滝本太郎

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滝本 太郎(たきもと たろう、1957年1月17日 - )は、日本弁護士(登録番号:18596、「横浜弁護士会」所属)。

オウム真理教をはじめカルト問題を数多く手がけており、「日本脱カルト協会(JSCPR)」理事・事務局長、「カナリヤの会」窓口[1]を務める。

来歴[編集]

神奈川県大和市生まれ。神奈川県立希望ヶ丘高等学校早稲田大学法学部卒業。早大卒業後、神奈川県職員を経て司法試験に合格し、1983年に弁護士登録[2]

オウム真理教被害者の会を組織した弁護士仲間の坂本堤から「あぐらみたいな格好で空中浮揚しちゃう宗教がある」と聞かされ、オウム真理教の存在を知る。この時は統一教会関係で宗教問題の面倒さを知っていたため「イヤじゃイヤじゃ」といって一度は関与を断った[3]。しかし1989年11月坂本堤弁護士一家殺害事件で坂本が「失踪」したのを契機に「オウム真理教被害対策弁護団」に加わり、山梨県上九一色村の住民の代理人を務める等、オウム真理教をめぐる裁判に関わる。1993年からは信者の脱会カウンセリングにも携わるようになった。また、麻原彰晃オカルト雑誌に投稿した空中浮揚と称する写真を自ら再現し、麻原より高く飛んでみせた[1]

そのため、松本サリン事件の1ヶ月余り前の1994年5月9日にオウム側の弁護士青山吉伸らオウム信者により、甲府地方裁判所駐車場において、運転直前の自動車の空気吸入口付近にサリンを散布されたものの、換気を車内循環にしていたため縮瞳現象のみでポアされずに済んだ。同年9月にはVX溶剤を自動車のノブにかけられたが、これも手袋を着用していたため難を逃れる。さらには11月、出家信者の2歳直前の子どもを取り戻す交渉中にボツリヌス菌入りジュースを飲まされるが、幸い毒素が生成されておらず一命をとりとめるなど1994年以来4回もオウム真理教の信者によって命を狙われた(詳細は滝本太郎弁護士サリン襲撃事件を参照)[4][2]

1995年、脱会した元オウム信者のケアの場を設けるため、オウムの脱会者やその支援者らで「カナリヤの会」を結成する[1]

2012年1月1日、17年に渡って逃亡し、前年12月31日に出頭逮捕されたオウム真理教の平田信の私選弁護人に選出されたが、同月11日辞任した。これは平田を犯人蔵匿した容疑で逮捕された女性の弁護人に選出されたため、利益対立を避けたものと説明された。また、同じく長期間逃亡していた菊地直子が逮捕された際、菊地の両親から弁護士に選任された。しかし、その後、菊地本人によって、「親に迷惑をかけたくない。国選弁護人を希望する」として、弁護人を解任された[5]

2015年3月31日、横浜弁護士会より戒告処分を受けた。処分理由は、世界基督教統一神霊協会絡みの問題に関し、違法な自力救済行為をなし、これが弁護士法第56条第1項(弁護士としての品位を失う非行)に該当したというものである[6]

主張[編集]

死刑制度
滝本は元々死刑廃止に明確な態度を示していなかった[7]が、友人の弁護士だった坂本堤がオウム真理教信者に殺害された事件をきっかけに死刑制度を容認する立場に転じた。ただしオウム真理教事件に関しては、滝本は麻原以外の死刑囚の死刑執行には反対している。坂本弁護士事件の実行犯の一人である中川智正の裁判に出廷した際には「何万カルパ経っても許さないが(中川を)死刑にしたいとは思わない」と語った[8]
奇跡の詩人問題
2002年放送のNHKスペシャル「奇跡の詩人」を批判、『 異議あり!「奇跡の詩人」 』という本も出版した。そのためNHKの出演禁止ブラックリストに載っているという[9]
日の丸9条の会
2015年9月、「日の丸9条の会」結成[10]。もっとも、滝本を知る弁護士達からは“日本の国旗日本国憲法第9条は相容れない”と批判されている[11][12]

著書[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]