土谷正実

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土谷正実
誕生 (1965-01-06) 1965年1月6日(52歳)
東京都目黒区
ホーリーネーム クシティガルバ
ステージ 正悟師
教団での役職 厚生省次官 → 第二厚生省大臣
科学技術省化学班トップ
入信 1989年
関係した事件 松本サリン事件
会社員VX殺害事件
地下鉄サリン事件
判決 死刑(上告棄却)

土谷 正実(つちや まさみ、1965年1月6日 - )は元オウム真理教幹部。東京都出身。筑波大学大学院化学研究科修士課程修了。有機物理化学を専攻。ホーリーネームクシティガルバ

1994年7月に教団に省庁制が採用された後は遠藤誠一が大臣である厚生省の次官だったが、同年12月には厚生省を二分して「第二厚生省大臣」となった。また科学技術省化学班のトップも兼任しておりメディア等では「化学班キャップ」と呼んでいた[1]サリンVXガスの生成における中心人物でもあり、中川智正遠藤誠一らとともに教団での薬物密造にも関与していた。

作家の大石圭とは幼馴染であり、死刑確定後、手紙のやり取りを行っていた[2]。松本サリン事件に関与し、死刑が確定した端本悟は高校時代の後輩でもある。

学生時代[編集]

東京都立狛江高等学校から化学の成績は良かったものの、相性の悪い先生に代わった途端、一気に0点近くに落ちたこともあった。その後筑波大学第二学群農林学類へ進学。失恋を経験し、一時期リストカットを起こす[3]。卒業後は同大学院化学研究科へ進学。修士論文は「片道異性化に関する研究」であった。

1989年、交通事故でむち打ちを患い、ヨガでの治療方法を探していた[4]なか、友人の誘いで行ったオウム主催の超能力セミナーで村井秀夫から勧誘を受け、興味を持ったことをきっかけに修士課程2年の1989年4月22日に入信。このセミナーではダルドリー・シッディ(いわゆる空中浮揚)を体験し、空中浮揚の特集本でも実演している[5]。その後、博士課程に進んだがオウムの修行を優先させ中退した。

入信に反対の立場をとっていた両親は1991年7月19日、合田正の主宰する茨城県所在の「仏蓮宗」に土谷を監禁してオウムから脱会させることを計画。オウム側は町田市の土谷の実家を盗聴して居場所を突き止めた上、中村昇井上嘉浩青山吉伸林泰男(小池泰男)らが仏蓮宗に街宣車まで動員し連日押しかけて土谷の解放を求め、教団顧問弁護士でもある青山の名で人身保護請求を申し立てた。オウムを辞めるふりをして、8月25日に翌日に予定されていた人身保護請求の裁判に備え両親や仏蓮宗関係者らとともに都内のホテルに宿泊していたが、夜中に抜け出し、オウム真理教富士山総本部に身を隠して1991年9月5日に出家した[2]

出家後[編集]

教団内のステージでは1994年7月に師となり、9月6日には師長、翌1995年3月17日付の尊師通達で正悟師に昇格。出家からわずか3年半で正悟師となる異例のスピード成就を遂げた。麻原の3女、松本麗華によれば「真面目で宗教的な人物」[6]、また元教団車両省大臣の野田成人も「超真面目」と評している[7]

1992年7月からは石川公一とともに大学生を対象に勧誘する「学生班」の中心人物となり、国立大学を中心に、大学図書館へのオウムの書籍の寄贈や学園祭での尊師説法会の企画・立案を実行した。

兵器と違法薬物の製造[編集]

1992年11月、 麻原彰晃の指示により村井秀夫の元で化学の研究に着手することを命じられた。村井は「国家権力から攻撃を受けることを想定して自衛の為に武器を持つ」として化学兵器製造を指示してきたという。山梨県上九一色村の第7サティアンのそばに専用のプレハブの実験棟クシティガルバ棟オカムラ鉄工から持ち込んだ事務用品を収蔵してあった物置を改築)を持ち、実験をしていた。1995年1月1日、 読売新聞の上九一色村サリン残留物スクープにより、土谷は保管していた物を廃棄した。同じく土谷が分析し確認した中間物質はこの時に廃棄した。

