総括 (連合赤軍)

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総括(そうかつ)とは、本来は全体を取り纏める事だが、特に戦後史においては日本の新左翼党派である連合赤軍山岳ベース事件での同志に対するリンチ殺害を「総括」と呼ぶ。ただし、連合赤軍自身はこれを「共産主義化」と呼んでいた。

概要[編集]

左翼団体において、取り組んでいた闘争が一段落したときに、これまでの活動を締めくくるために行う活動報告のことを「総括」と言っていた。闘争の成果や反省点について明らかにし、これからの活動につなげていく、工業界でいうところのPDCAサイクルの「C(点検・評価)」に相当する。

のち、連合赤軍などの活動により、同組織などで「真の革命戦士となるために反省を促す」と称して行なわれた糾弾・暴力・リンチ行為、さらにその結果である殺人を意味することになった。

1971年12月、連合赤軍が結成される際の話し合いの席上、京浜安保共闘(日本共産党)永田洋子は「(われわれは)脱落分子二人を消したのよ」と赤軍派森恒夫に話し、初めて印旛沼事件の存在を明らかにした。話し合いの結果、両組織は「中途半端な革命精神では銃撃戦はできない。一人一人を総括し、意識の低い者、行動が革命的でない者を短期間で革命戦士に仕立て上げねばならない」という結論に達した。これが、「反省を促し革命戦士を育成・成長させる手段としての糾弾・暴力」という意味での「総括」の初出とされる。


以上のように彼らの主観における「総括」とは「革命戦士に成長させるための試練」というつもりであったと彼ら自身は主張するが、この「総括」を受けて生還、および”革命戦士”として成長した者は居らず、結局は凄惨な団体内での連続殺人が続いただけであった。

なお、当時の事件中には「総括しろ!」等の言葉が用いられていたが、連合赤軍の元メンバーら自身は一連のリンチ殺人やその元となった理論を「共産主義化」と呼んでおり、「総括」という言葉自体は事件後も左翼団体における通常の意味(活動報告)として用いている。

参考文献[編集]

  • 読売新聞大阪本社社会部(編) 『連合赤軍 : この人間喪失』 潮出版社1972年 ASIN B000J9MCEO
  • 警備研究会(編) 『わかりやすい極左・右翼・日本共産党用語集』 (三訂版) 立花書房2008年ISBN 978-4803715309 

関連項目[編集]