ポア (オウム真理教)

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ポア(Phowa、チベット語: འཕོ་བ་ pho ba)とは日本カルト宗教であったオウム真理教における教義のひとつである。殺人を正当化する為に使用したものとされる。本来のチベットにおけるポワとは、死に瀕した者の耳元で経文を唱えてあげるなどして、死後に迷う事なく良い来世(人界、天界)に向かわせる為の特殊な作法の事を言う。

概要[編集]

例えば、Aさんという人がいて、Aさんは生まれて功徳を積んでいたが慢が生じてきて、この後悪業を積み、寿命尽きるころには地獄に堕ちるほどの悪業を積んで死んでしまうだろうという条件があったとしましょう。このAさんを、成就者が殺したら、Aさんは天界へ生まれ変わる。(略)すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ堕ちてしまう。ここで、例えば生命を絶たせた方がいいんだと考え、ポアさせた。

この人はいったい何のカルマを積んだことになりますか、殺生ですか、それとも高い世界へ生まれ変わらせるための善行を積んだことになりますか。人間的な客観的な見方をするならば、これは殺生です。しかし、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。

そして、智慧ある人─ここで大切なのは智慧なんだよ。─智慧ある人がこの現象を見るならば、この殺された人、殺した人、共に利益を得たと見ます。ところが、智慧のない人、凡夫の状態でこれを見たならば『あの人は殺人者』と見ます。

— 麻原彰晃(1989年9月24日・世田谷道場)[1]

宗教学者の大田俊寛は、ポア英語版という言葉をオウム真理教に教えたのは、中沢新一の著作『虹の階梯―チベット密教の瞑想修行』(1981年、平河出版社)であると述べている[2]。ポアはチベット語であり、仏教辞典では「遷移・転移」、または経典の文脈によって「遷有」[3]と訳される。イェシケのチベット語辞書でも、1)to change place/shift/migrate、2)to change、3)to die となっており、死ぬと言う意味はあっても、殺すという意味は存在していない[3]。ポアというチベット語の元となったサンスクリット語は確定されているとは言い難いが、saṃkramaṇaが有力とされている[3]モニエルの梵英辞典によれば、saṃkramaṇaは「ある宮から他(の宮)への通過」の意味として説明されており、兜率天上生下生など、規定された道筋を順に移りいくことを示す[3]

チベット密教でポアが自動詞的にではなく他動詞的に、1)to change place/shift/migrate の意で用いられるときは中陰法要などの法要行が、2)to change や 3)to die の意で用いられる場合は、遷霊に類した意味もあるとみられる。遷霊とはもっぱら神社神道で用いられる用語で、死を確定させるための手続きとする説のある葬祭儀礼である[4]。今日でも脳死問題が取り沙汰されるのと同様、何を以って死を確定するかは古くから存在してきた問題であり、ポアを解する際には医師ではなく宗教が死を判別する役割を担った時代の方が長きにわたることに留意する必要がある。

チベット密教は転生を主とした神秘主義的な解釈[5]がなされるきらいがあるが、それが高じてオウム真理教では、魂を高い世界(上位アストラル世界、又は更に上のコーザル世界)に転生させるためには、積極的にその魂の持ち主の生命を(実際に)奪っても構わないという「殺人正当化の教義」を意味することになった。

(オウムから見て)「悪業を積む者」は、そのまま生かしておいてはさらに「悪業」を積み、来世の転生先でその分苦しまなければならない。それを避けるためには一刻も早くその生命を絶たなければ(殺害しなければ)ならない。そうすることで、これ以上「悪業」を積むことがなくなり、また「グルとの逆縁」ができるので本人のためにも良い。また殺人を実行した弟子は、「被害者の魂を救済した」ことになるので、「功徳」を積むことになる、という理論であった。

使用時期等[編集]

オウム裁判における検察の陳述[6]によれば、まだ「オウム神仙の会」の時代だった1987年1月の時点で、教祖の麻原彰晃はすでに殺人を肯定する意味で「ポア」の用語をつかった説法をしていたという。オウム最初の殺人事件である男性信者殺害事件は約2年後の1989年2月10日に起きた。

他組織との類似点[編集]

  • オウム事件当初、多くの教団が殺人肯定は宗教ではない、オウム事件は宗教とは関係ないといった論評を行ったが、浄土真宗本願寺派と交流のある森達也は自著『A3』で、宗教による殺害肯定の普遍性として太平洋戦争時における本願寺派などの戦争協力を例に挙げて、これを批判している。また田原総一朗も「オウム真理教が人殺しをしたからインチキだとは言えないはずだ。なぜなら、キリスト教だって十字軍を出して宗教戦争をして殺し合いをしているし、カトリックプロテスタントだって凄惨な戦争をしてきた。浄土真宗だって織田信長との戦争で殺し合いをした歴史がある。」と批判している[7]。浄土教団以外では日蓮の「法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり」(『秋元御書』)との言葉や、僧兵の存在などがある。他にも自らの宗教的思想と相反するものに対して無差別殺人などのテロを肯定・正当化する言葉であるとしては、キリスト教における聖絶イスラム教におけるジハードといった概念が挙げられる。

脚注[編集]

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  1. ^ 平成7合(わ)141 殺人等 平成16年2月27日 東京地方裁判所
  2. ^ 〈対談〉元アーレフ代表・野田成人×宗教学者・大田俊寛(前編) 『自ら「グル」になろうとした中沢新一ら研究者たちの罪と罰』”. 日刊サイゾー (2011年8月31日). 2015年12月22日閲覧。
  3. ^ a b c d 『ポアとは何か!―インド・チベット密教ヨーガの一考察―』 金本拓士 - 智山伝法院(真言宗智山派)ホームページ
  4. ^ 神葬祭 総合大事典』(雄山閣出版 平成12年版)より
  5. ^ ケツン・サンポ、中沢新一著『虹の階梯 チベット密教の瞑想修行』より
  6. ^ 降幡賢一著『オウム法廷② グルvs信徒』より
  7. ^ ジャーナリスト 田原総一朗さん(80)(2/2ページ)中外日報 2014年6月25日付

参考文献[編集]

  • 東京キララ社編集部編『オウム真理教大辞典』ISBN 4380032094
  • 大石紘一郎『オウム真理教の政治学』朔北社、2008年
  • 森達也『A3』集英社、2010年

関連項目[編集]