薬剤師リンチ殺人事件

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薬剤師リンチ殺人事件(やくざいしりんちさつじんじけん)とは、1994年1月30日被害者O(薬剤師、当時29歳)がオウム真理教富士山総本部で治療を受けていた女性を救出しようとして失敗し、被害者が麻原彰晃らに殺害された事件。麻原が起訴された殺人事件の中で唯一、殺害現場に立ち会った事件である。

事件の経緯[編集]

被害者Oは明治薬科大学を卒業後に出家し、東京都中野区オウム真理教附属医院に薬剤師として勤めていた元信者であったが、パーキンソン病を罹患し入院していた加害者Yの母への治療法に疑問を持ち、教団からの救出を決意[1]。加害者Yの母は当初、栃木県内の病院治療を受けていたが、在家信徒であった加害者Yや越川真一から「オウムに入信して付属病院で治療を受ければ病気が治る」と説明を受け、それに従ったが病状は好転しなかった[2]。1993年12月頃、第6サティアンに移り治療を受け続けるとともに、PSIとよばれる修行を行うようになった[3]

被害者Oは、事件当時はすでに脱会していた女性の夫と息子である加害者Yに協力を依頼[4]。1994年1月29日、被害者Oと加害者Yと女性の夫と加害者Yの弟は埼玉県から、女性の夫が運転する車で山梨県上九一色村にある第6サティアンへ向かう[5]

1994年1月30日の午前3時頃、4人は第6サティアンに到着[6]。女性の夫と加害者Yの弟は車で待機し、被害者Oと加害者Yが催涙スプレーを持ち第6サティアンに入り3階の医務室にいる女性を抱えて救出しようとするが、失敗して取り押さえられ、ワゴン車で第2サティアンに連行される[7]

「今から処刑を行う」として駆けつけた麻原は「これからポアを行うがどうだ」と尋ね、村井秀夫井上嘉浩も「ポアしかないですね」、「泣いて馬謖を切る」などと同意した[8][9]

そして加害者Yに「被害者を殺せば命を助ける[10]」と発言。加害者Yは「やったらほんとに帰してもらえるんですか。」と尋ねると麻原は「私が嘘をついたことがあるか。」と答え、加害者Yも悩んだ末実行に応じた[8]

被害者Oは目隠しとビニール袋を被された後に催涙スプレーを噴射され、苦しんで暴れたため幹部数名に押さえつけされた。そして新実が持ってきたロープで加害者Yが首を絞め窒息死させた。死体はその後第2サティアン地下室のマイクロ波焼却装置で焼却された[8][11][12]

事件後[編集]

事件を口外しないこと、週に一度は道場へ通うこと等を条件に加害者Yは解放された[13]。身の危険を感じた加害者Yは川崎市内の自宅アパートを引き払い、秋田県に潜伏した[14]。同年2月13日に井上から報告を受けた麻原は薬物を使った拉致を命令。井上・新実・中川・越川・後藤・林郁夫らが加害者Yの潜伏先に向かったが、警察に通報され、拉致は失敗した[15]

裁判[編集]

麻原彰晃松本知子杉本繁郎中川智正井上嘉浩新実智光村井秀夫越川真一・加害者Yが殺害に関与し、北村浩一・後藤誠・丸山美智麿が遺体の処理に関わったとされ、刺殺された村井以外が起訴された。加害者Yは期待可能性がなかったと主張したが、第一審懲役3年・執行猶予5年の有罪判決(検察の求刑は懲役4年)を受け、控訴。控訴審に時間がかかりすぎたため、1999年2月11日に取下げ、執行猶予付き有罪判決が確定した。

参考文献[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 佐木1996、130頁-131頁。
  2. ^ 佐木1996、131頁。
  3. ^ 佐木1996、131頁。
  4. ^ 佐木1996、131頁。
  5. ^ 佐木1996、131頁。
  6. ^ 佐木1996、131頁。
  7. ^ 佐木1996、131頁-132頁。
  8. ^ a b c [1]
  9. ^ 佐木1996、132頁。
  10. ^ 佐木1996、133頁。
  11. ^ 東京地方裁判所刑事第7部判決 2004年2月27日 、平成7合(わ)141
  12. ^ 佐木1996、134-136頁。
  13. ^ 佐木1996、135頁。
  14. ^ 佐木1996、136頁。
  15. ^ 佐木1996、136頁-137頁。

関連項目[編集]