日時 製造物 用途・使用事件 備考
1993/08 サリン 20g 標準サンプル サリンプラント計画も開始[8]
1993/11 サリン 600g 第1次池田大作サリン襲撃未遂事件 中川智正と協力[8]
1993/12 サリン 3000g 第2次池田大作サリン襲撃未遂事件 [8]
1994/01 サリン 30000g 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件
松本サリン事件
青色サリン溶液(ブルーサリン)。約70%がサリン、約30%がメチルホスホン酸ジイソプロピル。中川智正と協力。当初麻原は池田大作襲撃に使うつもりで製造を指示した[8]
1994/03 ソマン 10g 教団武装化 [9]
1994/04~07 RDX 10g 教団武装化 東京都庁小包爆弾事件のRDXは95年に中川智正が製造したもの[10][9]
1994/04~07 TNT 300g 教団武装化 [9]
1994/04~07 PETN 300g 教団武装化 [9]
1994/04~07 HMX 10g 教団武装化 [9]
1994/05/01 LSD キリストのイニシエーション
ルドラチャクリンのイニシエーション
最初に麻原がLSDを試し、「宇宙の始まりを見てきた」といって感激したという。遠藤誠一と協力[8][11]
1994/06 イペリット 50g 教団武装化 土谷がイペリットを投棄したことがきっかけで94年7月10日信者リンチ殺人事件が発生した[8][12][9]
1994/07 覚醒剤 5g ルドラチャクリンのイニシエーション [13]
1994/08 ホスゲン 数リットル 江川紹子ホスゲン襲撃事件 [9]
1994/08 青酸 数リットル 新宿駅青酸ガス事件 [9]
1994/08~09 VX 20g 第1次滝本太郎VX襲撃未遂事件 土谷は「現代化学」1994年9月号(8月15日発売)を読んでVXの製造法を知った[14]
1994/08~09 ニトログリセリン 2000g 教団武装化 [9]
1994/09 VX 20g 第2次滝本太郎VX襲撃未遂事件 警察官がいたので襲撃は実行されず[12]
1994/09 チオペンタールナトリウム 自白剤
バルドーの悟りイニシエーション
公証人役場事務長監禁致死事件
遠藤誠一と協力[13][15]
1994/11 VX塩酸塩 100g 駐車場経営者VX襲撃事件 無害なものを間違って製造[9]
1994/11/30 VX 駐車場経営者VX襲撃事件
会社員VX殺害事件
被害者の会会長VX襲撃事件
[12]
1994/12/25 VX 40g 被害者の会会長VX襲撃事件 純粋VX。被害者の会会長事件については11/30のものか12/25のものか不明[12]
1994/12/31 イペリット 200000g 教団武装化 [9]
1995/03/19 サリン 6~7リットル 地下鉄サリン事件 約30%がサリン。遠藤誠一中川智正と協力[16]

逮捕・裁判[編集]

1995年4月26日、第2サティアンの地下の隠し部屋で、指名手配中の女をかくまったとして、犯人隠匿容疑で遠藤誠一ら7人と現行犯逮捕された。後の供述から、7つの事件への殺人罪などに問われ再逮捕起訴された。

「麻原尊師の直弟子です」「私は死を選ぶ」と発言する[17]、サリン事件は陰謀とする小説風の文章[18]を読み上げるなど、逮捕されてなおマインドコントロールが解けないでいた。土谷は、オウムの信者の中でも、最も遅くまでマインドコントロールが解けなかった信者の一人であった。それが解けた切っ掛けは、法廷で語られた被害者遺族の言葉と、麻原彰晃裁判の中で異常な行動を繰り返していることを、雑誌記事などで知りそれを、「弟子達を差し置いて詐病に逃げている」と感じたためである。また、麻原に対して「自身の思想が正しいと思うなら、裁判で本当の事を証言して欲しい」とも語った[2]

