い。

なお、これらのタブーは、民放に限らず、NHKにも存在する。

桜タブー

桜は警察紋章つまり旭日章に由来する。権力機関である警察は、市民生活にも密着した存在である。一方で、表沙汰になった警察不祥事を含め、今日でも様々な“裏”がある可能性は、内部告発などに見るように否定しきれない。

しかし、マスコミがこれを大々的に批判・追及すると、事件取材の際に取材拒否・記者クラブからの締め出しなど不利益を受けるおそれがあるため、各社共にこうした問題には及び腰となっている。したがって、この種の取材は差し止めの影響を受けないフリーランスジャーナリストの独擅場となる。

この桜タブーを破った事例として、最近では『北海道新聞』が2004年1月より行った北海道警裏金事件追及が挙げられる。2年間で1400件の記事が掲載された一連のキャンペーンで北海道警察(道警)は組織的な裏金作りを認め、使途不明金約9億6千万円の返還に追い込まれた。また道新は日本ジャーナリスト会議大賞・日本新聞協会賞・菊池寛賞・新聞労連ジャーナリスト大賞等、各賞を受賞した。しかし、一連のキャンペーンは道警の報復を呼び取材活動で多くの支障が生じた。2006年1月の「道警の泳がせ捜査の失敗で道内に覚醒剤が流入」とした記事は道警への直接取材ができない中、伝聞に基づくものであったため、2005年3月に「不適切な記事」として「おわび」の記事掲載を余儀なくされた[6]

他にも鉄道警察隊員による愛媛県警察の裏金問題告発などがある。この警官はこれにより閑職への左遷という嫌がらせまで受けた。

また、テレビ朝日の『ザ・スクープ』は桶川ストーカー殺人事件の検証報道において埼玉県警察の怠慢捜査が殺人に至った最大の原因であると暴き、徹底追及した結果、ついに警察に非を認めさせることに成功。道新のケース同様数々の賞を受賞したが、この事が原因でテレビ朝日は同様の報道が妨害されるようになった(現在も同様の報道はしているが、反響が大きいと及び腰になるといわれる)。

さらに、メインキャスターの鳥越俊太郎が『サンデー毎日』の記者時代にイエスの方舟事件で主宰の千石イエスを匿っていたという過去からか警察庁総務省を介して番組打ち切りの圧力をかけるようになり、ついには製作元がこれに抗する事ができず、ローカル枠格下げを経て放送打ち切りに追いやられたとされている。ただし現在は不定期スペシャルとして継続している。

菊タブー

天皇皇室に対する批判や毒のある風刺に対する社会的圧力などによるタブー。

荊タブー

荊(いばら)は部落解放同盟の団体旗である荊冠旗に由来する。部落解放同盟をはじめとする一部の同和団体が政府の同和政策に癒着し、同和利権を構成していることについてマスコミが批判できないこと。また、一般的な事件の犯人や関係者が同和関係者であり、事件の本質的な原因として同和問題が関わっている場合であっても同和問題には一切触れず、一般的な事件であったかのような報道をする傾向がある。

万が一、部落解放同盟をはじめとする同和団体を批判すると部落解放同盟から確認・糾弾などを受け強要や暴力行為の被害に発展する可能性もあるため、各社共にこうした問題には及び腰となっている。

だが、21世紀に入ってから、同和対策事業が終わり、部落解放同盟をはじめとする同和団体に関する問題点が徐々に指摘されるようになってきている。中でも毎日放送の関西ローカルのニュース番組『VOICE』による追及シリーズは群を抜き、スクープを連発し、大阪市など行政当局による不正な補助金支出を度々暴露した。

アーレフタブー

すでにAlephに改称したオウム真理教に関するこのタブーは、呼称と報道内容に対するものに分けられる。

呼称に対するタブーとしては、アーレフを報道する際、「オウム真理教(アーレフに改称)」などと必ず旧名称「オウム真理教」を中心にして報道され(単に「オウム」とだけ省略されることもよくある)、「アーレフ」のみまたは「アーレフ(旧オウム真理教)」のように「アーレフ」を中心にして報道することがまずない現象がみられる[7]。アーレフから分派したひかりの輪に対しても「オウム真理教上祐派」のように報道されることがある。

