大内利裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
大内利裕
誕生 ????????
福島県双葉郡
ホーリーネーム プンナ・マンターニプッタ
ステージ 正悟師
教団での役職 ロシア支部副支部長
入信 1985年
関係した事件 男性信者殺害事件
男性信者逆さ吊り死亡事件
判決 懲役8年

大内 利裕(おおうち としやす)は、オウム真理教の元幹部。福島県出身。ホーリーネームプンナ・マンターニプッタ大阪支部長、ニューヨーク支部長などを歴任。1995年当時はオウム真理教モスクワ支部で活動していた。早川紀代秀林郁夫、満生均史などと並んで数少ない麻原より年上の幹部[1]

来歴[編集]

福島県で生まれる。東京都内の鍼灸専門学校卒業後、鍼灸師となった。妹はオウム“新信徒庁長官”大内早苗

平家物語の盛者必衰・諸行無常の教えなどに強く影響を受け、精神世界古神道生長の家大本などに興味を持っていた。1985年12月に麻原彰晃の書いた雑誌『ムー』のヒヒイロカネの記事をきっかけにオウム神仙の会(後のオウム真理教)を知り入信、神秘体験を経験する[2]

1990年第39回衆議院議員総選挙には真理党候補として旧埼玉3区から出馬し、落選した。同年、国土法違反事件で逮捕され(不起訴処分)、留置中に正悟師に昇格[2]

1993年9月にロシアに派遣され、モスクワ支部の立ち上げに尽力した。

その2ヶ月前には利裕と妹の大内早苗の入信に反対していた長兄が水死体で発見される不審死があった。[要出典]

事件への関与[編集]

出家後まもなくの1988年在家信者死亡事件を知る。1989年、麻原から「グルのためなら人を殺すことができるか」と言われ、男性信者殺害事件に関与することになった。さらに1993年6月、妹の大内早苗がきっかけとなった男性信者逆さ吊り死亡事件の死体隠蔽に参加した[2]

1995年3月の地下鉄サリン事件を機に、ロシア政府はオウム真理教を禁止。7月に当時ロシア国内に残っていた大内は布教禁止命令に違反したとして逮捕され10日間拘留される(支部長の上祐史浩は日本に呼び戻され不在だった)。日本に帰ることもできたがロシアの信者に迷惑がかからないように自分が犠牲にとの思いであり、ロシアの捜査官からは「上祐の責任を背負わされた馬鹿」呼ばわりされたという[3]。拘留中に脱会届を教団に送付した。

1998年3月5日国外退去処分を受け、ロシアを出国した。同年4月2日、男性信者殺害事件国際指名手配。その後、キプロスに潜伏しているところを現地警察に逮捕され、日本に強制送還され、4月19日警視庁逮捕された。坂本堤弁護士一家殺害事件がオウムの犯行であったと知り、麻原への帰依が揺らいだ[2]

裁判では、上祐史浩らにオウムを解散するよう求めた[3]検察より懲役10年が求刑され、2000年11月6日第一審2003年2月6日控訴審とも懲役8年の実刑判決が下り確定。

出典[編集]

  1. ^ 井上順孝『情報時代のオウム真理教』 p.321
  2. ^ a b c d 渡辺学「救済と暴力 : オウム真理教元幹部の入信と脱会の一事例(<特集>宗教-相克と平和)」『宗教研究』Vol. 79 (2005) No. 2 宗教―相克と平和 p. 375-398
  3. ^ a b 元プンナ・マンターニプッタ正悟師こと大内利裕被告の陳述 カナリヤの会

参考文献[編集]

  • 『オウム法廷8』(朝日新聞社、2002年)

関連事件[編集]