横山真人

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横山真人
誕生 (1963-05-16) 1963年5月16日(54歳)
神奈川県伊勢原市
出身校 東海大学
ホーリーネーム ヴァジラ・ヴァッリィヤ
ステージ 正悟師
教団での役職 科学技術省次官
入信 1988年2月
出家 1989年5月15日
関係した事件 地下鉄サリン事件
判決 死刑(上告棄却)
配偶者 {{{配偶者}}}
非婚配偶者 {{{非婚配偶者}}}
家族 {{{家族}}}

横山 真人(よこやま まさと、1963年5月16日 - )は、オウム真理教元幹部。確定死刑囚神奈川県出身。ホーリーネームヴァジラ・ヴァッリィヤ

教団内でのステージは師長だったが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。教団が省庁制を採用した後は科学技術省次官の一人となる。

来歴[編集]

1986年東海大学工学部応用物理学科卒業。在学中は太陽電池などのクリーンエネルギー開発を専攻した。卒業後は沖電線へ就職したが、「自分の製作した機械が導入されることによってリストラが出るのでは」と罪悪感を抱いていた[1]。その頃麻原彰晃の著書を読んだことがきっかけで1988年2月に入信し、1989年5月15日出家

教団内では「自分に与えられた作業を黙々とやる、非常に誠実で実直」「明るくて話しやすい、紳士的な穏やかな感じの人、ワークには黙々と努力するタイプ」「真面目で責任感が強く、不平不満を言わない、頼れる存在」と信頼されており[1]、その後教団が武装化に向かうようになると、横山はAK-74自動小銃の製造を任された(自動小銃密造事件)。一方で人付き合いを好まずワークに篭りがちで、松本サリン事件が起きたことや、自分の所属する科学技術省の次官が誰かも知らなかった[2]

地下鉄サリン事件においては、東京メトロ丸ノ内線池袋行き列車でのサリン散布実行犯となった。しかし、サリンの2つの袋に穴をあけて漏出気化させるところ、実行において1袋しか穴をあけることができなかった。結果として横山がサリンを散布した車両では約200人の重傷者を出したが、唯一死者を出さなかった。

32歳の誕生日当日に逮捕され、地下鉄サリン事件、自動小銃密造事件起訴された。取調官に暴行され歯が折れたこともあり、「このような暴力に屈して話をするような私ではありません、ここにはだれも信用できる人はいません、もう今後は一切しゃべりたくありません。」[1]として自らが事件を語ることはほとんどなかった。

1999年9月30日第一審では、地下鉄サリン事件では横山自身がサリンを散布した車両では死者を出さなかったが、地下鉄サリン散布計画の内容全体を熟知し関与したことを裁判所は重視し、地下鉄サリン事件全体の関与者の一人として殺人罪が適用され、横山は死刑判決を受けた。一審判決後、弁護団に「死刑の方が被害者に納得してもらえる」と述べた。その後、2003年5月19日控訴審でも死刑判決を受けた[3]。その後最高裁上告したが、2007年7月20日に最高裁は上告を棄却。死刑が確定した。オウム真理教事件で死刑が確定するのは3人目である。地下鉄サリン事件の実行犯で死刑が確定したのは初めてであった[4]

2017年現在、東京拘置所収監されている。

脚注[編集]

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参考文献[編集]

  • 『オウム法廷8』(朝日新聞社、2002年)

関連事件[編集]