また、代表だった麻原彰晃の呼称を、日本テレビでは1996年の初公判から、松本智津夫に「改名」した。その後も追随するようにマスコミでは行われ、今日では中日新聞東京新聞)・産経新聞を除くほぼすべてのメディアは本名報道に切り替わっていて、「麻原彰晃」と報道するものはほとんどない。NHKは裁判中も「麻原」を使用していたが、2006年の結審後は改名されている。

通常、ある団体の名称を旧名称を中心にして呼んだり、著名人の本名報道をしたりするのは不自然だが、アーレフの場合は特例といえる。この背景には、改名後、元から同じ名前で存在するオウム真理教とは無関係の企業・団体が風評被害を受けたことがあることや、改名後もオウム真理教が俗称として使われていることもあるといわれている[要出典]

A』などアーレフに関するドキュメンタリー作品を発表しているドキュメンタリー監督の森達也は、マスコミは言葉の使い方に作為や意図があることに対して無自覚になっていることが一番危険だと指摘している[7]

報道内容に対するタブーとしては、マスコミが視聴者・読者からアーレフを擁護していると非難されることを恐れるあまり[8]、教団を排斥する運動や[9]、信者への微罪逮捕別件逮捕を問題視した報道が避けられる傾向があると森は指摘している[10]

鶴タブー

日本における多くのマスメディアが報道や出版において、宗教法人である創価学会に対する批判を控えることを指す。鶴タブーという名称は創価学会がかつてとして属していた日蓮正宗の紋がであることに由来している[11]

鶴タブーという言葉は1970年代には既にマスコミ界、言論界で広く流れていたという[12] 。鶴タブーの背景にある理由は以下の通り。

  • 創価学会、公明党およびそれに関する団体・信者からの抗議や訴訟などを懸念する。1970年代に創価学会批判本を出版した著者、出版社、取次店、書店などに様々な圧力がかけられた。これは「言論出版妨害事件」として社会の強い批判を浴び、池田大作が公式に謝罪している。また、2000年代においても、創価学会を批判した『週刊新潮』などは、機関紙『聖教新聞』や関連企業である第三文明社等が出版する雑誌などで激しく批判されたり、裁判で訴えられたりしている。
  • 公明党の政治的影響力を恐れているため。特に1999年10月に公明党が与党入りしてから、各誌における創価学会批判が激減したという指摘もある[13]
  • 鶴タブーの例外として、1970年代の「言論出版妨害事件」を『しんぶん赤旗』がさきがけてスクープ報道し、他の大手マスメディアもそれに追随したことが挙げられる。また、2003年頃から『週刊新潮』『週刊文春』 『週刊ポスト』などの一部週刊誌が創価学会に対する批判報道を行なっている[14]

在日韓国・朝鮮人タブー

太平洋戦争後、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)、在日本大韓民国民団、および在日韓国・朝鮮人の犯罪事件に関して積極的に報道することは、朝鮮総連が組織的な示威行為などを起こしたことからタブーとされてきたが、朝鮮総連に関しては北朝鮮による日本人拉致問題が露呈して以降、比較的タブー視されることなく報道されるようになった。

なお、現在でも在日韓国・朝鮮人の犯罪行為に関して、本名ではない通名報道を行う報道機関もある。主に朝日新聞毎日新聞テレビ朝日TBSテレビNHK、まれに読売新聞などがあげられる(詳細は聖神中央教会事件を参照)。 またこれと同様にかつては在日朝鮮人、在日韓国人の著名人の出自を報じる事も1980年代あたりまでは半ばタブーであった(ただし週刊大衆が「活躍するコリアンパワー。」と称して在日朝鮮人の著名人へのインタビュー記事の特集を組むなどいくつかの例外はあった。また金久美子李麗仙等わずかながらではあるが民族名を名乗るタレントも存在した)。 力道山は日本復興の英雄とされてきたが彼が朝鮮民主主義人民共和国出身である事を伝える事は生涯タブーとされてきた(力道山の息子達も父が亡くなるまでその事実を知らなかった)。この他特定の女優の出自を指摘したために業界から半ば干された文化人もいる(例:安田成美の出自を指摘した塩田丸男)。ただし近年では、在日の世代交代や時流等で孫正義李忠成などは通名を使わず、またマスコミも在日であった事を大々的に報じるなど出自を伝える事自体のタブーは以前と比較し薄れてきてはいる。

