ヒヒイロカネ

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ヒヒイロカネは、古史古伝における太古日本で様々な用途で使われていたとされる、伝説金属または合金。緋緋色金、日緋色金とも表記し、火廣金(ヒヒロカネ)、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、青生生魂(アポイタカラ)はヒヒイロカネを指すといわれる。現代の様々なフィクションにも登場する。

伝承[編集]

現在知られているどの金属のいずれかなのかどうか、そもそも一体どのような金属だったのかもわかっていない。

歴史[編集]

ヒヒイロカネは現在ではその原料も加工技術も失われたが、太古日本(神武天皇の御世以前=ウガヤ王朝期)では現在の鉄やと同様のごく普通の金属として使用されていたとされる。特に合金としてよく出来たものは神具の材料として使われたという。三種の神器もヒヒイロカネで作られているとされる。

性質[編集]

その比重よりも軽量であるが、合金としてのヒヒイロカネは金剛石(ダイヤモンド)よりも硬く、永久不変で絶対に錆びない性質をもつという。また常温での驚異的な熱伝導性を持ち、ヒヒイロカネで造られた茶釜で湯を沸かすには、木の葉数枚の燃料で十分であったとも伝えられている。

  • 太陽のように赤い金属とも、輝く金属とも言われる。
  • 触ると冷たい。
  • 表面が揺らめいて見える。
  • 磁気を拒絶する。

近代以降のヒヒイロカネ[編集]

竹内文書[編集]

竹内文書』によれば、神武天皇以後の御世ではかなり希少な金属になっており、祭祀用の装身具富山の皇祖皇太神宮本殿の屋根[1]などに用いられたが、時代とともに資源が枯渇したのか、精錬技術が失われていったのか、雄略天皇の時代に日の神十六菊形紋のを二枚作ったのを最後にヒヒイロカネは精錬されなくなったとされている。

酒井勝軍による調査で、草薙の剣ほかヒヒイロカネ製の装飾品を竹内巨麿邸にて発見し、酒井が主宰した月刊誌『神秘之日本』に発表している。その時、酒井が竹内邸で発見したヒヒイロカネ製の装飾品のかなりが「錆びて」おり、酒井が加工することで本来の輝きを取り戻したとされ(八幡書店刊『竹内文献資料集成』に写真が掲載されている)、ヒヒイロカネとはいえ本当に永久不変ではなく、保存状態が悪いと錆びてしまうらしいが、なぜ酒井がヒヒイロカネの加工技術を知っていたかは酒井の家族ですら知らない。なお、世界最高の切れ味を誇るといわれる日本刀の加工技術も、ヒヒイロカネの加工技術が一部使われていると酒井らは考えていた。

ヒヒイロカネ製の装飾品などの神宝は、1935年昭和10年)12月28日に、秦真次により東京市靖国神社遊就館松田常太館長に託されていたが、第二次天津教弾圧事件により、1936年(昭和11年)4月30日、竹内巨麿による神宝を水戸地方裁判所に移す旨の受託書により押収され、その後、東京大空襲で失われた。

古代ギリシャに伝わるオリハルコンとヒヒイロカネは同一の物質であり、ともに「生きた金属=オーラを発する」と酒井は述べている。酒井自身が「これこそがヒヒイロカネである」と仲間に語った物質こそ、岩手県で産出する餅鉄であるが、これはの含有率の高い単なる磁鉄鉱であり、酒井が後に語ったこととして、餅鉄を特殊な技術で純鉄に加工した後、更なる加工を施してヒヒイロカネに仕上げると[要出典]いう。

オウム真理教[編集]

オウム真理教の開祖である麻原彰晃は、オウム真理教を設立する2年前の雑誌『ムー』1985年11月号に、「幻の超古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」という記事を投稿し、酒井勝軍と面識があった老人からヒヒイロカネを譲り受けたと宣伝していた。

オウム真理教では、黒い石を大量に用意しており、これを邪気を吸収するエネルギーを持つ霊石「ヒヒイロカネ」と称して[2]イニシエーションに用いていた[3]新実智光は修行中に飛び跳ねることがあり、寝ても立ったままでも飛び跳ねるので、麻原がバケツ一杯のヒヒイロカネを持たせたが、それでも飛び跳ね続けたという。

脚注[編集]

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  1. ^ 上古第22代天疎日向津比売(あまさかりひにむかいつひひめ)身光天津日嗣天日天皇は、富山の皇祖皇太神宮本殿を造営した際、屋根をヒヒイロカネで葺いたと『竹内文書』に記されている。
  2. ^ 東京キララ社編集部 『オウム真理教大辞典』 三一書房 2003年11月 ISBN 978-4380032097 P.113
  3. ^ 13.ヒヒイロカネとプルシャ|オウムとクンダリニー

関連項目[編集]