オウム真理教男性信者殺害事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
オウム真理教 > オウム真理教事件 > オウム真理教男性信者殺害事件

オウム真理教男性信者殺害事件(オウムしんりきょうだんせいしんじゃさつがいじけん)とは、1989年2月10日に発生したオウム真理教信者による殺人事件。

概要[編集]

事件の被害者となった男性信者は、オウム出版の責任者であった岡崎一明(宮前一明)の下で営業させられていたが、1988年9月22日オウム真理教在家信者死亡事件を目の当たりにし、オウムのやり方に疑問を持ち、責任者の岡崎に不満を述べた。岡崎は男性信者の不満を麻原彰晃に報告すると、麻原は男性信者を富士山独房に監禁し、両手両足を縛らせたが、益々反発して教団から脱会する旨を主張。麻原は脱会させると、オウム信者死亡事故が露見される恐れがあり、宗教法人取得を目指す教団にとって痛手になると考え、殺害するしかないと決意。

1989年2月深夜、サティアンビル4階の図書館に、早川紀代秀村井秀夫岡崎一明新実智光大内利裕の5人を集め、「ポアするしかないな」といって、男性信者の殺害を命じ、大内がコンテナ外で見張りを担当し、残る4人で殺害を実行した。当初の計画では、男性信者に目隠しをし、羽交い絞めにした末にロープで首を絞めて窒息死させる手筈であったが、男性信者が抵抗したため、慌てた新実によって首の骨を折られて殺害された。先の事件の在家信者同様、死体を焼却して粉々に砕いた後、敷地内にばら撒いた。

この後、麻原は殺人を肯定する「ヴァジラヤーナの教え」を初めて実行犯らに説いた。実行犯5人のうち、大内以外の4人が坂本堤弁護士一家殺害事件においても実行犯となった。オウム真理教ぐるみでの最初の殺人事件である。

参考文献[編集]

  • 『オウム法廷1 下』(朝日新聞社 1998年)

関連項目[編集]