中華人民共和国タブー

日本の大手マスメディア(新聞・テレビ放送)は1964年に「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」を結び、中国共産党政府の意向にそぐわない内容は報道できなくなった。

現在においても「(例えば)産経新聞以外の新聞社やテレビ局は日中双方の新聞記者交換に関するメモ(または日中両国政府間の記者交換に関する交換公文)のせいで中国に不利な報道が出来ない」などとの主張をするものがいるが、「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」は日中国交正常化後の1973年に廃止されており、その後に結ばれた「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」は報道を規制するような条項は含まれていない。そもそも「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」およびその後の「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」は国家間での取りきめであり特定社が協定を結んだり結ばなかったりできるものではなく、実際に産経新聞社も交換公文に基づいて1998年に北京に中国総局を開設している。ちなみに協定の有無に限らず全ての主権国家は記者の滞在許可を取り消し追放することが可能である。

核タブー

戦後、日本国憲法施行後の国会で民主的に決定された(とされる)いわゆる「国策」を批判することは、民間放送局、NHKともにその放送基準で規制対象とすることを公開している。原子力の平和利用、特に原子力発電は1950年代より国策とされ、国(自民党政権による55年体制下、および東日本大震災発生までの民主党政権)の原子力発電推奨、及び原子力発電所を運営する各電力会社の運営方針、あるいは例え事故が起こっても日本における原子力利用を積極的に批判することは避けられる傾向にある。市民運動が盛んであった1970年代においてでさえ朝日新聞等の左派系マスコミも原子力発電の存在自体は肯定的に報道している。電力会社がスポンサーについている民間放送局などにとってはスポンサータブーの一種と言えなくもないが、各放送局ともに国策批判を規制対象にすることを相当具体的に公開していることから、必ずしもこれはタブーとは言えない。それゆえに「公共放送」の立場にあるNHKでは、事故の発生や事故に至る可能性のある事象(インシデント)の発覚など、すなわち「国策要求に応えていないこと」が発覚した際には、当該原子力発電所や電力会社の管理体制などをあからさまに厳しく批判することがある。また民間放送局でも、電力会社がスポンサーについていて、その原子力発電所で深刻な事態が発生した場合などで、当該電力会社がスポンサーであるからという理由でその報道を控えることは、視聴者からの信頼を失い、他のスポンサーとの契約に影響を生じて経営悪化に直結することになることから、通常実施される、問題を起こしたスポンサーに対する処置と同じく、速やかに契約解除を行い[15]、NHKと同様に手厳しく批判することがある。なお、2011年平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波により、未曾有の原子力発電所事故が発生、結果、国策、すなわち国の原子力政策そのものが大きく揺らいでいることから、以降、各放送局ともに、国の従来の原子力政策も含めて批判的な報道をするようにもなっている。

推測・諸外国の報道におけるタブー

欧米を中心とした諸外国、特に米国では理論化された「明白かつ現在の危険」基準(表現行為が重大な害悪を発生させ、明白かつ現在の危険をもたらさない限り表現の規制を認めないとするもの)がよく用いられる。表現の責任の所在は原則、個人であるため、タブーは表現者個人(被取材者のみならず、各マスコミや個別案件ごとの担当者)の中にそれぞれある。また、過去の歴史的経緯などから特定の内容の報道について、法律による一定の規制を課しているところもある。一方で「いちいち規制するものという概念」そのものがないことも多く、結果、日本以上に無数に存在している。

ナチス・ヒトラー礼賛タブー

ナチス・ドイツ当時のユダヤ人へのヘイトクライムにより、世界、特に欧米ではナチスやヒトラーを礼賛する事が徹底的にタブー視され、特にドイツでは「民衆扇動罪」(刑法第130条)により禁止、違反者は処罰対象とされている。フランスやドイツなどではユダヤ人を罵倒・差別することは法律で禁じられている。

