滝本太郎
たきもと たろう 滝本 太郎 | |
---|---|
生誕 | 1957年1月17日(66歳)![]() |
国籍 | ![]() |
出身校 | 神奈川県立希望ヶ丘高等学校 早稲田大学 |
職業 | 弁護士 |
肩書き | 日本脱カルト協会理事 日本脱カルト協会事務局長 現在は辞任。 |
滝本 太郎(たきもと たろう、1957年〈昭和32年〉1月17日 - )は、日本の弁護士(登録番号:18596、神奈川県弁護士会所属)。
オウム真理教によって、友人の坂本堤弁護士を殺害され、以降に自身も殺害されかけるなどカルト問題を手がけ、「日本脱カルト協会(JSCPR)」理事・事務局長、「カナリヤの会」窓口[1]を務めた。
来歴[編集]
神奈川県大和市生まれ。神奈川県立希望ヶ丘高等学校在学中、「遅れてきた青年」として霞が関で激しいデモにも出るような新左翼学生運動家であったが、17歳の時に一定の尊敬していた大学生活動家らが、高齢活動家による「馬鹿な話だ」という発言をつるし上げる異様な「糾弾闘争」に遭遇し、大きく違和感を感じその後は学生運動自体から身を引いた。「組織乗っ取りの瞬間だったのだろう。」と回顧している[2]。早稲田大学法学部卒業後、神奈川県職員を経て司法試験に合格、1983年弁護士登録[3]。
オウム真理教被害者の会を組織した弁護士仲間の坂本堤から「あぐらみたいな格好で空中浮揚しちゃう宗教がある」と聞かされ、オウム真理教の存在を知る。この時は統一教会関係で宗教問題の面倒さを知っていたため一度は関与を断った[4]が、1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件で坂本が失踪したのを契機に「オウム真理教被害対策弁護団」に加わり、山梨県上九一色村の住民の代理人を務める等、オウム真理教をめぐる裁判に関わる。1993年からは信者の脱会カウンセリングにも携わるようになった。また、麻原彰晃がオカルト雑誌に投稿した空中浮揚と称する写真を自ら再現し、麻原より高く飛んでみせた[1]。
1994年5月9日にオウム側の弁護士青山吉伸らオウム信者により、甲府地方裁判所の駐車場において、運転直前の自動車の空気吸入口付近にサリンを散布という手段でポア(殺害)を図られたものの、換気を車内循環にしていたため縮瞳現象だけで済んだ。同年9月にはVX溶剤を自動車のノブにかけられたが、これも手袋を着用していたため難を逃れる。さらには11月、出家信者の2歳直前の子どもを取り戻す交渉中にボツリヌス菌入りジュースを飲まされるが、幸い毒素が生成されておらず一命をとりとめるなど、1994年以来4回もオウム真理教の信者によって命を狙われた(詳細は滝本太郎弁護士サリン襲撃事件を参照)[3]。
1995年、脱会した元オウム信者のケアの場を設けるため、オウムの脱会者やその支援者らで「カナリヤの会」を結成する[1]。
2012年1月1日、17年に渡って逃亡し、前年12月31日に出頭・逮捕されたオウム真理教の平田信の私選弁護人に選出されたが、同月11日に辞任した。これは平田を犯人蔵匿した容疑で逮捕された女性の弁護人に選出されたため、利益対立を避けたものと説明された。また、同じく長期間逃亡していた菊地直子が逮捕された際、菊地の両親から弁護士に選任された。しかし、その後菊地本人によって、「親に迷惑をかけたくない。国選弁護人を希望する」として、弁護人を解任された[5]。
2015年3月31日、横浜弁護士会より戒告処分を受けた。処分理由は、統一教会の信者の医師が開設しようとしていた診療所のカギを、勝手に付けかえ、診療所内に侵入してカルテを持ち出したことについて、これが弁護士法第56条第1項(弁護士としての品位を失う非行)に該当したというものである[6]。これについて「私として、当時は、何よりも前産婦人科医のカルテが統一教会に流出することを心配しました」としている[7]。
2021年に設立された「女性スペースを守る会」の「賛同者・防波堤役」を名乗って活動している。会の会見には統一教会系世界日報のライターの日野智貴などが同席しており、ジャーナリストの藤倉善郎は強い批判を行っている。また、会の所在地は滝本弁護士の所属する大和法律事務所と同一住所となっている[8]。
主張[編集]
2012年時点で「死刑制度廃止論者」とwikipediaに書かれていたことにつき、「死刑制度と滝本-ウィキの間違い」とブログを書き、たまたま死刑を求刑されるような依頼を担当していなかったこともあり元々死刑廃止に明確な意見もなかったとし、友人の坂本弁護士とも生前に死刑賛否の話題にはなったことないと述べている[9]。その後、友人の坂本弁護士がオウム真理教信者に殺害された事件をきっかけに死刑制度を容認する立場を表明した。ただしオウム真理教事件に関しては、オウム真理教トップの麻原以外の死刑囚の死刑執行には反対していた。坂本弁護士事件の実行犯の一人である中川智正の裁判に出廷した際には「何万カルパ経っても許さないが(中川を)死刑にしたいとは思わない」と語ったが、麻原については説法の「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」から引用し、「死刑を望みます。人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。だからこそ刑罰の行使として死刑を望みます」と述べている[10]。
著書[編集]
- マインド・コントロールから逃れて―オウム真理教脱会者たちの体験(1995年7月)ISBN 978-4765250931(永岡辰哉との共著)
- 破防法とオウム真理教(岩波ブックレット No.398)(岩波書店 1996年4月)ISBN 978-4000033381 (福島瑞穂との共著 )
- 山口広、滝本太郎、紀藤正樹『Q&A 宗教トラブル110番―しのびよるカルト』民事法研究会、1999年4月。ISBN 978-4896280333。
- 異議あり!「奇跡の詩人」 (同時代社、2002年6月)ISBN 978-4886834751(石井謙一郎との共著)
脚注[編集]
- ^ a b c “滝本太郎|カルト問題についての講師斡旋”. 2016年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月26日閲覧。
- ^ “https://twitter.com/takitaro2/status/1440291379372978190”. Twitter. 2021年10月19日閲覧。
- ^ a b “理事メンバー|日本脱カルト協会”. 2016年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月26日閲覧。
- ^ 江川紹子 『全真相 坂本弁護士一家拉致・殺害事件』 文藝春秋、1997年4月、p.228。
- ^ “滝本太郎弁護士を解任 「親に迷惑かけたくない」と国選希望”. 産経新聞. (2012年6月9日). オリジナルの2012年7月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ “滝本理事の辞任につきまして”. 日本脱カルト協会. 2016年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月26日閲覧。
- ^ “私の戒告処分について。 『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記”. 『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記. 2015年4月25日閲覧。
- ^ “滝本太郎弁護士が統一教会系メディアのライターと共同記者会見”. やや日刊カルト新聞社. 2023年2月19日閲覧。
- ^ “死刑制度と滝本-ウィキの間違い”. 滝本太郎. 2018年10月26日閲覧。
- ^ 降幡賢一『オウム法廷 5 (ウソつきは誰か?)』2000年2月p.121、『オウム法廷 13 (極刑)』2004年4月p.326 朝日新聞社(朝日文庫)
外部リンク[編集]
- 『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記(本人のブログ)
- オウム真理教脱会者の集い-「カナリヤの会」ホームページ
- 日本脱カルト協会
- 滝本太郎 (@takitaro2) - Twitter