その後、現在は「今の麻原氏にはついていけない」「一審中は麻原氏への信仰を捨てなかった」としている。罪状認否では薬物密造事件は認めたが、他の事件で無罪を主張した。2003年7月14日検察側は論告で「麻原彰晃の頭脳として、悪魔に魂を売り渡した殺人化学者。教団で唯一、サリン、VXの生成方法を確立して大量無差別殺人を可能にした。被告なくしてはサリンなどの化学兵器はなく、無差別大量殺人事件もなかった。刑事責任は松本被告に準じた存在」として死刑求刑した。この求刑はオウム真理教事件の裁判では当時逃亡中だった特別手配犯3人(平田信高橋克也菊地直子)を除いて一審判決の求刑としては最後の求刑である(麻原への論告求刑公判は2003年4月24日・判決公判は2004年2月27日)。弁護側は「殺人にVXガスやサリンを使うとは知らずに生成に関与させられただけで殺意はなく、事前共謀にも参加していない」と無罪を主張した。

2004年1月30日第一審は手配信者の隠匿の罪は無罪としたが、「松本事件では捜査段階の供述で他の教団幹部らが不特定多数を殺害しようとしていることを認識していたと供述している点から犯行を幇助する意思があった」「地下鉄事件では捜査段階の供述で自分が製造したサリンが近い将来に地下鉄を含む東京都内で使われることを知っていたと判断でき、松本事件とは異なり共同正犯の責任を負う」と他の6事件で有罪とし、死刑判決を言い渡した[19]

2006年8月18日の控訴審は控訴棄却して死刑判決を維持し[20]2011年2月15日最高裁第3小法廷は被告側の上告を棄却。オウム真理教事件で死刑が確定するのは11人目[21][22]。なお、本人は死刑を受け入れているという[2]

2017年現在、東京拘置所収監されている。2014年5月の菊地直子の公判での証人尋問では心身が不安定になっていたため、他の死刑囚の証人とは異なり拘置所で行われた。

関連事件[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』2003年 p.32
  2. ^ a b c d ザ!世界仰天ニュース - 2時間15分拡大版!洗脳スペシャル - 2012年4月4日放送
  3. ^ 江川紹子『魂の虜囚―オウム事件はなぜ起きたか』 2000年 p.383
  4. ^ オウム真理教大辞典 p.94
  5. ^ オウム『ズバリ!浮揚』1991年 p.31
  6. ^ 【地下鉄サリン事件から20年】麻原彰晃の三女・アーチャリーが語る 聞き手:田原総一朗
  7. ^ 土谷謝罪 野田成人のブログ
  8. ^ a b c d e f サリン事件の詳細な実態、および事件の謎/サリン事件にまつわる各種資料/1996年2月7日 冒頭陳述(土谷正美) オウム裁判対策協議会
  9. ^ a b c d e f g h i j k 破防法弁明●証拠の要旨の告知(2) オウム真理教公式サイト(Internet Archive)
  10. ^ 『オウム真理教大辞典』 p. 96
  11. ^ 『オウム真理教大辞典』 p.24
  12. ^ a b c d 松本智津夫被告 法廷詳報告 林郁夫被告公判 カナリヤの会
  13. ^ a b 江川紹子『魂の虜囚―オウム事件はなぜ起きたか』 p.481
  14. ^ 「現代化学」2012年5月号に掲載された中川智正の証言
  15. ^ 『オウム真理教大辞典』 p.89
  16. ^ サリン事件の詳細な実態、および事件の謎/サリン事件にまつわる各種資料/1995年10月24日 冒頭陳述(中川智正) オウム裁判対策協議会
  17. ^ 『オウム真理教大辞典』 p.94
  18. ^ AUM13(ゴルゴ13のパロディ) サリン事件の詳細な実態、および事件の謎/サリン事件にまつわる各種資料/土谷正実2003年9月18日上申書 オウム裁判対策協議会
  19. ^ オウム元幹部土谷被告に死刑判決 東京地裁 朝日新聞 2004年1月30日
  20. ^ オウム・土谷被告、2審も死刑判決…一度も出廷せず 読売新聞 2006年8月18日
  21. ^ オウム事件 土谷被告、死刑確定へ 最高裁上告棄却 日本経済新聞 2011年2月15日
  22. ^ サリン事件の土谷被告の死刑確定へ 最高裁、オウム11人目 47NEWS 2011年2月15日

参考文献[編集]

  • 「オウム法廷11」(朝日新聞社 2003年)

関連項目[編集]