一方、同じヨーロッパでも大陸に比べ、第二次世界大戦ナチスに極めて寛大な態度を取っていたイギリス、また財界がナチスに資金提供していたアメリカではナチスタブーは比較的薄いとも言われ、親衛隊コスプレ等は日本ほどではないものの、盛んに行われている。イギリスでは武装SSコスプレをしてハーケンクロイツ旗を掲げ、ビッグ・ベンを背景に記念撮影をした者までいる。

戦時大統領タブー

政治学者の砂田一郎は、『アメリカ大統領の権力…変質するリーダーシップ』にて、アメリカ合衆国では「戦時大統領制」という常時に対する制度が存在すると主張している[16]、また、“戦時大統領(戦争を遂行する大統領)を批判してはならない”というタブーも存在する[17]。これを利用したのがアメリカ同時多発テロ事件およびイラク戦争当時のジョージ・W・ブッシュである、という主張が記述されている[18]

なお、実際にはイラク戦争当時、戦時大統領を批判するデモ行進や批判の言論は公然と行われており、CNN、NHK、その他報道各社のTVニュースでも普通に報道されていた。

脚注

  1. ^ 例えば、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』はタブーを打ち破る報道で世論を動かしてきたとアピールしている。“「しんぶん赤旗」2万号……創刊78年”. しんぶん赤旗 (日本共産党). (2006年7月22日). http://www.jcp.or.jp/akahata/html/senden/over20000/200607_78ht.html 2010年3月4日閲覧。 他には噂の眞相サイゾーなど。
  2. ^ “BS各局 「多すぎる」の批判受け通販番組を削減へ”. スポーツニッポン. (2011年7月9日). http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/07/09/kiji/K20110709001174850.html 2013年7月23日閲覧。 
  3. ^ “生中継認めぬ―しばり会見、メディア大半受け入れ”. 朝日新聞デジタル. (2011年8月30日). オリジナルの2011年8月30日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120331044324/http://digital.asahi.com/articles/TKY201108290489.html?id1=2&id2=cabbaida 
  4. ^ 道浦俊彦 (2001年10月2日). “◆ことばの話426「稲垣メンバー」”. 道浦俊彦/とっておきの話. 讀賣テレビ放送. 2010年3月4日閲覧。
  5. ^ 実際に、酒井法子が2009年8月に覚せい剤取締法で逮捕された場合においては、在宅捜査ではないことから、大手芸能プロダクションであるサンミュージックプロダクション所属であるにもかかわらず、「酒井法子女優・タレント」等ではなく「酒井法子容疑者」として報道されている。
  6. ^ しかし記事の訂正には応じない姿勢を示したため、道警が記事の削除と結果説明を要求し対立が続いている。
  7. ^ a b 『ご臨終メディア』 93頁。
  8. ^ 『ご臨終メディア』 120頁。
  9. ^ 『ご臨終メディア』 105-108・196頁。
  10. ^ 『ご臨終メディア』 75・151-153頁。
  11. ^ 日蓮正宗と関係を断った創価学会は1977年昭和52年)以降、シンボルマークとして八葉蓮華を用いている。
  12. ^ 特集/「言論出版妨害事件」を再検証する”. フォーラム21. フォーラム (2003年7月1日). 2008年9月24日閲覧。
  13. ^ 山田直樹 『新「創価学会」を斬る [第2回]「そして誰も批判できなくなった『鶴のメディア支配』」』『週刊新潮』2003年11月13日号。
  14. ^ 『しんぶん赤旗』2003年11月30日号。
  15. ^ 日本民間放送連盟編 編『放送ハンドブック:文化をになう民放の業務知識』(第4刷 p319)東洋経済新報社、1992年3月16日(原著1991年5月23日)。ISBN 4492760857 
  16. ^ 『アメリカ大統領の権力』 44-45頁。
  17. ^ 『アメリカ大統領の権力』 4-5頁。
  18. ^ 『アメリカ大統領の権力』 4-11頁。

参考文献

関連項目