石垣島セミナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

石垣島セミナー(いしがきじまセミナー)は、1990年4月沖縄県石垣市石垣島で開催されたオウム真理教の合宿勉強会である。正式名称は「神言秘密金剛菩薩大予言セミナー」[1]

概要[編集]

1990年2月第39回衆議院議員総選挙で、オウム真理教は「真理党」を結成し、麻原彰晃を含む信者25名を立候補させたが、全員が供託金没収の惨敗となった。そのため、教団の組織が一時ガタガタになっていた。

選挙での惨敗後に脱会者が続出したため、1990年4月に「オースチン彗星英語版が接近しているために、日本は沈没するが、オウムに来れば大丈夫」と宣伝し、在家信者だけでなく家族まで参加させ行き先も伝えないまま石垣島に連れて行き石垣島セミナーを開催した[2][3]

当初は、石垣島内の会場を借りてセミナーを行う予定であったが、オウム真理教であることがばれたため、断られてしまった。そのため急遽、海岸キャンプ場で開かれることになった。

参加者によると参加費は30万円であったが、大雨だったこともあり、「現在の東欧動乱は、1986年のハレー彗星の影響であり、今年のオースチン彗星の接近によって何かが起こる」とただそれだけの話があっただけで行事は予定を繰り上げてお開きになった。だが、このセミナーでは1270人が参加、約500人が出家し、崩壊寸前だった教団を盛り返すことに成功した。これはその後「ハルマゲドンが起こる、オウムにいないと助からない」と危機感を煽って信者や出家者をかき集める方法の原点になった[2][4]

というわけで当時、このセミナーはただの金儲けであると思われていた。しかし一連の事件の発覚後、セミナーの当初の目的はオウム真理教が計画をしていたボツリヌス菌によるテロから、オウムの信者を守ることであったと発覚した。しかしボツリヌス菌の開発に失敗をしたため実際には実行されなかった[5]

脚注[編集]

  1. ^ 脇坂 有希「オウム真理教・「人類最終戦争」への道 ―その成立から崩壊まで―」 p.25
  2. ^ a b 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.336-352「麻原はすべてを知っている」。
  3. ^ 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.452-477「被害者の会会長を襲った怪事件」。
  4. ^ 東京キララ社編集部編『オウム真理教大辞典』 2003年 p.15
  5. ^ 【6】「1990年(平成2年)」 | 1.『オウム真理教(1983~1999年)の活動経緯の総括』 | 団体総括(本編) | オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要-